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「すいません……。余計なことを聞いてしまいました」

「気にすることはないさ。それを他人に話すことは僕にとってそれ程辛いことではないからね」


 こういう話は意外と問われる側と同じく、切り出した側も辛いものだ。自分がその情報を入手してしまうことに何とも言えないものを感じるのは、話の先を聞いてみたいという好奇心に似たものと、相手に対する申し訳ないという罪悪感に似たものが交錯しているからだろう。


「隠しているつもりはなかったんだけどね。わざわざ言うことでもないかなと」

「いや、でも隠していてもいいと思います。人にベラベラと喋ることでもないですから」


 そう言いつつも気になるのは、会長が私にその話をしてくれるのだろうかということ。聞かなくてもいいことでも聞きたくなるのはその人に大きな興味を持っているからとしか言えない。単なる野次馬心とも言えるけれど。


「いや、君には話しておくよ。というより僕が話したい」


 それは『私』に? それとも『誰か』に?

 会長はベンチに腰を降ろし、隣に座れとジェスチャーで伝えた。私はそれに頷いて会長から人1人分の間隔を置いてベンチに座る。


「僕がこの町に引っ越してきたのは中学に上がったときだった。ここから電車で30分ほどのところにある私立中学校に通うために、家族ごと東京から引っ越してきたんだ」

「会長は都会人なんですね」

「一応はね。でも風景はこの辺りと大して変わらないような場所に住んでいたよ。東京だって渋谷や新宿なんかがある23区以外は、郊外の大きな駅のある町と同じようなものなんだ」

「そうなんですか。私、あんまり県外に出ないので知りませんでした」

「でもきっと就職するときには君も東京に出たくなるだろうね。ここからでも交通次第では2時間はかからない程度だし、車ならドライブがてらに行ける」


 私は何度か東京の23区内に遊びに行ったことがあるけど、ここから時間をかけてまで行きたいと思える場所ではなかった。便利で賑やかな反面、人混みが鬱陶しかったり電車の音がうるさかったりしてなんだか落ち着かない場所だったのを覚えている。


「自分達が卒業した私立校に子供を通わせることが両親の夢だったみたいでね。地元の友人たちに逢えなくなるのは寂しかったけど、当時の僕なりに将来のことを真剣に考えてその道を選んだ」

「小学生のときの友達と別々の中学校に通うなんて、あの頃は絶対に嫌だと思っていましたね」

「僕も結構駄々をこねたよ。まぁ結局はここにいるわけだけど」


 会長は当時から物わかりのいい少年だったのだろうか。それも不思議ではないけれど、その頃の自分と比較すると考えられない。世の中の小学生が皆同じ気持ちでいるわけではないということだ。


「電車通学ということがかなり新鮮でね。毎日のようにワクワクしていたよ」

「電車に乗って登校っていうことが私とは縁のないことですからね。なんかすごいです」

「だが、いざそうなってみると案外苦痛なものでね。満員電車に慣れるということが信じられなかった」


 今思えば、これまで会長が自分の話をするという場面は意外となかったような気がする。会長がどんな人間か、なんてことはこれまでの生活で知ったような気がしていたが、会長という人間の経歴は一切知らなかった私である。


「そんな苦痛より何倍も苦しい出来事が待っていたとは知らず、僕は毎日毎日電車に揺られて、その中学からエスカレーターで大学に進学するための勉強をしていたわけさ」

「何倍も苦しいこと……? 両親のことですか?」

「ああ。夏休み明けだったか。今から約4年前、僕がまだ1年生の頃だ」


 会長から笑顔が少しずつ消えていくのがわかる。完全に真剣な表情へと変わるまであと少しだろう。


「父親が金曜日に有給をとっていてね。僕が帰ったら家族でそのまま温泉でも行こうという話になっったんだ」

「いいご両親ですね」

「うん。それで僕の下校時刻に合わせて、学校まで車で迎えに来てくれることになったんだ」


 もし私の父親だったらそんなことはしないだろう。面倒くさいの一言で旅行すら連れて行ってくれないと思う。


「僕は学校の正門の前で待っていた。級友が何度もその横を通り過ぎて、何度も『またね』と声を掛けられた。僕はこれから行く温泉のことで頭がいっぱいで、早く来ないかとそわそわしながら待ち続けた」

