二人のプログラマ(2)
――あらすじ――
万物を創造するプログラミング。
プログラマであるエマは妹のルナを連れデュアルテーマパークを訪れていた。その目的は、自身の仕事を横取りした『黒の匣』のプログラマ、ジャコ・ベルモンドに嫌がらせをすることだった。
しかし、ジャコのプログラムした人形が突如暴走し、人々を襲い始めた。
エマはプログラミングの能力で、暴走した人形の破壊を始める。
「ユーリ!
やるわよ!」
エマが右手を前方に掲げる。
肩に乗った黒猫――ユーリが「みゃあ」と一声鳴いて、エマの右腕にぴょんと跳び乗った。
そして身体を震わせた次の瞬間――
ユーリの身体から大量の黒い霧が噴き出した。
エマはその霧に、思念によるコードを手早く書き込む。
幼少より叩き込まれた一連の手順。
手慣れた感覚が紡ぐ、世界を生み出す高揚。
万物を創りだす絶対感。
エマのプログラミングに従い、黒い霧が収束、火花を散らしてその形を成してゆく。
宙に生み出されるのは、実用性に乏しい、装飾に凝った一振りの剣。
その剣はエマの書き込んだコードに従い、彼女の前方に向かって飛翔した。
その先には、ドラムスティックを振り回す、赤い眼をした人形。
その人形の腹部に、飛翔した剣が深々と突き刺さる。
人形はびくんと一度痙攣すると、ぴたりと動きを止め、そのままひび割れて砕け散った。
「よしっと……」
再び肩に戻ったユーリを指先で撫でてやりながら、エマは周囲をぐるりと見回した。
暴走した人形は残り十八体。
悠長に人形を一体一体破壊していては、被害は拡大するばかりだ。
しかし、エマにはある確信があった。
(あたしの予想が当たっているなら……そろそろ状況に変化があるはず)
その時、暴れ回っている人形たちが、その赤く光らせた目を一斉にエマに向けてきた。
障害となる要因の強制排除。
そのプログラムが人形には書き込まれており、仲間を破壊したエマを優先的に攻撃しようとしているのだ。
(やっぱり……これは最近になって頻発しているハッキングの手口と同じ)
暗黒物質に書き込まれたコードを改竄し、プログラムを狂わせるハッキング。
人形たちが暴走した原因は、悪意ある何者かによってそのシステムを掌握され、操られたためだ。
(どこの誰が仕組んだことかは知らないけど、つまんないことしてくれるわね)
もっとも、暴走した人形たちが、自分だけを狙ってくるのであれば、これ以上被害が拡大することがなく好都合だ。
目を赤く光らせながらにじり寄ってくる人形。
それを厳しく見据えながら、エマは背後で呆けて立っているジャコに言う。
「ちょっと、あんた邪魔だからさっさとどいてくれない。
そこの倒れてる子供抱えてさ」
「え……あ……しかしどこに……」
「広場の中心に噴水があるでしょ。
ほら、あそこにルナもいるから、妹と一緒に丸まってなさい。
もし人形たちが襲ってきたら、身を呈してでも妹を守りなさいよ。
かすり傷一つでも負わしたら、あんた殺すからね」
エマの暴言に、ジャコは流石に余裕がないのか、一切の反論をしなかった。
素直に少年を抱え上げ、噴水のほうに駆けていく。
そしてエマの横を通り過ぎる時、彼は僅かに走る速度を緩め、彼女に問い掛けてきた。
「……君のプログラミングの技術は……普通じゃない。
一体……君は何者なんだ」
その問いに、エマは一言で応える。
「プログラマよ」
エマに一番近いところにいた人形が、赤い目を強く輝かせ、襲い掛かってくる。
すぐさまエマから離れるジャコ。
エマはそれを確認すると、腰を落として呼吸を整える。
「ユーリ。
動き回るけど、あたしから落っこちないようにね」
「にあ―」
ユーリが鳴くと同時に、人形が持つ楽器――トランペット――が、エマに振り下ろされる。
