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ELEMENT 2017春号  作者: エレメントメンバー
想像の翼
14/14

黒猫貴品店独占開発幸福スイッチ(作:梨香)

 尾道の細い坂道を登ると、小さな路地の入り口に黒猫の看板がひっとりと掛かっていた。


「黒猫貴重品店? 猫のグッズでも置いてあるのかな?」


 猫好きの麻依は、黒い猫をかたち取った看板に興味を持つ。この尾道を旅の目的地にしたのは、千光寺の桜と猫の小道をネットで調べたからだ。しかし、まだ桜は二分咲きだし、猫も見当たらなかった。


「猫の小道では猫に会えなかったな。猫は人が嫌いだから、こんなに人が来たら逃げちゃうのは仕方ないけど……剛が来なくて正解だわ。きっとぶぅぶぅ文句をつけていただろうから」


 この旅は初めから上手くいかないと、麻依は溜息を押し殺す。気をとりなおして、その看板の矢印に従い古びた石段を十数段登ると、曲がり角にまた黒猫の看板があった。


「嘘でしょ! この階段を登るの?」


 目の前に苔むした石段が延々と続いている。途中の緩やかなカーブに黒猫の看板があるが、麻依は引き返そうかと一瞬だけ悩む。


「ええぃ! どうせ何も目的のない旅だもの」と、ブーツで足音高く、登っていく。


 恋人の剛と何処か旅に行きたいと盛り上がって、尾道旅行を企画したが、実行する前に別れてしまった。会社の有給を取っていたし、色々と調べたのに行かないのも腹立たしく感じたので、一人旅と気取ってみたのだ。


 カーブの先には古びた民家が建っていた。


「やっと店に着いたわ」少し息切れした麻依は、深呼吸する。


 ガラス引戸をガラガラと開けると、古民家を改造した黒猫貴重品店の世界が広がっていた。麻依の期待通りの猫グッズと何に使うのかわからない骨董品がいっぱい並んでいた。


「いらっしゃい」


 声がした方を向くと、昔風の一段上がった場所に帳場があり、巨大な黒猫が鎮座していた。麻依は、黒猫が喋ったのかと驚いたが、後ろの襖が開いて黒のセーターを着た年齢不詳の男がマグカップを持って出てきた。


「あのう、見せて貰っても良いですか?」


「ええ、どうぞ。猫店長も良いと言っていますけぇ」


 店長と呼ばれた黒猫を抱き上げると、座って膝に乗せる。男は商売する気もないのか、客を無視してコーヒーを美味しそうに飲みながら、猫店長の背中をさすっている。


『これで商売になるのかしら? でも、黒猫貴重品店と言うだけあって、なかなか良いものが置いてあるわね』


 麻依は趣味の良い猫グッズや骨董品を見て回っていたが、かなり高価なので即決で買うわけにもいかない。和風の猫の陶器も癒される感じだが、欧風のアンティークの飾り皿も魅力的だ。


「何か気にいる品がありましたか?」


「ええ、素敵な物が多すぎて、目移りしてしまいます」


 ふと勘定場に目を向けると、横の黒光りする柱に、白い小さな紙が貼ってある。そこには「黒猫カフェ」と書いてある。


「あのう、ここはコーヒーも飲めるのですか?」


「ああ、喫茶はあちらですけぇ」


 暖簾の先の細い三和土を通り抜けると、古風なサンルームになっていた。そこには暖かな日差しを楽しむ猫が何匹も長椅子やソファに座っていた。


「お好きな所に座って下さい」


「あのう、猫に触ってもいいのですか?」


「ここの猫は女給猫じゃけぇ、触っても良いですよ。でもプライドの高いのもおるけぇ、気をつけてくんさい」


 コーヒーを注文して、サンルームの端に置いてある長椅子に腰掛ける。そこには店長より小柄の黒猫がスヤスヤと眠っていた。


「可愛いわね」そっと撫でても、客に慣れているのか起きもしない。剛も猫が好きだったから、こんなに人に慣れた猫がいっぱいの猫カフェに来たら、とても喜んだだろうと考えて「未練たらしい!」と腹を立てる。


『あんな奴! 別れ話もメールで済ますような軽い男なんて、こちらからお断りよ!」


「コーヒーです。どうぞごゆっくり」


 小さな朱塗りのお盆に備前焼のコーヒー茶碗が置いてある。コーヒー皿の上には古布で作った小さな座布団が敷いてあり、麻依はなかなか気が効いていると感心した。


 薫り高いコーヒーを飲みながら黒猫を撫でていると、心の奥底から寛いで、ポカポカしたサンルームの日差しで眠たくなる。


「このままじゃ寝ちゃいそう」


 立てた予定によると、桜の名所である千光寺まで延々と坂を登らなくてはいけないのだが、猫に囲まれていると動きたくなくなる。とはいえ、ここで寝るわけにもいかない。


「ごちそう様でした」


 一人で店番している男に、朱塗りのお盆をサンルームから運んで来て渡す。


「いやぁ、お客さんにすみませんのう……あっ、そうだ! この黒猫貴重品店独占開発幸福スイッチは如何ですか?」


 麻依はクイズ番組でよく見る赤いスイッチを年齢不詳の男から勧められて、胡散臭そうに手に取る。


「えっ、これって……」


『黒猫貴重品店独占開発幸福スイッチ』の説明書を読む。


『1このスイッチを押すと何かが変わります 2このスイッチを一度押すと取り消しをすることはできません 3このスイッチは一度だけ押すことができます 4このスイッチは自分の特定の願望を叶えるものではありません 5このスイッチをスイッチ以外の使用方法で使用しないでください 6この商品はジョーク商品ではありません』


