表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/17

もう一人の勇者

 テラスはあまりの衝撃に目を見開く。

 実戦形式の模擬戦であったとしても闘技場のシステムでは魔法のダメージは心的ストレスとなって相手を精神的疲弊させ、許容量を超えた時気絶し勝負が決するようになっている。

 

 しかし、目の前に横たわっているのは、確かに先ほどまで剣を交わした存在。今朝出会った親切な先輩生徒。戦いの中一切魔法を使用しようとしなかった破龍士見習い。それが今では息遣いすら感じない、真っ黒に焦げ上がった肉塊となってしまっていた。


 テラスはこの異常な事態に救いを求めようと薫と葵はと目を向けた。しかし何一つ動揺してない姿はよりテラスを困惑させる。唯一、メイド姿の女性だけはテラスに身を案じ、言葉をかけていた。


***


**



「どう思う?」


 学園長の高嶺薫は、松葉葵に尋ねた。


「どうもこうもありゃ人間技じゃないね、龍族のブレスでも最上級に該当するね」

 

 高嶺薫はため息混じりに、首を振る。


「違うわ、彼よ。大丈夫なの?」

「ああ、あいつね~」


 タバコの煙を肺いっぱいにため、吐き出す。鼻から新鮮な空気を吸い、一拍おいて話し始めた。


「まあ、ここまでの状況としては七年前と酷似してるかな? これでなにもなけりゃ、天に召されちまってるね」

「それじゃ困るわ。彼の死亡後の事務的な処理や、テラス皇女の精神的負担を少しは考えて欲しいものね」


 松葉葵は面倒くさそうに言った。


「テラス皇女を今回の特別課題に当てたのは、最終手段だったんだろ?」

「ええ、万策尽きてるわ。これで何もなければ、彼はそこまで、と言うことね」


 二人はステージ上の『一ノ瀬誠だった』ものを見つめながら、まるで世間話をするかのように会話を続けていた。まるで何事もなかったかのように。テラスの表情は陰りを見せる。周りの大人たちは誰も助けようと、治癒を施そうともしない。彼女はいてもたってもいられなくなり、焼き焦げた誠のそばへと駆け出した。




***


**


 



 目が覚めた時、誠は真っ白な空間にいた。仰向けの状態から体だけ起こしてあたりを見回す。

 どこまでもどこまでも真っ白なその場所は、何もない虚無の世界。手を伸ばしても何もつかむことができない。上も下も分からないそんな不思議な世界。

 後ろを振り向けば真っ黒な空間が広がっていた。くっきりと白い空間との境界線が永遠と伸びている。


 白と黒。


 その対極の景色を見比べる。すると黒の空間から誰かが何か叫んでいるように聞こえる。次第にその声は大きくなり、彼の耳にもはっきりと聞こえてくる。


 ーー負けるな、と。

 

 彼は立ち上がり、その「誰か」の方へまだ諦めていないことを告げるように強くうなづくと、安心したような表情を浮かべ、姿がすうっと黒の空間と同化するように消えていった。


 「行け、息子よ」


 白と黒の空間から徐々に誠の意識が遠のき、景色が霞みかけた時、朧げながらにそう聞こえた。


***


**



 意識が引っ張られるように目覚める。失われた酸素を身体中に送り込むように空気を口から取り入れた。痛みに顔を歪め歯を食いしばる。炭化した皮膚も徐々にだがポロポロ落ちていく。

 

 何かが彼を生かそうとしていたーー立ち上がれ、と。


 一呼吸。自らの体を確かめるように体を動かす。

 腕を動かし、体を起こす。膝を立てゆっくりと立ち上がる。


 駆け寄るテラスはあり得ないものを見て驚嘆するかのように目を見開いていた。


「おお、やりやがった! カトリーナ! すぐにデータを取得しろ!」


 観客席の最前列へと駆け出し、身を乗り出して若葉葵は好奇心に満ちた目で、立ち上がった誠を見つめていた。


「嘘よ! あり得ないわ!」

 

 高嶺薫は、初めて目の当たりにする現実を拒否するかのように声を荒げた。何がどうなっているのかわからない。そういった表情を浮かべる。


 地面を見つめる誠の目はうつろで、ただ佇んでいた。彼の体からーー否、彼の体の中へと青い魔力がゆらゆらと集まっていく。ゆっくりと顔を上げ、再びテラスに目をやると、再び生気が宿る。