エマは半歩身体を引いてそれを躱すと、即座に人形の腹部に掌を当てる。
プログラミングにより掌に剣を生み出し、人形の腹部を破壊。
人形が粉々に砕け消失する。
続けざまに三体の人形が楽器――アコーディオン――を振り回して襲い掛かってくる。
エマはその攻撃を最小限の動きで躱しながら、三体の人形が一列に並ぶよう誘導する。
身体をコマのように回転させて、それと同時に生成したバットを、人形の頭部めがけて力一杯に叩きつける。
三体の人形の頭部が玉突きの要領ではじけ飛び、パリンと砕け散る。
さらに襲い掛かってくる二体の人形。
エマは腰を落とし跳躍。
二体の人形の頭上を飛び越えつつ、先が鋭く尖った鉄棒を創り、それを人形の頭頂部に突き立てる。
身体を捻じりながら着地すると、間髪いれずに、新しく二体の人形が襲い掛かってきた。
彼女は着地して低くなった態勢から、脚を伸ばして人形の足を払う。
無様に転がった二体の人形を、空中で創りだした巨大なハンマーで押し潰す。
(あと十体……)
始末した人形が四散するのを横目に見ながら、彼女は接近してくる人形に意識を集中する。
すると、前方に見える人形の数が七体しかいないことに気付く。
咄嗟に身を屈めつつ、宙に円形の盾を五つ生成する。
ガキンっと、宙に浮かぶ盾が、背後にいた三体の人形の楽器を受け止める。
エマは即座に生成した長剣を両手に持ち、身体を捻じって背後にいる三体の人形をなぎ払った。
胴体を真っ二つにされた人形が、音を立てて砕け散る。
エマは残り七体の人形から一歩距離を取り、その姿を視界に収める。
扇状に並んで接近する人形たち。
エマは舌打ちを一つして、肩で身体を丸めている黒猫に声を掛ける。
「面倒だから一気にかたすわよ!
ユーリ!」
「みあー」
ユーリの身体から、今までにない量の黒い霧が噴出する。
エマは両掌を地面に当てると、意識を集中させて、思念によるコードを黒い霧に書き込む。
彼女の掌から前方の人形に向かって、黒い霧が地面に染みいくように広がっていく。
そして、その黒い染みから何十本もの鋭い棘が突き出し、七体の人形を串刺しにした。
人形がバラバラに砕け、霧散して宙に消えていく。
それと僅かな時間差をもって、地面から突き出した棘も自壊し、消失する。
エマは「ふう」と息を吐いて立ち上がると、ユーリの喉を指で撫でながら、ぐるりを首を回して周囲を見回した。
どうやら、暴走していた人形たちは全て鎮圧できたようだ。
その他の人形たちは行進曲を奏でながら、すでにこの広場から立ち去っている。
逃げ遅れたのか、広場の隅にはこちらを遠巻きに眺めている入場客やスタッフがまだ少なからずいたが、一見した限り、大きな怪我をした者はいないようだった。
エマはそれを確認すると、ぐっと背中を反って深呼吸をした。
「さすがに……ちと疲れたわね」
「にゃおう」
エマの言葉に、同意するように鳴くユーリ。
激しく動き回りながら、高度なプログラミングを行うのは、体力と精神力を大きく消耗する。
もしも暴走した人形が今の倍ほどもいたら、全て始末するのは難しかったかも知れない。
もっとも、すでに広場を立ち去った人形たちから、新たに暴走する人形が出ないとも限らないのだが――
(それは別にほっといていいか。
逃げ出せるだけの時間は稼いでやったんだし)
エマは無責任に――そもそも彼女が責任を負う必要もないのだが――そう思うと、広場の中心にある噴水に視線をやる。
そこには、こちらに向かって手を振っているルナと、エマの助言通り(?)、身体をアルマジロのように丸くしているジャコがいた。
疲労からふらふらと噴水に近づくエマ。
そんな彼女に、ルナが小走りになって駆け寄り、頬を紅潮させて笑った。
