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酷く散らかった図書室に、山本が倒れこむ。突然の出来事に何が起きたのか理解できなかったが、目の前の光景を1秒、2秒と眺めるうちに、パニック状態に陥っていた精神が我に返っていく。状況判断ができる程に落ち着くまではそう長くなく、むしろ客観的に見れば短いものだったろう。山本は、拳を浴びて倒れこんだのだった。
「悪い。邪魔をしちまったな。許せ」
「……?」
どこからともなく現れたその男は、この場を静まり返らせた。会長も川崎も山本も驚いているはずなのだが、私自身が驚くあまりに3人の表情は直には確認できていない。何故、江藤がここに……?
「お……! お前なんでここに!」
「何でも糞も、始めっからいたぜ? うちのお人好しがここに来る前からな」
状況がまだ理解できない……。いや、状況は理解しているのだけど、何故江藤がここにいるのかは全く理解できない。
「こんなに広い図書室。確認ぐらいしとけよ」
江藤はそう言ってポケットから何やら機械のようなものを取り出した。
『まぁネタばらしするとよ、全部俺の遊びだったってわけ! ……』
ついさっき直接聞いた山本の台詞が流れ出す。綺麗に録音された音声が、その小さな機械がボイスレコーダーであったことを証明すると同時に、江藤が始めから何もかも聞いていたことも証明した。
「会長さんよ。お前の気持ちはわかるが、そこで泣きじゃくってる副会長さんを見て少し頭でも冷やしたらどうだ?」
「……岡本……君?」
会長は、今まで見たこともない程に間の抜けた表情で私の方を振り返り、申し訳なさそうに視線を下に落とした。
「おい山本。さすがにもう詰んだな。証拠はバッチリと抑えたぜ?」
「……クク……。やられたよ」
「随分味のある演技してくれちゃってよ。でも、俺の方が一枚上手だったわけだな」
「ちょっと江藤? どういうことなの……?」
「俺には全部わかってたんだよ。副校長のことも、コイツのこともよ」
……いきなり現れたかと思えば、更に私を混乱させるような言葉を発するこの男。
「悪いけど、アンタのおかげでそろそろ冷静になってきた。説明して」
「ちっと待ってろ。……おい山本!」
「……なんだよ?」
「てめぇの糞親父もてめぇも、もう終わりだ」
「ククク……ていうか今更出てきてなんだよ。お前の大切なお友達、頭割れてんだぜ?」
「あぁ。だから俺がやり返したんだろうが。アイツが手を出さない分、代わりに俺がぶん殴る。俺はそれでいいと思ってるからよ」
「都合のいい野郎だな……。てめぇが人ぶん殴りてぇだけじゃねぇか」
「てめぇだけには言われたくねぇな」
江藤の一発がよほど利いたのだろう。床に座り込んだまま、やけに落着きを見せる山本。いつの間にか空気が変わっている。
「2人とも、黙ってて悪かった。結果的に俺の戦いに巻き込んじまって……」
「……気にするなよ。むしろ、助けてくれたのは君じゃないか」
「……去年の6月か。わけのわかんねぇ嫌がらせを受けるようになったのは。図書委員がらみだってことはすぐに気付いたけどな」
床に散らかっていたパイプ椅子を1つ立てて、江藤はそこにふてぶてしく腰をおろした。
「マジで意味がわかんねぇと思った。恥ずかしくて誰にも言えなかったしな。それに生徒同士ならともかくよ、教師まで一緒になっていじめとかマジで信じらんなかったぜ」
「……すまん、江藤……」
「あんときの俺はもうお前のことぶん殴りたくてしょうがなかった」
「……」
「まぁ結果的にぶん殴っちまったけどよ。もう完全にブチ切れちまってたからな」
「……」
「処分の結果待ちの間、じいさんに全部話しちまった。あまりに理不尽すぎて我慢できなくてよ。そしたらあのじじい、なんて言ったと思う?」
「……」
「泣きながら『すまん……すまん』って、さっきの誰かさんみたいに泣き始めてよ。そんときに何もかも全部聞いたよ。俺だから話してくれたってのもあるだろうけどな」
ということは……。もう既にそのときから江藤は全てを知っていたと?
