死にいたる病
だだっ広い大学の敷地内を、わたしはのんびり歩く。
キャンパス内にある大きな池をぐるりと一周してから、池のそばのベンチに腰かけた。この池は自然に出来たものらしいけど、いつ見ても水量は同じだ。まんまんと水をたたえた池は、いつからここにあったのか。人類が生まれる以前から、という研究者もいれば、せいぜい弥生時代からだ、という研究者もいる。
今日、大学に来たのは、その自然史研究者の先生の授業を受けるためだ。
わたしは再び「よっこらしょ」と言って立ち上がって、教室棟に行く。
メタセコイア林まである自然豊かなキャンパスとは対照的に、教室棟は高層ビルだ。
免震装置があるので相当な地震が来ても大丈夫そうだが、もし地震で電気が止まってしまったとしたら、こんな高層ビル、最上階からでも歩いて降りるしかない。考えると、ぞっとする。
でも、今日行われる授業は1階のホール。わたしは安心して、すり鉢状の広い講堂の最後列に座って教授が来るのを待った。
講堂はわたし以外、誰もいない。
授業を受けなくても大学は卒業出来るし、そもそも単位を取る、という行為に何の意味もないのだ。
昔は大学で学ぶことに大きな意義があったらしい。知識を得て、それを生かした仕事に就き、働いて家族と共に生きる。なんて充実した人生!
今はありとあらゆる知識は、生まれてすぐわたしたちの体内にマイクロチップで埋め込まれているから、勉強する必要もない。
科学は万能。それもひと昔前はごく一握りの科学者しか知らなかったことが、今や赤ん坊のからだにも、その研究成果が取り込まれているのだ。