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「何でもしますから、もう一度検討してください! お願いします!!」


 両手と額を床につける江藤。声は大きいが口調も改めていて、おじいちゃん先生に懸命に訴えるその様子は真剣そのものであった。

 人生において土下座する場面なんてきっと数える程で、そのときはもう格好悪いなどと気にしていられない程の思いがある。江藤が自分に責任を感じていることを私は完全に理解できた。


「顔を上げなさい」


 真剣な表情で厳しい意見を述べたおじいちゃんは、今度は柔らかな表情で江藤にそう言った。


「検討してもらえるまで顔は上げません! お願いします!」


 江藤のその言葉に、私の中の何かが動かされる。


「私からもお願いします!」


 椅子から立ち上がり、90度よりも深く頭を下げて訴える。これで駄目なら、私も土下座して頼みこもう。


「わかったよ。とにかく2人とも座りなさい」


 思いは通じたのだろうか。少し不安を残しながらも、江藤が顔を上げたのを確認してから私は椅子に腰かけた。


「江藤君。時に君は約束を守れているか?」

「はい……。先生との約束は破っていないです」


 この2人の間に交わされた約束とは? 気にしている間にも話は進んでいく。


「君のお父さんからの頼みを、私としてもしっかりと果たしたいものだ」

「……はい」

「どんな人間にも間違い、失敗、過ちはある。それは教師とて同じことじゃ。ワシはその誰にでもあることに罰を求めたりはしない」

「え……?」

「君のその行動を見たくてのう。騙すようなことになってしまって申し訳なかった」


 ということは……この教師は江藤を試していたというのか?


「君が学校に入ってきた所を見ていてな。直感でワシに用事だろうと理解した。職員室から抜けて少し考えさせてもらって、こうすることを決めたんじゃ」


 おじいさん先生のその言葉に、江藤はぴんと張っていた背筋を緩め間の抜けた表情になったかと思うとすぐに悔しそうな顔になった。限界まで張っていたゴムが一瞬にして緩むかのような空気の移り変わりに、溜息ではない安堵の息が漏れる。


「……一杯食わされたな」

「はは。君のことはよくわかっているからのう」


 なるほど。ギリギリ状況が理解できた。少しばかり悔しいが頭の下げ損だったことは気にしないでおこう。


「生徒会長には火曜日から登校してこいと言ってある。もちろん反省文は書かせたがな」

「もうそれは決まっているのか?」


 空気が緩んだと思うと江藤の口調も元に戻る。いつまでもあの言葉づかいをされていては気持ちが落ち着かないので、その礼儀知らずで腹の立つ口調が逆に都合がよい。

 なんだか2人に置いてけぼりを食らったような気持ちになるが、特に私が口を出さなくても話が進んでくれるのでここはじっとしていてもいいだろう。


「あとは月曜日に校長に印を押してもらうだけじゃ。ほれ、これに書いてあるとおり奴の処分は『厳重注意と特別課題』としておる」


 その書面には会長の処分を含む職員会議での決定事項がびっしりと記載されていた。読もうと思わずにこの紙を手に取ったとしたら、その字の多さにそのまま丸めて捨ててしまいそうなほどの情報量が詰められている。


「……。じいさん。ありがとよ」

「何を言っておる。1年前の事件の際、私はお前にもチャンスをやったろう? ただの生徒でも生徒会長でも教師でも、ワシは平等にチャンスを与える。本人が自分の足で進もうとするならな」


 このおじいちゃんがあのときに話を聞いてくれなかった理由が少しだけわかったような気がした。

 人間は生きているうちに何度か問題にぶちあたることがある。その問題に対して救済を求めることは悪いことではない。

 しかし、自分から何もしない、行動を起こさない、立ち向かおうとしない人間を誰かが救済したところで問題は根本から解決されるのだろうか?

 結局のところ、問題を解決するのは自分の意思や意志、勇気や努力。他人からの救済はそれをほんの少し補助する程度にすぎないのかもしれない。

 不登校となった山本にどんな理由があっても、山本自身が自分からその問題に立ち向かう勇気がなければ救済などあってないようなもの。彼に一体どんな意図があって生徒会室に相談しにきたのかは今となってはわからないけど、私たちがあのときにするべきだったことは山本の依頼を教師に提案することではなく、原因に対しての追及だったのかもしれない。


 まぁ、もうそれについては決着が着いてしまったんだけどね。新学期早々あいつのわがままかつ意味不明な行動に振り回されて疲れたことは、今こうしておじいちゃんの言葉を理解する為の要素になったり、私や会長の人生の教訓になった訳だから一応無駄ではなかったんだ。

 少し無理がある気もするが、そう自分に言い聞かせた後、おじいちゃんにもう一度礼を言って職員室を去った。


「大変だったな。マジで疲れた」

「会長はもっと疲れてるわ。あんたもこのぐらい疲れた方が丁度いい」

「ひでぇ女だな、てめぇは」

「ひどい男には言われたくないね」


 江藤の口の悪さに腹を立てる自分がいたはずなのだけど、よくよく考えると私も結構キツく当たっているような気がする……。いや、いいんだ。必要な言葉と感情は必要最低限に表に出しておくべきだから、この対応で間違いはないはずだ。

 できたらもう少しだけ、大事な時に踏み出せる勇気を持とう。今の私に足りない勇気を。


「……あのじいさんは俺の親父の恩師なんだ」


 江藤が何気なく言った一言はその続きを聞いてほしそうなオーラを醸し出している。まぁ私がその話に興味があるからそう感じるだけなのかもしれないけれど。


「俺の親父はこの高校の卒業生で、あのじじいが図書委員の担当始めた頃に図書委員やってたんだ」

「へぇ。お父さん、今はあの先生と連絡取ってるの?」

「まぁな。親父はこの学校に寄付とかもやってるし」

「寄付!?」

「いや、そんなに驚くことか?」


 別にそうではないのだけど……。いや、そうなのか?