「まだ聞くか?」
「……全部話せよ。どうやって俺を欺いたのか、全部聞かせろ……」
「そうか。まぁ正直、俺が退学にならなかったのはあのじじいのおかげだ。処分の決定に一番の権限を持つ校長に、何度も頭を下げてくれた」
あのおじいさん先生と江藤との約束。それはもしかして……。
「何があっても絶対に卒業しろ。じじいはそう言って俺に処分内容を教えてくれた。山本の親父が校長だったら、間違いなく退学だったわけだ」
「……ずっと聞かなかったが……どうして僕に相談してくれなかったんだ?」
「冬休みに入ったら言おうかと思ってたさ。でもな、お前が必死こいて嘆願書作ってくれただろ? 全校の皆に署名とってよ」
「……そんなこともあったな」
「それをじじいから聞いてな。お前だけは巻き込みたくねぇって、心底思ったんだよ」
「……水臭いじゃないか」
急に問題を起こした友人が、今度は急に消えてしまう。いつか帰ってくるとはいえ、その友人の声も聞けなかった会長は、どんな気持ちだったのだろう。
私も、もし理子が急に連絡が取れなくなってしまったら……。
「生徒総会で演説したって話も聞いてよ。もう俺も黙ってられるかって、いつか絶対一泡吹かせてやると決めた」
一泡どころじゃない。私も会長も理子も川崎も、皆して江藤に泡を吹かされたわけだ。
「謹慎中に副校長の息子が入学してきたことも、その息子が糞餓鬼だってことも、全部じじいから聞いた。生徒会長が変わっていないことも、変な女が生徒会に入会したこともな」
「……変な女で悪かったわね」
「おい、そういやよ、頭の怪我は大丈夫か?」
「少し額を切っただけだよ。もう血も止まった。それよりも続きが気になるね」
ポケットからハンカチを取り出した江藤は、それを会長に投げ渡して話を続けた。
「馬鹿息子が生徒会室に足を運んだと聞いた時は、もうそいつが誰を狙ってるのかわかった。どうして生徒会長を狙ったりするのかはわからなかったが、一番やられたくねぇ人間狙われてるってわかった途端、相当頭にきたぜ」
「……どうしてあの生活指導の年寄りは、それが俺だとわかったんだよ」
「学校中で聞き込みをしていたこの2人が目に入らないわけねぇだろ。生活指導ってのはちゃんと周り見てるんだぜ?」
「……」
「復学の日に向けて、色々作戦を練った。とりあえずお前の標的より『早く消したい存在』になろうと努力したぜ? 金髪にしてみたり、わざと川崎に反抗してみたりよ」
「驚いた。あれは全て江藤君の演技だったわけだ」
「色々わざとらしい所もあったと思うぜ? 思い返してみろよ。まぁそれでも思い通りにいかないことがあってな。良い意味での誤算ってやつか」
「……あのときの会長のこと?」
「あぁ。まさかいきなり窓ぶち割るとはよ。俺のこと庇う為に突っ込んできやがった。でも、そんときに確信したんだよ。コイツは自ら進んで巻き込まれるお人良しだってな」
「ふふ。一本取られたね」
「それだけじゃないぜ? 副校長も息子も完全に負かせられるって確信も持てた。そこの馬鹿息子が川崎を盾にして獲物をおびき寄せる像が浮かんだ訳だ。じじいからの情報もあったしな」
「……本当は、お前が退学になって熱くなった生徒会長を斬るつもりだったんだが」
「そこがお前の誤算だ。俺は暴力スレスレのところで川崎を挑発してた。退学を決定づける理由にならないようにな。こっちにも誤算ができたが、そのお人好しが停学食らったときの副校長の反応をじじいから聞いてまた確信が深まり、それはいい誤算となったわけさ」
誤算という名の最高の切り札。全く悪そうに見えない生徒会のジョーカー。
