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樹海の城

「失礼。ご一緒させてもよろしいでしょうか」


 そう言って馬車の中に入ってきたのは、一人の狼人間だった。服は身につけておらず、筋骨隆々とした体は紫の体毛に覆われ、手足の指は太く節くれ立っていた。目は金色に輝き、口は耳元まで裂けていた。


「大丈夫。取って食ったりはしませんよ。いいでしょうか?」


 狼人間は低い声で、反対側に座る女性にそう声をかけた。人狼が黒いマントを羽織り、顔を俯かせて目深にフードをかぶったその人間を女性と見分けられたのは、体つきが細く華奢だったのと、胸が服の上から僅かに膨らんで見えたからであった。もっとも普通の女性は、自分の背丈ほどもある大鎌を自分の脇に抜き身のまま置いていたりはしなかったが。


「ええ。構いませんよ」


 そしてその女性――狼人間の予想通り女性であった――は、眼前に腰掛ける人狼を前にしてそう答えた。こちらも声は低く、それでいて恐れや怯えのない芯の通った声だった。


「この場所でこの馬車に乗るということは、目的地は同じはずですからね」


 女性は顔を俯かせ、視線を合わせないままそう言った。狼人間は半開きのままだった馬車の扉を閉めた後、その窓から外の景色に目をやった。

 窓の外に広がる光景、すなわち馬車の停まっていたその場所は、霧の立ちこめる深夜の樹海であった。人の往来を拒む不気味な気配に満ちており、ここにいると雲一つ無い夜空の上に浮かぶ満月でさえも薄気味の悪い物のように感じられた。


「では、あなたもあそこに?」


 窓から視線を離し、金の瞳を女性に向け直しながら狼人間が問いかける。女性は小さく頷き、そして鎌の反対側に置いていた二つの大きな銀色のトランクの一つに手を置きながら答えた。


「はい。この通り、招待状も持っています」

「なるほど。正規の招待客ですか」

「あなたは違うのですか? 手ぶらのように見えますけど」

「私はあそこの住人から直接招かれたのです。城の人にはもう話を通してあるみたいでして、いわゆる顔パスという奴ですね」


 人狼が親しみのこもった声で答える。女性は脇に置いたトランクを愛しげにさすりながら言った。


「そうですか。それはつまり、あなたが同じ魔族だから、なのでしょうか」

「かもしれませんね。魔族も同族には甘いところがありますから」


 女性の問いに狼が答える。彼らの乗る馬車が僅かに揺れたのは、まさにその時だった。


「動き出したようですね」


 天井に目を向けながら狼が言った。女性は僅かに首を動かし、背後にある覗き窓から御者の姿を肩越しに見た。

 二頭の馬の手綱を握っていたのは痩せ衰えた老人だった。ぼさぼさの顎髭を蓄え、顔を見られないように帽子を深く被ったその老人は、女性の視線に気づかないかのようにただ前だけを見つめていた。そして馬車は徐々にそのスピードを速めていったが、御者は最初の姿勢からぴくりとも動かなかった。

 まるで人形みたいだ。女性はそう思った。意志を持たない、最初からその形で固定されている蝋人形みたいだ。


「そういえば、まだお互い自己紹介していませんでしたね」


 女性がそう思ったその時、狼が彼女に向かって声をかけた。小気味よい音を鳴らし、小刻みに揺らめく馬車の中で、女性はまたゆっくりとした動きで顔を正面に戻し、狼に向き直った。