 ジョーク商品ではないと書いてはあるが、このスイッチで幸福になれるとは思わない。


「何かが変わるって……幸福スイッチって名前なのに、幸福になるとは書いてないのね。これを買うわ!」


 幸福になると書いてあったら買わなかったもしれないが、何かが変わるというのが気に入った。


「説明書をよう読んでお使い下さい」


 スイッチを茶封筒に入れて渡された時、若者に見えて驚いたが、ガラガラと引戸を開けて出て行こうとして振り向くと、老人が猫店長を膝に乗せて微笑んでいた。



**


「桜ってすぐに散っちゃうのね」


 結局、尾道ではお花見はできず、帰って来たら葉桜になっていた。麻依は、何となく春を損した気分になった。


「意地を張って旅行なんかしなきゃ良かったのかも……」


 小型のスーツケースから服を取り出して洗濯したり、会社へ持っていくお土産を少し大き目のトートバッグに入れたりしていた麻依は、中に小さな茶封筒が残っているのを目にする。


「何でこんな物を買ったのかしら? 幸福スイッチ? 馬鹿馬鹿しい」


 旅先では変な買い物をしてしまうものだと、麻依は笑って茶封筒のまま引き出しに放り込む。そのまま黒猫貴重品店独占開発幸福スイッチのことは、忘れてしまった。



***


「畜生! 剛の奴! 彼女ができたから、別れたのね」


 土曜、暇を持て余した麻依は、本でも買おうと街へ出かけた。そこでバッタリと剛がそこそこ可愛い女の子と歩いているのに出くわしたのだ。


 とっくに別れた男だが、彼方にだけ彼女がいるのが癪に触る。今夜は飲まなきゃ、やってられない気分だ。


「このレモンイカ天! ビールに合うわ」


 尾道で買ったレモン味のイカ天を摘んで、缶ビールをグイグイ飲む。


「そう言えば……尾道で変な物を買ったっけ……」


 引き出しに放り込んだまま忘れていた茶封筒を取り出す。ビールを飲みながら、説明書を読みながら一人で突っ込む。


「1このスイッチを押すと何かが変わります。これは、まぁ良いかもね! そんなに旨い話は無いちゅうの!」


 幸せスイッチなのに、幸せになると書いてないのが気に入って買ったのを思い出す。


「2このスイッチを一度押すと取り消しをすることはできません。3このスイッチは一度だけ押すことができます。へぇ、まぁ一度きりってことか……二度も押す必要もないから良いけどね」


 かなり酔っ払っているのに、立ち上がって冷蔵庫から缶ビールを持ってくる。


「4このスイッチは自分の特定の願望を叶えるものではありません。これが問題なんだよなぁ。どう解釈すれば良いものか……5このスイッチをスイッチ以外の使用方法で使用しないでください。6この商品はジョーク商品ではありません。スイッチ以外の使用方法って、何かあるのかな? ありましぇん!」


 ご機嫌になってきた麻依は、勢いで黒猫貴重品店独占開発幸福スイッチをバンと押した。ピンポン! と音もしなければ、赤く光りもしない。


「何にも反応無し? やはりジョーク商品なのかなぁ……アホらし! 寝よ」


 麻依がベッドで寝てしまった頃、テーブルの上に置きっぱなしの黒猫貴重品店独占開発幸福スイッチは怪しげな光を帯びていた。



****


 麻依は、黒猫貴重品店独占開発幸福スイッチを押したことなど忘れて、普段通りの生活をしていた。


 ある夜、夜中にテレビショッピングなどを見ていたせいで、必要も無さそうなジューサーを買ってしまった。宅急便の判子を押して、引き出しに仕舞おうとした時、幸福スイッチが目につく。


「何かが変わりますか……変化を望んでいたのかな?」


 学生の頃は、テレビショッピングで物を買う人を少し馬鹿にしていたのに、今では自分も病みつきだ。平凡な毎日に飽き飽きしている自分を笑う。


 ピンポン! こんな夜中に人が訪ねて来る予定はない。宅急便は届いている。女の一人暮らしなので、慎重にインターホンの映像をチェックする。


『剛だ。何を今更……』とは思うが、通話ボタンを押す。


「おおぃ、麻依! まだ起きているんだろ?」


「起きているけど、貴方には用事はないわ。帰って下さい!」


 サッサと彼女を作ったくせに! と麻依は終了ボタンを押すが、しつこくピンポンが鳴る。


「何か用?」


 廊下で騒がれたら、近所迷惑だ。それに剛には面と向かって文句を言ってやりたかった。ガチャリと扉を開けると、黒い子猫が目に飛び込んだ。


「ほら、可愛いだろ! 俺のアパートはペット禁止だけど、麻依のところは良かっただろ?」


 突き出された子猫はブルブル震えている。麻依は子猫を受け取ると、ピシャンとドアを閉めた。


「おおぃ! 俺も入れてくれよ〜」


「さっさと帰らないと警察に通報するわよ」


「ケッ、冷たい女!」ブツブツ言いながら、剛が去って行く足音を聞き、麻依はホッとした。


 猫は歓迎だが、あんな男は御免だ! 麻依は引きずっていた未練が綺麗さっぱり無くなっているのに気づいて笑った。


 ふとサイドテーブルの上の黒猫貴重品店独占開発幸福スイッチが目に入る。


「一つの恋が終わったなら、次の恋が始まるかもね〜! そうでしょ、猫ちゃん!」


          おしまい


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