開眼 盲目の巫女
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふむふむ……ウソをつくとき、男は視線を右側へ泳がせる一方、女は相手の瞳をしっかり見据えることが多い、か。
どうよつぶらや、この意見。ときどき漫画とかで「俺、私の目を見ろ」とかいうシーンあるけれど、こういうので判断できるもんかね。
男の場合は目をそらしたら。女の場合は逆にこちらを食い入るように見てきたら、そいつは怪しいと思った方がいいのかもしれん。女がウソを見抜きやすいというのも、ガン見に慣れているせいなんだろうかね。
それらを抜きにしても、視線に注意しろとは常日頃から言われていることだ。
面接のときとか、相手から視線を逸らすのは失礼とされるしな。実際に、相手の目を見続けると気持ち悪がられるから、つむじからネクタイの結び目あたりまでで、ゆっくり見ていくといい、とも聞いたことがある。
だが、もっと気をつけるべきことが、身近に出てくるかもしれない。
俺の昔話なんだが、聞いてみないか?
当時の俺のクラスに、いわゆる「斜視」な女の子がいた。
彼女の場合、内外、上下のあらゆる方向に飛ぶものだから、初見ではたいていの人がとまどうだろう。侮辱されていると思うこともあるかもしれない。
先生の話だと、すでにそのことで笑いものにされたことがあったらしくてな。彼女自身、たいていは薄目を開けて生活するようになったんだと。
「リアル糸目って、存在するんだな」と、俺に思わしめたほど、彼女の薄目は本当にわずかしか開かない。それでいて、ちゃんと周りのことは見えているらしく、椅子や机や、はたまた体育の最中に飛んできたボールなども、必要に応じてよけたり、受け止めたりしている。
そして、この年頃となると身体のどこかを隠している奴は、そこに不思議な力を宿している、なんて中二的な考えが激増していてな。
三角巾どころか、湿布ひとつでもそう扱われるほどの熱量だ。それがほとんど目を閉じている彼女へ向かないわけがなく、「盲目の巫女」だかとたいそうな肩書きをつけて、いじる輩もいたなあ。
そして新年明けて、最初の学校。
たまたま早く登校してしまい、自分の席で大あくびをしている俺に、彼女がぽんぽんと肩を叩いてきた。
「ねえねえ、にらめっこしない?」
唐突な提案に、はてなマークを浮かべる俺だったが、勝てたらジュースをおごってくれるという安い報酬に釣られ、つい承知してしまう。
にらめっこには、少し自信があったせいもあったせいなんだろうな。俺は始まるまで彼女が採ってくるだろう戦術に、気を向けることができなかった。
両者にらみ合っての数十秒。頬の動きだけでも、これだけ珍妙なムーブができるのかと、感心しつつも唇を震わせかける俺の前で、彼女がかっと両目を見開いたんだ。
両目ともに外斜視。その白目の開き具合だけで、思わず鼻水垂らしそうなくらい力が入ったが、どうにか耐える。
しかし彼女の攻勢はそこで終わらない。左の虹彩が時計回りに、右の虹彩が反時計回りにぐるぐると動き出したんだ。
速い。およそ、これまで見た誰よりも上の速さで、ヨーヨーの技みたいな軌道を見せるその動きに、俺はたまらず噴き出してしまう。
「イエイ! 私の勝ち!」
ぴたっと、目の動きを止めて笑う彼女。
ほんのわずかな間だけ中央へ戻る虹彩だが、すぐにまたそれぞれがそっぽを向き、また動き出したところで、またまぶたを押し下げてしまう。
「やれやれ」と思いつつ、久方ぶりに彼女が笑うのを見て、どこかほっとしたのも事実。だが、その彼女が席へ戻るのをほほえましく見守っているところで。
がくん、と視線が勝手に床へと落ちた。
下を見ようと思ってのことじゃない。瞳全体へ走る違和感、目だけで下を向こうとしたときにそっくりだった。
そう分かるや、今度は顔全体ががくりと落ち込みかけるほどの、重みがかかる。あやうく机にひじを立てて耐えるも、視線は意識的に上げようとしても上がらない。
それどころか俺の意思に反するまま、虹彩は勝手に動き出す。左は時計回りに、右は反時計回りに、景色がじわじわと動いていくんだ。
あわてて飛び込んだ男子トイレ。ずれていく視界の中、かろうじてとらえる鏡の中の俺は、あの彼女の虹彩と同じような動きをしている、俺の目に気が付いたんだ。
あいつに、へんてこな目をうつされた。風邪みたいに。
そう直感した俺は、さっそく薄目生活を敢行。いまだ動いている虹彩を意識していたが、友達からはさんざんからかわれたよ。「あいつの真似っことか、実は好きなん?」とか突っ込んでくる奴もいて、いちいち反応するのも疲れた。
そして彼女はというと、次々と友達ににらめっこを持ちかけている。うっすらとする視界の中、彼女と戦うみんなは連戦連敗。決まり手はやはり、彼女の開眼だ。
利口な奴にとっても、予測可能回避不可能なこの攻撃は、あやまたず彼女へ勝利をもたらし続けた。
そして、俺のようになったらしく、最初は驚きながら文字通り目を回していたみんなは、遅かれ早かれ、俺と似たような薄目状態になっていく。
被害者はみんな、彼女のにらめっこのせいだと思うも、証拠はない。そして即物的な学生は、ジュースという報酬に釣られ、彼女とやりあい、そして敗れてこのありさまとなった。
彼女の手は他のクラスにも及んでいるようで、半月もする間に、学年の5分の1くらいは薄目生活を送っていたと思う。
そして1月も終わりに差し掛かろうというところ。
その日も家で、ぐるぐる動く気配を放っていた虹彩が、にわかに動きを止めたように思えたんだ。
即刻、洗面所へ行っておそるおそる目を開くと、とたんにとぽとぽと、瞳からこぼれ落ちるものの姿があった。
涙じゃなかった。俺の虹彩と同じ、茶色の身体を持つ砂粒ほどのそれらは、くすぐったさを伴ってどんどんシンクへ溜まっていく。
ごまだれのドレッシングを思わせるじゅうたんを敷いた奴らは、俺が水を流すより先に、自ら排水口の中へ飛び込み、消えてしまった。
瞳は、もう勝手に動く気配はない。
そうっとまぶたを押し上げると、虹彩はど真ん中の定位置へ戻っていたんだ。
翌日の学校でも、ほぼ被害者は同じ体験をしたらしく、薄目を卒業している人が多数。
そしてその日から、うちの学校はインフルエンザの大流行に遭った。これまでにないほどの大規模で、学級どころか学年の閉鎖さえ起きたほどだが、俺たちのまわりの生徒は、不思議とわずらうことはなかった。
あの、彼女のにらめっこに破れて、薄目生活を強いられた面々だ。
のちに彼女は話す。
「この年のインフルは、ものすごく強いらしかったからね。ちょっとみんなの目に観覧車になってもらったんだ。
見たでしょ? あの目から流れ出たものたち。あれがお客さん。乗せてもらったお駄賃で、みんなにインフル耐性をつけてくれたんだよ」
あまりに堂々という口ぶりが、うさんくささを漂わせている。
ともあれ、このことがあってから卒業まで、彼女の「盲目の巫女」の肩書きはますます強固なものになったわけなのさ。