結末A 『他罰審判』3
――それが、高校時代からの大親友との最後だった。
なぜなら、この数か月後に彼は不慮の事故で命を落とすことになる。
これは、それを知る前の――まだ入院中の出来事である。
すぐに病院に運ばれた俺と八尋は、ふくらはぎに大きな穴があるわ、肋骨や肩などの骨が折れているわで即入院と相成った。身体的なものもさるものながら、やはり精神的なダメージがとても大きく、二人そろって衰弱し、俺自身40℃近くの高熱を出して、気がつけば一週間以上を病院のベッドの上で過ごしていた。
その間に、妹の病室を行き来してお互いに励まし合ってみたり、病院の白衣の天使と仲良くなってみたり(八尋の視線が痛かった)、会社の上司が見舞いに来てくれたり、と些細な日常を積み重ねていった。
そして最後にあの部屋で宣言された通り、例の刑事はたびたび俺の病室まで訪れ、事件に関する様々な事を聞いていった。
とは言え、こちらは入院中の重症患者。さほど無茶なことも出来ないし、なによりこちらは被害者である。警察内部ではすでにそう結論づけられたようで、扱いもどちらかと言えば丁寧よりであった。だからこうしてコンビニ袋をぶら下げて、手で頭を掻きつつ、所在なさげに個室の扉が開かれることもすでに日常の一部と化していた。
きっと今度は、どこぞの白衣の天使に睨まれたに違いない。
「入院しているのに、何度もすまないね」
男は後ろを気にしつつも、ぶっきらぼうにそう言ってさっと素早く扉を閉めた。それからやっとベッドまで近づいて来る。おそらく、今の言葉も後ろの御仁に向けてのものだろう。
俺はどこかコミカルな男の姿に、口許に手をやり笑って迎え入れた。
「いえ。だいぶ体も良くなってきて、正直退屈していたので」
大歓迎だ。
俺は体を起こし歓迎の意を示す。それに気づいた男は、少しだけ鋭い眼差しを緩めてこちらを見た。俺はその相変わらず二時間ドラマの、それも断崖絶壁が異様に似合う壮年の刑事の顔を仰ぎ見ていた。
俺としてもなるべく妹に負担がかからぬよう、話せることは全て包み隠さずに話したい。なので、意外と聞き上手なこの刑事には、出来る限り協力するようにしていた。
もちろん、国彦の『水を操る』ギフトだの、俺の『秤と大鎌』だのは、大量出血による幻覚と一蹴されていた。これには俺も同意見であり、今となっては白昼夢を見ていたように感じている。
最近では国彦の歴代の彼女たちの事を中心にし、取り調べを受けていた。
「皆子さんの件は、事前に彼が飲み物に薬物を混入していたことが分かった。目撃者がいてね。彼が怪しい薬を皆子さんのカップに入れたのを見ている。恐らく君たちにも与えられていたため、一種の集団パニックを起こしたんだろう」
刑事さんが言うには、集団パニックにより目の前の彼女を助けられなかったということになるようだ。
ほかにも、溺死した女子大生の頭を押さえていたのを見た、という証言や、新たな指紋などが、国彦が関わったとおぼしき過去の事件から大量にでてきた。なかでも古いものでは、なんと五年前の新たな目撃情報も飛び出してきたようで――。
「容疑者は半分認め、残り半分は否認している。また新たに自供しているものが何件かあるんだが、そっちは関与が疑わしい。どうやって殺したのか、証拠も方法も曖昧な話だからな」
「そんな昔の目撃情報が今になって出てくるなんて、なんだか信じ難いですね」
俺がベッドの上で組んだ腕を見つめていると、刑事は渋い顔をしかめて言った。
「信じ難いどころか、有り得ない。と、俺は思っている。一件、二件じゃないんだぞ。これだけ大量に過去の事件の証拠が集まり出すだなんて、今まで見たことも聞いたこともねぇ。だが、実際出てきてしまったもんは仕様がねえ。大方、前任者が余程杜撰な処理をしていたんだろうさ。ま、何人かの首が飛ぶだろうな」
男は火のつかない煙草を咥え、他人事のように窓の外を眺めている。そして、付け足すように素っ気なく言った。
「なにか、気になるところはあったか?」
「……。正直、気になるところが多すぎて」
五年前の証言など、誰の事件のことだ。俺は聞きたい気持ちを抑え、刑事がこの部屋で最初に言い出した報告、『高木皆子』のことについて聞いてみた。
