8. ディオンの憂い
執務室から望める庭園に、侍女を伴い散歩しているエリシアを見つけた。
何をしてもいい、と言ってはいるが、基本的には公爵邸の自室や図書室で過ごしたり、庭園を散歩して過ごすことが多いようだ。
貴族令嬢だから、行動範囲が狭いのは当たり前か……。エリシアを眺めながら、オルレアン公爵ディオンは呟いた。
「……ドレスを贈ったのは正解だったな」
今日のエリシアは、ミントグリーンのドレスに青緑色のリボンをアクセントにしたドレスを着ている。
エリシアが公爵家に着いてから仕立てたそのドレスは、白い飾りレースが付いた胸元や、肘やウエストを彩るリボンは控えめだが、清楚な魅力を持つ彼女にはよく似合っていると思う。
ここ数日の間に分かったことだが、淡い金色のふわふわとした長い髪に、緑にも青にも見える碧色の瞳をした美しい令嬢は、どうやら自分の美しさに気づいていないらしい。
そのせいなのか、エリシアが伯爵家から持参したドレスはどれも、地味としか言い様がないものだった。
娘が好みそうなレースやフリルといった飾りが少なく、色味も灰色やくすんだ茶色ばかり。可愛らしさや華やかさの欠片もない実用一辺倒のドレス。
……好み、というには渋すぎる。
ドレスに金をかける余裕がなかったことは、伯爵家の窮状を知っていることから理解できる。
しかし、社交界に顔を出している義妹が華やかなドレスを纏い、地味なドレスを与えられたエリシアが、孤児院や教会の手伝いに勤しんでいたと聞けば、エリシアが妾腹の娘という扱いを受けていたと考えるのが妥当だろう。
とりあえず、エリシアに似合いそうなドレスを急ぎ仕立てて、強制的に贈ることにした。
着てくれているということは受け入れてくれたということだろうか。
「……伯爵家での扱いを想うと不憫でならん。伝説の竜の乙女は稀少な存在ではないのか?」
「……ディオン様。王都にお住まいの方は、『竜の乙女』のことを知らなくて当たり前なんですから。おそらく、エリシア様も自分が竜の乙女であることをご存じなかったと思いますよ。……手っ取り早く、諸々の伝説の絵本とか、準備した方がいいですかね?」
ディオンの口から不意をついて出た言葉に、執務室にいた副官のカイルが返す。
……竜の乙女のことを知らない。となると、竜の印をもつディオンの価値も分かっていないのかもしれない……。
いや、そもそも、自分が竜の印を持つ者であると告げただろうか……。エリシアと過ごした数少ない記憶を辿ってみる。……してない、な。
「確かに、控えめな性格だと感じたが、俺にも興味がなさそうだった。いや、むしろ……」
「……引かれてましたよね」
「……」
贈り物するとか、一緒に食事するとか、今までのディオン様からは考えられませんよ、とカイルが言い募る。
「まぁ、ドレスを贈ったことには私も賛成です。エリシア様が淡い金髪であったから、地味なドレスでもそれなりにお似合いでしたけど……」
「……うむ」
竜の卵を生み出す、強大な力をもつとされる乙女。
一体、どのような娘かと思っていたら……。
メルトアの店先で見つけたエリシアは、特別なオーラを纏っているわけでも、見た目に変わった所などもなく、貴族令嬢たちに紛れていれば目立たないであろう普通の娘であった。
ただ、街歩きに最適なと言えば聞こえはいい、冴えない色味の質素なドレスを着ていたが、それが霞むほどのふわふわとした淡い金の髪に、青にも見える緑色の瞳をした可愛らしい小柄な娘であった。
間近で見るとなお顔の造作は美しく、表情に乏しいと感じることもあるが、それが反って神秘的であるとも思える。……ディオンの個人的な見解だが。
(俺にとって唯一の女性となるからなのか? 感情が抑えられん……)
女性嫌いのディオンが、初めて会ったエリシアを迷いなく愛竜カナロに乗せられたのは、エリシアが竜の乙女であると一目で判ったからだ。
どんなに美しい令嬢を前にしても動かされなかった冷めた心が熱くなり、あいさつもそこそこに竜に乗せ、自分の腕の中に囲っていた。
思い返せば恥ずかしい限りの行為だが、……運命の女性には抗えない、ということか。
ディオンは、赤くなった顔を片手で覆った。そんなディオンにカイルが一言。
「……ディオン様、耳も赤くなっていますよ」
「……うるさい!」
「でも、良かったですね。申し込んだお相手に間違いがなくて」
「……あぁ。そうだな」
ここだけは、カイルの言葉に素直に同意できる。
婚姻を申し込むため伯爵家の内情を探っているうちに、自ずと姉妹の評判も、出生の違いも耳に入ってきた。
実際に手紙で話を持ちかけた時、伯爵から薦められたのは正妻の子である妹だが、ディオンはどちらでも構わないと応えている。
ディオンとしては、娶るべき花嫁が竜の乙女であれば誰でも構わないので、正妻の子であろうが妾の子であろうが関係ない。平民であってもよいのだから。
実際のところ、妾の子であった姉のエリシアがやって来たわけだが、……無駄な手間が省けてよかった、と思う。
花嫁候補として公爵邸に滞在しているエリシアとは、食事は共にしているが、それだけだ。よそよそしい態度で言葉少なに話す彼女と、親密な雰囲気になるには遥かに遠く、個人的なことでさえ本人の口から聞くには、まだまだ時間が必要である。
(……警戒されているのかもしれん。竜の印について話すのが早いが……。見せたら確実に、引かれる)
と考えたところで、ディオンに気づいたことがあった。
「……そういえば、宝玉もまだ見せてもらってないな」
証となる宝玉は、竜の印を持つディオンにとっては意味がなかったらしい。すっかり確認し忘れていた。
「でしょうねぇ。お食事の時だけですもんね。まともにお顔を合わせられるのは。……それもテーブルの端と端。いつもこうしてカーテンの影から覗き見て、……いてっつ! 何するんですか」
カイルの黒い頭に拳骨を一発くらわす。副官、兼、乳兄弟でもあるので遠慮はしない。
「お前は……。主の気持ちを推し量るということを知らんのか! 慣れてきた頃合いを探っているのだ」
「私だって、エリシア様と早くお話してみたいんですよ! 竜の乙女を騙った令嬢の皆さまには容赦しなかったじゃないですか! 睨んで凄んで追い出して、……あっという間でしたよ。なのに、エリシア様相手だと牛歩並みに遅いっ!」
「偽者とは訳が違う! 当たり前だろう。それに、エリシアと話してみたい、だと。何でだ?」
「だって、伝説の竜の乙女ですよ! どのようなお方なのか興味あるでしょう? ……なぜ選ばれたのか、証を手にされたのはどうやって? ディオン様のことをどう思われているのか? 不思議がいっぱいです!」
「おい! それ、絶対にエリシアに聞くなよ!」
「え~っ、何でですか? 嫉妬深い男は嫌われますよ」
「うるさい! この伝説オタクが! とにかく、……エリシアに会ってくる」
「わ~い。私も行きます!」
そう言って、ディオンは執務を放棄し部屋を出た。その後を、カイルが嬉しそうに小走りで付いてくる。
二人は、エリシアのいる庭園へと向かった。