41.
ジムニーに乗って管理棟から再び設営地に戻った僕らは、まずは氷とビールをクーラーボックスに仕舞って、それから火おこしに取り掛かった。
作業前に、一瞬、空を見上げた。
太陽が沈み、昼の色と夜の色が絶妙に混ざり合った空が広がっていた。
いわゆるマジック・アワー、トワイライト・ゾーンってやつだ。
……いや、トワイライトは意味が違うか。
「何でも、そうだけど……」僕は、コンテナからライターを出しながらサトミに言った。「焚き火で大事なのは下準備なんだ。細い木、中ぐらいの木、太い木と選り分けて、一番下に火種を置いて、その上に細い木、次に中ぐらいの木、さらに太い木と順々に組み上げていくんだ。それから空気の通り道を作って、焚き火全体に酸素が廻るように組むことも大事だ」
焚き火台の上に組んだ木々の一番下に置いたクシャクシャの紙にライターを近づけながら、僕は、なにか作業をする度にキャンピングのイロハをいちいちサトミに教えている自分に気づいた。
(無意識のうちに……僕は、自分が〈消滅〉した場合のことを考えているのだろうか? ある日とつぜん僕が居なくなって、サトミだけが取り残されたとしても、彼女が、ちゃんと一人で生きて行けるようになって欲しいと願っているのか?)
そんなことを考えながら着火させた。
火は直に安定した。
鶏もも肉の真空パックを指で押してみると、解凍されて柔らかくなっていた。
ナイフでパックを切り裂いて中の鶏肉を取り出し、一口大に切る。
それから根菜類を入れて蓋をしてあった鋳鉄鍋の中へ鶏肉を追加し、さらに水袋から鍋に水を注ぐ。
良く火の燃えているスノーピークの逆ピラミッド型焚き火台に五徳を載せ、その上に鍋を載せる。
あとは煮込むだけだ。
今日はもうナイフもまな板も使わないだろう。寝る前に食器と一緒に炊事場へ持って行って洗剤で洗うことにして、とりあえず水で軽く濯いで置いた。
少しだけ時間が空いた。
「どう? シチューが煮えるまでの時間に、一杯やる?」とサトミに尋いてみた。
サトミが頷く。
僕は、サトミ用の椅子と自分が座るコンテナボックスの間にテーブルを置き、そこにチーズ鱈とアーモンドチョコを置いた。
クーラーボックスからビールの350CC缶を出してサトミに渡し、自分用に500CC缶を出してプルタブを起こす。
「それじゃ、キャンプ初日の夜に」そう言いながら、僕はサトミに向かってビール缶を持ち上げた。
「安心してゆっくり眠れそうなキャンプ場の夜に」サトミが350CC缶を僕の500CC缶にコツンと当てた。
まずは一口。
そして一言。定番だが……「くぅー、旨いっ」
チーズ鱈を二本抜いて、二本同時に齧ったあとで、ビールをもう一口。
次に、アーモンドチョコを一個ほおばって、またビールを一口。
そうこうしているうちに、火に掛けた鍋が煮えてきた。
野菜が柔らかくなって、鶏肉にも火が通ったことを確認して、僕は持ってきた荷物の中からマカロニの袋を出した。
「え? シチューにマカロニを入れるの?」驚いて尋ねるサトミに、僕は頷いてみせた。
「さっきも言った通り、キャンプ飯の極意は、簡単に作れて栄養価が高いことだ。その点、マカロニ・パスタなどの乾麺は日持ちするし、水に戻せばふやけるから満腹感もあるし、炭水化物だから手っ取り早く必要なエネルギーを摂取できる。シチューの中に放り込んでしまえば、食物繊維にタンパク質に脂肪に炭水化物を一度に取れる。それから、これ案外と重要なんだけど、洗う鍋も一つで済む」
「なるほどねぇ」
「これ、フィジリって言うんだ」僕はネジ型のマカロニを袋から一本出してサトミに見せた。「このネジみたいな溝の間にソースが絡んで旨いんだ。けっこう気に入っててキャンプで良く使ってる」