 瞬間、その空間は脅威的な殺気に包まれる。ビシビシと伝わるその鋭い殺意はその空間にいる全てを飲み込もうとしているようだ。

 その場にいる皆が急に震えだした。それは紛れもない死への恐怖によるもの。その元凶は他かでもない、一ノ瀬誠である。その殺気は決して人からは発せられることはない何か。誠の目の前にいるテラスは、誠の殺気に耐えかねヘナヘナとその場へ力なく座り込んでしまい、両腕で震える自分の体を抱きしめた。


「な、なんですか、一体……っ」


 ひたり、ひたりとテラスの方へと向かって足音がする。テラスは音のする方を見上げると、すぐそばに全身裸の一ノ瀬誠が彼女を見下ろしていた。テラスの目は恐怖に包まれていたが、誠の裸体を見てハッと我に返った。


「勇者の……紋章?」


 誠の全身に刻まれた紋様をテラスは食い入るように見つめつぶやく。だが、その紋章はどこか不完全のものであった。


 誠は満身創痍の身体を引きづり、よろよろと拳を高く振り上げるものの、その拳は虚しくも宙を漂う。倒れるその瞬間まであきらめの悪さを証明するかのように、前のめりに倒れていった。テラスは誠を優しく抱きとめた。


「……熱い」


 テラスの炎に焼かれたからだろうか? それとも誠自身が発する熱なのかわからない。だが、テラスはその命が燃え上がるよな熱を全身で感じていた。


 誠はテラスの腕の中でぐったりとしていたままだった。そこに救護担当の二人が呼び出され、誠をテラスから引き離す。


 テラスの胸中に、何か名残惜しさがよぎった。


 そこに観客席を飛び越え駆け寄ったメイド服の女性はその場に座り込んだテラスの元へと寄り添う。


「テラス様! お怪我はございませんか?」


 テラスの身を案じるメイド服姿の女性。だが、テラスは応急処置を受ける誠から目が離せないままでいた。


「イーダ、あなたも見えましたか?」

「……ええ、まさかとは思いますが、彼も……」


 二人は、目の当たりにした一ノ瀬誠の体の全身に『勇者の紋章』が刻まれていることを確認し合った。

 

***


**




「はは! また首の皮一枚つながりやがった!」

「嬉しそうね、あなた。問題児の面倒を見るこっちの身にもなって欲しいものね」


 二人はいつの間にか観客席の一番前まで来て、ステージの二人を見つめてながら話していた。一人はこれから始まる楽しい時間を、もう一人は厄介ごとを抱えるこれからの苦労を見据えていた。


「はは、しかしよぉ……、この震えは、なんとかなんねぇのか?」

「あら、みっともないわね。怖気ずいてしまったのかしら?」

「そう言うお前だって、雷姫と呼ばれていたやつが情けねえぞ?」


 二人の身体は小刻みに震えていた。白衣の松葉葵は手すりををしっかりと掴み、かたや黒のパンツスーツ姿の薫は両腕を組み強がっているように見える。

 先ほどまでの誠が放っていた殺気はすでに感じられないものの、残響のようにその体に響いていた。


「勇者ってのは本当にバケモンだったんだろうな」

「ええそうね。なんたって龍族の頂点を打ち倒したと言われてるくらいだから」


 震えがだんだんと収まりかけた松葉葵は、手すりに張り付いた手を引き剥がす。


「ま、松葉博士~」


 どこか気の抜けたような声を出しながら、松葉葵に駆け寄る女性。茶色の髪の毛でショートカット、まな板一歩手前の胸は目を凝らさなければその膨らみを確認できない。小柄で小動物を思わせるその走り方はどこか幼げだった。


「遅いぞカトリーナ! もう終わっちまったぞ」

「はあ、はあ。す、すいません。でも、こちらもすでに終わってますよ……というか、ひどいですよ松葉さん! あんな膨大なデータ一晩で片付けろなんて!」


 肩で息をしながら、膨大なデータ処理の終了を報告する。


「はいはい、悪かった悪かった。それよりもちゃんと記録できたんだろうな」

「は、はい、もちろん戦闘データは取得済みです」

「お、やるじゃねぇか。あとでまた可愛がってやるよ」

 