ここまで聞いていて、自分が山本に騙されていたことがようやく実感できてきた。会長が次にどう動くかを予測して罠にはめていったという現実が。
「過去にいた生徒の情報がなんなく手に入れられたり、急に活動的になった生徒会の様子を誰も探りに来ないなんて、おかしいと思わなかったか?」
「……言われてみれば確かにそうだね」
「理子を標的にして更に獲物の捕獲に迫るということも、全部俺の想定の範囲にあった。それと、生徒総会でお前が話す内容も、演説の次の日に川崎がお前に呼び出されることも、コイツにはわかっていたんだろう」
「……クク。わかっていたならもっと早く俺を捕まえに来ればよかっただろう?」
「んなことしてたら、これは俺の手の中にないぜ」
先程のボイスレコーダーをちらつかせる江藤。そう、山本が散々言っていた物的証拠だ。
「途中からはかなりスムーズに進んだぜ。お前のシナリオに乗っかるだけだからよ。最終的にここに辿りつくと予想できた瞬間、気が楽になった。それどころか、お前のシナリオが上手くいくように手助けまでしてやったんだぜ?」
「……俺とお前のシナリオが重なったから、ここまで上手く事が運んだのか……クク」
「推測通りにいかなかったときの為に幾つもシナリオを立てたんだぜ? その中で最も好都合なシナリオになるとは、ペテン師の才能ないな、お前」
ペテン師。まさにその通り。目の前のことで一杯一杯になっている私の見えていないところで、相手の裏をかく勝負が始まっていたのだ。江藤の言動を振り返れば振り返るほど、自分が騙されていたことに気付く。
でも、良い意味で騙されたのかな……。私や会長がもし江藤から真実を聞いていたら、ここまで上手くいかなかったと思う。会長はともかく、私なんか山本の家に怒鳴りこみに行っていたかもしれない。
江藤に才能のなさを指摘された山本は、うすら笑いを浮かべながら呟いた。
「……まぁ、早い話俺が負け犬ってことだな。気が済むまで殴って、裁判にでもかければいいさ……」
「は? 何言ってんのお前?」
「……?」
「自分が罠にかけようとした人間のことぐらい、もっと知っておけよ」
江藤がそう言うと、会長は私の肩を軽く叩き、いつも見せるとびきりの笑顔を見せた。
「君がしっかりと罪を償って、心を入れ替えるまで、何でも力になるよ。山本君」
「……!」
――もう、勝ち負けとかじゃないんだよね。この人は。
本当に、本当にお人好しなんだ。そうじゃなかったらこんなに頼りたいと思いません。疑うことなくついていったりしません。あなたはそういう人でいてください。憎らしい友人にブレーキかけてもらう姿も、あなたらしいですよ。
「江藤君。ありがとう」
「……別に。俺はやりたいことやっただけだ」
「もし君がもっと遅く出て来ていたら、僕は彼を人殺しにするまで自分を殴らせただろう。もし君がもっと早く出て来ていたら、僕は想いを全て彼にぶつけられなかっただろう」
「……うっせぇ。怪我人は喋るな」
「岡本君も、ありがとう。もし君がここに来ていなかったら、こういう形でケリがつかなかっただろう。本当に優秀な副会長だ。これからもずっとよろしく」
『ずっと』だなんて、それ本気で言っているんですか……? 本気で言っているって思ってもいいんですか……?
「そして……」
会長がまた何か言おうとしたとき、座り込んでいた山本が立ち上がったのが見えた。先ほど狂いに狂っていたあの顔つきで、動いた。『瞬間』とはよく言ったものだ。瞬きをする、ほんの少しの間。
手元に光る銀色のジョーカーが見えたときには、もう既に遅かった。