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夏休みが明けてからまだ2日。
朝目が覚めても『今日は学校だ』より『夏休みじゃないんだ』という気持ちの方が大きい。私の場合この症状は10日ほど続いてしまうのだがそれが異常というわけでもないだろう。
メイクに時間をかけないタイプの私にとって、同世代の女子生徒が朝5時に起きて1時間2時間と身支度をしているという話は信じがたいものだ。今もこうして7時にベッドから出てきて呑気に朝ごはんを食べている。
ダイエットのために朝ごはんを抜くという考えにも賛同できない。人間が頭を働かすには糖分やカロリーが必要であり、起床後は炭水化物を取ることで授業が始まる頃には頭が冴えているという一連の流れを無視して学校生活を健全に送れようものか。
私の場合は8時少し前に家を出れば学校には余裕をもって登校できる。これから身支度をして丁度いいぐらいだ。
クラスの友人のそんな信じがたい話を聞くためにまた今日も学校へ向かう。
夏休みが過ぎ去ることが憂鬱に感じるとはいえ、別に学校生活そのものが嫌いというわけではないのだ。友人とのお喋りでは完全に聞き役に徹している私だが、それも嫌いではない。むしろ何分も続けて言葉を発するという行為に耐えられない自分がいる。
しかし割と大事なことは伝えるようにしているから、ただの無口ではないと自負している。
そして家を出て通学路を歩いている途中、自分と同じ制服を着ている生徒たちを見て昨日の一件を思い出した。
会長は間違いなく今日から教師に掛け合うだろう。私としては少し様子を見てからのほうがいいとは思うけど、あの人は『善は急げ』タイプだ。本人がそう言っていた訳ではないけれど、多分そう。
間もなく学校に着き、教室に入ってまず山本のほうに視線をやる。
ポツン、と一人席に座って雑誌を見ている様子だ。何の雑誌かまでは気にしないでおく。見方によっては無視されているようにも見えるが、私にはただ1人でいるだけにしか見えない。
「優華おはよう!」
「あ、おはよう」
クラスメイトの元気な挨拶を聞くと今日も学校に来たんだという実感が湧いてくる。学校は学校だけれど、その学校は友達と会う場所でもある。そういった意味では学校は準プライベートな場所であると思う。
だからこそ、なのか。学校という場に『いじめ』という問題がつきまとうのは。
授業が始まるまで山本の様子を窺ってみたが、特にクラスの男子からいじめられている様子はない。かといってクラスの友人と親しげに話す様子もなかった。
「じゃあ出席をとるぞー」
担任の川崎は体育の教師。よく視線がいやらしいと友人から陰口を叩かれるなんともかわいそうな存在だ。本人はおそらく普通に過ごしているだけなのだろうから。
こういったところからいじめというものは発展して、やがては自殺などという悲惨な末路に行き着くのだろう。
まぁ女の陰口というものはこの年頃ではある意味当り前のものだから、それを例に出してどうこう言うのも無駄なことだけど。
1限目の数学、2限目の現代社会。その間の休み時間も山本に変わった様子はなく、相変わらず1人で雑誌を読んでいた。
――クラスメイトから無視されるいじめ?
現時点で考えられるのはそういったものだろう。何も罵られたり殴られたりするだけがいじめではない。
もしかしたら彼の持ち物が隠されていたり、上履きに画鋲を入れられていたり……。
いろいろと考えれば考えるほど馬鹿らしい。
世間的には子供とはいえ、私たちはもう高校生だ。大人ほどではなくても、小学生よりは善悪の判断もつくし、中学生よりは情緒も発達している。そんなくだらないいじめがあるとしたらこれはもう家庭の問題だろう。
3限目の英語、4限目の古文を終えて昼休みになる。特に山本には変化なし。
さすがに授業中にいじめを受けるということもないだろうが、休み時間も相変わらずだ。まさか本人の思い込みによるものなのか?
いやしかし、山本は昨日も被害に遭ったと嘆いていた。
と、ここまで考えてみてやっと気付いた。
山本の言うようにクラスにいじめがあったとして、いじめをしている者は周囲に気付かれるようにいじめを行うだろうか?
