世の中の問題は、その九割が筋肉をつければ解決できる
「こんなバカげた仕事、引き受けるわけ無いでしょう!」
「君が仕事をよこせとうるさいから、先方と取り付けてやったんだろ?
何が不満だ」
「何もかもが不満よ!
もっとあたしの実力に見合うスーパーな仕事持ってきなさい」
「言っておくが、君達のような起業すらしていない民間プログラマに仕事を回すなんて、えらく大変なことなんだぞ。
これ以上の仕事なんて回せるわけ無いだろ」
「あんたら黒の匣はクソみたいに稼いでんじゃないのよ!
不公平よ!」
「規模が違うだろ。
黒の匣に一体何人のプログラマが在籍していると思ってるんだ」
自治都市エルバン。
そのカーティス通りにある、とある住居。
周りの建物に比べ、一つ頭飛び抜けた大きな屋敷。
そこは、世界でも数少ないウィザードの称号を持つプログラマ、サリム・レステンクールの屋敷であった。
その屋敷の最も広い部屋、赤い絨毯と高価な調度品で飾られたリビングでは、サリムを師と仰ぐ少女と、黒の匣から屋敷を訪れた男が、口汚い――主に少女のほうだが――口論を続けていた。
少女の名前はエマ。
男の名前はジャコ・ベルモンド。
エマはリビングにあるソファに土足で上がり、行儀よくソファに座っているジャコを睨め下ろし、対してジャコは腕を組み、何故かふんぞり返ってエマを見上げていた。
そんな二人を、少し離れた場所から眺めている少女がいる。
名前はルナ。
エマの双子の妹であり、エマと同じく、サリムを師と仰ぐプログラマだ。
ルナは一人用のソファに腰掛けて、ぼんやりとジュース――百パーセントのオレンジ――をストローで啜っていた。
その表情はひどく冷めきっており、エマとジャコのやり取りが、いかに不毛であるかを物語っていた。
エマは地団駄を踏むように、ソファの上で両足を動かし――サリムが屋敷に戻ってきたら、また大目玉を食らうだろう――、ジャコに食ってかかる。
「黒の匣に何人いようと、全員が全員あんたみたいなポンコツでしょうが!
あたしのほうが何倍も、何万倍も、いい仕事ができるってのよ!」
「私をポンコツと称したことは器用に忘れた。
うむ。
何を話していたかな?
ああ仕事の件か。
君の力のほどは理解しているが、問題はクライアントの信頼だ。
君にはそれがない」
「だからそれを得るために、でっかい仕事を持ってこいって言ってんのよ!
三流!」
「うむ。
何を話していたかな?
ああ仕事の件か。
信頼がなければでかい仕事は無理だ」
「つべこべ言わず取ってこい!
この口先だけの万年窓際族の出世街道逆走野郎!」
「うむ。
何を話していたかな?
ああ仕事の件か。
無理なものは無理だ。
諦めろ」
「うるさい!
茶汲み業界希望の星!」
「はっはっは。
そう褒めるな」
「それは聞こえんかい!」
ルナはテーブルに置かれているクッキーを手に取り、ぱくりと口に頬張った。
賞味期限間近で安売りをしていたものだが、味は全く悪くない。
ルナはほくほくと幸せの笑みを浮かべ、もう一枚クッキーを手に取った。
「だいたい――」と、エマがリビングの一画をビシリと指差す。
「何のつもりよ!
あいつらは!」
クッキーを口に咥えながら、ルナはエマが指差した先に、視線を向ける。
そこには、三人の男が立っていた。
三人の男は、まるで三つ子の兄弟のように、似通った格好、体格をしていた。
禿頭にほりの深い目元。
爽やかな笑みを浮かべた口元と、その中で眩しく輝く、雲のように白い歯。
そしてそれとは対象的に、黒光りする日焼けした肌。
見事な逆三角形を描く体には、衣服などという無用な遮蔽物は殆どない。
だが尻に食い込むブーメランパンツにより、安心安全のコンプライアンスだけは死守されている。
彼らは筋骨隆々の体を捻り、各々が異なるポーズを取り、静止している。
ルナは記憶を辿り、ほんの数分前には今と異なるポーズで静止していたことを思い出した。
恐らく、一定時間ごとに、ポーズを変えているのだろう。
ルナはそれを確認すると、さっと視線を逸らして、咥えていたクッキーを口から離した。
反射的に彼らを視界に写してしまったため、また暫くは何も喉を通りそうにない。
エマが手を戦慄かせて叫ぶ。
「何の変態集団よ!
何で人んちで裸になってポージングしてんの!?
なんで無言に笑顔なの!?
なんで肌にオイル塗ってんの!?
気色悪いことこの上ないわ!」
「クライアントに失礼だろ。
どんな姿形で話を聞いていようと、彼らの自由だろ」
「良識の範囲内で自由を行使しなさいよ!