 労いの言葉とニィッととした笑顔をカトリーナへ向ける。


「え、ええぇと、……はい」


 照れたように顔をうつむかせ、両手をもじもじさせている。その仕草が余計彼女の幼さを感じさせる。


「そ、それとテラス皇女の件ですけど、裏が取れました。彼女も間違いなく……」

「おっと、そこまでだぜ、カトリーナちゃん、聞いちゃいけねえ、悪い奴らがいるかもしれないんだ。おい薫!」


 耳から携帯端末を話し、通話停止のアイコンをタッチする。薫は葵に目を向けて言った。


「手配済みよ。本当にこんなことで、彼の力が目覚めるのかしら?」

「いいじゃねえか、年頃の男女だ。もっと違うことに目覚めるかもしれないぜ?」


 女性が見せてはいけないおじさんのようなにやけ顏をして、楽しそうに松葉葵は言った。胸ポケットから取り出したタバコに火をつけ、肺いっぱいにその煙を吸い込み吐き出した。


「本当、オヤジ臭いわねあなた。それとここ、禁煙よ」


***


**



 先ほどの激戦の戦いの音が止んだせいか、不気味なほどに闘技場は静けさに包まれていた。漂う静けさがテラスの心を妙にざわつかせた。


——静寂が、突如破られた。


 闘技場の天井が、突如轟音とともに崩れ落ちた。瓦礫はステージ上にいるものを容赦なく襲おうとする。迫り来る瓦礫を避けるため、メイドはテラスを抱えて飛び退く。誠はステージ上に横たわったままだった。


 差し込む光。だがすぐにステージに影を落とすものがいた。


 全身を強固な鱗で多い、鋭い牙がその口元から伸びている。開けられた天井を掴むその手には鋭い爪がしっかりと食い込んでいた。


「龍族?? なんで?? 強襲警報はならなかったぞ!!!」


 葵は突然現れた龍族に驚き慌て声をあげた。その危機的な状況に即時対応できたのは、学園長である薫のみだった。


 だが、そこにあったはずの葵とカトリーナの姿はなくなっていた。


 薫の姿もいつのまにか貴賓席内の部屋にあった。薫は跪き、そこにいる可憐な和服を着崩し、肩を露出させた少女に言った。


「女王陛下、すぐに避難を」

「うむ、そうじゃな。あとは頼んだぞ、薫よ」

「は、承知しております」


 薫がそう答えると、複数の人影が現れる。その一人が女王を抱えると、部屋から勢いよく飛び出して行った。


 薫の姿はすでにステージ上にあったが薫の目に飛び込む光景は危機的状況だった。そこには龍に追い詰められたテラスと、メイドの姿。メイドはテラスをかばうようにして龍の前に立ちはだかるが、圧倒的な不利は変わらない。龍族のタイプがなんなのか認識する時間も惜しい。薫が二人助けようと、飛び込もうとした瞬間だった。


 裸の誠ヨロヨロと二人を守るようにして歩き、龍に立ちふさがった。うつ向きそこに気力も感じられない。信じられない光景が薫の目に飛び込む、制止の言葉をかけるも誠の耳には届かなかった。さらに誠は手を龍族へとかざした。その様子を見て薫はあっけにとられていた。改めて龍族の姿をみる。赤い鱗に覆われた翼龍。中級の中でも炎のブレスを吐く凶暴な亜龍だった。


 『レッドドラゴン』


 上級破龍士でさえ、手こずる亜龍だ。そんな龍族に誠の実力では太刀打ちできるはずもない。


 巨大な龍がそのステージを歩く誠の目の前にはすでに龍族が目と鼻の先にある。どんなに急いでも間に合わない。絶望に苛まれるが、飛び込んだ光景に、薫は自らの目を疑うことしかできなかった。


「………ひれ伏せ」


 手のひらをかざした誠はそう呟いた。本人の意識はあるのかさえ、わからない。ただその呟いた時に見えた眼光は身震いを通り越していた。レッドドラゴンは先ほどまでむき出しの狂気がなりを納めていた。


「『手綱』の力?」


 誰かがそう呟いた。


 歴代勇者の中でも、数人しか発現することはなかった力。龍族をひれ伏し、従僕へと変え従わせることができる。


『手綱』


 龍をひれ伏せさせ、僕とするその異能は勇者一族のみに許された力。その力によって、レッドドラゴンは誠にこうべを垂れる。


 だが、それもつかの間。誠が意識を失い、倒れこむとレッドドラゴンはまた自らの意思で動き始めようとした。目の輝きが二転三転し、正気を取り戻した時だった。極大ないかづちを何度も打ち込まれた。レッドドラゴンはその雷撃に悲鳴をあげ、光となって消えていく。無数の光の粒子となって空へと消えていき。やがてそこにあった驚異の姿は亡き者となっていた。その肉塊からは煙が立ち込め、肉の焼ける匂いがした。だがやがて光の粒となって消えていく。