答えは出すまでもない。私としたことが焦りすぎていたようだ。おそらくは放課後の教師から見えない時間帯においてそれは行われているに違いない。
「岡本くんはいる?」
まだお弁当の蓋も開けない内に一人の上級生に名指しで呼び出される。私を『くん』付けで呼ぶ人なんて上級生に限らずともこの世にただ一人しかいない。
「どうしました?会長」
「ちょっと昨日の件でね。これから先生に相談しにいくんだ」
クラスに会長が迎えにくる、という光景はこれまでも度々あったシチュエーションだけれど、私はこの状況が苦手で仕方がない。
あちこちでひそひそと聞こえる声。クラスの皆が一気にざわつくのを全身で感じる。以前から私が会長と付き合っているという噂が流れているのだ。もちろんそんな事実はない。
ただ生徒会で一緒だからという理由でそんな噂を立てられては学校生活に影響が出る。とりあえず仲のいい友人には説明したのが軽く聞き流された。
なんでも遊びたい盛りの1年生から生徒会に入る生徒は珍しく、ここ数年でも私1人らしい。
そもそもここは進学校でもなければ偏差値の高い学校でもない。学力においては特別クラスの特進科以外は普通のレベルだ。わざわざ生徒会という組織に属したがるのは変わり者くらいだろう。
あのモデルのような会長がいるとなればそれを目当てに入会者が増えそうなものだが、それでも入会者がいないことには理由があった。
――会長に告白しても必ず振られる。まぁ都市伝説のようなものだ。
会長は基本的に相手に恋愛感情を持ってアプローチをかけることはない。それに加えて自らにかけられたアプローチですらもひらひらとかわしてしまうのである。女のプライドはズタズタだろう。
本人に全く悪気がないということは救いであるが、たちが悪いとも言える。会長との恋愛を目論む連中は失恋と共に生徒会入部を諦めることになったという。
入会希望者はいなくなったとはいえ、会長のファンは減らなかったらしいけど。
そんな噂が出回ったおかげで、上級生での生徒会志望者はゼロ。男子に至ってはあの会長と肩を並べて歩く自信がないのだろう。誰が隣に立っても会長と比べれば劣等生になってしまうから。
そうなると会長の存在を知らない1年生のみに入会希望者は限られる。それがたまたま私だったというだけのこと。
来年の3月までは任期が切れないから途中で辞めることもおそらくないだろう。
「相変わらず無口だね」
「え……あ、はい」
気付くともう職員室の前に着いていた。
私のクラスは校舎の中でも職員室から一番遠い位置にあるのでここまで歩いてくるのに5分弱かかる。不便以外のなにものでもない。
「生活指導の先生はおられますか?」
「ちょっと待っててね」
生活指導の先生は確か白髪のおじいさんのような先生だ。
毎朝校門で生徒に挨拶をしている元気なおじいさんは、厳しく怒鳴る指導でなく、優しく諭すような指導をしている。私は特に先生と関わったことはないけれども。
「おお。小僧か。どうした」
「はい。少し折り入ってお話を聞いていただきたくて」
「そうかそうか! じゃあとりあえず来なさい! 後ろのべっぴんさんも!」
おじいさんは嬉しそうに私たちを指導室に招き入れた。
この様子は生徒から頼られて喜んでいるものだろうか。いつもよりテンションの高いおじいさんは気遣いも厚く、来客に出すようなお茶まで煎れてくれた。
「実は、不登校について少し聞きたいことがありまして」
「不登校か。うちにも何人かおるからのう」
ふわりと緩めたその柔らかい表情で会長が本題を切り出す。
「それぞれに何らかの理由があるとは思うのですが、その生徒たちは単位を取れないまま学校を辞めてしまいます。もし、その生徒が不登校になった原因が他の者にあったとしたら、それはあまりに不平等かと思いまして」
お茶を啜りながら話を聞くおじいさん先生。口を開いたかと思うと意外にも厳しい言葉が飛び出す。
「理由が人それぞれだからこそ、私たちには何もできず、不平等なのだよ。むしろそれはある意味では平等とも言える。学校に来るか来ないかを選ぶ権利はその者にある」
「しかし、現実として看過できない問題が原因となっている場合もあるでしょう」
会長は笑顔のままだが食い下がらない。
「ではもし、お前さんの言うような問題があったとして、そのような生徒が皆不登校になっているだろうか」
「そうとは言い切れません」
「もし学校側で不登校の生徒を他の生徒と同等に出席扱いにして卒業させたなら、それは不登校の生徒に対する『えこひいき』にならんかね」
「そうかもしれませんが……」
会長の笑顔が少し曇った。
おじいさんの冷たい意見は正論だ。正論だからこそ冷たく聞こえるのかもしれない。
「生徒の自由を我々が干渉することはできん。問題の解決も本人の相談がなければどうしようもないしのう。何にせよ、本人の意思が最重視じゃからな。」
「重圧によって言いだせない者だっているでしょう。そこは先生方が歩み寄るべきところでもあるのではないでしょうか?」
「弱い者をただ助けるだけでは解決にならん。本人が強くならねばいかんのじゃ」
おじいさんはある単語を必死に避けている様にも見える。どうしてだろう。このやり取りにイライラしてしまう。
「それにのう。すでに決まっている制度を覆すことなど不可能に近……」
おじいさんがそこまで言いかけたとき、私の中の言葉が不意に表に飛び出した。
「いじめをなくすのは教師の役割ではないんですか!!」