 寄付って言うと私のイメージでは資産家やプロ野球選手、一部の芸能人がやるものだと思っていたのだけど、江藤の父親はまさかそのいずれかに該当するのか?


「まぁそんなに大したもんじゃねぇけど、図書室の本なんかは親父が買ったものが多いな」

「どう考えても大したことだよ」

「いや、親父は自分が買った本をあそこに置くような感覚でやってるからな。俺に借りさせて読んだりもしてるし。連続物で続きが紛失してるやつなんかは自分が読みたいがために買って、置く場所がねぇから図書室に放り込んでんの」

「そう聞くとなんだか嫌だな……。あ! てことはこの間の本は!」

「そうそう。あれ持って帰ってそのまんまだったんだ」


 私がそれを読んでいるのを見かけて持って来てくれたのであれば見直すけど……まぁコイツに限ってそれはないだろう。


「あ、じゃあなんでアンタ図書委員やんないの? 色々便利そうなのに」


 江藤が図書委員をやればリクエストの多い書籍が図書室に追加される可能性は更に高まるはず。それに江藤のお父さんが読みたい本の貸し借りも委員会中にできるし、寄付している側としての意見も述べられよう。


「やってたさ。去年はな」

「今年はもう面倒だからやらないとか」

「そうだな。それに……担当がもうあのじいさんじゃねぇだろ」

「だからもう義理はない、って?」

「今の担当には義理どころか恨み感じてるぜ」


 担任の川崎。現図書委員の担当教師。ウマの合わない人間同士で同じ檻に入れられると耐えられないということはよくわかる。今年は委員会だけでなく、クラスでも同じだというのだからもうどうしようもないのか。


「もうアイツとは口利かねぇわ。俺が大人しくしてりゃ噛みついてこねぇだろ」

「噛みついてたのはアンタも同じだと思うけどね」

「俺はそれに反応してただけだ。自分から牙を剥いた覚えはねぇ」


 よく言う。言葉よりも態度に現れたその心がいけないというのだ。それを理解して欲しいのだけど、無駄な要求に違いないので発言を控えた。



「あ! お母さん! あのお兄ちゃんだよ!」


 門を出てしばらく歩いたところ、道の先で小学校低学年くらいの男の子が何やらこちらを指さしている。その反対の手は母親らしき比較的若い女性に繋がれている。

 さっき職員室で濃い出来事が起こったばかりなのに、また何かここで起きようというのか。まさかこの男、小学生をいじめて楽しんでいた? 被害者である男の子がその犯人像と一致するこの不良を遂に捕えたとか……。

 男の子が母親の手をほどき、こちらに駆け寄ってくる。犯人は逃走の意思を見せていない。


「お兄ちゃん! あのときはありがとう!」


 ――ん?

 さぁこれは一体どういうことなのか。詳しい説明は男の子を追ってかけてくるあの母親らしき人物に委ねるとする。その話の内容によってはこの場から早急に消える準備も必要だろう。私たちの前に僅かに息切れしたその女性が到着。何もしていないはずなのだが、少し申し訳ない気分になる。



「すいません! ……この人があの台風のときのお兄さんなの?」

「そうだよ! 絶対そう!」


 母親らしき人は我が子らしき男に確認した後、正対して口を開く。


「うちの子を助けて戴いてありがとうございました!」


 なんと。驚くのは当然だけどまだ状況が理解できない。

 台風? 助けた?


「台風の日の朝、転んで怪我をしたうちの子を家まで連れて帰ってくれたと聞きました。連絡網が回る前に早々と登校したうちの子をしっかり見ていなかった私が悪いんですけど……」

「お兄ちゃん見て! ほら! もう怪我治ったよ!」


 男の子は元気にその小さな膝小僧を指さし、笑顔で言った。江藤が人知れずにそんな善行を働いていたのか? いや、まだ何かの間違いじゃないかと思う。


「あんな酷い雨の中、うちの子をおぶって連れてきたってことはかなりびしょ濡れにさせた上に、遅刻もさせてしまったと思います……。また改めてお礼をさせて戴きたいのですが……」

「いや、気にしないでください」


 江藤は少しだけ表情を緩めて返す。


「あの日は学校が休みになって、丁度俺も帰るとこで。帰り道に道路で座り込んでたから帰るついでにおぶってったんです」

「いやでも、風のせいで傘も途中で折れたと聞いています……。相当濡れたでしょう?」

「家帰って風呂入りたかったんで丁度よかったですよ。お礼とかいいんで気にしないでください」


 台風の日に遅刻した理由と、そのときやけに濡れていた頭はこんな事情の為だったのか。一度帰って制服だけ着替えてきたであろう江藤が既定の登校時刻に間に合うはずがなかったのだ。

 それにしても、川崎にもこのお母さんにも本当のことを言わないのは江藤なりの見栄であろうか? それによって自ら善人になることを避けている。

 孤高であることを望んでいるように見えるその男は、自分が善人だと思われることを歯がゆく思う、なんとも不器用な男だったのかもしれない。


 かしこまった女性の態度にたじろぐ江藤を見ると、少し微笑ましい気持ちになった。



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