『あ〜あ、教主様に怒られちゃうよ』

 

 レッドドラゴンの開けた天井から小さな影が映し出された。その影はステージ上に降り立った。


「黒いマントに赤き龍紋を纏いしもの、あなた龍の恩寵<アドラシオン>ね」


 顔がフードに隠れてその素顔を確認することができない。だがその小柄な体躯、声色から女性であるように思われる。薫は警戒度を一気に引き上げていく。薫の体には雷をまとわせ、激しくバチバチと音を立てては、謎の人物へと威嚇の意を露わにした。


『今日は別に戦いに来たわけじゃないんだ。勇者様を確認しに来ただけさ』


 彼か彼女か、その人物はそういうとマントを翻し、その場を去ろうとした。


「待ちなさい」


 薫はその人物の正面に立ちふさがる。


『だからさ〜、戦うつもりはないんだって! 教主様にも挨拶程度にしとけって言われてるんだからって……、まあいいか』


 そう言ってフードの下に隠れていた目つきが鋭さを増したように薫は感じた。まさに一触触発という時だった。


『ニエヴラ・デル・ヴェネーネ<毒の霧>』


 魔法の詠唱とともに展開される魔法陣。そしてやがてモヤモヤとした紫色の霧がマントの人物を覆い隠す。


『ふふ、教主様にいい報告ができそうだよ、またね〜!』


 毒の霧から完全に影も消えた時、ゆっくりと霧が晴れていく。そこには黒マントの姿はない。再び沈黙が訪れるが、薫はあっけにとられていたが、すぐにはっと切り替えて指示を出した。


「一ノ瀬誠を治療室へ! すぐに!」


***


**



 破龍学園にある広大な敷地には、万が一に備えて十全な医療設備が備えられており、優秀な医療魔法を使うスタッフも常時勤務している。ドラゴンスレイヤーの卵といえど、厳しい審査を通過した生徒達は国の財産といっても過言ではない。


 破龍士になるための座学による魔法講座と実戦訓練とがあるが、その比重は後者に傾いている。実戦訓練は危険も多く、敷地内にある闘技場アリーナには魔法の力による肉体的ダメージ、外傷等を避けるため、体力、精神力、スタミナが減少するように魔力が制御されるようになっている。しかし、誠とテラスが戦った際に、その制御が『偶然にも』起動していなかった。その制御装置は常時作動していることが、指導官、在校生、入学したてのテラスにとっても『常識』であった。

 

 病棟の廊下を少し急ぐような足音が響く。炎色の髪を三つ編みで編み込み、シニヨンに結い上げ、髪どめに使っている黄色のリボンが歩くたびに揺れている。どこか焦りを含んだその瞳は、髪色よりも赤く見えるのは思いの強さだろうか。制服の左胸にある学園のエンブレムの刺繍は、押し上げられた胸部によって上向きに傾いている。背筋を正し、美しい姿勢で歩く彼女は、本日付でこの破龍学園に入学したテラス・カーマインである。


 501号室。


 一ノ瀬誠が運ばれた病室の部屋番号を受付で確認したテラスは、はやる気持ちを抑えて病室へ向かっていた。テラスは病室へと向かいながら、アリーナでの出来事を思い返していた。

 魔法制御が作動しなかったことは事故であることは否定できない。そして、怪我を負わせてしまったこと事実であり、謝罪したい気持ちでいっぱいだった。しかし、罪悪感を感じながらも、テラスにはどうしても聞いておかなければならないことがあった。今すぐにでも聞きたい――その思いは彼女の足どりはだんだんと早めていた。


 模擬戦の『勇者の紋章』。


 あれは誰もが知る『勇者の末裔』を証明するものだ。しかし、テラスの頭の中にはある疑問が湧いていた。過去歴代の勇者でも、あそこまで色濃く刻まれ、なおかつ魔法を発動していないにもかかわらずーー否、魔力は発動していたが、勇者の紋章が浮かび上がっているのは前代未聞であった。


 それに、だ。突如現れた亜龍、そして『龍の恩寵<アドラシオン>』。誠が見せた『手綱』の力、のようなもの。それ自体が既に一ノ瀬誠という人物を、かの英雄と証明してしまっていた。だが、それは歴史の事実と矛盾する。勇者一族はその血族からのみしか生まれない。だとすれば………


「まさか、勇者の妾の子……?」


 そんなことはない、と首を左右に振る。

 

