結末A 『他罰審判』1
――コレが、『対馬 国彦』なのか?
本当に、高校時代からの俺の大親友がコレだっていうのか?
覗き込んできたソイツの瞳には――ぽっかりと穴が空いていた。
歪んだ口元。弧を描く眉。頬は興奮から紅潮し、額からは汗がひとすじ垂れ落ちる。それは非常に生々しく、吐き気を催すほどのグロテスク。
ソイツはまるでセックスの最中にいるように、興奮と熱とで浮かされていた。
俺は、口調と表情と感情がバラバラになって動いている国彦の顔に唖然とした。
なんだこれは。まるで正月によく見る福笑いのお面みたいじゃないか。それもこれは、明らかに子どもがフザケテ造ったようにバランスをワザと大きく欠いて、酷くチクハグした、途方もなく醜く滑稽で粗悪な代物だ。
こんなもの、笑えない。到底、笑えるはずもない。
これでは、これでは、……まったくの別人だ。一体、俺の親友はどこに行ってしまったのか。というか、本物の国彦はとっくに殺されていて、代わりになにか得体のしれない別の化け物が奴の皮を身に被っているだけじゃないのか? そうだ! きっと、そうなんだ!!
「――離せ!!!」
本能的に感じる強い嫌悪によって、俺はソレの手を振り払っていた。これ以上、醜悪なソイツを見なくて済むようにと、きつく目を閉ざす。真実に耐えられそうになかった。これが本性だと……奴の本来の姿なんだと。
――そう。俺の親友はとっくの昔に、得体のしれない何か――いいや、ただの快楽殺人鬼に成り下がっていたのだと。
俺は両手を使い、思いっきりソイツの体を突き飛ばした。
「グゥ……」
国彦は後ろから倒れ込み、八尋が漂う浴槽へと強かに背をぶつけた。彼は、わずかに濡れて光るタイルの上に尻もちをつくと片手を地面に突き、跪くような姿勢のまま動かなくなった。
「お前、俺の妹になにをしたんだよ!! おまえ、ホントに国彦なのか……?」
俺は、おこりにかかったかのように全身を震わせ、見下ろした先にあった男の旋毛に向かって、怒りをもって叫び、祈るように問いかけていた。さまざまな感情がごちゃ混ぜにごった返し、マーブル模様のように身の内でトグロをまく。それらが全て、今にも爆発しそうで、俺は半ばパニックに陥っていた。
対して、冷たいタイルに跪いたままの国彦は、俯き脱力し、浅黒い両手で顔を覆い隠していた。
不気味な静寂が浴室に訪れる。そのとき、わずかに奴の両肩が震えた。
「グ、グ……グゥ」
低いうめき声が――まるで泣いているかのようだった。その姿に虚をつかれた瞬間、
「グゥはははははグっはハハハアアアははあっははーーーー!!!!」
男の嗤い声が浴室中に響きわたる。そこら中に乱反射したそれは、壊滅的な音色をもって俺の鼓膜を侵していく。
男が覆い隠した手の隙間から、穴のような暗闇が俺に狙いを定めていた。
俺は恐怖で一歩後ずさる。だが、そんな俺を躊躇なく床に引きずり倒した国彦は、腹這いになった俺の上に覆いかぶさり、両腕をひとまとめにして掴み取ると一気に捻り上げた。
「っ~~~~~~~~~~~~!!!!」
ゴキンっとなにかが外れる音がした。
俺は狂ったように絶叫し、タイルの上でのたうち回る。それを上から楽しそうに抑え込み、ケタケタとイカれたように笑ってる悪魔のような男は、俺の頭を右手で持ち上げ、気味の悪い目で語りかけてくる。
「ハイト! ハイト! ハイト~~~!! 痛いよな~、ゴメンな~、こんな事する予定じゃなかったのに!」
――でも、お前が悪いんだゼ。
興奮に息を弾ませた国彦がそう嘯く。乱れた髪を空いている方の手で器用に撫でつけ、俺が流す涙に舌なめずりしながらこう言った。
――お前が、勝手に俺の許可なく上がろうとするから……
――お前が、ずっと溺れてくれていれば俺は誰もコロサズニすんだのに……
――なに勝手に……自分だけ救われようとしてんだよ!!!
