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一階寝室

 巡礼とは城に辿り着けばそれで終わりというわけではない。城の中を歩き回り、秘法を知っているであろう人物を捜し当てなければならないのだ。

 しかもその道中が完全に安全という保証はない。そもそも打ち捨てられ、世俗と隔絶された城内がどのような作りになっているのか、誰にもわからなかったのだ。

 そしてそんな危険な巡礼を行うのは、なにも生者だけではない。自分の死を信じられない死者の魂もまた、秘術に一縷の望みをかけてこの巡礼の列に加わるのだ。

 勇者ヘンリ・エミリ・エッダもその一人だった。





「……」


 その陰鬱な空気の漂う城の中を、キャサリンはウィックと共に悠々と歩いていた。城内は壁に掛けられたランタンによって足下が見える程度の灯りしかついておらず、通路の奥に何があるのか視認することは出来なかった。そして鉄と石で作られた装飾の無い作りと相まって、城の中全体が薄ら寒い雰囲気に包まれていた。

 その薄暗く冷たい城の中を、キャサリンは迷いのない足取りで進んでいた。


「どこにヘンリがいるのかわかるのですか?」

「はい。命にはそれぞれ波長がありますから、それを区別して辿っていけば簡単に見つけられるんです」


 後ろをついていくウィックにキャサリンが答える。そして前を歩きながら、今度はキャサリンがウィックに問いかけた。


「ところで、あなたは大丈夫なんですか? 招待状を送った人のところに行かないで」

「本当はそうしたいんですけどね。私もどこに誰がいるのか、まったくわからないんですよ。こんなところを一人で歩くのも怖いですし」

「だから私と一緒に行くと?」


 キャサリンが尋ねる。ウィックは答えなかった。しかしその沈黙が何よりの回答だった。

 キャサリンはそんな彼を腰抜けと責めたりはしなかった。こんな薄気味悪い場所を一人で歩きたくないのはキャサリンも一緒だったからだ。それが誰であれ、隣に誰かがいるというのは純粋に心強い。

 彼が一緒について来てくれるならなおさらだ。


「ここよ」


 それから数分後、特に焦ることもなく静かな調子で歩いていたキャサリンが、不意にそう言って足を止める。ウィックもつられて足を止め、キャサリンの眼前にある扉を見つめる。

 これといって特に変わり映えのしない、普通の木製の扉だった。キャサリンが躊躇いなくドアノブに手をかけ、扉を押し開ける。


「ここは、寝室?」


 キャサリンに続けて室内に入ったウィックが周囲を見渡しながら言った。彼の言う通り、そこは一般的な寝室の作りをしていた。

 右手の壁にはクローゼット。中央にはダブルベッド。左手には化粧台。ベッドの横には小さな机があり、机の上には時計が置かれていた。そしてそれまでいた通路とは異なり、その部屋には天井に吊された照明によって暖かい光に包まれていた。


「いた」


 その寝室の中で、キャサリンが前を向いたまま小さく呟く。それに反応したウィックがつられて前を向き、そしてそこでようやく、ベッドの上に自分達以外の誰かが仰向けに寝転んでいることに気がついた。


「彼女が?」

「ええ」


 ウィックの問いにキャサリンが答える。


「ヘンリ・エミリ・エッダ。その魂の断片よ」


 勇者ヘンリ。これが?

 ウィックは一瞬、この死神の言うことが信じられなかった。


「その一生の中でもっとも強烈な過去の記憶が形になって現れているの」

「つまりこれは、そのヘンリが過去に受けたことなんですか?」


 ベッドの上にいたのは、ボロ雑巾のように打ち捨てられた一人の無惨な少女だったからだ。


「酷い」


 淡いクリーム色の長髪はボロボロに振り乱され、水色の寝間着はその殆どが破り捨てられていた。もはや「体の上に乗ったボロ切れ」と化した服の下から見える肌には、赤い痣がいくつも刻まれていた。

 涙を流す目に生気は宿っておらず、鼻からは鼻水を、だらしなく開かれた口の端からは涎を垂れ流していた。まだ息はあったが、動く気力は完全になくなっていた。

 股の部分からは白く濁った何かが漏れ出していた。


「魔族にやられたんですか?」


 その顔を悲痛に歪めながら、ウィックがキャサリンに問いかける。具体的に彼女が何をされたのか。ウィックはそれを口に出す勇気を持っていなかった。


「それで済んだらまだ幸せだったでしょうね」


 しかしキャサリンはそう答えた。それはウィックの言葉を遠回しに否定するものであった。


「魔王復活の報を受けて、勇者ヘンリは仲間と共に旅立った」


 そのヘンリの魂の欠片に近づきながら、キャサリンが淡々と話し始める。ウィックはその場に立ち尽くし、ヘンリは濁った視線を天井に向けていた。


「ヘンリと仲間達は順調に旅を続けていった。そもそもヘンリは、勇者に選ばれる前から歴代最強の光の力を持つ者として知られていた。さらに彼女は剣の腕も相当に立った。まさに最強の勇者だった」