「ここですね」


 ――501 号室 一ノ瀬 誠


 テラスは目的地である病室へとたどり着く。いざ、病室の前に立つと妙な緊張感が沸き立ち、ノックするのをためらわれる。しかし、気を取り直し、扉をノックした。


 「どうぞ」


 中からは品のある女性の声がした。「失礼します」と言って、病室のドアをスライドさせると薬品の匂いに混じり、タバコの匂いがした。声の主であろう、長い絹糸のような金髪を結い上げたパンツスーツ姿の女性と、病室にもかかわらずタバコをふかす白衣姿の女性が窓際に足を組んで座っていた。彼女なりのマナーなのか、一応は窓を開け、煙は外に向かって吐き出していた。

 件の一ノ瀬誠であろう人影はカーテンによって仕切られ、その姿を確認できない。しかし、差し込む光でベッドに横たわる一ノ瀬誠であろう影が見える。一定のリズムを刻む電子音が病室内に鳴り響いていた。


「おや? 噂をすればカーマイン皇女殿下じゃねえか」

「あなた、皇女殿下にその口の聞き方はないでしょ?」


 間髪入れず言葉遣いを注意するスーツ姿の女性に、スマンスマンと片手を立て、タバコを咥えながらニカっと笑う。どこか憎めないような仕草だった。


「皇女殿下申し訳ありません。無礼をお許しください」


 金髪のパンツスーツの女性は姿勢を正し、深々とお辞儀をして謝罪をした。それに続くように、白衣の女性も頭をさげるが、胸元がだらしなく開いた服からはその豊かな膨らみがこぼれ落ちそうだった。


「いえそんな、無礼などとは思っていません。顔をあげてください」

 

 テラスは両手を胸の前で振り、全く気にしていないことを告げると、二人は顔をあげる。パンツスーツ姿の高嶺薫はテラスを入り口から病室の奥へと手招きして言った。


「皇女殿下、先ほどのアリーナでの戦い、拝見させていただきました。紅蓮華ニルヴァーナの通名通り、素晴らしいた戦いでした」

「いえ、まだまだです。人類を守るためにも、もっと強くならなければなりません。それと、理事長先生。以前も申し上げましたが、皇女殿下はおやめください。私も先生の下、学ばせていただくわけですから一生徒として接してください。」

 

 それでは、と一度咳払いをしてからテラスへと薫は向き直った。


「テラスもお見舞いに?」

「はい、怪我をさせてしまったのは事実なので、謝罪に参ったのですが……」


 テラスはベッドで静かに寝息を立てている彼のそばへと向かった。弱々しい息遣いは今にも呼吸が止まってしまうのではないかと錯覚させられる。しかし、彼の寝顔はどこか幼げで、安心しきった子供のようだった。彼に謝罪と、紋章の真意を確かめたかった。しかし、彼が寝ていては何もできない。そこでテラスは予てからからの疑問を率直に尋ねた。


「理事長先生。なぜ、制御装置が発動しなかったのですか?」


 テラスは闘技場アリーナでの二人の様子を覚えていた。魔法をその生身で受け、重度の火傷を負っているのにもかかわらずーーすでに完治はしているがーーひとりの生徒を見殺しにするような行動が理解できなかった。この二人は何かを知っている。そう思わさざる得ない姿だったのだから。


「制御装置の動力を落としたのは私だよ。カーマイン」


 何も悪気がないように言う白衣の女性の言葉に、テラスは苛立ちを覚えた。勢いよく顔を振り向かせ声を抑えながらも、発する言葉には怒気が込められていた。


「な、なぜそのようなことを! 制御装置なしでは身体的ダメージを負ってしまうのはご存知のはずです! 装置の常時作動は義務づけられているのに!」


 テラスは詰め寄る。ベッドの反対側に座る白衣姿の松葉葵は困ったように眉にしわを寄せ言った。


「そいつぁ~、なあ? 言っていいのか?」


 助け舟を求めて高嶺薫に尋ねた。やれやれと首を左右に振り、薫は言った。


「テラス、あなたも見たでしょう? 彼の身体中にある紋様を」

「……はい、しかし制御装置の動力を落とすことに何の関係が」


 少しばかりトゲなある言い方でいうテラス。何か特別な理由でもあるのだろうかと思うが、テラスの憤りは収まっていない。


「彼は『勇者』、と言われているわ。いえ、今日それが証明されたということかしら。全身に刻まれた紋様。そして彼がもつ無限に近い魔力、力の顕現。目の前にいたあなたは一番わかっているはずよ」


