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山本が発信ボタンを押して数秒後、この空間に無機質な着信音が鳴り響いた。どこかで聞いたことのあるような、面白みのない着信音。
着信音は、段々と大きくなる。いや、近づいてくる……!
広い図書室の奥から響いていたその音が、姿を現した。
「……会長!!」
「こういうことだったんだね。山本君」
音を発するその便利な機械を手にした会長が、本棚の陰から姿を現した。
「お前……いつから!?」
「君たち2人がここに来る前さ。それくらい考えればわかりそうなものだが」
「……全部、聞いていたと?」
「もちろん。ようやく事の全てを把握したよ」
ようやく……? 会長は、全てを知っていたわけではない……?
「岡本君、危ない思いをさせてすまなかった。でもおかげで踏ん切りがついた」
「踏ん切り……ですか?」
「あぁ」
会長はそう言うと、真っ直ぐに山本の方に視線を送った。いや、睨みつけた。
「山本君。君をみっちり説教せさていただくとする」
「……はぁ?」
「7時45分……他の生徒が登校してくるのは大体8時15分頃だろうから、後30分近くは話し込めるね」
「馬鹿かお前? 聞いてたんだろ? 俺の話を」
「あぁ。だからこそ君を改心させたい」
「はん! それにしてもよく気付いたじゃねぇか。いつから気付いてたんだよ?」
「さっきだ」
「……?」
「君が岡本君に真実を話すまで、何も知らなかった」
「……何?」
会長が山本の裏をかいたということは、全てを把握していたのではないかと考えたくなるものだが、先程会長が言っていた通り『ようやく』理解したということ。しかし、私にもよく流れがわからないのだけど……。
「僕も岡本君と同様、川崎先生に的を絞っていた。今日この時間にここにいるのも、元々は川崎先生が標的だった訳さ」
「……じゃあなんでコソコソと隠れてたんだよ。さっさと出てきてりゃこの女を巻き込むこともなかったんじゃねぇか?」
「君の家を訊ねたあの日、川崎先生の非常に悔しそうな顔を見たんだ」
そう、まさにあの時の川崎の表情。会長はあれに違和感を持ったとでも言うのだろうか?
「自分が敵うことのない大きな力に、やり場のない怒りを感じている。僕にはそう見えたのさ」
「クッ。まさにその通りじゃねぇか」
「あの時の表情は、いつしか江藤君が見せたものと似ていた。ただそれだけで、もう一度この人を信じてみようという気持ちになっただけさ」
「信じる? コイツは自分が可愛いばかりに人を傷つけるような恥ずかしい奴だぞ? お前が一番嫌うタイプなんじゃねぇのか?」
「何かあったときに自分の身を守ろうと思うことが、そんなに恥ずかしいことか?」
「恥ずかしいっていうか、他人守ろうってほうが頭おかしいと思うぜ、俺は」
会長が人の良い人間である以上、山本のねじ曲がった考え方は理解できないのではないだろうか? ニヤニヤと人を小馬鹿にするような笑みを浮かべる山本に、まともな言葉が届くとは思えない。
それ以前に、今この状況は紛れもなく不利だ。山本の言うように、権力でねじ伏せられてしまうことがあるとしたら、もう終わりに近い。私も会長も、学校にはいられなくなる。
「……会長、こいつにはもう何を言っても無駄です……。川崎だって、逆らえないから今まで言いなりになってきたんじゃないですか……」
「何を言っても無駄なら、何も言わないのか?」
「……!」
「何をやっても無駄なら何もしない。そうやって生きていけば、いつしか何もできない人間になってしまうだろう?」
「でも……」
「結果が見えていても、やるべきことはやるんだ。そういうときに全力を出せない人間は、ここぞという時にも全力を出せない」
会長が凛とした目で私を見つめる。
――全力。会長らしさが感じられるその単語が頭の中をリピートする。
「川崎先生。入口は絶対に誰も通さないでください」
「……お、お前何を言っているんだ!?」
「山本君は、もう僕から逃げられない」
「……お前、今からでも遅くない! あいつには逆らうな!」
「逆らってなどいません。闘っているんですよ」
「学校退学になって、人生損するじゃないか!」
「学校だけが僕の人生ではありません」
「馬鹿なことはやめろ……!」
「どっちにしろ山本君は僕を消すつもりだったんでしょう?」
「クク。そういうことだ。何してもお前だけは消す。それは変わらねぇ」
……どうして? どうして会長なの? そんなに会長が嫌いわけ?
