異教を狩る者
前回のあらすじ
傭兵たちの雑談
傭兵団の野営は獣の声一つしないままに朝を迎えた。まだまだ日も昇っていない野営に二百人ほどの傭兵たちが集まっている。各々眠そうにしていたり、疲れている様子さえ見える。この時代の野営にまともなベッドがあるはずも無いから無理もない。
「よーし、全員集まったな?」
そんな面々に向かい合うように、多少眠たげな瞳の男が立った。軽鎧を着た短い金髪の中年だ。副長のハイネスである。片手の袋には厚手の防寒具がしまわれている。
「今日はあの変な吹雪に突っ込む。防寒具はしっかり持っていけよ」
威勢のいい返事と若干やる気のない返事が混ざって聞こえた。正規軍でもない彼らであれば当然だろう。前に立つハイネスに至っては慣れたものと言わんばかりの表情だ。
「追加でブルーノたちと新兵のカジミールか」
彼の目だけが右端にいた三人の方を向く。特にカジミールを品定めするようにまじまじと眺めていた。少々寝ぼけまなこではあるが。
「村の規模的に出番は無いと思うが、戦場の空気を少しでも感じてくれ」
少し顔をしかめているが、一応は労ったつもりらしい。そして任務を甘く見ているのは共通認識のようだ。彼の目はそのまま、隣のブルーノとマルセロの方に向いた。その表情は明らかに呆れを含んでいる。
「それとお前らは静かにしとけよ。この前もお喋りが止まらないまま戦場に着いて──」
「副長、そろそろ出発を」
側にいた傭兵の一人が、だんだん早口になってきた彼の話を遮った。その言葉に彼はハッとして、少しばつが悪そうにしていた。どうやら説教が止まらない性格のようだ。
「ゴホン、では出発するぞ。第一隊、先行しろ」
左端の一団にいた傭兵たちが山道を登って行った。次々と部隊が山道を登り、中間の部隊にハイネスの隊が、最後にカジミールたちの隊が出発した。
無数の足音が消え、後に残ったのは寂寥を感じる風だけだった。
ハイネスの隊が発ったしばらく後、火の消えた焚火の元に一人の男が座っていた。エリクだ。何をするでもなく、燃え滓となった薪をただ見つめている。
すると、一つの天幕から兵士が目をこすりながら出てきた。白いあご髭をたくわえた老人だ。老兵はエリクの姿に気づくと、彼の隣に腰かけた。
「よう、ラドリス爺さん」
「おはようさん。随分早いのう」
腰かけたラドリスはパンを千切り、口へ運んだ。
「ハイネスたちは行ったか、相も変わらずキッカリしとるわ」
ラドリスが山道の方を見て呟く。若干の眠気を感じる声色だが、その顔は大きく綻んでいた。
「ま、そういう奴だから副団長をやってもらってるんだ」
二人は静かに笑いを浮かべている。寝ている者への配慮だろう。しかし、その声は確信に満ちたものだった。
「そういえば、なんでまた審問官がこんな辺境に?おかしい所はあるが、たかが吹雪だろうに」
エリクの表情が途端に険しくなった。次の言葉を待つラドリスの表情も鋭くなる。
「半年前、徴税官から領主に報告があったんだよ。近隣にある村や町から、五百人は居た住民が全員消えたってな」
一瞬の沈黙。たったそれだけの時間で、彼らの空気は鈍重なものとなった。
「そこから本国に連絡が行っておじさん……審問官様が派遣された訳だ。報告の兵が来なくなって俺らにお鉢が回ってきたけどな」
「魔女の仕業と思われたのか、気味の悪い話じゃな」
ふと、ラドリスが何かを思い出したような顔をした。
「そういえば、この麓じゃったな」
彼の発言にエリクは首を傾げる。
「7月ほど前の戦争で死体が消えたことがあったろう?」
「ああ、敵味方関係なくゴッソリやられてたな。弟が見つからないって言ってるやつもいた」
そこまで言い、彼は言葉を詰まらせる。死体の行き先。それに対する一つの可能性に思い至ったのだろう。
「偶然、じゃあないよな?」
「……ウェスレーにおるのは、本当に魔女か?」
その疑問に答える者はいなかった。答えはただ、その地へ行くものだけが知る。二人の間には灰を乗せた風が流れるばかりだった。
前方の視界すら怪しい吹雪の中で、防寒具に身を包んだ傭兵たち列をなして前進している。彼らの足は雪に深く沈んでいる。かなり歩きづらい様子だ。
その中でもブルーノは涼しげな顔で進んでいる。
「このくらいなら故郷の方が寒いな」
「海面に氷張ってるようなとこと比べんな……ハァ、ハァ」
彼の後ろには一歩進むこともままならないマルセロが息を切らしていた。その後ろからカジミールが追従している。
「で、なんか見えるか?ってかいつまで歩けばいいんだよ?」
白い吐息とともに、マルセロの疑問が投げかけられる。それに応えブルーノは目を凝らす。しかし、足元さえ覚束ない吹雪の中だ。その顔に芳しい回答は見られない。
「俺に言われても困るし、流石にこの吹雪の中じゃなあ……ん?」
何も見えない。そう言おうとしたブルーノは、怪訝そうに眉間を寄せた。
「どうした?」
彼の様子に気づいたマルセロが声をかける。
「いや、あそこになんか立って……何か光っ」
言葉は切られた。彼の右腕と──首と共に。
「……は?」
ものの数秒。それだけの出来事だった。誰も状況を把握することさえ出来ず、呆然としていた。そうせざるを得なかった。
先ほどまで生命を宿していた巨躯は、飛来した何かの勢いと吹雪に押され、仰向けに倒れた。直後に落ちてきたのは腕と首。
「え、おい、ブルーノ……?」
ふと、彼ら後ろで雪と土が掘り返されたような音が聞こえた。そこにいたのは、黒い襤褸を纏う、3mはあろうかという巨大な何か。その両手には錆びつき刃こぼれした大鎌。
──大鎌には鮮血が滴っていた。
「う……うわあぁぁぁぁ!!!」
眼前の光景を理解したマルセロは叫んだ。そうするほかなかった。
人ではない。友より大きいその者は、そう直感させるほどの死臭と異質さを漂わせていた。