「……」

「しかし、日が暮れても両親は僕を迎えに来なかった」

「まさか……」

「そう。交通事故だ」


 小説やドラマのような悲劇。当時中学生の会長はそれを聞いたとき一体どんな気持ちだったのだろう。


「あまりに待ちくたびれて僕は結局いつものように電車で家に帰った。でも、そこにもいない」

「……」

「両親の携帯電話にかけてみても出ない。自分1人だけがこの世に取り残されたような気持ちになったよ」


 いきなりの出来事だからそうなってしまうのは当然のこと。私だったらその状況の寂しさに泣き喚いていたかもしれない。


「しばらく家にいたら警察が来て、僕の両親が乗った車が大型トラックに追突され、炎上したと。両親が即死だったことも聞かされた」

「即死……ですか……」

「ああ。もう何が何だかわからなくて、何度も警察の方に聞き返したよ。最後は病院に連れて行ってもらい、かろうじてそれが僕の両親だとわかる遺体を見せられて確信したんだ」

「……そうだったんですか」

「僕はその後、祖母に引き取られるはずだったのだが、さすがに九州からその学校には通えないだろう? だからそのままこっちに残ることに決めたんだ」


 ということは会長は中学1年生の頃からずっと、家に帰れば1人になる生活を送っていたというのか。


「引っ越す際に買った一戸建てを売りに出して、僕はこっちのマンションのほうに住むことに決めた。いろんな面で便利だからね」


 確かにこの辺りはたくさんの駅があり、どんな線に乗るのにも困らない。買い物に行くにも自転車で少し行けば何でも揃うような場所だ。遊ぶ所にも困らないし、近辺の学校に通うなら通学も楽だ。


「でも、それが僕の人生を大きく変えてしまった」

「どういうことですか?」

「僕は10月あたりから、学校に行かなくなったのさ。全てが面倒になってね」

「え……?」

「いわゆる不登校児って奴さ。私立の進学校に通っているにもかかわらずね」


 これが以前、会長が言っていた『詳しくは言えない過去』なのか? 今の会長からは想像もできないけど……。


「両親が残した遺産は割と大きなものでね。それに頼れば成人するくらいまでは何もせずに暮らしていけると考えてしまった自分がいたのさ」

「それで、そのあとは?」

「遊び回った。元々こっちの友人はいなかったが、夜の駅前なんかに行けば自由な連中がたくさんいて、仲間には困らなかった。勉強もスポーツも止めて、とにかくその仲間たちと四六時中一緒に遊びまわった」

「なんか……信じられないです」

「第三者が聞けばそう思うのは仕方がない。でもそれは実際に僕がやってきたことなんだ」


 会長はいつのまにか真剣な表情で話をしていた。


「でもね、次第にその仲間たちが恐喝や窃盗を働くようになってしまってね。僕は自分の居場所に戸惑いを覚えた」

「会長も……悪いこととかしたんですか?」

「しなかった、というよりもできなかったね」


 少しホッとした。過去のことなんかどうだっていいはずなのに。


「自分は楽しい場所にいたかっただけで、悪いことをしたかったわけじゃなかったんだ。でも、その仲間たちからはなかなか離れられなかった」

「不良交友の大きな罠ですね。よく聞きます、そういうの」

「そう。自分が弱い人間だと思われたくないが為に、変な見栄や間違った意地を張って、その場に居続けようとしてしまった。引き返してもそこには誰もいない、それが嫌でもう引き下がれなかったんだ」


 よく『自分さえしっかりしていればいい』などという言葉を聞くが、しっかりとした人間が、自らそのような場所に居座ろうとするだろうか。人に流されない強い人間が、常識や世間体を完全に無視することができるのだろうか。答えはノーだ。社会という枠を視野におけない人間は結局、しっかりとした人間ではない。


「ある日、いつものように駅前に溜まっているとね、彼が現れたんだ」

「彼って……江藤ですか?」

「ああ。中学2年になった頃か。僕の仲間が江藤の友人を恐喝したとか何とかで仇を取りにきたんだ」

「それってよくある不良集団同士の喧嘩とかじゃあ……」

「いや、江藤君はもう見るからに普通の真面目な少年でね。僕たちに文句を言いにきたその時なんて片手に本を持っていたんだ。そんないかにもな真面目っ子が、不良の集団にたった1人で仇を取りに来たんだ」

「馬鹿だったのかもしれないですね」

「ふふ、そうかもしれないね。そんな彼に舐められた仲間たちはもう怒りで全身が満たされたような様子になってね、当然のように殴り合いの喧嘩になったよ」

「会長も参加したんですか?」

「僕はそんなことはできなかったさ。端の方で静かに傍観していたよ。あまりに江藤君が強いもので驚いたよ」

「え!? 江藤が勝っちゃったんですか?」

「持っていた本を投げつけたり、靴を飛ばしたりしてひるませる。止めてあった自転車を盾にして囲まれるのを防いだり、ポケットから爆竹を取り出したりでね。5人相手に戦意喪失させる程に彼の動きは素晴らしく、まさに喧嘩の強い男だった」