「君が過去にいじめられていたことが、何か関係しているのかい?」
「あ? そうだよ。邪魔なんだよ、俺以外の人間が」
「君が君である為に、他の人間の存在は必要不可欠だ」
「俺をこんな人間にする為に他の奴らがいるってことじゃねぇか!」
「君がどういう人間でいるかは、君自身が決めることだ」
「あぁもう。うるせぇ。お前自分の立場わかってんの?」
「生徒会長だ」
会長は、動じない。
「権力に怯えて嫌々君の言葉に従う川崎先生が、どんな想いでいると思う?」
「知らねぇよ。これで自分の首が繋がって安心、ってところじゃねぇの?」
「本当にそう思っているのか!!」
演壇で見せた、あの表情。
「……いいね。アツくなってきたじゃねぇか」
「君はわかるはずだ。傷つけられる痛み、怯える悲しみを」
「どうでもいい。もうそうなることはないからな!」
「どうでもいいわけないだろう。痛みをわかる者は、救う側に回ることができる」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
本を掴んで床に投げつけた山本。綺麗に並べられた背表紙が、ドミノのように崩れる。
「どうして君は、やり返すことしか考えられないんだ」
「やられたらやり返すんだよ! 当たり前だろうが!」
「だったら関係のない人を巻き込むな!!」
どうしてだろう。昨日もそうだった。いつもニコニコしている会長が誰が見てもわかるほどに憤慨していても、甘く静かな声を荒げていても、不思議に感じない。今はただ、目の前で行われている言葉のやり取りの一つ一つが、ずっしりと重く感じるだけ。
「……めんどくせぇ。死ねよお前」
「逃げるのか? 話し合いが済んだとは捉えられないが」
「うるせぇんだよ!!」
山本が腕を振り上げたと思うと、鈍い音を挟んで状況が変わった。
――厚い。厚すぎる……。冗談で人をひっぱたくにしてはあまりに厚いそのハードカバーの角が、会長の頭部を直撃した。
「会長!」
「……痛くも痒くもないさ」
こっちに寄るなと言わんばかりに手のひらを私に向ける会長。息も乱さず、表情一つ変えなくても、痛くないわけがない。切ってしまうと血が流れやすい頭部から、額にゆっくりと血液が垂れる。見ているだけで、痛い。
「痛ぇだろ!! やり返せよ!! 頭割られたらてめぇも澄ましていられねぇだろうがぁ!!」
「……暴力は嫌いでね」
「あぁ!? 舐めてんのかお前!?」
「言ったろ? 僕は屈しないと」
「ふざけんなくそが!」
会長に血を流させた本が、今度は会長目がけて宙を舞う。声にならない叫びを発する山本。読む為にあるはずの活字の冊子が、次々に会長に投げつけられる。本だけではなく、鉛筆立てにパイプ椅子、花瓶までも。もう、冗談なんてもんじゃない……!
「……やめてよ!!」
「離れろ!!」
「何言ってるんですか会長!」
「怪我したらどうするんだ!!」
何? 何なのこの人……? 頭から血流してるくせに『怪我したらどうする?』って何それ……? 意味分かんないよ……!
「川崎も何黙ってんのよ! 止めてよ!!」
「……」
「教師なんでしょ!? しっかりしてよ!!」
「……す……すまん……俺にはっ……どうにもっ……!」
どうして? 何でここで泣くわけ!? もう……本当に意味分かんないよ……。どうしたらいいの……? 狂ってるよ……。
「何が生徒会長だよ!! 何が正義だよ!! 馬鹿じゃねぇのお前!!」
「……」
「結局ビビって何もできねぇだけだろうが!!」
「……」
「何とか言えよ糞生徒会長!! マジでぶっ殺すぞ!!」
「……そしたら、反省するかい?」
「あぁ!?」
「僕を殺せば君は反省するのか!!」
あと15分遅ければ、学校にいる誰かが絶対に反応してくれた。耳が痛いくらいの大きな声が、時を止めた。
しかし、それもほんの一瞬のことだった。再び動き始めた時には、床に倒れ込む人間が私の目に映っていた。