「お疲れ、エマ」
「本当に疲れたわ。
ルナ、あんたも少しは戦えるようになったら?」
「ぼくは無理だよ。
エマのように運動神経良くないもん。
だから先生だってエマにだけ格闘技を教えてるんでしょ?」
笑顔から一転、申し訳なさそうに顔を暗くするルナ。
エマは肩をすくめ「まあ、適材適所ってことで良いか」と笑うと、ルナの頭をぽんぽんと叩いてやる。
そして、きょとんと目を丸くするルナを横切って、噴水の傍で背中を丸めているジャコに近づく。
エマは左右に視線を振ると、首を傾げた。
「さっき人形に襲われていた子供は?」
「それなら、その子供の両親が現れたから、一緒に避難してもらったよ。
人形は途中から君一人を狙っていたようだから、この広場に残っているより安全だと思って」
「勝手なこと言ってくれるわね」
エマは目を細めて、ジャコを睨みつける。
もっとも、その彼の判断自体は誤りではないため、強く責めるようなことはしなかった。
せめてもの非難として軽く嘆息すると、エマは手首をプラプラさせながら言う。
「何にせよ、事後処理はあんたにまかせて、あたしはもう帰るわよ。
鬱憤が晴れたとは言い難いけど、言いたいことは言ったしね」
と、ここでエマは、ジャコの顔がひどく蒼白になっていることに気が付いた。
怪訝に眉根を寄せる彼女に、ジャコは小さく震える声で言う。
「多分……まだ終わっていない」
「ん?」
「行進の最後には、あれがいたはずなんだ。
それが姿を現していないということは、あまり考えたくはないけど……」
ズシン!
ズシン!
エマの背後から、大きな地響きが聞こえてくる。
彼女が背後を振り返ると、そこには周囲の建物ほどの高さもある影が、悠然とそびえ立っていた。
大きな丸い耳に尖った鼻、デュアルテーマパークのマスコット、ロッシーを模した巨大な人形だ。
あんぐりと口を開けたまま、エマが声を失う。
巨大ロッシーはゆっくりと右腕を振り上げると、その岩のような拳をエマたちに振り下ろしてくる。
その挙動自体は緩慢の為、慌てながらもロッシーの拳を飛び退いて躱すエマ。
ロッシーの拳が地面に叩きつけられ、舗装された赤レンガを粉々に打ち砕いた。
身体を転がしながら、エマは素早く態勢を立て直し、ルナとジャコ安否を気遣う。
エマとは拳を挟んだ反対側で、目を回して倒れているルナと、噴水に頭から突っ込んでブクブクとあぶくを立てているジャコ。
とりあえず、二人に大きな怪我がないことを確認すると、エマは巨大ロッシーに右手を突き付け叫んだ。
「この……危ないでしょうが!」
ユーリから噴き出した黒い霧が、エマの右掌で収束し、四本の剣となってロッシーへと飛翔した。
腕を振り下ろした姿勢のまま硬直しているロッシー。
その無防備な胴体に、四本の剣が突き刺さる。
が――
パキンと軽い音を立てて、四本の剣が砕けてしまう。
「な……なによ、あの硬さ」
驚愕に目を見開くエマ。
すると彼女の背後に、ずぶ濡れになったジャコが現れる。
彼は申し訳なさそうに――だがどこかしら誇らしげに――言う。
「あれだけ巨大な人形を二本の脚で支えるためには、軽量かつ高い硬度を持った素材が必要でね。
『黒の匣』に掛けあって、まだ研究段階の合金プログラムを適用してみたんだ。
耐久試験の実績が少ないから正確には分からないが、ただ刃物を叩きつけるだけじゃ傷一つ付かないよ」
「はあ!?」
エマは背後を振り返り、ジャコの胸倉を掴み上げた。
「三流のくせに、なに頑張ったプログラミングをしてんのよ!
面倒くさいじゃない!」
「だ……だから、初めに言ったように、このアトラクションは私の自信作で、その根拠がこの巨大ロッシーくんの合金プログラムにある――って、後ろ!