 そうだ、今朝初めて出会った時も、アリーナで対峙した時も感じていたのだ。一ノ瀬誠が持つ膨大な魔力を。100年にひとりの逸材と言われるテラスでさえ、その魔力を前にしては太刀打ちできないような量の魔力を一ノ瀬誠から感じていた。


「勇者……」


 その自ら発する言葉に心が揺れる。おとぎ話でしか聞いたことがない伝説的英雄の末裔であろう少年が今、目の前にいるのだから。テラスは寝息を立てる彼の顔を再び見やる。ふと、心の中に浮かんだ疑問をぶつける。


「なぜ私が彼と戦うことになったのでしょうか」


 テラスの質問に薫は答えた。


「彼は一切魔法が使えないわ」

「は?」

 

 高嶺薫の言葉が理解できず、間の抜けた声がこぼれた。いや、それはあり得ないーーという表情を向け、無言で次の言葉を待った。


「『魔力行使不能症』という言葉をご存知かしら?」

「いえ」


 テラスは首を左右に振り、薫が言う言葉に耳を傾けた。


「多かれ少なかれ人は誰しも魔力を備えているわ。そしてそれを生活や、戦闘に用いることができる。しかし一ノ瀬誠はそれができないの。この症例は過去例を見ない極めて稀な症状よ。初の発症者は他でもない、彼、一ノ瀬誠なのだから」

「そ、そんなことが起こりうるのですか?」

「目の前にいるわけなんだよ、カーマイン」


 松葉葵が戸惑うテラスに言う。その言葉にテラスの疑問はさらに深まっていく。


「だったら尚更です。なぜ私と戦わせるようなことをされたのですか? 特別講習の相手は彼でなくても良かったはずです」


 テラスの疑問はもっともだ。まだ戦線に赴いてはいないものの、潜在魔力、魔力制御、行使魔法、身体能力。その他様々な面において、平均値を大幅に上回る彼女は、ドラゴンスレイヤーになる前からランクAという称号を与えられている。そんな彼女に、魔法もろくに使えない「役立たず」を戦わせるのはあり得ないことだった。憤りがさらに増していくテラスを見かねて、葵がその理由を告げた。


「特別講習ってのは建前であって、理由があるんだよ。目には目を、歯には歯をってね。あれ、間違ってるか?」


 さぁ? ーーというように高嶺薫は両手を上にむけ、肩をすくませた。松葉葵は「まぁ、いっか」と続ける。


「『勇者の紋章』がある、膨大な魔力を有する。だけどこいつは魔法が使えない。みんなこいつのこと『ニセモノ』なんじゃねのかと疑い始めた。はたして本当に『勇者』なのか、証明する必要があったのさ」


 テラスは松葉葵の言葉に体を向けなおし、耳を傾けた。


「えげつねぇ実験もやったりしたよ。ま、俺がずっと面倒見てやったんだけどよ」

「実験……」


 テラスは実験という言葉を聞き、体を震わせた。


「いや~あれはひどかったな。さすがの私もビビっちまったよ。なんせ10歳になったばかりのガキを龍族の群れに放り込むんだからよ」

「な、なんて非情なことを! それはあまりにも非人道的な……」


 テラスは突然言葉を詰まらせた。松葉葵の鬼気迫る眼光の鋭さに思わずたじろいだ。そして、松葉葵はゆっくりと口を開く。


「……甘えてんじゃねぇよ。人類の存亡がかかってるんだ。それだけ人間様は切羽詰まってんだ」


 葵の眼光は、ランクAのテラスに言葉を詰まらせるほどの鋭さを放っていた。彼女の進める研究はどれも人類の存亡をかけたものである。その双肩にのし掛かる責任がどれほどのものかを、テラスはその目から感じ取ることができた。


「葵」


 重苦しい空気を察して、高嶺薫は葵の感情の高ぶりを指摘するかのように彼女の名前を呼ぶ。松葉葵は先ほどまでの様子が嘘のように、あっけらかんとした口調で言った。


「ま、その実験でこいつ、魔力を『暴走』させちまったんだけどさ。だがな、それ以降まったく進展なし。今回の結果次第で見切りをつけるって話だったのさ」


 テラスは話の結論が見えていない様子で、首を傾ける。


「そこで、カーマイン。オメェの出番ってことだ」

「私、ですか?」


 テラスは自分をひとさし指でさす。


「言ったろ? 目には目を、歯には歯を。『勇者には勇者を』だ」

 