「薬物による集団パニックだなんて、本当に可能なんですか? 俺たちはたしかに彼女を助けようと、あの手この手を試してみたんですよ」
「……。集団パニックは意外とあるだろう。ほら、お前らみたいなのが集まってやる、『コックリさん』なんかもそれだろう。大勢が有りもしないものを見るんだ。それにニュースにもなったようだが、都内で女子高生20人が一斉に過呼吸で救急搬送されたのも、あれなんかも集団パニックだ。なんでも霊感が強い女生徒が引き金だったらしい。ようは恐怖が人から人へと伝染していくんだ。正常な状態でもそうなるんだから、興奮剤でも盛られていればイチコロだろ」
俺は信じられないものを見た、という目で男を見ていた。言うに事欠いて『コックリさん』などと同列に語られるとは思わなかった。あれはそんなものではなかった。たしかに彼女の体は鉛のように、いや、鉛以上に重く沈み込んでいたのだ。
「そんな馬鹿な!! それに、外部の、浜辺にいたサーファーたちも一緒になって彼女を引揚げようとしていたんだ」
俺は語気を強めて言った。しかし刑事はダルそうに頭を掻き、
「それこそお前たちの恐怖が染っちまったんだろう。……それか、浜辺の奴ら全員盛られていたか」
と、言った。そんなことは有り得ない。だが、刑事自身が有り得ないと思いながら話しているという事は、その目を見ればすぐ分かった。――どうやら、警察内部ではそういう扱いに決まったらしい。
「刑事さん、国彦が殺したと確定した事件と彼が新たに供述した事件のデータって頂けないでしょうか?」
「……。本来は難しいのだが君にならいいだろう。後でデータを送っておこう」
ダメもとで頼んだ情報は拍子抜けするほどあっさり与えられることになった。意外に思いながら礼を言って刑事さんを見送る。すると、なにやらゴソゴソとビニール袋を漁り出す。そういえば、コンビニ袋に入っているのはいつものプリンかと思っていたが、どうやらそれは違ったらしい。
「足が治るまでもう少し入院するんだろう? 退屈なら、これで少し勉強したらどうだ」
そう言って、唐突に渡されたのは国家公務員試験の入門書だった。
「今の会社は辞めるつもりだと聞いた。次は……警察官なんてどうだ?」
笑いながら渡されたソレに呆気をとられながら、俺は機械的に受け取っていた。
「無理ですよ。俺、大学中退してますし。頭悪いんですよ」
「高校まではかなり成績も良かったんだろう? 国家公務員一般職試験なら君は受かるだろう」
ずいぶん買いかぶられているようだが、そんなに正義感があるように見えたのだろうか? いちおう好意(?)らしいので受け取ってはおく。まあ、おっしゃる通りにヒマなのは事実だ。気が向いたら勉強でもしてみようか……。
後日、思ったより律儀だった壮年の刑事さんは、約束通り俺の病室まで国彦に関する一通りの事件データを、きっちり送ってくれた。
そこにはあったのは、ある意味、予想通りの結果というやつだ。すなわち、『俺が知っている事件』は全て彼が関与したという証拠が出てきて、逆に『俺が知らない事件』については、証拠どころか殺人ではなく全てが事故扱いになっている。彼が殺したと自供しているのにも関わらず、だ。
「これはどういう事だ。……証拠のねつ造か?」
だいたい、刑事が言ったように、五年前の目撃証言や指紋が今になって突然出てくること自体が不自然だ。あの狡猾な国彦が、目撃者や指紋をこんなに大量に残すとは思えない。
しかし、警察による証拠ねつ造にしては、不可思議だった。目撃者は警察にも国彦にも関連ないところからある日突然、「ああ、そうだったな」と思い立ったようにして名乗り出ている。
「検察は死刑を求刑するが、無期懲役の可能性が最も高い……か」
この判決予想はあの時、俺が下した審判と一致している。
あの時、あの部屋で俺は国彦に判決を下した。――死刑と。そしてそれを実行しようとした。あの大鎌で首を切り落とすことによって。
だが、そのあとの国彦の涙で……俺はやつの罪を減刑した。一生をかけて悔いろ、償えと。それは無期懲役と同じことだと言えるかもしれない。
