2 孤高
「すまなかったね。今日はありがとう。しっかりと肝に銘じておくよ」
今日最後の一言で会長は少し申し訳なさそうな笑顔でこう言った。
正門を出れば私は左、会長は右に帰路を辿る。
忙しかった今日一日が終わったと思うと私の心は安堵に包まれ、秋の夕焼けを素直な気持ちで『美しい』と感じることができた。
――あの後のこと。
私はこれから無駄な行動に時間を費やすことを避けるために山本と同じ中学だった生徒や、クラスメイトの何人かにも聞き込みをすることを提案し、会長と共にこの時間までそれを行っていた。
結果は私としては予想通りのものだった。相手は皆、野球部のクラスメイトと同じことを言っていたのだ。
山本の元同級生も、山本が虚言癖を持っていたことからいじめのことまで知っていた。追加情報で得られたものと言えば、山本が異常なまでに本が好きということぐらいだろう。守備範囲は広く、4コマ漫画だろうが聖書だろうがエラーせずにしっかり守れるらしい。
会長はきっと山本が実際に高校生活においていじめの被害を受けたことなどの新しい情報が出てくると思っていたのだろう。同じ情報しか得られずに、その度に少しずつ笑顔が曇っていくのが見受けられた。
会長は自分の観点に囚われたまま突き進むようなことはしない人だ。
周囲の情報の信憑性が高いとわかると、ある程度の結論を自分の中で出したのか、聞き込みはもういいだろうと呟いた。
一人の人間を信じようとする人に対して少し酷なことをしたようにも思えるが、この件に関してはもう身を引いてほしかった。
『裏切られるまで信じる、なんてことはしなくてもいいんですよ』
私はそう会長に言った。
会長のことだから他のことではまた同じようにお人好しを発揮するだろうけれど、こういうときは誰かがブレーキを踏んであげなくてはいけない。
別れ際の一言で、会長が私の言葉を聞き入れてくれたのだとわかって安心した。
――翌日。
今日からはまた平和で静かな日常が……戻ってくると思った私が迂闊だった。始業式の日に会長が言っていたように、頭をひっぱたいてやりたくなるような連中がいるのだ。
昨日は気にかける暇もなかったのだが、こうしてみるとクラスに何人かという割合で金髪の生徒がいる。校則では染髪や脱色は禁止となっているけれど、度を過ぎなければとやかく言われないものだ。
しかし、少なくとも目の前にいる男子生徒においては『度を過ぎない程度』とは言えない。
整髪料で固めた金髪にシルバーのピアス、昨日海水浴に行って参りましたと言わんばかりの黒い肌にセンスがよくわからないネックレス。訳の分からないほどに制服のズボンをずり下げているのはファッションだとしてもあまりに不格好で、ワイシャツはネクタイはおろかボタンすらほとんど締めていない。
本人は格好良いと思ってやっているんだろうけど、自分が決まりや常識を守れない人間だと言いふらして回っていることとなんら変わりはない。
いつかその恥ずかしさに気付くときがくるのだろうが、やんちゃするのもせめて制服を着ていないときだけにして欲しいものだね。
私は基本的にだらしない男が嫌いだ。いつまでも子供のような価値観で生きて、誰にも迷惑をかけていないという言葉で相手を困らせる。
誰かが不快に感じればそれだけで迷惑がかかるということを理解できず、我が儘に生きていく。
結局のところそうやって生きていけば学校など卒業できないのだから、真面目に生きてきた人と将来性や経済面で比較すると格段に劣る人生を歩むことになる。自業自得でしかない。
ルールを守れない人間は、そのままでいる限り人としての魅力がない。というよりそれは人としての必要条件だろう。
「随分厳しい意見だね」
放課後に私の意見を述べてみると会長はそう言った。
「私は一般的な視点を持ち合わせていると思うんですけど」
「世の中はそんなに情のない人ばかりだろうか?」
「……多分」
「まぁ多くの人が通る道だよ。僕だってそうだったさ。」
なんと。これは聞き流せない事項だ。この会長がまさかあんな格好をして外を出歩いていたというのか?