 松葉は続ける。


「『17年前の事件』に人類がビビっちまったのは言うまでもねぇ。人類の『とっておき』をすべて失ってしまったんだからな。ところが、その生き残りがいるっていうじゃねぇか」


 テラスはその言葉に眉をピクリと動かした。テラスは静かに耳を傾け、二人から見えないように握りこぶしを作る。


「そしたらびっくり、この学園にあろうことか留学するということが決まったそうだ」

「何の話をされているのでしょうか?」


 開け放った窓からテラスの方へ風が吸い寄せられていく。ピリピリとした空気がテラスの周りから発せられていた。葵に続き、薫が話を続けた。


「私たちは簡単な仮説を立てたわ。その仮説を元に得た結果は、予想通りの結果を得ることができたの」


 含みのある言い方をしたのち、ひと呼吸おいて薫は証明の解をテラスへと告げた。


「カーマイン皇国第三皇女テラス・カーマイン。改め、テラス・グローリ・アルヴィン」


 刹那、テラスの右拳は炎を纏い、薫の顔面へと振りかざされた。しかし、その拳は薫に届くことはなかった。薫はいつのまにか元いた場所からさらに後ろ側に移動をーーいや瞬間的に姿をけしていた。彼女がいた場所にはバチバチと音を立て放電現象が発生していた。テラスが行使した炎によって、熱風が部屋全体へと広がり、葵は不満そうな顔をした。


「どうしてその名をしっているのです!」


 テラスの目には焦りと不安とが入り混じり、それでも自分の秘密を知っているのであろう二人を見据える。


「落ち着けよ。この学園にいる間は、身の安全は保証する。誰にも殺させやしないよ『勇者様』」

「その言葉はどう信じろというのです?」


 テラスの体からは燐光がほとばしり、魔力のオーラが彼女のもつ強大な力を示していた。病室内を埋めつくさんとするオーラは、室内の温度はどんどんと上昇させていく。葵は暑そうにだらけた服で風を送っていた。


「身元の安全を守ることは、倭国女王のからの指令です。あなたはただいまを持って、国賓以上のVIPとして対応させていただくわ」


 そう言って、薫は胸ポケットから魔石でできた携帯端末を取り出し、倭国女王の玉印が押印された指令書を表示させる。テラスは警戒しつつ、疑心のこもった瞳でその浮かび上がる文字を見つめる。どこにもおかしなところは見つけられなかったのか、納得するように頷いた。テラスの体から放出された魔力は小さな粒となって次第に消えていった。


「どこまで私のことをご存知なのですか?」


 テラスの表情は次第に穏やかさを取り戻していく。


「『17年前の事件』と何か共通して、何者かに狙われているということだけ。その何者かについては知らないけれど、安心してくれていいわ。『勇者』は人類の希望。失うようなことはあってはならないわ。そして、あなたが勇者であるという秘密も守るつもりよ。ただ……」

「ただ?」


 テラスは薫の言葉に耳を傾ける。


「あなたに一つだけ協力してほしいことがあるの。いえこれは倭国女王のお望みでもあるわ」


 交換条件であろうことは容易に推測できる。しかし、どんな事情であるにせよ、倭国から身の安全を保障を約束され、女王陛下の望みを叶えないということはない。断ればそれは人として、また一国の姫とし恥ずべき行為である。


「何でしょう? 女王陛下ご自身からのお望みということであるならばお断りすることはできません」


 薫はテラスの快い承諾を確認し、その内容を告げた。


「テラス、あなたに一ノ瀬誠の『勇者の力』の顕現を手助けをしてもらいたいの」

 

 テラスはその言葉を一考し、頷き答えた。


「構いません、しかし彼は力を使えていると思うのですが……」


 テラスはアリーナで戦闘で、彼の力を目の当たりにしていた。今の彼には手助けが必要とは感じていなかった。もっと別なこと、魔力の使い方を教えるとかそう言ったことなのだろうかとテラスは手を顎に当てて頭をひねる。


「今まで何をやっても力が顕現しなかった。けれど、勇者であるあなたを前にした時、その力を行使出来た。私たちにとっても人類にとっても、彼の魔力を龍族撃退に使わない手はない。一ノ瀬誠の持つ『勇者の力』の顕現のために、私たちはできることは全てやったわ。ただもう万策尽きたようなものね。最後の切り札はテラス、あなただけだと思ってるわ。『勇者であるあなたがきっかけとなって、徐々に彼の力が解放されていく』のではないかと思っているの」


