14.
朝の温泉。
時間が早いせいか、他に入浴客は居ない。
ローマ風デザインの大浴場の広い浴槽に、ポツンと僕ひとりだけ。
ふと(女湯の方は、どうだろうか)と思った。
(サトミも、僕と同じように、大浴場にポツンと一人だけで湯に浸かっているんだろうか?)と思った。
髪を結い上げて一人でお風呂に入っているサトミの姿が頭に浮かんだ。
「サトミ……裸の君を後ろから抱きしめて、ピンク色に染まったその細い頸の生え際にキスしたいんだ」
無意識に独り言を呟いていた。
呟いてから、あわてて誰も居ない男湯を見回した。
……あぶねぇ……思わず変なセリフが口をついて出ちまった。
……あれ? なんで僕はこんなセリフを言ったんだ? これじゃ、まるで僕がサトミのこと好きみたいじゃねぇか……別に好きじゃないのに。
温泉のリラクゼーション効果なのか何なのか分からないけど、さっきまであんなに激しかったサトミに対する怒りが、いつの間にか収まっていた。
湯に浸かって高原の向こうの富士山を眺めていたら、何もかも小さい事のように思えて、どうでも良くなった。
(ああ……このままずっとこうしていたい)
しかし、熱い温泉の中に何時までも浸かっていたら、体が上気せてしまう。
(そろそろ出ようか)
……と思ったとき、浴場のガラス戸が開いて誰かが入ってくる気配がした。
僕は、富士山を真正面に見る向きで浴槽の縁に寄りかかっていた。浴室の入り口は真後ろになる格好だ。
客の入って来る気配は感じたけれど、(ああ、入浴客が来たんだな)くらいにしか思わず、あえて振り向いて相手の顔を確認することもなかった。
その新たに来た客が体を流すシャワーの水音が聞こえて、しばらくして浴槽に足を入れる「ちゃぽん」という音が聞こえた。
そこで初めて、僕は横を向いてその客の姿を確認した。
……目の前に、宇宙人が居た。
テレビの特撮番組に出てくるような宇宙人(のようなもの)が、尖った頭の天辺にタオルを乗せて、浴槽の中へゆっくりと体を沈めていた。
「ベンベロ、ズルベロロン、ベロベロ」
リラックスした様子で肩までお湯に浸かった宇宙人(のようなもの)が、こんな声を発した(僕には、こう聞こえた)
宇宙人の頭部で発光する目玉らしきものが動いて、僕を見た。
「ひぃぃ……」僕は恐怖のあまり情けない声を出してしまった。
……ダメだ……殺される……いや、宇宙船に拉致されて標本にされる……全裸で温泉に浸かるという日本人として最も無防備かつリラックスした姿のまんま、でっかいガラスの箱に入れらて宇宙に連れて行かれるんだ。
……と、思った直後……
「あっ、どうも。良い湯加減ですね」宇宙人に挨拶された。
「え?」それまで僕の脳みそを満たしていた恐怖は、一瞬にして百万個の(?)マークになった。
「地元の方ですか?」宇宙人が僕に尋ねた。流暢な日本語だった。
僕はここY県の出身じゃないけど、宇宙人からしたら地球人は皆んな広い意味で『地元の人間』ってことになるのか?
「はあ、まあ」僕は曖昧に答えた。
「そうですか。良いですねぇ毎日こんな景色を見ながら温泉に入れるなんて……私は今さっきこっちへ到着したばかりでして。一度で良いから、有名な富士山の姿をこの目で直に見たかったんですよ。いや、この温泉から眺める富士山は、私の地元でも有名でしてね」
そういえば聞いたことあるぞ。富士山周辺はUFOの頻出ポイントだって、高校時代のオカルトマニアの友人が言ってた。
そういう事か? それで富士山周辺にUFOが現れるのか? 温泉に入るために?
ダメだ……これ以上考えたら、ただでさえ湯で上気せてる脳みそが、オーバーヒートしちまう。
「あ……あの」僕は、ゆっくりと立ち上がった。「お、お先に失礼します……どうぞ、ごゆっくり」宇宙人に対して、こんな挨拶で良いんだろうか?
よう分からんが、まあ、取りあえず挨拶は大事だ。
風呂から上がろうとする僕に対して、宇宙人は「どうも」と言って軽く会釈した。
なんか、見た目とは裏腹に、えらく人当たりの良い宇宙人だった。
僕は湯船から上がり、最後に軽くシャワーで全身を流し、大浴場を出て脱衣場に入り、ロッカーを開けて服を着た。
服を着ながら思った。
(一体何なんだ? この展開……)




