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「優華ぁ、おなか空いたぁ」
「そろそろお弁当にしようか」
雲ひとつない空は青く、太陽までもが私たちの学校の文化祭をしっかりと見に来ている。ほんの少し肌寒く感じるようになったこの季節の日照りは何とも心地よい。私たちのクラスは間隔をおいて小さい演劇をしているのだが、劇場もとい視聴覚室はその休憩時間にクラスの皆の溜まり場となっている。
「今日は外部の人来てないし、もう演劇はいいんじゃないの?」
「ん、まぁ確かにねぇ。でも結構楽しいよ!」
「役者さんはね」
この演劇には理子を含め、役者が10人しかいないのである。コメディ色の強いこの演劇は、はっきり言ってお笑い芸人のショートコントに近いものがある。
台本はクラスの誰かが適当に作ったもので、一応テーマを掲げているらしいけど、見ている方は笑えるだけで満足だろう。実際にかなりウケているようだし、受付をしている私から見ても客は多い。こうやって騒いで盛り上がっている雰囲気って苦手だとばかり思ってたけど、案外その場の空気が気持ちいいものだね。
「よし! じゃあ江藤君起こしてくるから、生徒会長呼んどいてね! また教室で!」
理子はそう言って視聴覚室から出ていった。江藤を『起こしてくる』と言ったのは、あいつがクラスの出し物をサボって屋上に続く階段の踊り場で寝ているからである。あの何とも言えない場所で、愛用の枕を持参してまで朝から寝ているとはいい根性だ。
会長とは昼食は一緒にとると約束しているものの、なんだか忙しそうな会長の姿が目に浮かぶ。こういった行事ではかなりの仕事量を抱えていそうなイメージがあるけど……。まぁとりあえず電話して聞いてみなくちゃね。
『お疲れ。どうしたんだい?』
「お疲れ様です。これからお昼にしようと思うんですけど」
『もうそんな時間か。わかった。じゃあ1年1組に行けばいいかな?』
「はい。じゃあ待っていますね」
会長が場を離れられないということがないようで安心し、電話を切ると私は教室に向かった。
視聴覚室から出て、調理室、理科室、理科準備室、家庭科室を通り過ぎる。いつもなら閑散としたこの廊下も、今日は笑顔の生徒が盛んに行き来し、賑やかな道となる。
2年生の教室を過ぎた渡り廊下の向こう側を左に曲がったその先に私のクラスがある。2年生の教室のちょうど向かい側に位置するその教室が1年1組。位置的に考えると会長のほうが早く着いているかもしれない。
「おっ、優華! 約5分ぶり!」
「理子」
教室に入る前に理子と江藤に遭遇。江藤は眠たそうな顔をしながら理子に手をひかれ、まさに無理矢理連れてこられたかのような表情をしている。
「おい岡本。なんの真似だ」
「お昼を皆で食べようと思ってね」
「俺の承諾は無しか?」
「会長に許可をとったからいいでしょ」
「俺にとれよ!」
いや、会長も許可出したわけだし。いいんじゃないかな。
「えぇー、江藤君本当は嬉しいくせに!」
「な、馬鹿別に嬉しくねぇよ!」
「あ、顔真っ赤じゃん!」
理子に押される江藤を見ているとなんだか口元がにやにやとしてきそうだ。たじろぐ江藤の姿がなんとも滑稽というか。そう、実に愉快。微笑ましい。
「あれ、生徒会長は?」
「さっき電話したよ。もうすぐ来ると思うけど」
私たちはいつも自分たちが勉強している教室でお弁当を食べているわけだから、今日ここで昼食をとることはいつもとなんら変わりのないはずなのだけど、他に人がいない教室に校庭や中庭から響く声を感じると、まるでそこに初めて訪れたかのような気分になった。
待つこと5分。江藤がさっきまでの眠気を呼び起こしたのかウトウトとし始めたとき、教室のドアが開いた。
「お待たせ。遅れてすまない」
「……あら?」
「って会長どうしたんですその格好!?」
「……」