後ろ見て!」
ジャコが慌てた様子で、エマの背後を指差して叫ぶ。
エマはジャコの胸倉から手を離し、彼を押し倒して自分はパッと横に跳び退く。
それとほぼ同時に、先程までエマがいた場所に、ロッシーの巨大な両拳が叩きつけられた。
エマは舞い上がる粉塵を手で振り払いながら、ロッシーの拳の傍で、尻餅を付いて青くなっているジャコに、怒鳴るように問い掛ける。
「その合金とやらの特徴は!?
なんか欠点みたいなのはないの!?」
「け……欠点と言われても、さっきも言ったように、まだ研究段階のプログラムで……」
「なんで自分でも分かんないようなプログラムに手を出しちゃうの!?
仮にもプログラマを名乗るなら、自分が組むプログラムの性質ぐらい完璧に理解してなさいよ!」
ジャコがぐっと押し黙る。
痛いところを突かれたのだろう。
だが今、彼にしてほしいことは反省ではなく、この事態を打破する情報の提示だ。
ロッシーが地面に叩きつけた両拳を、ゆっくりと持ち上げる。
人形の一挙一足に注意を払うエマ。
そんな彼女に、ジャコが自信なさげに言う。
「確か……この合金プログラムを提供してくれた人の説明によると、この合金の性質はダイヤモンドのそれに近いらしい」
「だから何!?」
「つまり、硬度は高いけど靱性が低い……割れやすいってことなんだ。
だからと言って、並みの衝撃にはびくともしないけど、ハンマーでダイヤモンドが割れるように、それに見合うだけの衝撃を与えれば或いは……」
「ぶっ壊せる!」
ならば、やりようなど幾らでもある。
エマは緩慢に動くロッシーを見据えながら、まだ尻餅を付いているジャコに、鋭く指示を出す。
「あんた!
目の前に落ちているレンガの破片!
それをあいつに投げつけて」
「え?
どうして……そんなことしても傷一つ付けられないぞ」
「いいから言う通りにして!
早く!」
ジャコは不可解に眉根を寄せながらも、エマの言葉通りレンガの破片を拾うと、それを巨大ロッシーに向かって投げつけた。
ロッシーの足首にレンガが当たり、カンッとはじかれる。
ロッシーの赤い瞳が強く輝き、エマからジャコへとその視線が切り替わる。
「へ?」
ジャコが呆けた声を出す。
ロッシーがジャコに向かって拳を振り下ろしてきた。
「ぎゃあああああああああ!」
自身に振り下ろされる岩のような拳を、四つん這いになってカサカサと――ゴキブリのような動きで――躱すジャコ。
エマはその光景に、グッと強く拳を握りしめた。
「よし!
予想通り、攻撃対象があたしから三流に切り替わったわ!」
「冗談だろ!?
おい!」
「いいから、ここからちょっと離れたところで、逃げ回ってなさい!
そいつ、大して素早くないから楽勝でしょ!」
「馬鹿言うな!
私は天才的なプログラマだが、スポーツとか全然駄目……どわあああああああああああああああ!」
蹴り上げられた巨大ロッシーの足を、ジャコが紙一重で躱す。
その不細工な動きから、彼の運動が苦手だという発言が真実――まあこの場面で嘘を吐く意味などないが――であるということを、エマは静かに理解した。
潰されまいとするダニのように跳ね回るジャコをしばらく眺めた後、エマはルナの下に駆け寄る。
地面に仰向けで倒れ、目を回している妹を、肩を揺さぶって起こす。
「ちょっと起きなさいよルナ!」
「ん……んん」
エマの声に、ルナが目を開ける。
彼女はゆっくりと上体を起こすと、「いたたた」と、自分の頭を両手で撫でた。
たんこぶの一つぐらいは、できたのかも知れない。
頭から両手を下ろし、ルナがきょろきょろと視線を巡らす。
そして、巨大ロッシーに追われるジャコを見つけると、彼女はその丸い瞳をパチパチと瞬かせ、エマに問い掛ける。
「どうして、ロッシーくんが動き回っているの?」
「まあ、そのロッシーくんとやらが、さっきの人形たちと同様に暴走してるみたいね」
「ジャコさんに殴り掛かってるのは?」
「あいつが遊び半分でロッシーくんにレンガを投げつけてね。
それでロッシーくんの攻撃対象があいつに移っちゃったのよ」
「ええ?