痛みで涙がとめどなく溢れでる。訳が分からない。そんな理由だったのか? 姉を、皆子を、多くの女性たちを殺したのは、そんな理由で……?
「ハイト、俺は可笑しいんだ!! ハハッ! オカシイんだよ、異常なんだよ!」
バシャっ!
国彦は泣き笑いしながら、持ち上げた俺の頭をたっぷり湯が張られた浴槽に沈めた。浴槽の中に漂う八尋の栗色の髪が、突如、視界いっぱいに絡まった。
「駄目なんだよ! 女が、溺れている顔を見ねエとイケないんだよ!!」
バシャっ! バシャっ!!
沈めた頭を持ち上げ再度沈め直す。
「なのに! 誰も俺を理解してくれナイ!! 皆子も、ほかの女共もだ!! 愛してるって言ったくせに、ナンデ逃げようとするんだよ!! みんな、みんな、みんな~~~~っ!!!」
絶叫が木霊する。
俺の指がクリーム色の浴槽の上を何度も滑る。
バシャっ! バシャっ!!
沈め た頭を持ち上げ再度沈め直す。
「殺したいんじゃねエんだよ!! ただ、溺れる顔が、苦しそうで死にそうな顔が! 好きなんだ! 見たいんだよ! ただ、それだけだ!! 我慢できねエんだよ……」
男が吠える。それはもはや人のものとは思えず、それは野生の獣がだす最後の断末魔のような響きをもっていた。
バシャっ! バシャっ!!
沈めた 頭を持ち上げ再度沈め直す。
「ハイトーー、あの女が化けて出てきたって聞いたときは、流石の俺も焦ったけどよ~。お前、アレ、なんてこたぁねエ。タダのお前の妄想だよ……。黙ってて悪かったなア」
……姉の幽霊など存在しなかったのだ。
で、なければ……この男が無事のわけがない。
芹奈が恨む相手は俺のすぐ隣にいたのだ。
――姉さんの物言わぬ唇が、真っ赤な弧を描き俺を嘲笑う。
俺の両肩が力を失くし、湯船の中にぷかりと浮かびあがる。
バシャっ! バシャっ!!
「でもその時に気づいたんだよ。お前は、ハイトだけは、違うんだって……」
バシャっ! バシャっ!!
「男には興味ねエんだけど、お前の表情は違ったよ。すごく、イイ! お前が芹奈のことで苦しんでる顔は、水に溺れて苦しんでる顔そのものだ!!」
「おかげで俺は、人を殺さなくても我慢できるようになったんだ……」
「それを、なんでお前が裏切るんだよ! 勝手に試薬だかなんだかで、ナニ自分だけ楽になろうとするんだよ!!」
「俺は、俺は……こんなに苦しんでるのに!! だから、ちゃんとお前が溺れて死んじまわねエように、息継ぎも気をつけてさせてやってただろーー!!」
「――なにっ! なにが不満だったんだよ!!! おまけに八尋を奪ってやったのに、平然としたツラしやがって!!!」
いつの間にか、浴槽に頭を沈める遊びは止んでいた。気づけば俺は虫の息でタイルに転がっていた。
そんな俺を……よだれを垂らす犬のように浅ましく観察している化け物。その目に……しっかり焼き付けているようだ。
これから――殺してしまう、大好物の最後の姿。
笑えてしまう。――国彦が姉と皆子の死に関係していることは薄々気づいていた。歴代の彼女が不幸な事故でいなくなること、それも気のせいだと言い聞かせてきた。俺を見る奴の目に違和感を感じることも、少なくなかった。
でも!! 全て見ないふりをしてきた!
