2 (2)
暴力事件で留年したというその人物は入学から今日まで姿を見たことがないどころか、名前も聞いたことがない。出欠の確認のときに名前は呼ばれているのだろうか。
学校に着くとなんとなく山本の席のほうを確認したがやはり今日も登校していないようだ。
会長の元友人とかいう人物は今日は登校してくるのかと気にしながら席に着こうとすると、私の席が一つ後ろにずれていることに気付いた。
出席番号順に並んでいる席順に割り込みがあるということはなかなか珍しいことだと思うけれど、何か問題でもあったのだろうか。いや、もしや会長の元友人が復帰したとか?
そんなことを考える間もなくその席に鞄が置かれた。その持ち主はどこかで見たことのある、かなり印象の深い人物だった。
金髪にピアス、日焼け肌にネックレス。そう、昨日の登校時に見たあのダサい生徒である。昨日その姿を確認したのに、クラスでは見ていない。どういうことなんだろう。
チャイムが鳴ると同時に担任の川崎がやってきて、一瞬こっちを睨んだような気がした。正確には私ではなく、前の席のチンピラにだと思う。
「えぇ、去年留年した江藤が昨日復学手続きを終えて、今日から登校ということでクラスに来ている。じゃあなんか江藤、一言言ってくれ」
「……」
「江藤、一言言ってくれ」
「……」
「……おい。なんか言えよ!」
「……」
川崎の言葉に何の反応もない。こんな格好をしている上にこんな行動を取っていたら教師からどれだけ目をつけられるかは馬鹿でもわかる。
「おい。去年はたまたま退学にならなかったかもしれんがな、今年は一つでも問題を起こしたらお前は退学だ。よく覚えておけよ」
「……」
教室の空気が冷たく凍りつく。これからクラスがこの様な空気に包まれることが増えるのだろうと考えると憂鬱になる。平和な高校生活が壊れていく。
江藤はそのふざけた格好とは裏腹に、授業になると黒板から目を離さず、ノートをとる手も止めていなかった。教師から指されないのはおそらく避けられている為であろう。
勿論、クラスの皆にも避けられている。常に眉間にシワを寄せて相手を睨むような表情の江藤と目を合わせたくないというのは当然の心理であろう。
昼休み、お弁当を食べ終わった後に気付いたのだがクラスに江藤の姿が見えない。もしかしたら会長のところへ行っているのかもしれないと思い、廊下に出て生徒会室に向かう途中、窓の外に派手な金髪が見えた。間違いない、江藤だ。何をしているのだろう。
興味本位で近くに行き、江藤から見えない位置でその様子を覗くとそこには他にも何名かいることに気付いた。
江藤のそれまでとはいかずとも、派手な頭髪にアクセサリー。夏休み明けデビューの連中が6、7人ほどいる。まさか集団でシンナーでも吸おうとしているのだろうか?
そんな予想を裏切った江藤はその中の1人の胸倉を掴み、壁に叩きつけた。これはまずい。手が出れば暴力事件になる。止めに入ったほうがいいと思いもう少し近くに寄ろうとすると江藤が喋っている言葉がはっきりと聞こえた。
「おい、てめぇら。誰に断ってそんなふざけた格好してんだ? 殺されたくなかったら明日その頭丸めてこいよ」
これは上級生から下級生に対する「ヤキ」というものか。もっとも江藤は留年しているので上級生ではないのだけれど。
夏休み前までは普通の格好で来ていたその生徒たちは江藤に恐れ、縮こまっている。無理もない。この辺りは不良というものとは縁のない土地で、ここはその真ん中にあるような学校なのだから。免疫のない不良にあのようにメンチを切られたら、その対処法を知らぬ故に黙り込んでしまうだろう。
正直なところ、私は今の江藤の様な行為が全くと言って良いほど理解できない。まず自分がその連中と同じ様な格好をしているにも関わらず、何故他人だけは許せないのか。直接自分に害が及んだわけでもないのにどうしてそんなことができる? 気に食わない、という理由でやっているんだろうけど、何故気に食わないのかは口には出さないようだし。
今見た風景は念のため会長に報告しておくべきだろうか。また校内で問題でも起ころうものならそれは私としても迷惑というものだ。
そう思って急ぎ足で生徒会室に向かうと、いつも静かなはずのその部屋から何やら話し声が聞こえる。会長はいるということだろう。
この部屋に入る権限は持っているのだが、中にいる者達が何か大事な話をしている可能性も否めないので念のためにノックをしておく。
「どうぞ」
聞き慣れた会長の声が鼓膜に響いたのを確認してドアノブをひねる。
そこには予想外にも不良のような格好をした者がいた。会長と話をしていたのはどうやらこの茶髪のいけすかない男子生徒のようだ。
「あ、お邪魔になっちゃいますね。今日は本当にありがとうございました。会長の言うとおり、明日からはしっかりやっていきます!」
何がお邪魔なのかも何を話していたのかもわからないけれど、この一言を聞く限り、想像していたよりはまともに人と会話できる者らしい。茶髪生徒は会長に軽く会釈をしてから生徒会室を出て行った。
「タイミングがよかった。昼休みに生徒会室を利用するのも悪くないね」
というより私は会長がどのクラスに属しているのかを知らない。思い出したときに聞けばわかることなのだが、なんとなくいつもいつも聞きそびれてしまい、今日この日に至る。特進科でないことは確かなのだけど。
「どうなされたんです? さっきの生徒」
「あぁ。僕が連れてきた」
「そうでなくて、何を話していたんです?」
「知りたいかい?」
「知りたくなければ聞きませんよ」
「そうだな」
「会長だって、話したいんですよね?」
