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「じゃあ先に行ってっから」
教室の掃除当番でしばらく足止めを喰らう私に、江藤はそう言って生徒会室に向かって行った。それにしても毎日毎日掃除しているはずの教室に、こんなにもたくさんの大きな埃があるのは何故だろう。小学生のときからの疑問である。
「あぁ。図書委員会始まるよぉ」
「楽しみなんじゃなかったの?」
「それもあればこれもあり、って感じ」
「感情は矛盾するものね」
おそらく、理子は私と違うタイプの人間。私は理論や情報を基準にし、そこに感情を加味して物事を判断するタイプ。理子は感情を基準にし、そこに情報や理屈を加味するタイプ。このバランスの食い違いの様は会長と私におけるそれに似ている。
そう、理子の基本的な部分が会長に似ているのだ。精神年齢においては会長がグンと上回る気もするけど、人柄の良さという面ではやはり似たものを感じる。
――私は保守に偏り過ぎた人間なのかもしれない。
思ったことを素直に言える理子や、人の為に何かすることに躊躇いのない会長。自分の中にある意地を守る江藤もそうかもしれない。皆、自分という人間を持っている。
傷つくことを恐れたり、物事を損得で考えたりする私はそんな人たちに劣っているのだろうか……。
考える必要もないことを、考えてしまう。いつになく、マイナスな方向に。
こんなこと考えたこともなかったのに。
ふと気付いたときにはもう自分を変えられないところまで来てしまう、なんてこともあるだろう。他の誰かの眩しさを、素直に認められなくなる日も来るだろう。
どうしてこんなことを思ったのかはわからない。ただ、急な雨雲に覆われただけ。にわか雨なら、すぐに止む。
「お疲れ様。今日はいい日だね」
会長がいつも通りの挨拶にいつも以上の笑顔をのせた。停学明けの生徒会長が、仲の良い友人と久方ぶりに放課後を共にするとこんな表情になるらしい。
「岡本、遅い」
「うるさい」
見た目がどんなに変わろうが、こいつの憎まれ口は少しの変化も見せない。まぁいきなり変わられても嫌だけど。
「岡本君、改めて言う。迷惑をかけて済まなかった」
「もういいんですよ。それより今朝の話の続きを聞かせてください」
「ありがとう。ちょっと待っててくれ」
会長は自分専用の広い机の上にあのパンパンに膨れ上がったバッグを置いた。
「江藤君も是非聞いてほしい。これが僕が謹慎中にまとめた自主課題だ」
会長はバッグから国語辞典並に分厚いA4の紙束を取り出した。続いて大学ノートが1冊、2冊……。そしてクリアファイルがちらほらと。あんなに重そうだった鞄がいつもよりも薄っぺらくなった。
「最初はノートにまとめようと思っていたんだけど、足りなくなってしまってね」
「お前……」
江藤が目を点にしている。もしかしたら今の私も同じ表情をしているかもしれない。
「これは学校における様々な問題についての資料と、それをまとめたノート。あと僕なりにまとめた論文に、自作のアンケート用紙だ」
「これ会長が全部……?」
「携帯の電源を切って、こんなことをやっていたとはな……」
それにしてもとてつもない量の紙、紙、紙。これをたったの3日間で全て? ネットから印刷した物の量も多いし、会長自身が書き上げた物の量も凄まじい。驚愕、としか言いようがない。
「これからの生徒会の活動に関わる大きなことだ。まずは説明からだね」
会長は嫌味っ気のない笑顔で話し始めた。
「もうすぐ文化祭があるということは君たちを含む全校の生徒が認識していることであるが、その約2週間後に生徒総会なるものが行われることはよく忘れられている」
……確かに忘れていた。そもそも生徒総会ってそんなに待ち焦がれるような行事でもないし、委員会に所属していない人間にとってはどうでもいいものなんじゃないかと思う。少なくとも私が通っていた中学校では、生徒総会なんて静まり返った体育館で各委員会の委員長が何やらよくわからないことをぼそぼそと喋っているのを聞き流すような行事だった。
