迫りくるモノ
「ハイト、ハイト! ここを開けてくれ!!!」
玄関からチャイムが鳴ると同時にドン! ドン!! っとブチ破られそうなほどの激しさで扉が叩かれていた。
俺はアパートの部屋の中で立ち尽くしていた。何故か? ……そうだ。今、妹、八尋から電話がかかってきたのだ。俺は玄関へ行き鍵を外し扉を開ける。そこには、はたして……。
「ハイト! 大変だ! 八尋ちゃんと連絡が取れない。昨日からずっとだ……。家にも帰ってないらしい」
慌てた様子の国彦がいた。靴を脱ぐのも惜しい、という風情だ。いつも整えられた(昔から繰り返したブリーチと海水によるダメージで、若干傷んではいるが)髪が乱れ額から汗が滴る。
――八尋と連絡が取れない? でも今、たしかに電話の相手は妹だった。
もっとも八尋が危機的状況下にあることには変わりなさそうだ。クソ、……頭が痛い。そういえば今日は例の薬を飲んだ後、痛み止めを忘れていた……、のかも知れない。
俺は朦朧とする意識の中で、なんとか妹に電話をかけようとリダイヤルボタンを押していた。
――現在、電源が入っていないか……
「おい、ハイト! だから電話なら何度もかけたよ。ずっと電源が入ってないんだ。はやく探しに行こう! なにか心当たりはあるか!?」
そんなものはない。が、一度行ってみたい場所があった。
「国彦、俺さ。一回、実家に行ってみるよ」
「はあ!? 家にいないって言っているだろう!!」
国彦は乱暴に右腕を掴んできた。
「部屋になにかあるかも知れない。お前はほかの心当り……あいつの友達とか当たってくれ」
「おいっ!!」
俺は奴の腕を振り払いそれ以上を答えず、近くにあったデニムのジャケットを羽織って玄関へと向かう。
「なにか分かったら、すぐ連絡する」
そう言って、後ろを振り返らずに部屋を出た。
車に乗って三十分で実家に着いた。家の中には誰もいない。ひんやりとした冷気が辺りに立ち込めている。
俺は二階に上がって、迷わず姉『芹奈』の部屋に入る。その部屋は主がいなくなった五年間の間、なに一つ変わりなく当時のままを保っていた。
まず机に向かい、引き出しを上から順に開けていく。三番目の引き出しに手を掛け、思いっきり引いたところで、真白い一冊のノートが目に飛び込んできた。表題にはなにも書かれていない……。B5サイズのごく普通のノートのようだった。
「ずいぶんと……わざとらしいことだな」
これ見よがしに置かれたコレには、きっと全ての答えが書かれているのだろう。俺は長年知りたかったはずのモノを目の前にしても、驚くほど心が凪いでいることに気づいていた。
その中身は芹奈の日記だった。最初の日付はまだ彼女が小学生の頃。俺はノートの三分の二くらいまでを読まずに飛ばした。まとめて掴んだ紙の束の先、――そこには丁度高校生になったばかりの姉がいた。几帳面な彼女らしい、綺麗だが細かい字だった。
都内で一番の進学校に入学した彼女の将来への期待や不安、喜びまでもが綴られていた。その初々しさに瞬間、息の根が止まってしまいそうだ。
ノートの中には家族の事、学校の事、趣味の事、八尋の事……そして、俺の事が書いてある。
同じように次のページからは、学校の教師にレイプされたこと、親に相談したこと、妊娠したこと、中絶したこと……、最後に俺に拒まれたことが書いてあった。どんどん彼女が病んでいった様子が事細かに記されていて、俺はそっと悼むように目を閉じた。
すべて……書かれたことは、すべて俺も知っていることだった。
彼女が日記を記す気がなくなるまで、――随分早い段階だ――しか記されていない。
俺は空白のページになんらかのヒントがあるはずだと、慎重にページをめくり進める。そして遂に見つけた。それは鉛筆で真っ黒に塗りつぶされたページだった。黒く塗られたその上から消しゴムを使って、白く文字を浮かび上がらせている。几帳面な彼女らしくない、どこか乱雑なものだった。斜めになったり、逆さまになったり、読みずらいがなんとか意味がありそうな部分を拾い集める。
『こくし』 『せおり』 『公安』 『ハイト』 『つしま』
今、理解できるのは俺の名前と『つしま』――『対馬 国彦』の名前だけだった。それは、やはり、……やはり俺も知っていることだった。
俺は芹奈の部屋を後にし、もう一つの扉、『八尋』の部屋の前で立ちつくしていた。一瞬の躊躇のあと、ドアノブに手をかけたその時だった。
PiPiPiPi!!
無人の家に俺の携帯電話の着信が鳴り響く。
「聞こえるか? 今、海で八尋ちゃんを見つけたんだ。ずぶ濡れだけどちゃんと息はあるよ。取り合えず俺の家に連れて行くからすぐお前も来てくれよ。――――なあ、ハイト」
国彦はそう言って、こちらの返事も聞かず一方的に電話を切っていた。