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2-2

 結局それを告げられたのは、朝になってからだった。サラヤが戻った時リカルトの意識はなく、既に眠りの中にあったためだ。その寝顔には年甲斐もなく泣いた跡などがあったが、アレス共々気づかないふりをした。

「あれは男の足だ。しかも見覚えがある奴だ」

「サラヤの知っている誰かということですか」

 ブリュケライヒ村を発ちノイシュロス村へと向かいながら、サラヤの証言にリカルトは暗い顔で唸った。心持ち急ぎ足で歩いているものの、完全回復に至ったわけではなさそうだ。だが彼にもエクソシストとしての矜持があり、敵がおそらく目的を持って移動している以上、のんびりとなどしていられないと分かっているようだった。

 負担を少しでも減らすため、アレスは先に村へと偵察に行っている。

「そうすると、だいたい私も知っている誰かということになりますね……」

 容疑者が教会関係者に絞られてしまうため、リカルトの表情はいつもに増して暗かった。冴えないのは疲れのせいばかりではないようだ。

 揃った要素は少なく、まだ確定とまでは言えないのだが、あれが悪魔などの人外であるとするならば、逆にそんなものに見覚えなどないサラヤの方に心当たりがなくなってしまうため、安易に否定することもできない。

 いずれにせよ、絶対的に情報量が不足している。その上サラヤは、まだ何かが引っかかっていた。得ている情報は一つなのに、その中でまだ見落としているものがある気がするのだが、それが何なのか分からない。

「とにかく急がねえと、被害が増える一方だぜ。あれがこの先のゴルトベルクを目指してるとしても、通過点のノイシュロスで何もしねえとは思えねえ」

 件の足と、影を引きはがし実体を与える能力以上のことは見ていないサラヤだったが、最初からそういう危うげな印象があった。決して気ままに邪気なくふらついているわけではない。まさしくリカルトが言った通り、「善行しようとしているようには見えない」存在であると感じたのだ。

「しかし、目的が掴めませんね。何がしたいのでしょうか」

「んなもん、ふん捕まえて聞きゃあいいだろ。今度は殺すなよ」

 釘を刺すサラヤに、リカルトは首をすくめて答えた。使い魔アレスを取り込み、一切の容赦なく影を葬ったあの時のリカルトが、今の彼と全く異なる人格を宿していたとしても、それは間違いなくリカルトであり、本人もまたその時の記憶は残っているのだ。

「サラヤ……。あの、昨夜のことですけど」

 サラヤとしてはもはや話すべきこともないので無言のまま村まで行きたかったのだが、沈黙に耐え切れなくなったリカルトがおずおずと、済んだことを蒸し返そうとした。もちろんこんな場で議論するつもりはサラヤとてないので、場違いを咎めようとしたが、アレスが空を漂いながら泡喰った様子で戻ってきたのが先だった。

「大変だよ、我が主。先の村で例の影がいくつも発生しているようだ。それに悪霊たちも」

 聞くなり二人は村に向かって駆け出した。そして荒削りな道の先に待っていたのは、過疎化して今にも朽ちそうになっているノイシュロス村だった。住人と思しき老人たちが、似たような老人たちの影に襲われている。しかも周囲を続々とゴーストたちが取り囲んで、悪霊化しては影の方へと吸い込まれていた。

 ブリュケライヒ村のいじめられっこの影が到達したところより、さらなる進化を遂げているようだ。邪悪な気配をふんだんにまき散らしている。

 だがその中にも、無抵抗の住人に襲い掛かるものと、そうでなくぼんやり虚空を眺めている影とに分かれていた。いったいどういう鬱憤を抱えているのか、彼らはじっとその場から動かない。影を踏まれていない老婆に棒で殴り掛かかられても、そちらを一顧だにしなかった。

「なんだ、あいつら」

「サラヤ、下がってください。ここは私が」

 すかさずリカルトが両の銃を抜いて前に出る。サラヤとしては彼に無理をさせたくなかったのだが、言って聞く男でもなかった。昨夜のことへの負い目もあるのかもしれない。

「アレス」

「御意に、我が主」

 呼ばれた使い魔が、リカルトを背後から抱きしめるようにしながら消えた。途端に彼はがくりと上体を折る。ゆっくりとそれを持ち上げた先には、もはや陰鬱な青年の顔はない。沼色の瞳には不遜な光が宿っている。

「ヒヒヒ……ゴミどもが一丁前に蠢いてやがるなァ」

 不敵な笑みを貼りつかせたリカルトに、やせ細った老人の影が獣のような唸り声をあげながら襲い掛かった。ためらうことなくリカルトは、風切人と影追い人をぶっ放す。連続で塩弾を撃ち込まれた影は苦悶の悲鳴を上げながら体を捩じらせ消滅しようとしていた。だがリカルトはそれを見届けず、次なる敵へと照準を合わせる。