「各委員会の委員長が全校に対する連絡事項や呼びかけを伝える場で、生徒会が進行を務めるものだ」
「ということは、私たちが司会ですか?」
「もちろん」
まさか。中学生のときに見たあの生徒会役員の司会を、今度は私自身が務めるとは……。というよりあまりやりたくないんだけど……。
「はは、淡々とした進行頼むぜ、岡本」
「う、うるさい」
「去年は僕1人だったから大変だったけど、今回は安心だよ」
安心しないでくださいよ……。どうしよう。
「不安かい?」
「……はい」
「そのぐらいがちょうどいいさ」
会長は私が既に自分の役割に不安を持っていることに気づいている。だけどその役割を辞めさせたりはせず、励ますことで私を安心させようとしているのだろう。まぁすぐには安心できやしないけど……。
「まぁそういった流れがあるということはしっかり覚えていてくれ。大事なのはここからだ」
「その馬鹿みてぇに多い紙のことか」
「ご名答。僕はこれについて全校生徒に呼びかけを行う」
「呼びかけですか?」
このとてつもない量の紙の束には、学校における問題について書かれていると会長は言っていた。それについて呼びかけるということは、生徒たちに考えさせるということか。
「演説に近いものになるかもね」
「演説ねぇ。聞いてるうちに眠くなったりしてな」
「確かにね」
会長は江藤の言葉に笑みで対応しているが、その心の内はおそらく闘志に満ち溢れているだろう。誰が居眠りをしても、私語をしても、絶対に伝えきるというところだろうか。
「テーマは不登校について。色々と全校の皆に伝えたいことがある」
不登校について。不登校の生徒について。どこかで聞いたフレーズ。
「あ、山本!」
「そう。その件も含めている」
「ですが会長、あの件は山本の被害妄想というか、おふざけというか……」
「そうだとしても、この学校に在籍する不登校の生徒は彼だけではない」
確かに。理子から聞いた図書委員のこともそうだし、他のクラスや学年にもいると聞いている。
「会長さんよ、なんで急にそんなことをするんだ?」
「そうか、まずはそれを言うべきだったね」
会長はネクタイの結び目を少し緩め、椅子に腰かけた。
「今回の停学処分、まぁ短い期間ではあったが、僕も色々と思い出してね」
「昔のことか?」
「そう。僕自身が不登校児だったあの頃を」
幼き時代の両親の他界、それは私が理解することのできない悲しみ、絶望。話を聞いて悲しいと感じることはできても、当時の会長の気持ちを完全に理解することはできない。
「正直、山本君の一件で気落ちしていた僕だが、目が覚めたよ。彼の言っていたことが真実であろうとなかろうと、現実にある問題から目を背けてはならない」
「ちょっといいか? 山本って誰だよ?」
「そうか、江藤君は知らなかったんだ。すまない」
会長が江藤にあの騒動について説明し始めた。
確かに会長の言うとおり、山本の一件がどうであろうと不登校に関する問題がなくなった訳ではない。生徒会役員として深く考えなくてはならないことだったと、今になって気づく。
「その山本って奴は頭のおかしい野郎だったって訳か」
「僕に真実はわからない。でも、最終的にはそういった結論に至った」
「ふぅん」
江藤が何やら訝しげな顔をして視線を窓の外に向けた。奴なりに何か考えるところがあったのだろう。自分が起こした問題や、1年間もの謹慎で味わった感覚をどこかに当てはめているのかもしれない。
「文化祭の準備で忙しい中、申し訳ない。よかったら僕の調査に協力してくれないか」
会長は、相手が拒否権を使うことを躊躇ってしまうようなクールな笑顔でそう言った。もちろん、躊躇うどころか思わず首を縦に振ってしまった私だけど。