鐘の音
引っ越し便のトラックを見送った後、健二はバスターミナルまで歩いて行って、セーカックといわれている旅客バスに乗った。
バスがバスクの町に向かって出発したちょうどその時、ウジャの町の朝の鐘が鳴った。ゴーンという仕事始めの合図が、今日は健二の旅立ちを送ってくれているかのようだ。
ゆっくりと走り出したバスの窓から、健二はウジャの町並みを感慨深く眺めた。
ここに来て半年も経っていないのに、この町が故郷のようになっちまったな。
チャンと買い物に行ったデパート、博士と飲んだ居酒屋、馴染みになった建物が次々に後ろへと通り過ぎていく。
川沿いの道に出た時、蛇行する川の向こうに町役場の庁舎の屋根が見えた。
トーサンの手のひらの温もりが残った、バーバル番号の書かれた紙を、昨日、帰り際に渡された。
「誰かのバーバルを借りて、元気でいるかだけでも知らせてくれよ。この世界には、健二の言う『手紙』とやらはないからな」
この世界で、唯一バーバルという繋がりを持てない健二への、トーサンからの餞別だった。
トーサン、行ってきます。また必ず帰って来るから。
バスが川を離れ、バスクの町中に入ってしばらく行くと、広場の向こうに庁舎によく似た二階建てのレンガの建物が見えてきた。
そこにはバスターミナルがあって、ほとんどの乗客がここで降りているようだ。
もしかしてここがバスク駅なんだろうか?
「すみません、ここから列車に乗れますか?」
健二が運転手に聞くと「ああ、乗れるよ。ここがバスク・ガーだ」と頷いてくれた。
ヤバい、降りなくちゃ。
ただ建物があるだけで線路も何も見えなかったので、全然、駅だとわからなかった。
駅舎に入りスイ〇のようなカード状の切符を買ったところまではよかったのだが、首都行きの乗り場がどこなのかよくわからない。
人の流れに沿って歩いて行きながら、大荷物を持って歩いていたおばさんを捕まえて、自分がどこに行けばいいのか尋ねることにした。
「あのぉ、首都のエボルシオンへいく列車に乗りたいんですけど、この方向へ歩いていけば『ホーム』があるんでしょうか?」
「ホーム?」
「あ、すみません。乗り場のことです」
つい日本語が出ちゃったよ。
おばさんは立ち止まって、大きな身体をした健二を下からジロジロ見上げてきた。立派な成人男性なのに、駅の使い方がよくわかっていない健二を呆れたように見ている。
「あんた、外国人かね? 話し方に訛りがあるね」
「はぁ、そんなようなものです」
「ふうん。私もこれからエボルシオンの息子の所へ行くんだよ。よかったらついておいで」
おお、これはありがたい。
慣れない異国の交通事情に緊張していた健二の身体から、一気に力が抜けていった。
「ありがとうございます、助かります!」
「いいさ、旅は道連れだもの。エボルシオンのどこに行くんだい?」
「北区です。なんかマロン湖という湖の畔の町らしいんですけど」
「へぇ、高級住宅街じゃないか。うちの子は東区の下町に住んでるんだよ。ラーカ川って知ってるかい?」
「いえ、首都には初めて行くので詳しくなくて……」
「エボルシオンは湖や川が多くてね。それらの名前を覚えておけば道に迷うことはないよ」
「そうなんですか、それはいいことを聞きました」
おばさんはそれからも乗り場に行く道中で、健二に色々なことを教えてくれた。
健二の方もおばさんの荷物を半分持ってあげて、話をしながら歩いているうちに、首都急行の発着場に着いた。
そこには銀色の流線型の車体がもう止まっていた。しかし列車の下には線路もないし、プラットホームもない。客車の入り口のところだけにタラップのような階段がしつらえられている。
「線路がない……」
「は? 何がないって?」
「線路がないのに、列車はどこを走るんですか? まさか道路じゃないですよね」
健二の質問におばさんは苦笑していた。
「あんたはもう、いったいどんな田舎から出て来たんだか。線路はもう何十年も前に全部廃止されたじゃないか。タウホアの車体の下に銀色の板が敷いてあるだろ? どんな仕組みか私も知らないが、近頃はこの重たい車体が浮くんだよ。だから首都まで5時間で行けるようになったのさ」
「おおぉ~」
スッゲー、リニアモーターカーの進化系なのか?!
おばさんが客車の入り口近くに表示されている数字を見て歩きながら、「ここなら並んで座れそうだね」と言って階段を上がって行ったので、車体を眺めていた健二も慌ててタラップを駆け上がった。
客車の入り口には席表示がしてあって、どこが空席になっているのかすぐにわかるようになっている。
これは便利だ。
座席の間の空間がゆったりとってあるので、荷物を棚に上げなくても自分の机の下に置けるようになっていた。健二は窓際の席に座ったおばさんの前に、持っていた荷物を入れ込んだ。
「ありがと。重たかったろ?」
「いいえ、このくらいはお安い御用ですよ」
「そういえば、あんたはいやに身軽だね。首都に行くのに着替えなんかはいらなかったのかい?」
「ええ、あちらに引っ込すんで、荷物だけ引っ越し便で先に送りました」
「そうだったのかい。若い人はやっぱり都会に住みたいのかねぇ」
「ん、どうでしょう。僕はずっとこっちにいたかったんですが、仕事の都合で仕方なくです」
「仕事か……うちの子もセーラム大学に進学して、そのままあっちで仕事に就いたもんで、帰ってこれなくなっちゃったんだよ。頭がいいのも善し悪しだ」
「セーラム大学ですか?! それは奇遇です。僕の知り合いがそこにはたくさんいましてね」
「まぁ、そうなのかい?」
袖振り合うも他生の縁というけれど、こんな奇遇もあるんだな。
それから健二はおばさんとセーラム大学についての話に花が咲いたのだった。