ジャコさん、なんでそんな馬鹿なことしたの?」
「さあ?
ストレスじゃないかしら」
ルナの問いに適当に答えつつ、エマは彼女を立ち上がらせる。
ルナは汚れたローブを手ではたきながら、首を傾げてエマに訊く。
「それで、どうするの?
エマのことだからジャコさんを見捨てて帰る?」
「あたしのことだから……ってところが気になるけど、まあいいか。
そうしたいのは山々だけど、乗り掛かった船だし、今回は助けてやろうかなって思ってるわ。
それでね……」
エマがルナに笑い掛ける。
「ルナにも手伝ってもらいたいの」
息が荒い。
極度の緊張と疲労で、視界が霞んでくる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
ジャコは、巨大ロッシーくんの暴行を必死に躱しながら考える。
今日は自身の転機となる日だ。
天才プログラマの自分のデビュー作にして出世作。
まだプログラミングがそれほど普及していないこの田舎街で、プログラマの有能性と必要性を知らしめ、新たな市場を開拓する。
その働きが『黒の匣』に評価され、一気に出世街道を駆けあがる。
そうなるはずだった。
だが、それは失敗に終わった。
しかも考え得る最悪の形で――だ。
ジャコが創り上げたプログラムは暴走し、デュアルテーマパークの入場客やスタッフに襲い掛かった。
破壊された売店や建物の修繕費、テーマパークの信用の失墜から被る損害費用など、その賠償金は膨大なものになるだろう。
『黒の匣』として仕事を受けている以上、彼個人がその賠償金を支払うことはないが、『黒の匣』での彼の評価は間違いなく地に落ちる。
(せめて、これ以上の被害が出ないよう立ち回らなければ……)
だがもはや体力は底を付いている。
巨大ロッシーに捕まるのも時間の問題だろう。
唯一の希望は、突然現れたエマなる少女の存在だ。
認めたくはないが、彼女のプログラミングは自分のそれを大きく上回っている。
彼女の言う通り、それは暗黒物質に書き込まれるコードを見れば、一目瞭然であった。
何故プログラミング自体がそれほど浸透していない田舎街で、彼女のような優秀なプログラマがいるのかは知らないが、今はそのずば抜けた技術力に、一縷の望みを託すしかない。
そう考えて、エマに視線を向けるジャコ。
その彼の視界が――
漆黒に染め上がった。
「にゃああああ」
ユーリが身体を伸ばして大きく鳴くと、その体表から空間に染み入るように大量の黒い霧が噴出した。
ユーリの限界量ぎりぎりにまで、暗黒物質を絞り上げる。
視界を埋め尽くすほどの黒い霧が、彼女を中心にして大きく渦巻き上空に昇っていく。
一瞬の集中から、思念によるプログラミングを開始する。
大量の黒い霧に書き込まれる膨大なコード。
それは単語から文章、文章から意味、意味から概念を得て、世界を創造する設計図となる。
上空で火花が瞬く。
世界が胎動するのが分かる。
万物が産まれる。
収束を始めた黒い霧を眺め、彼女はその垂れ下がった目を、厳しく引き締めた。
(ちゃんと命中させないと、大惨事になっちゃうからね)
ルナは慎重に狙いを定める。
「何かの冗談か?」
思わずそんな言葉が、ジャコの口を突いて出た。
まるで小さな竜巻のように、視界にそびえ立つ、渦巻いた黒い霧。
そこに瞬時にして書き込まれる、大量のコード。
それはただ物量があるというだけではなく、目を見張るほどに美しいコードだった。
ジャコ自身は言うに及ばず、吊り目の少女――エマが構成するコードでさえも凌ぐ、練達した手腕。
(まさか、ルナのほうもプログラマだったなんて)
確かに、プログラミングは学べば誰でも習得することができる技術だ。
故に、この田舎街にプログラマがいること自体は――珍しいとは思うが――、不思議なことではない。
だがしかし、その技術力があまりにもずば抜けていた。
『黒の匣』でさえ、特別な機器を用いずに暗黒物質にコードを書き込める者は、ひどく限られている。
それをあんな子供が、それも超一流のコードを難なく書き込むなど、あまりにも異常だ。
立ち昇る黒い霧。
その上空で、大きく火花が散る。
ルナの書き込んだコードに従い、黒い霧が収束し、その形が形成される。
宙に創りだされたのは――
巨大ロッシーほどの大きさもある、鈍色に輝く杭だった。
その杭が上空から滑空し、巨大ロッシーの頭頂部に突き立てられた。
金属同士がぶつかる甲高い音が、周囲の空気を激しく揺さぶる。
赤レンガが砕け、ロッシーの足元が一段沈む。
その杭が穿つ衝撃は、脳を痺れさせたその衝突音から察することができるように、強大なものであったはずだ。
だがしかし、その衝撃を以ってしても、ロッシーを破壊することはできなかった。
びりびりと身体を震わせて、杭の先端を頭に受け続けるロッシー。
地面がさらに砕け、ロッシーの身体がもう一段沈む。
だがやはり、ロッシーが壊れる気配はない。
(だめ……か?)