「オラオラ、ゴミども! かかってこいよ! 極上の天国を味わわせてやるぜェ!」

「駄目だろ、天国行かせちゃ」

 生霊と同じ存在なのだから、老人相手ではなおのこと、対死霊の征伐手段では本当に天国に行ってしまいかねない。しかし他の手段を模索している暇もないのだった。

 サラヤは呆れながら、助力すべくリカルトの後を追う。二丁の銃に執拗に退魔の弾丸を撃ち込まれては、さすがに悪霊を取り込み強化していようとも、なすすべなく消されていくしかない。

 だが理性のない烏合の衆である影らは、敵とみなしたリカルトらが視界に入るだけで向かってくるものの、そうでないものたち、すなわち先刻のぼんやりして動きを止めていた連中は明らかに質が違うようだった。意思のない顔をしながらも隊列に似たようなものを組み、リカルトが前進できないよう悪霊たちに邪悪な青い炎を吐かせながら数の壁で押し返そうとしている。

「はあ? ったく、しゃらくせえなあ。んなもんが効くかよォ!」

 炎を掻い潜るようにしながら走り込んだリカルトの銃口が、いともたやすく隊列の真ん中を破った。それだけで早くも統制は失われ、影らは命令系統を経たれた末端の歩兵のように役に立たない木偶坊と化した。彼らの間を飛ぶようにしながら、リカルトの銃が放たれていく。

「ハハハッ、無敵無敵ィー!」

「調子こいてんじゃねえぞ、リカ! 取りこぼしてるじゃねえか」

 木偶のように再び動きを放棄した存在と化した影を、サラヤの拳が殴り飛ばした。怨嗟の声を上げて消滅していく影の横を、別の影が走り抜けて行った。

「ワシは自由じゃア~!」

 だがその後頭部に容赦なくリカルトの塩弾が着弾し弾け散った。どうやらそいつは悪霊などを取り込んでいないらしく、また未進化だったようで、一発だけで簡単に消え去った。

「チッ、礼は言わねえぞ」

 忌々しげに吐き捨てるサラヤだったが、どうやら掃討に忙しいリカルトの耳には届いていないようだった。引き寄せられたはいいものの次にどうするべきかわからないでいるゴーストを片付けながら、サラヤはだいぶ見通しが良くなった視界を見回す。

 特徴のないさびれた田舎の村である。影らの暴行を受けて呻いている住人はいるものの、影を踏んだと思しき犯人はどうやらここにはいそうになかった。老人の影だからというわけでもないだろうが、破壊跡もさほど深刻ではない。質素な窓の向こうにぐったりと寝台に身を横たえている老人の姿があったが、寝たきり故なのか影を踏まれた影響なのかは判別できなかった。顔から察するに先刻走り抜けようとしていた影の持ち主ではあるようだが。

「これで終わりかァ? なんだよ、茶化してんのかよォ」

 影による強襲から助けられたはずの老人が、不満そうに言うリカルトの顔を見るなり、悲鳴を上げて逃げて行った。障害を排除したはずなのに、無双していた彼が正義以外の何かに見えたのかもしれない。確かにその表情は、信者に敬われるはずのエクソシストには似つかわしくないが。

「追いかけてこいとでも言わんばかりだなァ。随分な自信家じゃないか」

「そうだな。てめえとは正反対だ」

「お? 言うねェ、サラヤちゃん」

 だがどうにも犯人には、サラヤに現場を見せたことと言い、謙遜や慎重という言葉が抜けているようだった。だがそれでいて、統一した意思を感じる。無意味に影を引きはがしているのではなさそうだ。ではその目的はというと、サラヤには見当もつかないのだけど。それはリカルトにも同じようだ。

「こいつはいったん、教会に戻るべきだなァ。何がしたいのか分からないぜ」

「何言ってる。先に進んだのは明らかだろ。今引き返してどうするんだ」

「無策で進む気かよ、サラヤちゃん? 敵は間違いなくゴルトベルクで待ち構えてるんだぜェ?」

「だったら余計に、片をつけるチャンスじゃねえか。あいつがこれ以上進む前に」

「いいや、違うねェ。待ってるんだから待たせておけばいいんだよォ。その間にこっちも態勢を整える必要があるんじゃあないのかァ? ん?」

「そんな悠長なこと……! ただでさえオレたちは後手に回ってるんだぞ。これ以上遅れをとるわけにはいかねえだろ」

「分かってないなァ、だからこそ情報を共有する味方を増やさないでどうするよォ?」

 アレスが憑依した別人格のようなリカルトであっても、いつもの彼となんら変わりなく、何事も慎重に運びたがる。これまではそれでもどうにかできた。だが速力が勝負になる場合だってあるのだ。サラヤはリカルトのその性質が嫌いではなかったが、意見の擦れ違いを体感する今は腹立たしく思えて仕方なかった。普段のどんよりした沼の底のような表情と違い、容易に考えを曲げそうにない不敵な表情をしていることも拍車をかけているようだ。

