34.
坂を登り切ると、広い平坦な土地に出た。
どうやら、この丘は大きな台地のような形をしているみたいだった。
僕たちのジムニーが通ってきた、砂の上に続く只の轍といった方が相応しいような道は、その場所で二方向に分かれていた。
木の杭に木の板を貼り付けただけの看板が、分かれ道の股の部分に立てられていた。
看板の手前で一旦停車した。
日に焼けて薄くなった文字を読む。
『右 六本木村・ヒルズ地区』
『左 青き山・赤き坂』
と、日本語で書かれていた。遥か遠い未来なのか、それとも並行世界なのかは知らないが、とにかくここは、僕らの生まれ育った日本と強い繋がりのある場所のようだ。
「青い山に、赤い坂……かぁ。本当にそんな色の山とか坂があるのかな?」サトミが言った。「なんか、ちょっと面白そうだね。観光名所なのかも。行ってみる?」
「うーん……青い山、赤い坂ねぇ……」
と呟いた直後、僕の頭に閃くものがあった。
「なぁ、これって、ひょっとして青山と赤坂のことなんじゃないか?」
「ええ?」
「青山に、赤坂に、六本木って名の村に、かつて金持ちが住んでいたヒルズ地区、か……」
「やっぱり、ここは文明が滅んだ後の東京、って事?」
「分からない。兎にも角にも、まずはその『六本木村』とやらに行ってみよう。そこでキャンプ場があるっていう湖の場所を聞いて、実際にキャンプ場へ行って問題が無ければチェックインまで済ませてしまおうよ。物見遊山は、それからでも遅くない」
「うん。分かった」
僕はハンドルを切って『六本木村・ヒルズ地区』と書かれた方の道を進んだ。
* * *
しばらく進むと、未舗装の砂地だった路面が、黒いアスファルトに変わった。
同時に、道の両側に次々と豪邸が現れる。
……いや、正確には、昔は豪邸だった廃屋……屋敷の残骸だ。
かつてゴールド・ラッシュに沸き、成金山師たちが競って豪邸を建て、金鉱脈の枯渇とともに没落し、誰も居なくなった……と、ガソリンスタンドの爺さんが言っていた場所だ。間違いない。
薄汚れた外壁が、物の哀れを誘った。
しんと静まり返ったお屋敷町……いや幽霊町のメイン・ストリートをジムニーで通過する。
「なんか、不気味だね」道の左右にズラリと並ぶ、かつてはお金持ちが住んでいた、今は誰もいない幽霊屋敷のような豪邸を見ながら、サトミが言った。
運転しながら、左手で適当な家の窓を指さして、「あ、今、白い服を着た女の姿が、窓に……」と言ってみた。
「きゃっ」と叫び声をあげて、サトミが僕の二の腕を掴んだ。
「なーんちゃって」
「ちょ、もう、やめてよ! まじ、そういうの、最悪だから! まじ、ほんと、もう、やめて! ほんと、怒るよ!」
案外、本気で怒られた。
サトミって、こういうの駄目なタイプなのか……心の中にメモって置こう。
そんなことを思いながら、正面に視線を戻すと、向こうから何やら黒い物体がこちらへ向かって飛来するのが見えた。
「おい! サトミ! あれ、あれを見ろよ!」
「だから、まじ、やめてって言ってるでしょ!」
「いや、だから、本物だっての、まじで見てみろよ!」
僕の真剣さが伝わったのか、サトミが前を向いた。
「え? うそ……何? あれ」
その黒い物体は、遠くから見る限りは、黒い鳥(例えばカラスの類)に見えた。
近づくにつれ、それがカラスなんていう有りふれた代物じゃないと気づいた。
まず第一に、その大きさに驚かされた。
広げた翼の幅、つまり左右の翼の先端から先端までの長さが二メートル……いや、優に二・五メートル以上はあるだろう。
胴体の細部が分かるほどに近づくと、さらに驚かされる。
その黒い胴体は、人間の形をしていた。
見ようによっては戦国時代の鎧武者にも、近未来のSWAT隊員が装着するボディ・アーマーのようにも思える甲冑のようなものを全身に纏っていた。
さらに驚かされるのは、顔だ。
侍の兜のような物を頭部に被り、その兜の下から前方に、狼の顎がニューっと伸びている。
つまり、前方の空をこちらに向かって飛んで来るのは、巨大な黒い翼を持ち、狼の頭部と鎧武者の体を持った、まさに怪物と呼ぶ以外ないような存在だった。