さすがは『黒の匣』が研究している合金プログラムだと、拍手を送ってやりたいところだが、正直今は、彼らの優秀な技術力が憎い。
ロッシーが腕をゆっくりと上げる。
頭に落ち続けている杭を振り払おうとでも言うのだろうか。
ジャコの表情が絶望に染まる。
その時、ジャコは気が付いた。
巨大ロッシーの頭頂部に突き立てられた巨大な杭。
そのさらに上空に浮かぶ、大きな影に。
彼は目を凝らし、その影を注視する。
それは――
ロッシーをも超える巨大な金槌と、その金槌の柄を握る、さらに巨大な人間の右手だった。
「んな……」
口を開けて硬直するジャコ。
手首から先だけの巨大な右手が、スナップを利かせて、握りしめた金槌の平頭を杭の底に叩きつけた。
空気を激しく震わす、強烈な金属の衝突音が周囲に響き渡り――
杭がロッシーを真っ二つに割った。
「ユーリ。
だいぶ身体が薄くなっちゃった」
「まあ、あれだけの暗黒物質を放出すればね。
家に帰ったらおいしいご飯をたっぷり食べさせて上げよ」
半透明になったユーリが、エマの肩の上で一声鳴く。
エマはユーリの喉を指で撫でてやりながら、地面に胡坐をかいて座っているジャコの下に歩いていく。
彼はエマの存在に気が付くと、消沈した表情に、無理やり笑みを浮かべた。
「世話になったね。
君たちのおかげで、重傷者を出すこともなく、事態を収めることができた。
感謝するよ。
ありがとう」
「随分と愁傷なことじゃない。
あんな偉そうに踏ん反り返っていたくせに」
「そりやあ……ね」
エマの皮肉にも、ジャコは小さく笑うだけで反論することはなかった。
彼は、自身のプログラムが起こした惨状を見回して、力なく言う。
「これだけの被害を出したんだ。
私はただでは済まないだろうな。
プログラマとしての私の信用は地に落ち、もう誰も私に仕事を頼もうとする者はいないだろう。
もしかすると、『黒の匣』を追い出されるかも知れない。
居場所さえも失う。
私の人生は、終わったも当然なんだ」
どうやら本気で落ち込んでいるらしい。
ジャコは顔を俯け、瞳も虚ろに自虐的な笑みを浮かべている。
エマはそんな彼に対し――
すっと右手を差し伸べた。
ジャコが目を丸くして、エマの右手を見つめ、そしてエマの顔に視線を移した。
ジャコの揺れる瞳を見つめながら、エマはにっこりと微笑む。
そして、ジャコに差し伸べた右手をギュッと強く握ると――
間抜け面をさらすジャコの顎を、その拳で跳ね上げた。
「ぐばああああ!」
背中から地面に倒れ込むジャコ。
エマはそんな彼――口から血を流しもがいている――の顔面を、容赦なく踏みつけてやった。
「ぐぼっ」とジャコが呻く。
エマは靴底をぐりぐりと捻じりながら、軽蔑した目でジャコを見下ろし、言う。
「つまんないこと言わないでくれる?