「ほう。どうやら読まれているようだね」
はぐらかすように事の核から遠ざけておいて、実は詳しく聞いてほしいというのが会長の性格だ。わかるようになったのはもしかしたらたった今かもしれない。
「なんてことはない。ただあのような身だしなみを注意していただけさ」
「それだけですか?」
「多少ではあるが、説教じみた話といえばしっくりくるだろうか」
「それでどうだったんです?」
「君もさっき見ただろう。彼の爽やかな受け取り具合を」
なんと。会長はあの生徒を『少しの時間話しただけ』であのように変えたというのか。会長ならできそうな気がしないでもないけど、それはどこかの寺のお坊さんが刑務所の受刑者にするようなものだ。
「その布が深い色に染まりきる前に、軽く洗浄すればまた真っ白に戻るだろう。そういうことさ」
その洗浄の術を知る者が一般の高校生の中に何人いるだろうか。
「もしかして会長、それで皆を改心させるつもりですか?」
「まぁそうだが、何か問題でもあるかい?」
会長らしいと言えば会長らしいのだけどそれがまた非現実的である。
それはそうと先程の一件を報告しなくては。
「江藤君が今日から復帰か。僕に顔を見せにこないのは少しばかりショックだね」
「でも会わないほうがいいと思います。昨日話した、私が生理的に受け付けない雰囲気の人が彼でしたから」
「それはそれでまた興味深いものがあるだろう」
一体何が興味深いのかはわからないが、会長が誰かを毛嫌いすることがないのはわかっている。この人はたとえ凶悪殺人犯を相手にしてもこの態度を貫き通す人物だろう。
「それにね、僕は外見を気にしてその人の中身を無視するような勿体無いことはしない主義だ。だから副会長の君が綺麗な人だということは偶然なのだよ」
褒めるならもう少しストレートに褒めてほしいものだ。
会長はそんなことを言っているが、もし江藤がまた問題を起こしてしまったらどうするつもりなのだろう。そんなことがあったとしても会長のせいというわけではないけれども。
「放課後に君のクラスに立ち寄るよ。彼との再会は僕としても喜ばしいことだ」
江藤は午後の授業も何かに取り憑かれたかのように集中していて、むしろ後ろの席の私がその様子が気になって仕方がなかった。その外見とのギャップというか、昼休みに見た言動とのギャップというか。
放課後を知らせるチャイムは体感的にいつもより少し早く鳴り、会長が来ない間に江藤が帰ってしまわぬかと考えたが杞憂だった。
「僕のクラスは少し早くホームルームが終わってね」
会長の素早い対応は怖くない程度に正確だ。そして会長は廊下から江藤を呼び出した。
「……おう、お前か」
この江藤がごく普通に言葉を発しているところを見ると、さすがに会長には敵意を抱いていないということが見て取れた。会長は『元友人』と言っていたが、すぐに『現友人』への格上げが行われることが予想できる。
「見た目は随分と変わったようだね。更に世間離れしたと見える」
「お前は相変わらずだな。見た目も、おそらく中身も」
品の良さそうな美少年と柄の悪いチンピラが視界の中に同時に存在するという稀な光景が目に映る。そしてその2名の表情が相反しているところもこれまた面白いものだ。
「こうして登校してきたところを見ると、君も卒業する気があるようだね」
「……さぁな。どうでもいいことだ」
「僕にとっては重要なことだ」
「ふん」
「それと彼女が今年から生徒会で副会長を務めている岡本君だ」
「あ、どうも。岡本です」
「この男が目当てならやめとけよ。敵は学校中に溢れてるからな」
去年からこの学校にいる生徒は江藤の思っているようなことを思っているのだろうか。だとしたら実に不愉快だ。
「彼女はそんな俗な女性ではないよ。稀に見る魅力的な方だ。少し無口ではあるが」
「そうか。まぁそれもどうでもいいけどな」
やはりこの江藤という人間は私のマイナスな感情を生み出すような人種だ。外見も言葉も性格も勘に触る。
「江藤君。君の人間性や能力を非常に高く評価している僕としては、君が生徒会に入会することを希望する。中途の入会ということで僕からの推薦があれば許可はすんなり降りるだろう」
中途の入会が認められるという話は初めて聞いたが、生徒会選挙が行われるほどの希望者のいないこの学校ではそうでもしないとやっていけない部分もあるのだろう。しかし私としてはこの野蛮そうな金髪があの生徒会室に毎日やってくるのは喜ばしくない。
「悪いが断る。めんどくせぇからな」
「理由はそれだけかい?」
「まとめるとそうなるんだよ。この女もいるから別に良いじゃねぇか」
「そう言われると返す言葉に困るね」
「それにお前も知っている通り、俺はなるべく先公と関わりたくねぇ」
それもそうだ。おそらく教師のほうも江藤と関わることは避けたいだろう。担任の川崎はいつも睨みを利かせているようだが、他の教師に至ってはほぼ彼のことを無視している様子も見受けられる。
「そうか。無理強いはよくないからしつこく勧誘はしないが、気が向いたらいつでも」
「はん。気が向くことなんかねぇよ」
「じゃあまた」
「あぁ。じゃあな」
江藤が去っていくのを見届けると心にゆとりができた。あの不良と同じ空間にいると酷くその場が窮屈に感じて居心地が悪くなる。ウマが合わないとはこういうことなんだろう。
クラスで浮いた存在になるであろうその不良が、もしその状態を孤高だと捉えているのならそれはとんだ勘違いであるが、その勘違いを指摘する存在すらいないほどの孤独に苛まれるという事態は、おそらくこの会長によって避けられるのであろう。
会長と関わりのある人間にはきっと孤独なんて言葉は縁のないものだ。