 やがてキャサリンがヘンリの側に立つ。そしてそこに腰を下ろし、もはや誰のものかわからないくらいに体液で汚れていたヘンリの前髪を優しくかき分け、その虚ろな顔をフードの奥から見つめながら言った。


「でも違った。ヘンリは決して無敵では無かった。彼女の敵は身内にいた」


 キャサリンがヘンリの頬をそっと撫でる。ねばねばした液体が手のひらに満遍なくへばりつく。しかしキャサリンはそれを汚いとは思わず、人形のように動かなくなっていたヘンリの顔を慈しむように優しくなで続けた。


「そこのクローゼットを開けてみてください」


 その時、ヘンリの顔を覗き込みながらキャサリンが不意に声をかける。ウィックは一瞬驚いたが、すぐに彼女の言う通りにした。右手に見える大きなクローゼットの前に立ち、取っ手を掴んで勢いよく開く。

 直後、中から何かが倒れ込んできた。


「うおっ!」


 驚いたウィックが横に飛び退く。ウィックと衝突しそこねたそれはそのまま床になだれ落ち、その痛みに身悶えた。


「こいつは……?」


 それは手足を縛られ、口に縄を噛まされた一人の男だった。歳は若く、しなやかで程よく筋肉がついた体を持ち、金色のショートヘアと水色の瞳が特徴的だった。


「これはいったい誰ですか?」


 そんな若い男を驚きの表情で見つめながらウィックが問いかける。キャサリンはヘンリから手を離してそっと立ち上がり、ゆっくりと振り返りながらそれに答えた。


「彼はヒュー。勇者ヘンリの仲間の一人で、腕の立つ弓使いです。私がここの城の住人に頼んで、ここまで拉致させたんです」


 キャサリンが物静かな歩調でウィックの隣に立つ。そして狼と共にその弓使いの男を見下ろし、淡々とした調子で続けて言った。


「そして旅の道中、ヘンリを強姦した」


 静かなものだった。キャサリンもウィックも激昂する素振りは見せなかった。全く予想通りの展開だったからだ。


「ヘンリには幼馴染みがいました。ヘンリとその幼馴染みは互いに恋をしていました。ですが旅立ちの前の晩に、その幼馴染みは命を落としてしまいました」


 こちらの気配に気づき、咄嗟に睨みつけてくるヒューを見下ろしながら、キャサリンがなおも淡々とした調子で話を続ける。ウィックはそれを黙って聞いていた。


「ヘンリは幼馴染みと死に別れる際に、彼から形見としてペンダントを受け取っていました。以来ヘンリはずっと、そのペンダントを身につけて旅をしていました。ですがある日、宿に泊まった時にそれは起きました」


 そこまでキャサリンが言ったところで、ヒューの表情が憤慨から困惑へ、そして懇願へと醜く変わっていった。目の前の女が何を話そうとしているのかを理解し、そして「それだけは話さないでくれ」と表情を歪め、必死に目で訴えかけていた。