そこに現れた我らが生徒会長は、見慣れない格好に見慣れない髪型をしていた。サラサラとした髪はワックスで造作的に整えられ、オールバックに。服装は学校指定の制服が数ランクアップし、綺麗でビシッと決まった黒いスーツに。
「おぉー。かっこいい!」
「クラスの出し物のおかげでね。男子はこれ、女子なんかメイド服を着ているよ」
「メイド服……」
私のクラスがそれじゃなくて本当によかった。メイド服なんて着せられたら羞恥心で冥土まで飛ばされる気がする……。
「江藤君はお弁当?」
「いや、パン」
「えぇー。栄養偏っちゃう」
「いいんだよ。死にやしねぇ」
「生徒会長は?」
「てっきりどこかのクラスの出店を回ると思っていたのだが……」
「それは明日ですね。ゴミが出るとかいう理由で、今日は食べ物はほとんどありませんよ」
「……そういえばそうだったな」
「私は優華が作ってきたお弁当!」
「え、岡本が?」
そう。昨日あんなことがあった矢先だったので、今日は理子にお弁当を作ってくると約束していたのだ。まぁその際にふと考えたことがこうして現実になったので、憂うことないように備えたものがしっかりと役に立つということ。私は鞄からお弁当を『4つ』取り出した。
「江藤はパンばっかり食べてるからそんなひねくれてんのよ」
「悪かったな、ひねくれてて。……サンキュー」
「か、会長は一人暮らしで栄養偏ってません? 絶対そうだろうなと思って、まぁ心配だったので、その……とりあえず食べてください!」
「ふふ、ありがとう。いただきます」
そう。そのお弁当はしっかり栄養面を考えて作ったものなので、たくさんの『栄養』が詰まっているのだ。たくさんの……。
午後になるともう時間が過ぎるのがあっという間で、退屈な受付ももう終わりの時間が目の前まで来ている。明日は他の学校の生徒も来るだろうから、今日よりも忙しいかもしれない。
江藤は引き続き例の場所で惰眠を貪り、理子は役になりきっている真っ最中。会長はというと、校内の様々なランキングの結果発表にて複数の部門で1位に選ばれていた。校内イケメン部門においては2位以下該当者無しの満場一致ときている。結果だけを見ればヤラセを疑いたくもなるが、あの会長の容姿を目にした者は誰も否定できない。
最後の演劇が終わると、眠たそうな顔をぶら下げたひねくれ者がやってきた。
「岡本、へんてこ劇場はもう終わりか?」
「今日のところはね」
「あぁ、じゃあさっさと帰るか」
「ダメ。ちゃんと片付け手伝うように」
「……めんどくせぇ」
やることが特にないときはいくらサボってくれても結構だけど、最後の片付け(とはいってもあまり片付ける物もないが)はしっかりとやってもらわないと困る。
「……アイツさ」
「ん?」
「去年も同じことやってたんだってな」
「え? あの格好?」
「ちげぇよ。生徒総会の話だ」
「あ、そう」
「俺が停学喰らって、署名活動してくれたうえに、熱く演説までやってくれた」
「……今年も同じね」
「今年こそ、アイツの想いを汲んでやりたい」
「……そうね」
会長は、そういう人。何度でも何度でも、自分を犠牲にしてでも大切なものを守り抜く。自分の意志、他人の想い、世の中の正義、大切な人。会長にとって大事なものはまだ全ては理解できていないけれど、あの人はいつだって闘っている。どんなことがあっても、真実を守るために。
「江藤」
「あ、なんだ?」
「今日は理子を送ってあげて」
「はぁ? 断る!」
「断るのを断るわ」
「無茶苦茶だな……」
「今日、山本の家に行ってみる」
その一言で、私の急な要求に納得したかのように黙る江藤。
「……そうか。わかった」
「勝負まであとちょっと。水面下の活動も少しだけ陸に上がるわ」
「無理すんなよ」
「大丈夫。会長と行くから」
「そうか」
その後すぐ片づけに取り掛かると、理子が私を見つけて笑顔で駆け寄ってきた。この笑顔を、私だって守ってみせる。もう他人事じゃない。大切なものを傷付けられて黙っていられるものか。
あと、少し。