やがてマカロニも煮えて、僕は鍋にシチューの素を溶かし込んで火からおろし、クッカーの浅鍋に装ってカレー用のスプーンを添えてサトミに渡した。
次に自分の分をクッカーの深鍋に装い、コーヒースプーンでジャガイモを掬って食べた。
世界最高の味、って訳じゃないけど、焚き火のオレンジ色の炎を眺めながら自分で作った料理を食べるのは、やっぱり最高だ。
「なんか冷えてきたね」サトミが言った。
確かに……このキャンプ場を含めクレーターの内部は、砂漠のド真ん中にあるというのに昼間でも涼しかった。
日が沈むと、さらに気温が下がって肌寒く感じられる程になった。
僕は「もう少し、火の近くに行こうか」と提案し、サトミが「うん」と頷いた。
僕らは二人で協力して、テーブルと、椅子と、椅子がわりのコンテナボックスを少しだけ焚き火台に近づけた。
周囲を見ると、広いキャンプ場の中にポツリ、ポツリ、と二つ、オレンジ色の明かりが見えた。
カバ島教授と、轟天院夫妻の焚き火の明かりだ。
管理棟の方を振り返って見た。
鎧戸が閉まっているのだろう、受付ロビーや談話室の窓からは光が漏れていなかった。
外灯が、中央正面の入り口と向かって左側にあるトイレ・シャワー室の入り口を照らしていた。
正面の湖に視線を戻す。
流石に真っ暗で何も見えない。
空を見上げた。
三日月よりもさらに細い上弦の月と、夜空を満たす無限の星々があった。
「うわぁ」とサトミが声を上げた。
サトミを見ると、彼女も星空を見上げていた。
「こんなの初めて見たわぁ。きれいだね」
僕も、もう一度空を見上げた。
空を横切る長くて広い星の川があった。
(天の川があるのか……つまり銀河系があるんだ……仮にここが地球じゃないとしても、どこかの銀河系の、どこかの太陽系にある、どこかの惑星上なのは間違いない、ってことか)
「なぁ、サトミ……」僕は、ちょっと真面目になって言った。「しばらくの間、このキャンプ場で連泊するってのは、どうかな?」
「え?」サトミが目の前の焚き火から視線を僕の方へ移した。「しばらくって……どれくらい?」
「分からないけど……僕らの置かれている状況を打開する方法が見つかるまで、かな……いま僕らは広大な砂漠のド真ん中に居る……むやみに動き回っても徒らに燃料と資金が減っていくだけだ。最悪、水も食料も燃料も切れて立ち往生、なんて事も有りうる……とりあえず、このクレーターの中は安全みたいだし、水、食料、そのほか当面の生活に必要なものは揃っている。教授も轟天院夫妻も悪い人じゃなさそうだし、彼らはこの世界じゃ僕らより先輩みたいだから、何らかの情報を得られる可能性が高い。管理ロボットが居るってのも何かと安心できる……それから、サイト使用料が安いから連泊してもあまり財布が傷まないのも良い」
「そうだね……ここは外の砂漠と違って昼間でも涼しいし……夜はちょっと冷えそうだけど……シャワーもあるし、ちょっとゆっくりしていくのも有りかもしれない」
それから僕らは、ビールを飲みつつ、鍋のシチューを平らげた。
カバ島教授の方を見ると、彼は焚き火の横に置いた椅子に寛いだように体を預け、額にヘッドランプを着けて分厚いハードカバーの本を読んでいた。テーブルの上にウィスキーの瓶が見えた。
轟天院夫妻の方に目を移すと、彼らも焚き火の前に椅子を並べて座っていた。まったりと寛いでいる雰囲気が、離れていても伝わって来た。
空になったシチューの鍋をテーブルから下ろし、さっき食べかけていたチーズ鱈とアーモンドチョコをもう一度テーブルに並べた。
デザート兼おつまみ、といった感じだろうか。
僕とサトミは、焚き火を眺めながら色々なことをポツリ、ポツリと話し合った。
何とも言えない満足感が、僕らの周りに満ちていた。
だから、そんなに多くのお喋りは必要無かった。
夜が更けていった。