 薫のいうことは何の根拠もないもののように感じた。それでも一ノ瀬誠の持つ莫大な魔力、勇者の力を役立てたいのは誰しも思うことだ。テラスは人類の存亡を賭けた戦いに、戦闘以外でも役立てることが嬉しく思えた。


「はい、そういうことでしたらお任せください」

「お、こりゃ楽しみだな!」


 今まで静かにしていた葵が、何か企んでいるようなにやけ方をしていた。そのニヤケ顔は誰にも見られないようにこっそりとしたものであった。


 開け放たれていた窓からは春の心地よい風が吹き込み、先ほどまでの緊張感と極度に暖められた空気をさらっていく。倭国からの身の安全の保障とこれから始まる新しい生活への期待感に少しだけ心が軽くなった気がしていた。

 テラスは気持ち良さそうに眠る誠の側へ近寄る。彼の息づかいははじめ見たときより持ち直しているようだ。


「謝罪はまた今度ですね」

 

 テラスは眠る誠にそう告げる。

 勇者の力の顕現。それは簡単ではないことかもしれない。だが、倭国女王きっての望み、そして一ノ瀬誠へ協力することが、すこしでも彼への贖罪になればと思うとすこしだけ気が楽になった。

 テラスはどこ満足した様子で、二人に「失礼します」と言って病室を後にした。テラスが病室から出て行き扉が閉まる。残された二人はテラスの足音がだんだんと聞こえなくなったのを皮切りに話を始めた。

 

「なぁ」

「ええ」


 二人はお互いが何を言いたいのかわかっているかのように頷きあう。彼女たちが立てた仮説は一つや二つではなかった。そしてその全てをテラスには伝えてはいなかった。しかし、その立てた仮説により得られた結果は、さらなる疑問を残した。


「果たして本物なのかしら?」


 二人の持つ疑問を代弁する薫。


「歴史を見ても勇者はその家系からしか生まれない、それはもう既に歴史が証明してきた揺るがねぇ事実。じゃあ目の前のこいつはなんなのか? 勇者の紋章、膨大な魔力。初代勇者の妾の子の子孫か? なんせこいつの出生には謎が多すぎる。唯一の手がかかりの『義妹』ちゃんがあんなんじゃ、全く分かんねぇよ」


 未だに目を覚まさない一ノ瀬誠を一瞥し、胸ポケットからタバコを取り出し、マッチで火をつける。マッチを好んで使うのは彼女のこだわりなのだろう。窓から火の消えたマッチ棒を放り投げ、タバコの煙を吸い込む。その煙を肺に充満させて一気に吐き出した。


「ディオサ教の高官が、やたら学園に顔を出し始めたことも何か理由があるのかしら?」

「さあな。俺の知ったこっちゃじゃねえがディオサの連中だけじゃなく、《龍の恩寵アドラシオン》が直接ちょっかいだしてきたからな。何かが動き始めてるのは間違いないだろうよ」

「ええ。それに気になるのは、あの素性のわからない奴が言った言葉は一体どちらを指していたのかしら?」

「わたしらにも知らされていないこともあるかもしれないな」


 タバコをくわえながら思案する葵。タバコの煙を味わうように目をつぶる。


「しかし、一ノ瀬が見せたあれは、『手綱』の力だよな?」

「ええ、ほんの一瞬。亜龍が一ノ瀬を前にひれ伏していたのは間違いないわ。ただ断定できるほどのものではないのではないかしら」


 薫は誠の今までのデータを根拠に懐疑的な姿勢を崩してはいない。たまたま、レッドドラゴンがそう振る舞っただけの可能性がある。彼の過去のデータから断言することはできないようだった。



「ああ、映像記録はしっかりととってある。カトリーナが映像を解析中だ」

「……あなたの仕事しているところ、ここ最近見ていないのだけれど」


 葵はニカッとした表情を浮かべ事の真相を誤魔化すと、薫はハァ〜とため息をつき頭を抱えた。いたずらっ子な表情を浮かべた後、何を思い出しのか葵は尋ねた。


「そういや例の件、ちゃんと手配できてんだろうな?」

「ええ、もちろんよ。一ノ瀬が他の何かに目覚めなければいいけれど」

「はは、それはそれで楽しみだな」


 何かの面白いものを見つけた子供のように葵は笑い出した。これから待つ二人の学園生活はきっと面白いものになるだろうと。


「葵、先ほどから気になっていたことがあるのだけど」

「おう、なんだよ」

「ここ、禁煙よ」


 葵は少し顔を不機嫌そうにした後、口からタバコをペッと窓の外へと吐き出した。

ブクマ感想おまちしております!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