死にいたる病
いちおう読み終えたけど、文字を追っただけで、内容は全然頭に入ってこなかった。
仕方ない、もう一度読むとしよう。
長期戦を覚悟して、わたしはコーヒーを沸かすことにした。普段からコーヒーは、自分でコーヒーメーカーをセッティングしているが、今はAIに頼むことにした。
「エーアイ、コーヒーよろしく」
しばらくすると、キッチンテーブルの横に設置されたクッキングマシンが作動して、コポコポお湯が沸く音がする。やがて淹れたてコーヒーのいい香りがしてきた。わたしは文字列から目を離さずに立ち上がり、こぼさないよう、ゆっくりコーヒーをマグに入れた。
二度目に読むと、わからない個所は頭が拒否して飛ばし読みするのか、すんなりわかるところだけ入ってきた。
でも、わたしが理解できたのは、『絶望』は罪であり、その罪から逃れるには神への信仰あるのみ、ってことが書かれてるらしい、ってだけ。
ただし、『絶望』の真実の意味はわからない。なぜなら、わたしたち現代人は『感情』を持たない『生きもの』なのだ。
例えば、愛する家族が亡くなっても、「寿命かな」とか「少し早いかな」くらいの気持ちしか抱けない。
パパが亡くなった時、ママはちょっと悲しそうだった気がする。ちょっとだけ。
パパとママは同い年で20歳で結婚した。すぐわたしが生まれたけど、2人のようなケースは世間並みなのだ。
パパはわたしをかわいがってくれたらしい、ほとんどわたしの記憶にはないけれど。なぜなら、パパが亡くなった時、わたしは5歳だったから。
早すぎる死ではあるけれど、20代で亡くなる人は多いし、パパの死因はこれもまた世間並み、というと不謹慎だけど、現代人の死因第1位である『アモルパティア症候群』だから仕方がない。
『アモルパティア症候群』とは、病原体が気づかないまま肉体の奥深く侵蝕し、内部からのダメージが飽和状態になったとき、わたしたち人間は死んでしまう病だ。そしてその病は、他者に愛情を感じたとき引き起こされる、という説もある。
免疫系の病気とされているが、まだ発病のきっかけ及び病気の進行スピード、治療方法など何もわかっていない。わかっていないどころか、発症のシステムすらさっぱり解明される見込みがない、まさに『死にいたる病』なのだ。