飯がまずくなるでしょ」
「いや、今何も食ってないだろ!」
エマの靴を払いのけ、ジャコがわめいた。
「今晩の飯がまずくなるって言ってんのよ」
「そんな時間差でまずくなるものか!」
「今朝の朝食もまずくなったわ」
「時間を遡ってまずくなるものか!」
ジャコの非難を「ふん」と鼻息一つで飛ばし、エマは彼を睨め付けて言う。
「女々しいこと言ってんじゃないわよ。
三流なんだから失敗するのは当然でしょ」
「……失敗の一言で片付く問題じゃない」
ジャコは苦虫を噛み潰したような顔になると、サッとエマから視線を逸らした。
「さっきも言ったが、もう私のプログラマとしての人生は終わったのさ。
それで落ち込むことの一体何が悪い」
「やり直せばいいでしょ。
馬鹿ね」
にべもなく告げるエマ。
そんな彼女を、ジャコが鋭く睨みつける。
「簡単に言うな。
もう私のことなど世間は誰も信用しない。
だから――」
「誰も簡単になんて言ってないでしょ。
本当に三流。
馬鹿。
アホ。
蟯虫」
そう言うと、エマはジャコの前に屈みこんで、ぐっと顔を寄せる。
戸惑うジャコを睨め上げるように見つめ、言う。
「信用されない?
だったら、そいつら全員を黙らせるほどに技術力を上げなさい。
この失態すらも霞むほどの成果を上げて、有無を言わさずに信用を勝ち取るのよ」
ジャコの息を呑む音が聞こえる。
「この世界じゃ、能力さえあれば誰だって認めてもらえるわ。
混じりっ気のない成果至上主義だからね。
自分の技術力だけで幾らでも這いあがることができる。
それが――」
エマが刃物のように目を細めた。
「プログラマであり、あたしたち技術職の面白いところでしょうが」
ジャコが目を丸くしたまま硬直する。
エマは立ち上がると、小さく頭を振った。
「ぐちぐち言う暇があるなら、今回のプログラムで何が問題だったのか、検証しなさいよ。
自身の問題点を発見して改善する。
それが力を付ける一番の近道でしょうが」
ジャコは何も言わなかった。
ただ小さく、頷いたような気がする。
エマは溜息を吐くと、「それじゃ、事後処理はよろしくね」と言い残し、踵を返す。
エマがルナのところまで戻ると、話を聞いていたのであろう彼女が、困ったように言ってくる。
「ちょっと厳しいんじゃないかな?
エマ。
ぼくだって自分のプログラムでこんな事態が起こったら、すっごく落ち込むと思うよ。
少しぐらい慰めてあげても……」
「嫌よ。
なんであたしが、そんなことしなきゃいけないのよ。
散々偉ぶってたんだからさ。
むしろこのぐらい、いい気味じゃない」
「このぐらい……かなあ?」
ルナが眉根を寄せて首を傾げた。
その点について議論するつもりは毛頭なく、エマはルナの横を通り過ぎ、テーマパークの出口へと向かって歩き出す。
「何にしろ、もう帰るわよ。
まったく、入札取られた腹いせに、ちこっと嫌がらせをしてやろうかと思っただけなのに……こんなところこなきゃ良かったわ」
「ん……うん」
頭の後ろで手を組みながら歩くエマ。
その後ろを、ルナがぴったりと付いて歩いてくる。
エマが後ろ目にルナの様子を探ると、彼女は顔を俯け、表情を暗くしていた。
どこか寂しそうな妹。
その理由に、エマは心当たりがあった。
彼女は小さく嘆息すると、ほんの少し逡巡した後に、さりげなく妹に告げる。
「そう言えばさ、こんなことになったからアトラクションとかは運営してないだろうけど、入場口あたりにあった売店とかは、まだやってるんじゃないかしら。
せっかく来たんだし、少し覗いて帰ろうか?」
エマがそう言ってやると、ルナが分かりやすく、ぱあと表情を明るくした。
