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 聖女ルチアを唯一神として崇める聖ルチア教。教義の分かりやすさと公平性から貧富の差なく、聖都アルカディアを中心に全世界に広く分布している宗教である。

 その中の、辺境にほど近いオステンバッハ支部に、リカルトたちはエクソシストとして属していた。階級は助教補。他の年下の同僚たちが助教以上にとうに到達している現在、二十五という年齢では既に何歩も後れを取っている地位と言える。

「あれっ、あんたたちもう終わったのか?」

 人が行き交う支部の回廊でそんな風に驚いたように声をかけてきたのは、五つ下の同僚エクソシストのレディック助教だった。といってもここは一般信徒たちが入り込めぬ礼拝堂奥の、階級ある者が行きかう通路である。敬虔な信者諸氏は聖なる信徒であるエクソシストとすれ違う際に首を垂れるのが礼儀と心得ているため、そもそも入口が異なっている。回廊がぐるりとめぐる中庭の中央には聖女の像と噴水がしつらえられて、ささやかな水音を提供していた。

 レディックの隣で足を止めているのは同じく助教の、彼の相棒ミルファンである。エクソシストらしからぬ立派な体躯で北方系の彫の深い顔立ちだが、その表情は、豊かなレディックとは対照的にぴくりとも動いていない。それぞれの肩には使い魔たる白い鳥が乗っており、それぞれが恥ずかしがるようにその身を主の影に隠した。アレスと違ってそれらには、エクソシストなら誰でも触れることが可能だ。

「とりたてて大変な任務ではありませんでしたから。ありふれたゴーストが一体いただけです」

「え、だって悪霊がたんまり憑りついた古城じゃなかったっけ?」

「それはひとつ前ですね。というか、さらに前に片づけたはずのところへもう一度行かされたんです」

「マジか……。俺ら、装備整えにいったん引き返してきたんだぜ。使い魔も消耗しちまったし。なあ?」

 レディックが隣に同意を求めると、彼の相棒は無言で頷いた。無表情ではあるが、レディック同様少し呆れているようだ。リカルトがまるで休んでいる様子がないからだろう。

「まあ相手は悪魔ではなく、ただのゴーストなので」

「俺らだってそうだよ。あんたたちさあ、すごいのは分かったからあんまりひょいひょい任務消化するなよな。俺らの分、なくなっちまうだろ」

「すみません、そんなつもりは……それに私なんて全然、みなさんの足元にも及びませんし」

 リカルトは年下にも敬語を使うが、怯えているわけではない。ただ卑屈なだけだ。

「謙遜なんていらねえって。あんたらの討伐数見たらなんでまだ助教補なのか分かんねえくらいだもん。ハイフェッツ司祭に妨害でもされてんの?」

「僕はそんなことしませんよ」

 そう言って割り込んできたのは、彼らの上司たるハイフェッツ司祭その人であった。レディックは慌てて口を噤むが、全部聞こえていたようだ。職員なら誰でも共有できる場所であるからそれも当然であるが。神経質そうな細面に渋面を浮かべているがまだ二十二であり、にもかかわらず既に上位の司教への内定を得ているという噂もあり、支部の最高責任者として君臨する日も遠くないようだ。

「確かな実績があるのに、よほど慎重に行きたいのか、僕が言っても聞いてくれないんです。君たちも口添えしてくださいね」

 それだけ言って司祭は去って行った。咎められず安堵するレディックの前で、リカルトは相手がどう思うのかなど考えもせず懲りずに卑屈を貫く。

「いえ、私など本当に。サラヤがすごいだけで、全然そんな力ないですから……」

「そりゃそうよねえ、低級霊ひとつ始末できないんだからさあ」

 不意に棘のある言葉がリカルトに浴びせられた。毒づいたことを隠しもせずに堂々とした態度で顔を悪意にゆがめてリカルトを罵倒するのは、肩にトカゲを纏わせた一つ下の同僚、ヴェロニカだった。彼女の相棒たるヨハネスもその尻馬に乗っかって同調する。

「どうせ誰かの手柄を横取りしてるだけだろ」

「ほんとは実力なんてないんじゃないの? 見てよ、あの低級霊。よく連れて歩けるわね。あたしだったら恥ずかしくて泣いちゃうわ」

 笑うヴェロニカの髪の間に、彼女の使い魔が暗がりを求めるように潜り込んで姿を消した。一方でヨハネスのそれは、どこに隠し持っているのかそもそも姿が見当たらない。

 エクソシストの使い魔は多くが小動物系であるが、戦闘時はその小さい体に秘められた力が解放されて神獣となるため、その見た目で能力を推し量ることはできない。だが人が人以上のものになれないのと同意に、人の形を保った霊体にはそれ以上の力など、もともと持ち合わせていないのだ。悪霊化でもしない限り。当然そうなっては教会になど近づくこともできなくなる。ただのゴーストであっても普通は、聖なる力が張り巡らされた教会内をうろつけないものだが。

 元より教会内では静かにしているアレスは、二人など見えてもいないような素振りでそっぽを向き、リカルトもまた彼らに言い返しもせずに黙り込んだ。力不足であることは彼自身が一番分かっていることだ。それに今回の手柄を言えば、それはサラヤのものである。いうなればその罵倒は正論であった。だがそうとは知らないレディックは不愉快さをあらわに言い返そうとした。

「お前らなあ」

「君たち、そのくらいになさい」

 だがその前に、諌めた者がいた。助教長のシュミットだった。使い魔のクロアゲハが羽ばたきもせず手の甲に止まっているが、それと比べると本人の印象はひどく薄い。とはいえ年かさの彼に言われたらヴェロニカらとて黙るしかなかった。だがそれ以上に、その後ろに控える人物を見ては、全員が強制的に口を閉ざさざるを得ない。

