出会い
川を町へと渡る橋は、レンガと木でできていた。
勢いのある濁流は、橋の下をかすめ、中州に生えている低木をしならせながら、町を迂回するようにくだっていく。
健二は渡る途中で下を覗き込み、橋の構造を考えてみた。
眼鏡橋に近いな。
今は川の水がせりあがっていて、橋のすぐ下を通っているためによくわからないが、レンガの向きから想像してみると、中央に柱があって両側にアーチがあるように見える。珍しい2連アーチのものだ。
長崎の中島川にかかる眼鏡橋は、昔は修学旅行で定番の観光スポットだった。
あれは中国から来た寺の僧侶が作らせたものだったっけ。何度も大きな水害に耐えた頑丈な橋だったよな。
「***** !! マイ ダン ラム ズィー !?」
大きな声に気づいて顔を上げると、どうやら町の方の橋のたもとにいる黒い雨合羽の人物に、呼びかけられているようだった。
何を言ってるのかわからないな。
はぁ~、やっぱりここは知らない世界のようだ。
その人は健二に向かって何か叫びながら、速足で近くにやって来た。
どうやら健二の半分ぐらいの背丈の、おじいさんのようだ。
雨合羽ではなかった。じっとりと湿ったこげ茶色の皮のコートを着て、縁のある皮の帽子をかぶっている。
「マイ ハイ デン ディ!」
健二の戸惑った顔つきから言葉がわからないのだと思ったようで、そのおじいさんはびしょ濡れのしわくちゃな手で健二の片手を握ると、思いのほか強い力で健二をグイグイと引っ張っていく。
橋を渡り切ると、健二の胸をどついてまた何か問いかけてきた。
「マイ ダン ラム ズィ~ ?」
なんか何度も同じフレーズを言われているような気がする。
おじいさんは、ほとほと疲れたぜというように大息を吐くと、橋のたもとを指さして健二にここを見ろと言ってるようだ。
「マイ ハイ ニン ディ!」
おじいさんが指さす方に顔を向けると、川の濁流が土台のレンガに亀裂を入れて、橋の上部を押し流そうとしている様が見えた。
健二の背筋に、ゾクリと戦慄が走った。
突如、ガラガラと何かが崩れる音がしたかと思うと、橋の向こう側の歩道部分がゆっくりと斜めになりながら川の流れの中に飲み込まれていくのが見えた。
「ヒエェェェ、危機一髪じゃん」
「ソ ソ! マイ エイ ラ ングー」
どうも「お前は、アホだ」とおじいさんに言われているような気がする。
確かに、そうだ。
毎年どこかで起きる豪雨災害の映像を、よくテレビで観ていたじゃないか。
現代技術で作っている橋でも流されることはある。ましてや眼鏡橋クラスだと、江戸時代のものか?
橋の上で考え事なんかしないで、サッサと渡っておくべきだった。
「おじいさん、ありがとうございました。助かりました!」
健二が傘ごとお辞儀をすると、傘がおじいさんの帽子に当たったようで、また迷惑そうに「ングー」と言われた。
ホント、すみません。
健二は今、深緑色の開襟シャツと生成りのズボンに着替えて、温かいお茶をいただいている。ウーロン茶のような味がするこのお茶は、年配のご婦人が運んできてくれたものだ。
橋で健二を助けてくれた小柄なおじいさんは、裕福な人だったようで、町の中ほどにある大きなレンガ造りの建物に健二を連れて来てくれた。
ベッドがある部屋に通されると、身振り手振りで身体を拭いて着替えるように言われた。
健二が着替え終わるとすぐに若い女の子がやってきて、健二の濡れた服をカゴに入れて持ち去ってしまった。
しばらくすると、光沢のある絹のような生地に同系色の色で刺繍が入った服に着替えたおじいさんが健二のいる部屋へやって来た。自分の服がどうなったかが心配だったが、おじいさんは何も気にするなというように首を振って、健二を書斎のような所へ連れてきた。
いったいこれからどうなるんだろう?
言葉も通じないし、ここがどこだかさっぱりわからない。
先行きのことを考えると不安でいっぱいだったが、このおじいさんは親切そうな人だ。できたら、ここへおいてもらえないだろうか?
健二がお茶を飲んで一息つくのを待ってくれていたのだろう。
こちらをチラリと見たおじいさんは、テーブルの上に紙と鉛筆を置いて、健二の向かいの椅子にドッカリと座った。そして健二と目を合わせると、言葉をハッキリと区切って、ゆっくりと話し始めた。
「トイ ラ トーサン。 トーサン。 トーサン」
おじいさんは自分の胸を叩きながら、何度もトーサンと訴えてくる。
…………? この人は俺の父さんじゃないよな。いったい何が言いたいんだ?
真似をすればいいということか?
「えっと、トイ ラ トーサン?」
健二がおずおずとおじいさんの真似をすると、おじいさんは首を振りながら「ホン! ホン!」と言う。
あれ、違った?
あっ、もしかして名前だろうか?
「私は、神谷健二です。健二、健二。あなたは、トーサン?」
健二が自分の胸に手を当てて自己紹介をし、おじいさんを指して「トーサン?」と聞くと、おじいさんは嬉しそうに頷きながら「ヴァン!」と言った。
ふぃ~、異文化コミュニケーションはハードルが高いなぁ。
この後、テーブルの上に国全体がわかる地図を出されて、どこの地方からやって来たのかと出自を聞かれているようだったが、残念なことにこの国は日本の形をしていなかった。そればかりか、トーサンが後から出してきた大判の広域地図に描かれていたのは、地球の世界地図でさえなかった。
タイムスリップや神隠しじゃなくて、異世界転移に決定だな。
健二はがっくりと肩を落として、頭を抱えた。
これは当分……いや、元の世界へ帰れる見込みなんてあるんだろうか?
親切なトーサンが、落ち込む健二の肩をバンバン叩いて、今日はもう休めとベッドに連れて行ってくれた。
この時にトーサンと拙い言葉を交わした会見から、健二は一部の人たちの間で宇宙からやって来た宇宙人と呼ばれるようになる。
まさか自分が宇宙人と呼ばれるとは思ってもみなかったが、全くの誤解だと言い訳出来ないのが辛いところだ。