ルナは小走りになってエマの横に並ぶと、頬を赤く染めて、こくんこくんと何度も頷く。
「それがいいよ。
すっごい可愛いロッシーの人形とか美味しいお菓子とか、いっぱい、いっぱいあるらしいよ」
「あたしは人形なんかに興味ないからね……まあ美味しいものがあるなら、少し楽しみではあるかしら」
「きっと楽しいよ。
そうだ。
先生にもお土産買っていこうよ」
「ええええ……小遣いの値上げにも失敗して、お金ないのに……」
そう言って、エマとルナは二人で笑いあった。
デュアルテーマパークの入場口前。
そこにある売店で商品を選んでいる青年がいた。
青年はロッシーのお面を手にとって、ツンツンに尖った頭をがりがりと掻く。
そして視線を左右に振り、そっとお面を顔の前に持っていく。
と――
「どうやら、ハッキングした人形は全体破壊されたようね」
背後から声を掛けられ、青年はびくりと肩を震わせた。
すぐさまお面を棚に戻し、仏頂面で振り返る。
そこにはウェーブの掛かった黒髪を腰まで伸ばした、グラマラスな女性が立っていた。
青年はこほんと咳払いを一つした後に、腕を組んで言う。
「みてえだな。
まあ、サンプルは取れたし成果は上々だろ」
「二体の人形に対するハッキングの失敗と、巨大ロッシーのハッキングに時間が掛かったことが問題よね。
すぐに改善策を考えるよう伝えないと」
女性の言葉に、青年は眉根を寄せる。
「ハッキングに失敗した人形はどうしたんだ?」
「放置しといたわ。
仕方ないでしょ?」
「まあ、そうなるか。
てことは、今回の手口は向こう側に漏れるって考えるべきだな。
それにしても、存外早く収束させられたな。
あの『黒の匣』から来たって男。
口だけじゃなく結構優秀なんじゃねえか」
「その男が事態を収束したのかは分からないけどねえ」
女性の曖昧な物言いに、青年は怪訝に眉を曲げる。
「そうだろ。
それともお前は、偶然にも『黒の匣』の連中よりも優れたプログラマが現れて、この事態を解決したとでも言いたいのか?
それは考え難いんじゃねえかな」
「うーん……そうなんだけどね。
一目だけしか見てないけど、あの男がそんなに優秀な人には見えなかったのよね」
「あんたの感想は知らねえよ」
青年は肩をすくめると、すたすたと売店の出口へと歩いていく。
その彼の背中に、女性の声――少しからかうような響きを含んだ――が掛けられる。
「あら?
お面は買っていかなくていいの?
あの子へのお土産なんでしょ?」
「……いらねえよ。
よく見りゃ、可愛くもねえ」
青年は吐き捨てるようにそう言って、出口の扉を開けようと、右手を前に出し掛ける。
すると突然、その扉が手前に開かれた。
青年は手を引いて、一歩後退する。
開いた扉から現れたのは、十代半ばの、白いローブを着た少女だった。
少女は少し垂れた大きな目を瞬かせた後、青年に向かってぺこりとお辞儀をした。
「すみません。
驚かせて」
「あ……ああ。
いや気にするな」
少女は顔を上げると、「失礼します」とぱたぱたと店内へと入っていく。
と、そのすぐ後に、扉からもう一人の少女が姿を現した。
先程の少女と同じく十代半ばで、黒い服の少女だ。
彼女は吊り上がった目でちらりと青年を一瞥すると、先に店内に入った少女の下へと歩いていく。
垂れ目の少女が吊り目の少女を手招きしているのを見る限り、どうやら二人は知り合いらしい。
青年にグラマラスな女性が近づき、彼にだけ聞こえる小さな声で言う。
「人形の暴走があったにも関わらず、呑気に買い物ねえ。
随分と怖いもの知らずなお譲ちゃんたちね」
女性の同意を求めるような視線には答えず、青年は無言で売店を出て行った。