 真面目そうな身なりで油断させといて実は喧嘩屋だったのでは? などと考えもしたけどよくよく考えてみれば江藤も当時中学生だ。そこまで頭を働かせて喧嘩をしに行ったとは思えない。


「彼は友人が恐喝された分ピッタリのお金を仲間たちから巻き上げて去って行ったよ」

「なんかすごいですね……」

「そして僕は仲間たちから無視されるようになった。江藤が来た際に助太刀しなかったことや、悪いことをするとなると乗り気でないことが影響してね」

「ハブにされたってことですか? 今まで一緒にいた仲間だったのに……」

「彼らにとって、僕は本当の仲間じゃなかったのさ。ただ自分たちのように堕落した人間を周囲に1人でも多く置いておきたいという気持ち。そうすれば自分1人がいけないことをしていると思わなくてもいいからね。ただ一時の楽しさを求めるだけの集団なんて、結局はそんなものさ。仲間同士で殴り合い、貶し合い、知らず知らずに足を引っ張り合う。その精神の幼さ故に、何が仲間なのか自分たちでも理解できていないんだよ」


 1人になりたくなくて、楽しさを求めて辿り着いたその場所も間違いだった。会長の孤独は続いたのだろう。


「学校にも半年以上顔を見せずにいた僕は、遊ぶ仲間も失って全てが嫌になった。もう一度勉強してみようかと思ったが、もう学校には行きたくなかったんだ」

「それでどうしたんです?」

「ずっと家に引きこもっていたのさ」


 会長はそれをおかしそうに笑うが、聞いているこっちとしては笑ってもいいところなのかわからない。というより笑えない話である。


「そしてふと本屋に足を運んだ時、また彼に会ったのさ」

「話し掛けたんですか?」

「向こうからね。最初は彼があのときの少年だとは気付かなかった。彼が僕を覚えていたみたいでね、それで僕も思い出したのさ」


 偶然の再会ってわけか。もっとも再開する前から親しい間柄ではなく、むしろ敵対するポジションにいたことは否めないけど。


「彼は明るく、さっぱりした性格でね。非常に馴れ馴れしい態度で僕に接してきたから、少々腹を立てたのを覚えているよ」

「それはそれで面白いですね」

「今思えばね。そしてその日のうちに打ち解けてしまったもんだから、そこからは彼が学校から帰ると2人で遊びに出かけたり、彼の友人と大勢で遊んだりすることが増えた」

「会長はまだ学校をさぼっていたんですか?」

「まぁ結局卒業までまともに行かなかったね。けれど勉強は毎日した。今いるこの高校に進学するためにね」

「江藤がこの学校に進学するから、ですか?」

「そうだね。親しい友人が彼ぐらいしかいない上に、もうエスカレーターで高校進学も無理だったから、今の高校への進学に決めたんだ」


 会長は中学校時代にほとんど学校に行っていないのにもかかわらず高校受験を突破したことになる。内申点がゼロに近いような状況でどうやって高校入学を果たしたのだろうか?


「入試の筆記試験で、男女別上位5位までの者を内申点に関わらずそれぞれ合格とする制度を実施していたおかげで、僕は無事に受験をクリアすることができたわけだ」

「なるほど。ということはすごく勉強したんですね……」

「正直辛かったね。それにほとんど江藤君に頼りっきりだったこともあって、彼のほうが合格ギリギリのラインだったらしい」


 江藤が会長に勉強を教えている姿はなるべくだが想像したくない。逆ならまだしもだ。


「僕は高校入学が決まったときから決心していた。自分を変えようとね」

「それで生徒会に……?」

「そう。もう弱い自分を捨てて、強くなろうと、人の為に何かできる自分になろうと、そう思ったのさ」


 会長の意外な過去。今の会長がいる理由。いまようやく会長という人間が理解できた気がする。今まではただわかった気でいただけだったのだ。

 江藤が会長を1人にするなと言った本当の意味は今の話の中にあったのだ。何も知らなかった私は、一体どれだけ無駄な怒りやストレスを感じてきたのだろう。初めから知っていれば少しは違ったのかもしれない。悔しさと同時に僅かに生まれた寂しさのようなものを、感じずにはいられなかった。



 もし、自分の両親が他界し、身近に頼れる存在がいなくなってしまったら。もし、自分の意志が思いもよらぬところで挫けてしまったら。全てが嫌になってしまうなんて感情に襲われたら。


「そんな江藤君を、少しばかり見た目が変わったからといって放っておけるだろうか? 疑うことができるだろうか? 僕が彼の肩を持つことはおかしいことかい?」


 いつの間にか優しい笑顔に戻っていた会長のその問いに、私は首を縦に振ることができなかった。

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