国彦が殺害したんだと、俺があの場で決めつけた事件の証拠が今になって見つかった。これではまるで『俺が国彦に対して下した結果をもとに、全ての証拠がねつ造された』かのようだ。だが、そんなことを一体誰がするんだ。いや、出来るんだ。
そんな事を考えていた時、俺の個室の扉の前に黒い影が射す。誰か来たようだ。
――コンコン
控えめにされたノックのあと、返事も待たずに八尋が部屋に入ってきた。俺は慌てて資料を片付けようとするが、八尋に止められる。
「私にもちゃんと見せて欲しいな、お兄ちゃん」
制止しようとして考え直す。今は辛くとも直視しておかなければ後々引きずってしまうだろうことは、経験から分かっていた。
資料を食い入るように見る妹の傍ら、俺は国彦について考える。
俺が刺した国彦の右目は完全に潰れてしまったらしい。正当防衛となるようだが彼に対するある種の罪悪感が消えることはない。どうしても――憎み切れずにいる。出来るなら、今も三人で居たかったというのは、まぎれもなく俺の本心であった。
「ありがとう、お兄ちゃん。……対馬さんに、また会えるかな?」
「裁判になれば法廷で会えるだろうけど。どうだろうな?」
そう言うことが聞きたいわけではないと承知の上で、俺はあえてぼかした表現で言った。
外で、という事ならば難しい。死刑、もしくは無期懲役の可能性は高く、昔のように気軽に会うことなど無いだろう。会いたいならば、会いに行かねばならない。刑務所に。
短い間といえ恋人だったのだから、妹の心情はさぞ複雑なモノだろう。しかし、今となっては俺も二人が突然付き合いだしたことに、疑念が湧く。
当時はごく自然な流れに思えたが、若い二人が三年やら五年やら思い合っていたなどと、よくよく考えれば不自然極まりない。いくら皆子のことがあったとは言え、そんな綺麗ごと……。現実は御伽話のようにはいかない。もっとドロドロしているものだ。
だが、その事を直球で問いただすのは、まだ幾らかの躊躇があった。
「そういえば……。姉さんの日記をあの日、部屋に置いたのはお前だろう?」
姉の日記が今更あんなところにあるはずがなかった。アレをヒントのように置くなんて、八尋以外に出来る奴はいない。日記を持っていた以上、妹は姉のそれを読んだのだろう。つまり、あのヒントのような名前も見ていた。それは妹がずっと国彦を怪しいと分かってて付き合っていたことに他ならない。
「……芹奈の日記は、全部読んだの?」
上目遣いで――探るような目で八尋が覗き込んでくる。
「いや、最後の辺りしか読んでない」
時間もなかったし。正直にそう答えると、八尋はあからさまにホッとしたような、それとも残念がっているような、なんとも言えない奇妙な表情を浮かべていた。
「良く分かったね。普通、私の部屋に入るものじゃない?」
「お前は昔から妙な所で間接的にくるからな~。いつもは素直なのに、な!」
「ふ~んだ! 私も色々考えたのよ。お兄ちゃんが私よりも対馬さんのこと選んじゃうかもっ、とか思ってたし……」
「アホ。そんなこと言ってる場合じゃなかったろ。もっとちゃんと相談しろよ。俺はお前の兄貴なんだから。――ちゃんとお前の言うこと、全部信じるよ」
俺は八尋の頭を撫でながら、こう答えた。本当のことを言えば、俺の方こそ国彦に疑念を抱いていたのに。なのに、それに目をつぶっていた罪は大きいだろう。しかし、もう十分に傷ついている妹に、わざわざその事実を告げる気にはなれなかった。
「俺は今月末で退院できそうだけど、また見舞いに来るよ。会社も辞めるし暇だしな!」
「なにそれ~。ちゃんとパーラーの超極上プリン、持って来ないと許さないんだからね~」
ベットの上で昔のようにじゃれ合っていると、廊下の向こうで看護士さんが妹の名前を呼んでいるのが聞こえてきた。すぐ立ち上がって、軽く手を振り出て行こうとする妹は、「そういえば」っと軽い口調で聞いてきた。
「お兄ちゃん、私の部屋には入ったの?」
「いんや、丁度、国彦から電話がかかってきたからな。何だよ、別にお前の日記なんか見てないよ――」
笑いながら返事をした俺の目には、八尋が歌うように「そっか、残念だな~」と笑って出て行く姿が見えた。その瞳には一瞬、別人のような闇が映った気がしたが、妹の姿はすでになく、それを確かめるすべもなかった。