それにそれだけじゃないわよ!
いい!?
ちょっと見てなさいよ」
エマは三人の筋肉のうち、サイドチェストで胸筋をアピールする筋肉を睨みつける。
「あなたは男性ですか?」
エマの奇妙な質問。
サイドチェストの左胸の筋肉がピクリと動いた。
「あなたは女性ですか?」
サイドチェストの右胸の筋肉がピクリと動いた。
「ちょっと見てみなさいよ!
あいつ筋肉だけで会話を成立させるつもりよ!
新人類だわ!
脳に筋肉がつきすぎて言語野が潰れているに違いないわ!」
「馬鹿なことを言うな」
呆れるようにジャコが呻く。
ちなみに、言語野云々の話をしている時――恐らく偶然なのだろうが――、サイドチェストの左胸の筋肉が、ピクンと跳ねたのを、ルナは見ていた。
ジャコはやれやれと頭を振り、すっと立ち上がる。
「何にしろ、私は言われたことはやったぞ。
よって、もう帰らせてもらう。
仕事を断るのは勝手だが、あまり選り好みをすると、それこそ小さな仕事も回ってこなくなるぞ」
「うぎ……」
痛いところを突かれたのか、エマが声を詰まらせた。
すたすたと玄関に向かうジャコに、エマがやけくそ気味に言う。
「いいわよ!
やってやろうじゃない!
ただし、今度こそもっといい案件持ってきなさいよ!
分かった!?」
「それはこの仕事の成果次第だな。
私はこう見えても君達を買っているんだ。
早く私の高みに到達するためにも、一つ一つの仕事に手を抜かず、全力を尽くすといい」
「あんたなんて高みどころか、マントルの中心で燃え尽きてるでしょうが!」
「うむ。
何を話していたかな?
思い出せないな」
そう言って、ジャコは玄関に出ていった。
遠ざかるジャコの足音に向かって、エマは中指を立てて舌を鳴らす。
「くそ。
人が優しくしていればつけあがって。
いつか目にものを見せてやるわ」
ルナは、エマがジャコに優しく接している時があったか、記憶を探ろうとしたが、すぐにやめた。
考えるだけ無駄だと思ったからだ。
エマが筋肉三人衆に振り返る。
相変わらず無言でポージング――また各々のポーズが変わっている――している男達に、不承不承のていで、彼女が尋ねる。
「……資料には書いてあるけど、念のためにあんた達にも確認しておくわ。
あんた達が依頼したい仕事内容って、何なの?」
「ふっ……なんと愚問な。
我らの姿を見れば一目瞭然であろうに……」
筋肉男の一人が――話せることに少し驚いた――、眼光を輝かせてエマの質問に答える。
「我ら野球同好会!
ぜひとも貴殿には有能なピッチャーをプログラミングして貰いたい!」
「だから何で野球だああああああああああああああああ!」
エマの絶叫がリビングに響いた。
システムを実装するには、幾つか手法がある。
その中で最もポピュラーなものは、ウォーターフォールモデルと呼ばれる、段階的に詳細化する手法であろう。
各々のプロジェクトにより差異はあるが、最も単純なウォーターフォールモデルの例を示すと、その工程は、要件定義、設計、実装、テスト、運用の五つに分割される。
各工程の詳細については割愛するが、この上流工程(要件定義)から下流工程(運用)へと流れるように、開発者はシステムの実装を進めていく。
先にも述べたように、システム開発には様々な手法が取られる。
その中には、ウォーターフォールモデルにはない工程があるものや、逆に工程のないもの、複数の工程を繰り返すものなどがある。
当然、全ての工程には意味があり、どれも重要な役割を担っている。
だがその中で、最も重要な工程を強いて上げるならば、要件定義が上げられるだろう。
要件定義とは、クライアントからシステムの要件を聞き出し、その情報を共有する工程だ。
システム開発に数多の手法があろうと、要件定義を疎かにすることは決してない。
だが、システム開発で最も重要な要件定義は、システム開発で最も難しい工程でもある。
他者と認識を共有することは、誰もが思うよりも、非常に困難なことなのだ。
極端な話、完全な認識の共有は、不可能だと断定しても良い。
どれだけ気を配り、神経をすり減らそうと、身勝手な常識や、暗黙の了解など、仕様に穴を開ける要因は、山ほどある。
人の思考を伝えるには、自然言語による情報伝達は、あまりにも未熟なのだ。
ゆえに、システム開発者は何よりも仕様の確認に気を配る。
だが残念なことに、その認識すらクライアントと共有できないことが、システム開発では多々ある。
そんなクライアントの言い分とは、得てして次のようなものになる。
「何をダラダラしているか。
こっちの言う通りのものを作ってくれればそれでいい」
「うむ。
このようなところで固まって話をしていたところで、時間の無駄だ」
「然り。
誰にも打たれないピッチャー。
それだけのことだ。
何を話す必要がある」
憮然とした面持ちでそう言い放つ、筋肉を隆起させた禿頭の三人。
そのあまりにも身勝手な言い分に、エマの頬が引きつっている。
さらに禿頭三人衆は続けて言う。
「我々は忙しい。
先にある試合に向け、さらなる筋肉をこの身につけねばならぬ」
「うむ。
刻一刻と筋肉はやせ細る。
それつまり、我らの戦力が落ちるということだ」
「然り。
金は払うのだ。
ゆえに、あまりこちらに手間を掛けさせないでもらいたい」
エマのこめかみに浮かんだ血管が、生き物のように蠢く。
見るからに殺意をたぎらせている姉に、ルナは内心でハラハラする。
だがエマは驚異的――彼女にしては――な自制心により、その怒りを押さえ込んだようだ。
破裂直前の風船を彷彿させる営業スマイルを浮かべ、エマが言う。
「だから……言ってるでしょ?