かつて……、あんなに綺麗で大切だった姉を、国彦に殺されたのかもしれないと考えると、……俺は気が狂いそうな程、苦しかった。悩んで、信じて、疑って。こんな自分が信じられなくて。
でも、それは全て自分のためだ。傷つきたくなかった、だから俺のせい。
その結果、俺はここで死に、奴のシコる記憶の一つにされるわけだ。
醜悪な関係にふさわしい、実におぞましい結末だ。だが……。
「お兄ちゃんから離れろ、この変態! 死ねぇーー!!」
浴槽にもたれ掛かり、気絶していたはずの八尋が水しぶきをあげ国彦に飛びついた。背後から首に腕を回し羽交い絞めにする。だが、虚を突かれた国彦だったが、もともと小柄な八尋を相手にあっという間に形成逆転に成功する。
「八尋ちゃんはぁ~、お兄ちゃんの死体の前でぇ~、犯してから溺死させる予定だったんだけどぉ~」
先程とはうって変わり、今度は国彦が背後から八尋を抱きすくめるようにして動きを封じる。ニコニコ笑い顔を細い首にうずめ、次いで耳元へとその肉厚の唇を寄せる。
奴は猫なで声で妹に言った。
「仕方ないなぁ~、逆にしてあげるよっ! お前を殺してその前でハイトをブチ犯す!」
国彦はそう言って、八尋の細い首をへし折るように絞めた。八尋の体が陸に打ち上げられた魚のように痙攣しだす。
俺はタイルに落ちていた剃刀を持ち、力の入らなくなった腕をなんとか動かし、奴の首筋を狙う。首の皮一枚を切ったそれは、圧倒的に握力が足りず浅かった。生ぬるい血が飛び散り、血走った目の国彦が八尋を離してこちらに迫る。俺は、ヤツの巨体に倒される瞬間を狙い、思いっきり右の目玉に剃刀を突き立てた。
「ぎゃあああああああああああ!!!」
咆哮をあげ両手で頭を抱えるように蹲った化け物の横をすり抜け、咳き込む八尋の手を掴む。
「八尋、逃げるぞ」
「けほっ……お兄ちゃん!」
辛そうな八尋をなんとか立たせ、玄関に向かって走り出す。
鍵はかかってない。外に出さえすれば、なんとか助かるかも知れない。
「グギィ、逃がすがあ〝あ〝あ〝あ〝あ〝ーー!!!」
後ろから国彦の声がしたとたん、足に痛みが走った。ガクンっ、俺は八尋もろとも膝から前につんのめるように床に転がり落ちる。とっさに後ろを振りむき驚愕した。
そこには『廊下にあった水たまり』――それが幾つもの小さな水の玉となって、宙に浮かびあがる姿があった。それが俺たちのふくらはぎに狙いを定め、銃弾のように貫いたのだ。
「な、なんだよ。コレ……」
痛みよりなにより、あっけにとられてしまった。同じく片足から血を流す妹が、俺の腕を取り怯えている。
「お兄ちゃん、アレ!」
顔面の半分を血みどろに染め上げ、狂気に満ちた足取りで国彦がゆっくりとこちらにやってくる。
「凄いだろ~ハイト! コレは、神様からの祝福なんだよ。俺はこうして水を自在に操れるようになったんだ」
奴が両手を掲げると、空中に幾つもの水玉が集まりだし、やがてそれは二つの大きな塊となって頭上に浮かびあがる。
「はじめて死体を見たとき……。お前の姉『芹奈』を風呂に沈めたときから、この能力を俺は手にしたんだよ!」
ひゃっひゃっひゃっ、と可笑しそうに腹を抱え笑っている。
「証拠もでねエし、この能力のおかげで、いつでもどこでも殺し放題! それどころか皆子の時なんかヨ~、一番の特等席でオモシロ可笑しく、楽しく鑑賞できましたシ~」
片目を押さえ、残った左目でこちらを見る男の闇に、俺たちは身震いするしかなかった。
「ハイト~。さぁ俺と一緒に彼女の溺死鑑賞を楽しもうゼ。なあ、相棒!」
国彦は水の塊の一つをこちらに向かってはじき飛ばした。狙いは八尋だ! 俺が彼女を突き飛ばすように覆いかぶさる前に、八尋の頭を瞬く間に水の塊が覆いつくした。宇宙飛行士のヘルメットのようなその中で、八尋が苦しそうに息を吐きだし、それが小さな泡となって丸い水玉の中へと消えていく。
「止めろ!! 八尋、八尋!」
慌てて水の塊に手を突っ込み、八尋の顔から引っぺがえそうとした。しかし、水の塊はゆらゆらと八尋の頭の動きに合わせ移動して、決して外れることがなかった。
目の前で崩れ落ちていく八尋の姿をなすすべもなく見守るしかない俺に近づき、国彦は耳元でそっと囁く。
「これは、お前のせいだよ……」
「全部、お前が悪いんだ!!!」
――その言葉に、俺の頭は真っ黒に塗りつぶされた。
全然、終わりませんでした。まだまだ、つづきます><