歪む世界の感情を臨む
個人的に日常で感じたことをキャラクターに吹き込んでいくつもり。
【結城冬馬の場合】
「痛いよ。苦しいよ。助けてよ、ねえ。」
頭上から聞こえる声に、ぎゅっと耳を塞ぐ。
「ねえ。助けてよ。苦しいよ。」
それは、確かに存在していた。誰も、何もいないはずの空間に。ぴとり、ぴとりと、何か冷たい手のようなものが体に触れる。
(うるさいなあ。)
そんな事を思っていても、これは消えてくれない。これは一晩中居座って、そして夜が明けると同時に僕の影に溶ける。
「はあ。」
夜が明けると、深く、溜息をついた。そして、すぐに身支度を整える。
「だっる。」
そんなことをぼやいて家を出た。
幼い頃から、それはいた。どうやら、それは僕にしか見えないらしい。
それは様々な形や色、温度をしていた。
それが人の感情なのだと気づいたのは、中学に上がった頃のことだった。
毎夜枕元に立つモノは、おそらく負の感情の集合体なのだと思う。そういう感情に触れた時に近い感覚がするから。
「………。」
空を見上げて感覚を研ぎ澄ます。もう人が活動している時間だから、いろいろなものが混じって感じられる。
「…今日も平和だなあ。」
そう、今日も平和。あるところでは息を吸うように自然に嫌悪や憎悪が渦巻き、あるところでは本当に温かい愛が育まれている。形で言うのなら、どろどろとした動く液体っぽいものと、霧のように淡く周りを包むもの。
「さ、行くか。」
視線を前に戻す。視界に入った人々の色と温度が混ざって景色が歪む。
「…気持ち悪。」
そう吐きだして、今日も学校へと向かった。
【八代想司の場合】
人間は、面白い。表情と感情がちぐはぐになって、すごく気持ち悪い。
「ふふっ。」
昔から、人の感情を認識することができた。
いくら笑っていてもヘドロのようなものを纏わりつかせている。
そんな人間で溢れているこの世界が、途轍もなく面白い。
必死に隠して、我慢して。
そんな姿が滑稽で仕方がない。
だから、人が我慢をやめる瞬間が好き。
表情と感情の不一致がなくなり、本音を、本性を剥き出しにする。
そんな瞬間がたまらなく好き。すっごく気持がいい。
かなり歪んだ趣味だと思われるかもしれないけど、そういう世界で生きてきたのだから仕方ない。見えている世界が違うのだから。
「わぁ~。」
一見仲良さ気なカップルでさえヘドロを纏っている。これを面白いと言わずして何と言うのだろう。
「楽しいなぁ。」
だから、今日も見つめる。矛盾を繰り返す人間たちを。馬鹿で、滑稽で無様な喜劇を。
「ふふっ。」
今日も、側で見つめるんだ。
【倉橋叶の場合】
人が、怖い。他人からの評価が。
自分がどんな風に見られているのか。どんな事を臨まれているのか。
幼い頃からずっと、そんなことばかりを気にしていた。
その結果、『明るく優しい優等生』という虚像が、僕の世界でできた。
虚像の中、奥深くに本音も恐怖も隠し、いつでも笑って見せた。
鏡を見ても自分の顔が映らないほどに。
鏡を見て映るのは、自分に取り付けて外れなくなった厚く、深い仮面だけだ。
「………。」
でも、それも違うのかもしれない。
仮面をつけた時間が長すぎたかもしれない。
もう、自分の心の声が聞こえなくなってしまった。
交じり合って、侵されて、もう。
(どうでもいい。)
すべてが等しくどうでもいい。怒りも、喜びも、悲しみも、楽しさも、何も感じない。
「………。」
空や海を見て美しいと思う心も、月の光への感動も、風に吹かれて揺らめく緑への慈しみも、もう分からない。
「…分からなくていい。」
関係ない。そんなこと、関係していなくてもいい。ただ、そこにある命を消費していくだけなのだから。
うちの子かわいい。この三人が出会ったらどうなるんでしょうね。