俺は一旦目を閉じ、それから仰向けにベッドへ転がり、今度は天井のシミを見上げていた。妹が立ち去っても……、いつかのように、芹奈がふんわり現れることはない。
その時、妹が病室の扉を開けっぱなしで出て行ったので、ノックもなく人が入ってくる気配がした。看護士か、医者か、……はたまた妹が舞い戻ってきたのかもしれない。
なけなしの腹筋を使って体を起こした先に見たのは、予想外の人物の姿だった。
「ハイト君。思ったより元気そうで良かったよ。お邪魔するよ」
黒い白衣の男、『美馬 隆二』がこちらを嘲笑って立っていた。
いつかのように黒い白衣の下はベストと糊のきいたスラックス、それに磨かれた革靴だ。手には黄色のカサブランカを花束にして持っている。
その黒衣の死神は病室の扉の鍵をかけ、ゆったりとした足取りでこちらに向かってくる。愉快そうに、嘲るように、楽しそうに歪んだ口元が―――、彼が近づくたび、空間までも歪んでひび割れていくような錯覚に囚われる。
幽霊でも見たかのように茫然としていると、俺の目の前まで近寄り、顔に手を伸ばしてくる。その冷たい指先に、俺はこれが現実なのだと思い知らされた。
「君がちゃんと生き残ってくれて、嬉しいよ。しかも狂いもせず、『黒屍』も発症しないとは、君たちは本当に我慢強いんだねえ。あの薬の成功例なんて君が初めてだよ」
「な、なにを言って……」
「いいこ、いいこ」と、労うように頭を撫でられた俺は、蛇に睨まれた蛙のように硬直する。本能で察していた。この化物には敵わないと。
頭に置く手をそのままに、もう片方の手で懐から「黒い」手帳を取り出し目の前に突き出した。
「『警視正 美馬隆二』? 貴方、医者じゃなくて警官だったんですかっ!?」
「騙してゴメンねー。一応、精神科医でもあるのは本当だよ」
免許証見せたよね? と、まったく悪びれた様子もなく軽く言ってくれる。美馬はクリニックで診察した時と同じような親しさで、話を続ける。
「俺は『精神病学捜査研究所』の室長をしている。『対馬国彦』のような精神能力暴走者、通称『黒屍』に対抗する組織だ。君には、症例『うつ病』由来の能力『他罰審判』の発現を認めた。今日は君を『精神病学捜査研究所』にスカウトしに来たんだよ」
するり、と頬を撫でた手が首筋に到達すると、俺の全身が総毛だった。今までこの人と普通に話せていたのが信じられない。こいつは、美馬隆二は、国彦の何十倍も危険な能力者だと察知していた。
「今の会社を辞めるなら、次は警察官なんてどうだい?」
以前、あの目つきが鋭いが優しい刑事に勧められたことを、同じ言葉で美馬も言う。しかし、あの時のような自由意志は許されない。この『命令』に背けば、俺の首は今すぐへし折られることになる。
俺はわずかに首を動かし下を見た。同意したのではない。美馬を見ていることが怖くてできなかったのだ。
「そっか~。話しが早くて助かるよ。これからも、――仲良くしよう」
俺の首から離れた彼の手は、今度は俺の右手を捉え、握手の形をとる。彼はふと気づいたように、ベッドの傍らに放置されていた「国家公務員試験の入門書」を手に取って、それを改めて手渡しされる。
「それに受かってくれれば、あとはこっちでなんとかしておく。だから頑張ってね。期待してるよ」
俺は震える両手でソレを受け取り握りしめた。
「あと、退院したらクリニックに遊びにおいで。薬の方も、そろそろ足りなくなっているだろう?」
一体、なんの薬だ! 俺は叫び出しそうな自身の口を、両手で塞ぐことによって必死にこらえた。
俺はなにかの実験薬の成功例で……、あの馬鹿げた超能力みたいなものは現実だった。
そして美馬の被験者兼、部下として、今後もこの死神の下で、死ぬまで働くことが運命づけられてしまった。
俺はこうして、狂った上司と狂った同僚に囲まれ、数々の『黒屍』たちと対峙するはめになったのだった。
犬桜隼の結末A(八尋エンド)でした。むしろ、これも国彦エンドのようですが。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたー!
加筆修正しましたら、とても長くなりました。読みにくくて申し訳ないです。
ぜひ、感想や評価を頂ければ嬉しいです。よろしくお願いします。