 キャサリンは構わず続けた。


「ヒューはそのペンダントをひったくり、ヘンリに迫りました。言うことを聞け。これがどうなってもいいのかと」

「まさか」

「ヘンリは何でもするからそれを手荒に扱うのはやめてくれと言いました。そしてヒューは言質を取った」


 そこでキャサリンは言葉を切り、後ろにいるヘンリに目をやった。ウィックもつられてヘンリに目を向ける。

 ヘンリは動かなかった。ヒューはこの場から逃げ出そうと必死にもがいていた。

 それからどうなったのか、ウィックは聞こうとはしなかった。目の前にその何よりの証拠が転がっていたからだ。


「勇者についていった一行は、あくまで魔王を倒せればそれで良かった。それだけの力を持つ者であるなら誰でも良かった」


 キャサリンが静かに続ける。ウィックは黙って聞いていた。


「ヘンリに仲間意識を持っている者は一人もいなかった。あくまで使い捨ての利く道具。用が済んだら切り捨てる。そういう風に考えていた」


 キャサリンがおもむろに背中に手を回し、背負っていた大鎌を片手で持つ。


「壊れない範疇でなら、何をしてもいいと思っていた」


 そして転がっているヒューの元に近づいて腰を下ろし、本気で脅えている彼の縄を解く。


「なぜその話を今になって?」


 ウィックが真顔で尋ねる。キャサリンは立ち上がり、ヒューを見下ろしながら言った。


「せめてもの手向けです。このまま墓の下まで持って行かれるところだったヘンリの受難を知っていただければ、少しは彼女も救われるかと思いまして」

「・・だから私に聞かせた?」

「迷惑でしたか?」


 キャサリンが問いかける。ウィックは少し沈黙した後、静かに首を横に振った。


「いいえ。確かにこれは黙殺していいことではありませんからね。私でよければいくらでも聞きましょう」

「おい! そいつの話を真に受けるのか!」


 そこでヒューが唐突に叫ぶ。彼は血走った目でウィックを睨みつけ、噛みつくような語調で叫んだ。


「そいつの話は全部嘘だ! でたらめだ! ヘンリと何の関係もないその女の話を信じるっていうのか!」

「死神は嘘は言いませんよ。あなたと違って」

「黙れ! だったら証拠はあるのか? 俺がヘンリをやったっていう証拠は! あるって言えるのか!」


 ヒューは必死だった。恐怖に押し潰されまいと、声を張り上げて自身を鼓舞しているように見えた。

 そう眼前の男の様子を捉えたウィックは、とても物悲しい気分になった。そんな死のもの狂いになっていたら、自分から罪を認めているのと同じではないか。


「ウィック」


 その時、不意にキャサリンが声をかける。何事かとキャサリンの方を向くウィックに、その死神がヒューを見ながら言った。


「彼の服を上げて、脇腹を見てみてください」

「脇腹を?」

「そこに火傷の跡があるはずです。ヘンリに幼馴染みが渡したペンダントには魔力がこもっていて、持ち主に対して敵意を向けた相手に傷を負わせることが出来るのです。そしてその傷は癒えても、傷跡が消えることは決してない」


 そういいながらキャサリンがヘンリの元に近づき、彼女の脇の下に挟まれていたペンダントを手に取る。この時、ペンダントは彼女の言う通りに害を与えたりはしなかった。

 その一方で、ウィックは言われたとおりにヒューの側に腰を下ろし、喚く彼を無視してその服を捲り上げた。そしてその脇腹に、確かに火傷の跡のようなものが残っているのを確認した。


「最初はヘンリは彼の言うことを聞こうとした。しかし相手から出された条件を前にして、ヘンリはそれは出来ないと拒んだ。ヒューはそれに怒り、もみ合いになった。最終的にヒューが力で勝ったが、その時彼の手から離れたペンダントが彼の肌を焼いた」


 キャサリンが淡々と説明しながらウィック

の隣に腰を下ろす。そして手にしたペンダントをゆっくりとヒューの肌に押しつける。

 直後、ペンダントと接した部分から白い煙が立ち上った。それからペンダントを離すと、脇腹についたのと同じ傷がそこに残っていた。


「なぜあなたはこんなことまで知っているのですか?」

「死神にわからないことは無いんですよ」


 不思議そうに問いかけるウィックに、キャサリンはそう答えて優しく微笑んだ。それから二人は揃って立ち上がったが、その時ヒューがまたしても唐突に叫んだ。


「わ、わかった。俺が悪かった。謝る。もう十分だろ? 頼む、命だけは助けてくれ」


 顔を歪ませ、必死に命乞いをする。見苦しいことこの上なかった。狼人間は呆れたようにため息をつき、隣に立つ死神は無言でヒューを見下ろした。


「な? もういいだろ? 俺が悪かった。悪気は無かったんだ。ただちょっと、魔が差しただけなんだ。もう許してくれよ。反省してるからさ」

「そういって命乞いしてきたヘンリを、あなたは許しましたか?」


 キャサリンが冷たく言い放つ。冷徹な刃はヒューのよく滑る口を一瞬で噤ませた。


「いや、それは」


 それが引き金となった。自分の横で何かが風を縦に切り裂き、そしてウィックがそれに気づいた時には、ヒューの顔面に大鎌の刃先が叩きつけられていた。

 血の飛沫が勢いよく飛び散り、天井を汚す。ヒューは少し痙攣した後、二度と動かなくなった。


「せめてもの手向けです」


 キャサリンが静かに告げる。それからゆっくりと鎌を持ち上げ、そのヒューの潰れた顔面から刃を引き抜く。

 ウィックは何も言わなかった。キャサリンもウィックを無視し、踵を返してヘンリの元に向かった。


「仇はとりました」


 そして人形のように動かないヘンリに向けて、短く問いかける。


「何か希望はありますか?」


 ヘンリの体がわずかに動く。そして震える唇でキャサリンに答える。


「こ」


 ころしてください。





 鎌が風を切り、ヘンリの首がはね飛んだ。





 ウィックは何も言わなかった。

 宙を舞ったヘンリの首は、ベッドの上に残った体共々、床に落ちる前に光の粒となって霧散した。


「行きましょう」


 その姿を見届けたキャサリンは鎌を振り回して返り血を飛ばしながら、そのウィックの元に向かった。


「ヘンリは本当に復活したくてここに来たのですか?」


 そしてキャサリンが自分の隣まで来たところで、ウィックが彼女に問いかける。キャサリンはそこで立ち止まり、前を向いたままそれに答えた。


「本人が嫌でも、周りがそれを許さないこともあるのですよ」


 使い捨ての利く道具ということか。ウィックは心の中で呟いた。その呟きが聞こえたのかどうかはわからなかったが、キャサリンはその直後に顔を不快そうにしかめた。


「だから人間は嫌なのよ」


 キャサリンのその呟きは誰にも聞こえなかった。

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