ハンドルを切り返して、もと来た道を引き返そうかとも思ったけれど……狼の頭と鎧武者の体、そして大きな黒い翼を持つ、この空飛ぶ物体のスピードから考えて、どうやったって逃げられっこないと悟った。
やり過ごして様子を見るしかないと思い、僕はジムニーを路肩に寄せ、停車させた。
空飛ぶ黒い怪物は、停車したジムニーまで五十メートルという所で急に向きを変え、道に沿って並ぶ豪邸の廃墟のうち、十九世紀ヴィクトリア朝時代のイギリス建築様式を真似て造られたと思われる西洋屋敷の前庭に着地した。
「天狗だ……」無意識に呟いていた。
「え?」とサトミが尋き返す。「天狗って、あの一本歯の下駄を履いて、ヤツデの団扇を持った、赤い顔で鼻が長い……あの、天狗さんのこと?」
「そうだ……元来、天狗とは『天の狗』と書く通り、空を飛ぶ犬の妖怪だったんだ……古代中国では、流れ星、つまり隕石が大気摩擦によって発光しながら地球に落下するさまを『天駆ける犬』と表現した……それが日本に入ってきて、修験者の姿や山岳信仰、あるいはサンカなどの漂泊民の姿と混同されていき、今日のいわゆる『天狗』の姿が出来上がったと言われている」
その時、突然、黒い天狗(仮に、空飛ぶ怪物をこう名づける)が降り立った屋敷の壁がドロドロに溶けて穴が開き、中から別の怪物が現れた。
それは例えて言えば、白いナメクジが人間に進化したような姿をしていた。
ナメクジ人間が、口と両手の三点から白濁した液体を天狗に向けて噴射した。
黒天狗が軽く横にジャンプして、ナメクジ人間の液体攻撃を避けた。
的をはずした液体が地面に落ち、シュウゥゥという音と共に、地面から煙のようなものが立ち昇る。
液体が落ちた場所の地面に目をやると、砂が溶けて擂り鉢状の浅い穴が出来ていた。
(ナメクジ人間の放つ液体には、物を溶かす作用があるのか?)
突然、黒天狗の右手が光を放ち始めた。
光は白い球体になり、次の瞬間、光の球体が消滅すると同時に、天狗の右手に大きな黒い回転弾倉式拳銃が現れた。
その大型拳銃の銃口を無造作にナメクジ人間に向け、天狗が引き金を引いた。
ドォンッ、という轟音。
その音の大きさに、僕もサトミも悲鳴をあげて耳を塞いだ。
同時にナメクジ人間の胸部が吹き飛び、ゼリー状の肉の破片が後ろの屋敷の窓に付着した。
天狗が、さらに引き金を引く。
二回、三回、四回……ドォンッ、ドォンッ、ドォンッ……
そのたびに、ナメクジ人間の体のどこかしらが破壊され、破裂して、吹き飛んでいく。
さすがの化け物も遂には命を絶たれたのか、庭の地面に膝をつき、ばったりと俯せに倒れて動かなくなった。
黒天狗は、ナメクジ人間の死体にユックリと近づいて行き、足で軽く蹴ってみて確実に死んだことを確認した後、屋敷に歩いて行って、先ほどナメクジ人間が現れた時に開けた穴から屋敷の中へ入って行った。
屋敷の中へ天狗が消える直前、僕は、ヤツの背中に生えていた黒い大きな翼が消えて無くなっていることに気が付いた。
僕もサトミも、しばらく呆然と、天狗の消えた屋敷の穴を見つめていた。
「ねぇ、早く逃げようよ」我に返ったサトミが僕に言った。
「そ、そうだな……」僕は急いでエンジンを掛け、ジムニーを発車させた。
天狗が入って行った屋敷の前を通る。
なるべく音がしないように、エンジン回転を落として……でもエンストしないように……
さっき黒天狗は、僕らのジムニーを無視して英国風の屋敷の庭に降り立った。間違いなく、僕らの存在には気づいていた筈だ。
(ヤツにとって、僕らは興味の対象じゃない、って訳だ)
つまり、ナメクジ人間のように殺される可能性は低い筈だと思った。
そうは言っても、屋敷の前を通過するときには緊張した。
手汗がハンドルの皮に滲む。
……どうにか、無事に天狗に見つからずに、屋敷の前を通過することが出来た。
あるいは、天狗は僕らに気づいていたけど、興味がないから無視しただけなのかもしれない。
僕はジムニーの速度を徐々に上げ、ヒルズ地区と呼ばれる高級住宅地を抜けて、六本木という名の寂れた村に入った。




