死にいたる病
“ プロメテウス ” とは、早い話が飛行機。しかし形は小型バスだ。ほんの少し前までは空想上の乗物だったという。『空飛ぶ自動車』って呼ばれていて、わたしの家にもある絵本『みらいののりもの』にも描かれている。
その絵本はパパの子供のころの宝物だ。紙は茶色く変色し、糸綴じはほつれてぼろぼろになっている。そうっとさわらないと、すぐにパラパラ粉状の物体に還元してしまう紙の絵本。
ママやパパが小さかったころは、まだ紙の本があったのかな。ちゃんと聞いておけば良かった。我が家にある紙の本はそれ一冊きり。裏に『平成31年4月発行』って書いてある。一体、誰の持ち物だったのだろう。平成元年が100年近い大昔だから、おじいちゃんやおばあちゃんの持ち物でもなかったはずだ。
今朝は、プロメテウスとは違う『みらいののりもの』で道路を走りながら、ぼんやりとそんなことを考える。今、わたしが乗っているのは、『スクーター』ってレトロな名前で呼ばれているモビール。一人乗りタイプの立ち乗り自動車。
16歳になった時、ママに頼んで免許を取って、スクーターも買ってもらった。それ以来、登校時や買い物に行く時などは、これを使っている。
あのころはまだママも元気だった。スクーターに乗っていると、いつもわたしは思い出や感傷に浸る自分だけの世界に入り込んでしまう。
ママは、わたしが大学入学後すぐに、38歳で亡くなった。
ママが亡くなった時は、パパの時と違って、国家人口政策管理局から管理官の人が何人か来て、ママの持ち物をごっそり持っていった。
「ちょっと待って、勝手に何してるの?」
わたしはおろおろして言った。
「ああ、いいからいいから」
亡くなった当時のパパと同じくらいの年頃の男性が、わたしの肩を押さえてあやすように言い、わたしをリビングのソファーに座らせて微笑んだ。『何がいい』のかよくわからないまま、わたしはあやふやな微笑みを浮かべ、ママの持ち物を手際よくダンボールに詰めていく役所の人たちの動きをじっと眺めていた。