「てめえはそう言って、責任取りたくねえだけじゃねえのか」

「あァ?」

 死者こそ出ていないものの、既に被害は甚大であると言わざるを得ない。だからこそ報告すべきというリカルトの思いも分からないでもないが、こうなってはもうこれ以上深刻化させないために犯人をどうにかする方が先決だとサラヤは考えていた。被害を拡大させたのはリカルトのせいではないが、事件を任務として追いかけている以上、食い止められない責任は負わされる可能性があった。このまま事態が進行すればなおのことだ。

 だが報告に戻れば、その責は分散される。任務を果たせなかったというそしりは免れないが。

「それとも無能って言われるのが嫌なのか? ただでさえ、そう言われてるからな、てめえは」

「言ってくれるねェ。悪いが言われるまでそんなことにも気づかなかったぜェ、俺は。嫌なのは実際、サラヤちゃんの方なんじゃないのかァ? 何せ、ベネディクトの面を汚すことになるからなァ」

「なんだと……!」

 かっと頭に血が上って、思わず拳を握りこんだサラヤのそれを、息のかかる距離まで接近したリカルトの両手が包み込んだ。乱暴さなど皆無なのに、それだけで彼女はもう動けなくなってしまう。

「いなくなった奴のことをいつまでも想うのは不毛だと思わないかァ? いい加減、奴の幻影を追いかけるのはやめろよ。見るならちゃんと、俺を見ろ」

「リカ、てめえ……!」

「俺が憎いだろォ? 恨んでいるなら殺せばいい。寝首をかくくらい、朝飯前のはずだぜェ、サラヤちゃんにはよ」

「やめろ……」

「認めろよォ、ベネディクトはもうどこにもいないってことをなァ」

 唇が、あと少しで触れ合うところだった。不意にリカルトの意識が失われ、がくりとその場に頽れる。その要因は、アレスが自らその体から抜けたためであった。

「そのくらいにしたまえ、我が主。少し口が過ぎているよ。それだけはどうにもいけないね」

 彼の中にはその要素が皆無のため、アレスは憑依の影響だと考えているようだ。強制的に打ち切られたため、リカルトはもはやサラヤに触れることもかなわず、ぐったりと身を沈めている。やはりその疲労は普段より濃いようだ。

 サラヤの方はむしろ、己の口が過ぎたことを自覚していた。リカルトが言われたくないことをわざわざ言ったのだ。だから言われて嫌なことを彼が言うのは、因果応報というものだ。

 だがだからといって、謝るつもりはなかった。彼女は、間違ったことは言ってない。必要なことを述べたまでだ。言わなくていいことは言ったけれど。

 リカルトも同じで、謝罪の言葉はなかった。お互いに、絶対に譲れないものがあるのだ。そのせいばかりではないだろうが、サラヤは彼の方を見られずに目を逸らした。進むべき道が伸びる方だ。

「てめえが何と言おうが、オレは先に進むぞ。正しくても、正しくなくてもだ」

「……私も行きますよ。門番に事情を話して市長から伝えてもらった方が、きっと戻るより早いですから」

 本来なら休息が必要なはずなのに、リカルトは無理やり自らの体を起こして歩き出した。その歩みは遅いが、先を示した以上、今更休めとも言えない。仕方なく合わせるようにサラヤも歩きだす。

 道中、二人の間に会話はなかった。アレスも察して、何も言わない。以前似たような状況で口を挟んで盛大に滑ったことを悔いているのだろう。その時は他愛ない喧嘩だったが、今回はそれとは異なっている。

 意地を張らなければいいだけの話だ。覚えねばならぬのは、妥協と譲歩。だがそれは互いに、できかねるのだ。だからこそ目も合わせられないでいる。サラヤはこっそりとため息をついた。

 こういう時、この関係はどうにも不便だと感じる。本当は顔を見たくないくらいに気まずいというのに、疲労困憊を押して歩いている姿を見ると肩を貸したくなってしまう。思うだけで積極性を発揮したことは一度もないけれど。

 冷たく見捨てられないのは、彼女の性格や優しさなどではない。肩を貸したい衝動も、ただの良心というやつである。行動に結びつかないのは、また別の理由だが。どうせならもっと冷酷で人を人とも思わぬ性格だったら、きっと悩まず済んだだろうに。

「先に行くぞ」

 一言吐き捨てて、彼女は本来の歩調で道を急いだ。どうせ距離を稼いだところで、門のところで足止めされるだろうが、一人になる時間が少しでも得られるならそれでよかった。城壁都市の内部に入るのは検問があるため、サラヤ一人では突破できない。いずれにしろリカルトを待たねばならないだろうが、それでも構わなかった。

 リカルトからの返事はなかった。何か言ったかもしれなかったが、彼女の耳には届かなかった。


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