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美馬精神病学科のオンラインクリニック  作者: 端山 冷
第一病霊 『スチューデント・アパシー』
6/62

姉妹



「えっ? それって……」


 ――――――ブツ!


 耳元でなにか不吉な音が聞こえたのと同時に、白いタイルの部屋、そして()()白衣を着た医者「美馬 隆二」の姿が目の前から消え失せる。


 そしてただ、ぼやけた()()()がみえる。


 白に赤い線が。黒に深い闇が。

 禍々しい。毒々しい。忌まわしい。


 これはなんだ? ここが地獄か?


 いいや違う。コレは……()()は人だ! 人間の眼球!!


 鼻先がくっつきそうなほど近い距離にある顔面。それは近過ぎて一体誰の、どんな表情なのかも! 性別も! なにもかもが理解できない!!



「うわああああああああああああぁあああああああああああ!!!!!!!!」




 俺は椅子から転げ落ち、後ずさって絶叫する。

 激しく頭を振りまわし、四肢をめちゃくちゃに動かし、死に物狂いでソイツから逃れようとする。



 セリナ、芹奈が、姉さんが近い、近くに、すぐ、すぐ目の前にいる! なんで 覗き込んでいる。いやだ 周りが見えない。こわい 違う、そうじゃない! 

 ()()はVRゴーグルの()()にいるんだ。


 そのとき、俺の首筋に()()()()()()()


 ――白い腕 首に巻き付く 耳に残る声 悲鳴 甘ったるい匂い 


 ああ、悲鳴だ。悲鳴が聞こえる。俺の悲鳴だ。ああ、なんで、何故なんだ、姉さん。もう、無理だ。止めてくれ!



 頬に幾筋か、なにかが流れていく。熱いなにか。


 俺はVRゴーグルを叩き割るように外す。ゴムが髪に絡まり痛みと共に幾本か根ごと引きちぎられていく。床に這いつくばった俺の視界に見えたのは、またもやこちらを覗く()()()



「うわあああああああああああああぁ、あ……!?」


「きゃああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」



 俺は再び絶叫したが、今度は目の前からも叫び声が聞こえてくる。



 頭がぐわンッと揺れるような甲高い女の悲鳴。うるさ! めっちゃ、うるさっ。思わず耳を両手で塞ぐ。そうして、しばしお互い涙目で見つめあう。


 しゃがみ込み、片手をこちらに伸ばしたまま固まっていた女。次の瞬間、彼女は勢いよく起き上がり、思いっきりその足をふりぬいていた。


「何なのよーーーー!! ビックリするでしょうがぁーーーーー!!!!」


「うごぅおっ!!」


 俺は断末魔を撒き散らし、部屋の壁まで吹っ飛んでいった。


 そして追い打ちをかけるように、床に蠢いた俺の横っ腹をさらなる衝撃が襲う!

 ドスっ、まるで砂が入ったサンドバッグを殴ったかのような重低音。

 痛みに悶え苦しむ俺! なんか体中から変な汁が湧きだす。


 その時だった。


 『ト〝ン〝!!』


 まるで誰かが苛立ちまぎれに壁を殴った。憧れの全力壁ドン!!