「僕にも羞恥心というものがあるからね。詳しくは言えない」
がっかりだ。この場面だけでもいいから神が会長から羞恥心というものを消し去ってはくれないだろうかね。
去年の今頃は一体どんな生徒会だったのだろう。すでに卒業した生徒が生徒会長を務めていたのだろうか。
「会長。あんな連中がこれから増えていくような気がしてならないのですが、去年は一体どうだったんです?」
「去年も今年と同じだったよ。夏休み明けにまるで何かに目覚めたような変貌を遂げた者たちがたくさんいた。今年よりも多かったんじゃないかと思う」
やっぱりそうなのか。この問題と対面するのは稀ではないということだ。それに会長は今年で二度目の対面となるわけか。
「去年は僕もまだ1年生だったからね。今の岡本君と同じだ。違うところと言えば当時は僕1人だったということか」
会長は噂通り、去年から1人でこの生徒会で会長をやっていたらしい。驚くべきことなのだが不思議とその風景を想像するのに困らない。
「正直、警察沙汰が起きたあのときは生徒会長を辞めたいと思った」
「そういえば先日も言ってましたよね、警察沙汰があったと。何があったんです?」
「暴力事件だ。教師に対する生徒の暴力」
そんな事件があったとは入学前にも聞かなかった。大きな事件ではなかったのだろう。
「怪我を負うような事件でもなく、騒ぎが大きくなる前に食い止めることができたから生徒を退学まで追い込むこともなかった。僕にとってそれだけが救いだったよ。僕さえもっと行動を起こせていたら、その問題が起こる前に防ぐことができたかもしれなかった」
「そんなに責任を感じることもないんじゃないですか?会長に原因があったわけでもないのでしょう?」
会長は少し寂しそうな笑顔で答えてくれた。
「いや、僕はその問題を起こした彼とは仲の良い友人同士だったんだ」
「それは少し想像しがたいですね」
この会長がそんな事件を起こすような野蛮そうな人と友人同士だなんて、詳しい話を聞いても信じられる気がしない。それに少しひっかかる点がある。
「仲の良い友人『だった』とはどういうことですか?」
「さすがだね。耳の良い人は頭も良いと聞く」
「ありがとうございます。それで、どういうことなんです?」
「そう焦るなよ。過去形をとったのは間違いのような気もするが、現在形で表すには少し遠いものがあってね」
「よくわかりません」
「彼はその事件後から無期限の停学となり、それ以降学校に姿を現していない」
そういうことか。しかしこれまで登校していないとなれば確実に留年しているだろうし、もはや会長の知らぬ間に自主退学しているかもしれない。
「今年も僕が会長を務めているのはその一連の流れがあったからと言っても過言ではないのだよ」
「相変わらず回りくどいですね。驚くほど素直なのに言い回しはまるで嘘吐きのようですよ」
「怒っているのか?」
「続きが気になるんです!」
「そうかそうか」
会長は私の反応を見て楽しんでいるのだろうか?少なくとも生徒会に入った5月から夏休みまではこんなことはなかったのに。
「彼は勿論留年したよ。出席が始業式までとなればそれはやむを得ない。今年の9月から復帰すれば去年の出席日数と合わせて単位に認定され、来年の4月に進級できるということになったんだ。僕は彼を生徒会に誘うつもりでね。辞めるわけにはいかなかったんだ」
何事においても『誘う』ということをしなさそうなイメージを会長に抱いていたが、それは誤解だったらしい。それにも驚いたが、会長がもう1年会長をやると決める程の人物がいるということのほうが衝撃だ。
「でもあの日から連絡も取れていなくてね。名簿に名前があるところを見ると自主退学はしていないようだが、連絡の取れない人を未だに仲の良い友人だと言えるのか少し自信がなくなってしまったんだ。無論、僕が彼を友人だと思っていることは変わりないが」
1年前にあった事件について詳しく聞きたいのだが聞いてもいいのだろうか?会長の様子からは『それには触れるな』というものは感じないが、ここまで聞いてみるとなんだか逆にその先を聞きづらい。
「そして彼が先生に暴力を振るった動機が、未だにわかっていないんだ」
「そんなに重大な動機はなかったんじゃないでしょうか?」
「いや、彼は夏休み前までは暴力とはあまりにかけ離れた存在だった。実に誠実そうな人柄で頭がよく、英語の成績は抜群によかったほどだ。それが夏休みが明けるとその穏やかそうな外見は見る影もなくなっていたのさ」
「夏休みは会長と会ったりしなかったんですか?」
「夏季休暇が終わる1週間前に一緒に図書館に行ったが、その時はいつもの彼だったね」
人というものはいつどこでどのように変わるかが全くわからない。神の気分ともいえる天気ですら予報できるこの時代でも、人の内面の変化はなかなか予測できないものがある。きっと元々何か抱えていた爆弾があって、それが爆発するほどの出来事がその1週間の中にあったのだろう。
そういったものは理由や経緯よりも明らかに『タイミング』であることのほうが多いような気がする。
「そして実に面白いことがあってね。この名簿を見たまえ」
そう言って渡された名簿にはその会長の友人『だった』であろう人物の名前に赤丸が付けられている。
――1年1組。
なんということだ。まさか私のクラスだとは。