4. メルトアでの出会い
「街を見ながら休憩できるなんて、素敵だわ。……王都では気軽に出歩けなかったから」
運ばれてきた素朴なスコーンと紅茶を味わいながら、エリシアは初めての経験を楽しんでいた。
サリーとのおしゃべりも楽しいが、道行く人を見ているだけでも面白い。
「エリシア様が望めばいつでもお連れできますよ」
サリーはそう答えてくれたが、王都の貴族たち、特に女性が出歩く機会は少ない。お店を歩き回って買い物をすることはないし、せいぜい目的の場所に馬車で直接行くくらいだ。
「北都では、だれでも気軽に街歩きしているの? たとえば、周辺の貴族の方たちとかも?」
「はい。少なからず街歩きを楽しむ方はいらっしゃいます。ここでは竜も見られますし、観光気分を味わっているのではないでしょうか」
「そう。……では街歩きをしても、いいのね」
「はい。誰も反対しませんので、いつでもお声かけください」
サリーが笑顔で答えてくれた。
この場所でエリシアが見ているだけでも、身なりのよい若い女性だけの二人組をちらほら見かける。
また巡回している警備兵の姿もある。きっと治安がいいのだろう。
「……公爵様はきちんとお仕事されているのね。まだお若いのに、立派な方ですね」
噂では「月のように冷徹だ」と聞いていたのに……。
メルトアの街からそんな様子は窺えない。
「はい。私たち使用人にも、無理な要求はなさいません。……でも、特別な地だから、というのもあると思います」
「……?」
「ここは罪を犯す者が少なく、浮浪者などもいません。竜が生まれる地だからこそ、仕事にあぶれることなく、犯罪も抑止できていると言われています」
「それって、どういう……」
「あっ! 青竜の騎士団だ! かっこいいなぁー」
エリシアたちの脇を通り抜けようとしていた子どもたちから声が上がる。立ち止まって空を見上げ、興奮しながら話している。
「竜騎士になりたいなぁー」
「俺は絶対、竜騎士になる! 青竜の騎士団に入って、街を守るんだ」
「竜騎士団に入るのは難しいぞ!」
「そうだ、そうだ!」
飛空している竜騎士団を見つけた子どもたちの騒ぎを聞き、側にいた大人たちが冷やかしている。その顔に浮かぶのは優しい笑顔で、本気で否定しているわけではなさそうだ。
「勉強して体を鍛えて、それから騎士になって。……気難しい竜に気に入られないと、なれないんだぞ! やらないといけないことがたくさんある!」
「が、がんばるもん!」子どもたちが返す。
「精一杯やれよ。じゃないと、竜騎士どころか竜のお世話係になっちまうぞ!」
「「「それはやだっ!!」」」
「……ふふっ」
子どもと大人たちのやり取りに思わず笑ってしまう。
「竜騎士団は、子どもたちの憧れなのね。確かに格好いいわ。私でも見惚れちゃうもの」
「北都で暮らす人々にとって、竜騎士団の……竜の存在は大きいです。竜騎士団があることで、それだけ仕事も増えますし、神脈のおかげで広い農地も毎年豊作です。人手はいくらあっても足りません。……それと、子どもたちが嫌がっていた竜のお世話係っていうのは、罪を犯した人を表す言葉なのですよ」
「そうなの? 私はてっきり職業のひとつだと思ったわ」
「竜は本来、気難しく荒々しい生き物で、竜騎士以外の人間には攻撃することもあるそうです。草食なので、食べられることはないですけど。とても大きくて恐怖を抱く相手に、痛い目にあいながら辛い日々を送らねばなりませんから、世話係は罰を受けているのと一緒です。そうなりたくないばかりに、犯罪を犯す人も少なくなるというわけです」
「そ、そうね。仕事があれば生活は安定するし、犯罪を犯すこともなくなるでしょうね。……学校もあるみたいだし、北都はいいところだわ」
エリシアは素直にそう思う。まだ見ぬ公爵の印象が、メルトアの街を訪れただけで相当よくなった。
竜に関しては間近で見たことがないので、「気難しく攻撃的」とだけ頭に刻み込む。物珍しさに近寄らないようにしよう。
(いけない、いけないわ。このままここに住みたくなっちゃうじゃない! どうしましょう……)
と、エリシアが悩み始めた時、周囲からどよめきが起こった。周囲の人々が空を指差し、何事か言い合っている。
「……?」
すると、それまでエリシアに降り注いでいた日差しが遮られ、辺りが薄暗くなった。「バサッ、バサッ」と羽ばたく音が響いた途端、地面が大きく揺れる。
「……! な、なんなの?」
エリシアが思わず声をあげた。
日差しを遮り、地面を揺らしたもの。それは建物の二階分に相当する巨大な青い竜だった。大きな双脚を地に着け、先端が矢尻のような形をした太くて長い尾が、馬車や人の通りを妨げている。
「こ、公爵様!?」
侍女のサリーが慌てて席を立ち、エリシアの後ろに控えて頭を下げる。
(こ、公爵様、ですって!)
店先の庇の下で椅子に座っているエリシアの目には、見上げても青竜の白色のお腹と足しか見えていない。
すると、タンッ! と軽い音がして、竜の背から何かが飛び降りてきた。
(……! すごい、銀色の髪だわ)
黒色の軍服に身を包んだ長身の青年は、まるで神話の中から現れた戦神のように美しく、神々しい雰囲気を纏っていた。
無造作に整えられた長めの前髪から覗く瞳は、見たこともないような深く澄んだ青色。中性的にも見える端整な顔立ちのなかで、それは射ぬくような鋭さを感じさせ、男性であることを示していた。
「そなたか……」
見目麗しい青年が艶のある声で呟く。……が、そのままこちらを凝視してくるばかりで言葉を発しない。
「あのぅ、……オルレアン公爵様でいらっしゃいますか?」
エリシアは立ち上がり、不敬かもしれないと思いつつ公爵らしい青年に問いかけた。
もしかすると、勝手に出歩いて怒っているのかもしれないが、あいさつを抜きにしては何事も始まらない。
「初めまして。エリシア・サークライスと申します」
「…………。ディオンだ」
青年はエリシアにそれだけ言うと、後方に控えているサリーに「彼女は私が連れて帰る」と告げた。
「えっ! ど、どういうこと」
「さぁ、乗れ!」
「ひっ!」
短くあいさつされたと思ったら、いきなり腕を掴まれ、竜の背中に乗せられた。突然の出来事に戸惑うばかりである。
それに、近寄らないようにしようと決めたばかりの竜に、自分は今、乗っている……。
「あっ、お姉ちゃん、いいな~。僕らも乗りたい!」
子どもたちからは羨ましそうな声が上がる。
「僕も!僕も!」「私も!私も!」と、大勢の子どもたちからの催促する声を、どこか遠くで聞いているエリシアは、意識を保つだけで精一杯だった。
(……な、何が起こっているの?)