 そんな恐ろしい音がお隣さんから聞こえてきた……。






「もうっ! ちゃんと今日来るって電話したでしょ」


「着信、今日じゃないか! 俺は電話にでてないし、なんで勝手に鍵開けて入ってきてんの!?」


 俺は極力声を抑えながらも、この突然の無礼な侵略者へと抗議の声を上げる。


 ……良かった、ヒビとか穴とか大丈夫だったようだ。 

 俺は触れた壁の感触に、ほっと胸をなでおろした。


 すると。


「だって電話中だったんだもの。呼び鈴も押したのに全然出て来ないお兄ちゃんが悪い!」


 背後からはむちゃくちゃ不満そうな声が聞こえてくる。そう言えば、いつ言われても俺も理不尽に感じるな。『お兄ちゃんが悪い』ってこのワード。


 振り返った俺を見つめ睨んでくる女の顔に、思わず口許が歪む。

 どうやら、運悪くその着信は先程の診療確認と重なってしまったようだ。そのままオンラインクリニックになだれ込んだのでまったく気づいていなかった。


「はあ、そうじゃなくて……。もっと早めに連絡しろよ……」


 当日に、しかも到着数分前に電話してもそれは事前連絡とはいわないだろう。


 俺は深くため息をはき、諭すように目の前の人物を見つめたが多分無駄だろう。こういうのは正論を吐けば吐くほど、険悪ムードへと変わっていくものだ。


 てっきりこれから凄絶な兄妹げんかが勃発するかと身構えた俺の目に飛び込んできたのは、先程とはうって変わったようなしょぼくれた顔だった。


「だって、だって、心配だったのよ。ずっと家に連絡来なくて。お母さんだって……」


 あの母に言われて来たらしい。ご苦労なことだ。

 その先を聞きたくはないが、このまま帰すのも忍びない。


「取り合えず、今、茶ぁ出すから。適当に座ってて」


 俺は立ち上がり、妹を絨毯の上に座らせると台所へと向かった。そのまま薬缶の中の水が沸騰するまで火の傍で待つ。


 衝撃的な兄妹の再会から少し落ち着きが戻ってきた。……あれは衝撃だった。お前、なんで二発目蹴り入れたんだ? 一蹴りで良くない? すごく、問い質してみたい。

 だが、止しとこう。以前、言ったように俺のテンションは上がりずらく、すぐ下がる。

 あと、これ以上騒いだらお隣さんの我慢が臨界点に達する。ご近所トラブルの恐ろしさは所詮、実家住みには理解できないのだ。


「一体、お兄ちゃんなにしてたの。玄関から凄い悲鳴が聞こえてきて、すごく驚いたんだから」


 注ぎ口が欠けた急須のなかに、適当に入れた茶葉と熱湯を注ぐ。丸いお盆を引っ張り出し、その上に桜模様の湯呑二つと急須を置いて机まで持って行く。


 ――いきなり説明しずらいことを聞くなあ。


 俺は頬をかき、なるべく目を合わせずに答えた。


「あー。……それは、ちょっと怖いVRゲームをしていたんだよ」


「え~、嘘だぁ」と呟き、妹『犬桜イヌザクラ 八尋ヤヒロ』が急須からお茶を注ぎ分け、桜模様の湯呑をひとつ渡してきた。


 しっかり視線が重なった茶色の瞳に、ズバリと斬られる。


「だってさ、お兄ちゃん。床に転がって叫んでたよ。ゲーム機なんてなかったじゃない」


「ゲーム機じゃなくてパソコンだよ。お前がパソコンとVRゴーグルを切り離したんじゃないのか?」


 違うよ、とあっさり答えて八尋は茶をすする。

 八尋が来たとき、俺はすでに転がり回って叫んでたらしい。



 え~と、それって……。

 つまりは、そうだ! パソコンの画面はどうなった? アレを妹に見られると少し厄介なことになる。



 しかし、急いで振り返った先には真っ暗な画面があった。


「あれ? お前、俺のパソコンの電源、勝手に落とした?」


 美馬精神クリニックのホームページが写っているはずのモニターにはなにもない。電源すら入っていない。カチカチとマウスをクリックしたが応答なし。


「してないよ! なんなの。エッチなサイトでも見てて慌てたんじゃないの?」


 八尋は軽蔑の眼差しを寄こしてくる。そうか。お前の中で俺は、エロVRをお楽しみ中に突然の物音に驚いて絶叫する中二のような存在あになのか。アオハルも真っ青だ。とんだ変態兄貴像に打ちのめされる。そこは「私の兄貴がこんなに変態なわけがない!」と、胸張っておくれよ……


 しかし、そうなると何が原因でパソコンの電源が落ち、VRの線が抜かれていたんだろう。まさかとは思うが、姉が――。




 止そう。これ以上考えても答えはでない。




 あとで妹が帰った後にパソコンを再起動する。そして処方箋の印刷をすればいい。今日はそれで充分すぎる。

 それよりも美馬先生が最後に言った言葉が気になってくる。『芹奈用の薬』ってなんだったんだ。臨床試験薬、か……。




「ちょっと……聞いてるの!? お兄ちゃん」


 目の前にまたも妹のアップ。……正直、今日はもう勘弁してほしい。


 俺は背もたれにしていたベッドに頭を倒し、そのまま天井を見上げることで妹の視線から逃れる。姉さんからもいつの日にか、こうやって逃れることが出来るだろうか?

 




 俺の妹『犬桜イヌザクラ 八尋ヤヒロ


 152センチ40キログラム。ほっそりした手足とはアンバランスな巨乳の持ち主。たしかD。鎖骨まで伸びたショコラブラウンの髪を緩く巻いている、どこにでもいるような普通の女子大生だ。


 姉の芹奈と違い、一見して分かるような際立った美しさはない。だが、よくよく見ればかなり整った顔立ちなのが分かるだろう。やたらコロコロ変わっていく表情が彼女に生を吹き込み、どこか独特な魅力を生みだす。そういう娘だ。

 揃えられた前髪と大きな茶色の瞳は、本人が黙って口さえ閉じてくれれば人形めいている。たとえるなら、姉が日本人形で妹は西洋人形と言ったところだ。


 性格ならば三人兄弟の俺達の中では一番わがまま。典型的な末っ子気質だ。良く言えば、天真爛漫。悪く言えば、かまってちゃん? とにかく健康的で健全な、そう、普通の娘なんだ。


 ――俺たちとは違い。


「本当に疲れてるんだ。母親アイツの話しはまた今度聞くから。頼むから、今日はもう帰ってくんない?」


 実のところ、この妹といると姉は出て来ない。それがどういう理由からなのかは不明だが、しかし妹と四六時中いることは出来ないし、これまた別の問題も出てくる。



 これらは俺自身の問題だ。妹を巻き込むことは出来ない。



 俺は実家を出てからは、なるべく妹をも避けていた。だが八尋は今回のように俺の気持ちにかまわずそばに寄ってこようとする。

 まあ、妹の気持ちも分からないでない。姉が突然自殺し、兄も様子がおかしい。妹はなんらかの崇高な使命感を持ってして接してくるのだろうが、俺にはまったく関係ない。今後もなるべく関わるつもりはない。



「え~~、ン~~。分かったよ。今日は帰るけど、来週ちゃんと戻ってきてね」



 そう言って頷き、代わりに一枚のはがきを差しだしてくる。とたん胃が重くなる。瞬間、国彦の顔が脳裏に過った。そいつはかつての俺たちの友人の、三回忌のお知らせだった。


 妹がショルダーバッグを肩に掛けこちらをゆっくり見下ろす。人形のような瞳。口元からは白く八重歯が覗く。まるで深海に棲む鮫のようだ、と俺は思った。




「ちゃんと出席しないと……後悔するんだから、お兄ちゃん」


 いつものごとく、容赦なく妹は兄を地に落とす。

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