打ち取るってだけじゃ、プログラミングしようがないって。
例えば急速は?
球種の種類は?
投げる以外の機能――例えばキャッチャーの返球を取る機能が必要なのか?
そもそもどうやってキャッチャーを認識するか?
その機能の制限は?
ほらね。
話さなきゃいけないことは沢山あるでしょ?」
エマなりに優しい言葉で説明するも、禿頭三人衆はフンと鼻を鳴らすだけだった。
「そんな細かいもの適当でいい。
こちらの要求を満たすものであれば問題ない」
「うむ。
一を聞き十を知る。
何もかも聞かねば動けぬとは、なんと未熟者か」
「然り。
所詮は民間プログラマか。
程度が低い。
だから我は黒の匣が良かったのだ」
「程度の問題じゃなくてね……機能を増やせばそれだけコストが掛かるじゃない。
最適な成果を最小コストで実現するためには、必要な機能を絞る必要があるのよ」
「なんと意地汚い。
金の話か。
さては我らを素人と侮り、違法な請求をするつもりか?」
「うむ。
機能を増やしたところで材料費は変わらん。
支払う金を増やす道理はない」
「然り。
所詮は民間プログラマか。
程度が低い。
だから我は黒の匣が良かったのだ」
「取り敢えず、『然り』野郎をぶっ殺すうううううううううううう!」
禿頭三人衆に飛びかかろうとしたエマを、ルナは咄嗟に後ろから羽交い締めにする。
怒りのあまり涙まで流しているエマに、ルナは必死に宥めの言葉をかける。
「落ち着いてエマ!
殺っちゃダメだよ!
これから仕事が来なくなっちゃうんだよ!」
「絶対仕事が来ないとかそういったレベルじゃないけど――放してルナ!
こいつらの血を絞り出して、ブクブクに膨れた自慢の筋肉をしぼませてやるんだから!」
「駄目だよ!
血を抜いても肉と骨は残るから、大してしぼまないんだよ!」
「だったら肉もこそぎ落としてやるわ!」
「肉の処分は難儀なんだよ!」
「何やらそちらの白いローブを着たお嬢さんは、独特な止め方をするな」
禿頭三人衆の一人が、暴れ狂うエマとそれを止めるルナを見て、ぽつりと呟く。
エマが気を落ち着けるように、「ぜーぜー」と荒い息を吐き出す。
ルナは馬を宥めるように、エマの肩を「どうどう」と言いながら肩を叩く。
その甲斐あってか、エマは「チッ」とあからさまに舌を打ちつつも、筋肉三人衆に飛びかかるのを止めた。
彼女は腕を組みつつ、ぎりぎりと怒りを抑えた声音で言う。
「……分かったわ。
そこまで言うなら、指定された期日、金額であたしが最適と思うプログラムを組んでやろうじゃない。
ただし、出来上がったものに文句は言わせないからね」
エマの提案に、筋肉三人衆が我が意を得たりと大きく頷く。
「ようやく理解したか。
それでいい。
期待しているがゆえ、せいぜい頑張るがいい」
「うむ。
色々言ったが、我らみなプロである主を信じている。
最善を尽くしてくれ」
「然り。
所詮は民間プログラマか。
程度が低い。
だから我は黒の匣が良か――」
「てめえええ!
『然り』野郎!
今そのセリフは関係ないでしょうがあああ!」
再び暴れだすエマを、ルナは襟首を掴んで止める。
鉤爪状に尖らせた両手をブンブンと振り回すエマ。
そしてその彼女を無視して、そそくさとリビングから出ていく――恐らく先程言っていたように、さらなる筋肉をつけにいくのだろう――筋肉三人衆。
それらを眺めつつ、ルナは大きく溜息を吐いた。
「この仕事……上手くいく気がしないんだよ」
野球の試合は――来週の正午だ。