「アリスタイド猊下が視察にお見えになっているというのに、みっともない」

 枢機卿であるアリスタイドは、リカルトが浴びせられていた罵声を聞いていたが故なのか、眉間にしわを寄せて舌打ちでもしそうな顔をしていた。三十ほどの小柄な優男だが、姿こそ見せていないもののその背に底知れぬ魔力を秘めた使い魔を従えていることは誰の目にも明らかだった。何やら見ていると落ち着かなくなるので、それよりマシと思える主の方へと努めて意識を向けた。

 居合わせた全員がその圧倒的霊力に戦き息を飲むか、彼のために端へ寄ってすぐさま道を開いた。場は一瞬にしてピリリとした緊張感に包まれ、水を打ったように静まり返る。

 その彼が、リカルトに目を止めた。その背後に控えるアレスはまたもそっぽを向いて、興味がない体を貫いている。

「お前があのシュトローマンか。噂は聞いている」

「きょ、恐縮です」

 名を呼ばれて跪くリカルトとは対照的に、サラヤは突っ立ったままだった。教会の序列には一切興味がないし、彼女自身も関わることがないせいだ。そんな彼女に慌てたのは、出世欲こそないものの枢機卿を冠する人物への畏怖を持ち合わせているリカルトである。

「こら、サラヤ。頭を下げなさい」

「君が相棒か。名はなんという?」

 不遜な態度を崩しもしないサラヤに、アリスタイドは機嫌を損ねることなく尋ねた。隠すことではないが彼女としてはあまり名乗りたくないというのもあって、少し返答が遅れる。

「……カキツバタ・サラヤ」

「変わった名だな、サラヤ。それに格好も」

 確かにエクソシストの恰好ではない。ここでは一目でそれと分かるように、誰もが教会から支給される制服たる外套を着ているから、余計に際立って見える。だがサラヤとしては改めるつもりはないし、やることはやっているのだから咎められる筋合もないと思っている。恰好を変えるだけで退魔の力が上がるわけでもなし。そんな彼女を見て、アリスタイドは口元を緩めた。

「そうだな。結果さえ出しているなら、些事だ。これからも期待しているぞ、シュトローマン」

「過分なお言葉、痛み入ります」

「猊下、急ぎませんとお時間が」

 シュミットに急かされて、アリスタイドは彼らの前から悠々と去って行った。普段は表情筋が死んでいるようなリカルトだったが、さすがに枢機卿その人から言葉を賜ると感動するらしく、跪いたまましばらく震えていた。

 ヴェロニカとヨハネスは信じられないというように顔を蒼ざめさせて、すさまじく負の怨念を込めた目でこちらを睨んでいたが、やがて踵を返してどこかへ行ってしまった。それを機に事態を注視していた他の人々も、各々動き出し回廊にざわめきが戻る。

「カキツバタは豪胆だなあ。こっちは見てるだけで心臓泊まりそうだったってのに」

 大きく息を吐いて緊張を解いたレディックが、枢機卿の姿が完全に見えなくなったのを確認してから、姿勢を変えないサラヤを称賛した。声が震えているから、心底彼女の行為に怯えていたようだ。

「そんなにすげえか? 別に普通のチビじゃねえか」

「ひえっ、お前、なんて恐れ多い! 教皇直属の部下だぞ、枢機卿は! しかも教皇自身の手で選出されて、将来はその教皇になるかもしれない人なんだからな……まあお前にはそのすごさは分からないかもしれないけど」

「ああ、全然これっぽっちも分かんねえな」

 ……本当は、威圧されていた部分もある。だがサラヤはそれを表に出すことはなかった。目線は彼女より随分低いのに、彼女など腕を一振りさせる間もなくどうにかしてしまえる力を持った男だった。それは彼女のみならずリカルトとて同じだ。ここにいる誰もが敵に回したくない人物。その気になれば人であっても容赦なく制圧してしまえるだろう。彼の段階にまで達すれば力の有効範囲は、悪霊や悪魔だけに限らないのだ。人の形をした殺戮兵器に等しい。

「そんなんだから、お前ら妬まれるんだよ」

 サラヤのそれが虚勢を張っているだけとは、レディックは思っていないようだ。しかも見回すと、どうにもその嫉妬心を抱いているのが先刻のヴェロニカらだけではなかったことが伺えた。サラヤが首を巡らせたため、そそくさと逃げていく。

「妬まれてるのはリカだけだろ。オレは関係ねえよ」

 そのリカルトは、ようやく枢機卿の影響から抜け出たのかのろのろと立ち上がるところだった。その表情にはもはや感動の「か」の字もない。いつも通りの鬱々とした顔があるばかりだ。

「枢機卿、なんで来た?」

「あ、ここにも関係ねえって奴いた」

 藪から棒に口を開いたのは、ずっと無言を貫いていたミルファンだった。子供のような疑問に、レディックが説明してやる。

「ちょっと前に支部が保管してる呪具が紛失したって騒ぎがあったろ。結局係りの奴の勘違いだったけど、きっとそれのせいだな」

「そんなことがあったんですね」

 初耳だったリカルトがぼんやりとつぶやく。彼が興味を持っていないのは明らかなので、レディックも簡単に話題を終えた。

「お前らが出てる間のことだからな。つうかお前ら、いっつも出てるよな。それにしても顔色悪いよなあ、お前ら……。リカルトはちゃんと食ってるか?」

 心配そうなレディックに、リカルトは曖昧に答えを濁して頷いた。背後に張り付いたアレスが何か言いたそうにしていたが、結局その場で口を開くことはなかった。


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