「どうでしょう。ここで一つ、お互い名前を教えあうというのは?」


 中々に馴れ馴れしい狼だった。しかし女性はそれを不快とは思わなかった。彼女は、敵対していない限り魔族は基本的に友好的な種族であることを理解していたからである。

 そしてなぜか声をかけられた時、彼女は懐かしさに似た物も感じた。不思議だったが、それについて彼女は深く考えないことにした。


「私はウィック。見ての通りの人狼です」


 まず最初に人狼が言葉を放つ。それに続くようにして今度は女性が言った。


「私はキャサリン。死神をしております」


 狼が片方の眉をつり上げる。そして視線を鎌へ、続けてフードの中の顔へと動かし、その両者を交互に見ながらウィックが言った。


「なるほど。死神ですか」

「はい。命を刈り取る仕事をしております」

「ではあの城へは、巡礼絡みで?」

「そうなりますね。永遠の命に固執する者を死神として罰する、といったところでしょうか」

「今日のお相手は?」

「ヘンリ・エミリ・エッダ」


 その名を聞いた狼が顔を強ばらせる。


「ヘンリ? 魔王を倒した勇者?」


 魔族を束ね、世界を統べようと暗躍した闇の王。そしてそれを討ち滅ぼし、世界に再び光をもたらした伝説の勇者。

 狼が思っていたことと全く同じ文言を頭の中に思い描き、そして狼の言葉に頷きながらキャサリンが返す。


「そのヘンリです。魔王を倒した直後、行方不明となった存在です」

「至高の光。邪を打ち祓う最後の希望」


 キャサリンの言葉にあわせるようにウィックが呟く。その声には落胆の色がこもっていた。


「伝説の勇者も、死ぬのは怖いということですか」

「それはそうでしょう」


 キャサリンが答える。その声に感情はこもっていなかった。


「人間は誰だって死ぬのを恐れるものです。もし蘇る方法、もしくは不老不死になれる方法があるとしたら、皆が皆それに飛びつくはずです」

「ベルンヘイムの巡礼」


 狼がしみじみと言葉を漏らす。キャサリンは何も言わなかった。

 馬車が止まり、御者がしゃがれた声で中の二人に話しかけたのはまさにその時だった。


「お疲れさまです。ただいま到着しました。ベルンヘイムでございます」





 古城ベルンヘイム。

 東の果てに広がる樹海の奥地にひっそりと建てられたその城は、かつては人間の貴族の隠れ家として存在していた。しかし大陸の東半分を丸ごと魔族に占領された今では、その城は魔族達の格好の住処と化していた。

 そしてその城では、樹海に満ちる大量の魔力に目を付けた魔族の科学者達による、それを利用した禁忌の研究が行われていた。

 生物の蘇生。不老不死の研究。そして同時に、その命の有り様に唾を吐くような研究は既に完成されているとも噂された。

 当然その話は大陸中に広がった。魔族だけでなく人間の耳にもその噂は伝わった。そして噂を耳にした者の中から、本気でそれを求める者が現れ始めるのはある意味必然であった。

 その命を求める行脚は「ベルンヘイムの巡礼」、もしくは単純に「巡礼」と呼ばれた。

 多くの者が巡礼を行い、樹海を抜けてベルンヘイムを目指した。そしてその殆どが樹海の中で命を落とした。ある者は道に迷い、ある者は樹海にすむ魔獣に食い殺され、ある者は「生きた樹」の養分となった。

 樹海の殺意は人間だけでなく、魔族さえも標的とした。そうして樹海は自分の中で命を落とした者の魂を吸い取り、より一層己の力を増していった。

 大それたことを考えるから罰が当たったのだ。そう思う者もいた。しかし人間と魔族の欲望は留まることを知らず、巡礼に向かう者は後を絶たなかった。

 もっともその巡礼者の中で、城の要求する招待状を持参するか、もしくは城の住人から招待を受けた者でなければ、そもそも城に入ることすら出来ないということを知っていたのは、ほんの一握りであった。


「確かに私共は命の研究をしております。ですがそれは、誰にでも簡単に開示してしまえるような軽々しいものではないのです」


 古城ベルンヘイムの正門。そこで馬車を待っていた老人はキャサリンとウィックを目の前にしてそう話しかけた。その老人は背筋がすっかり折れ曲がり、白衣の裾から伸びた手は枯れ枝のようにやせ細っていた。手にはランタンを持ち、もう片方の手にはクリップボードを持っていた。頭は禿げ上がり、口を開けば前歯が何本か欠けていたのが見えた。

 しかし目はギラギラと輝いていた。その目の中には探求心と背徳感の入り交じった執念の炎が燃えていた。


「まあそんな訳でして、私共はこの城に入る者を勝手ながら選別させてもらっているのです。そして私共の眼鏡に適わなかった方々には、残念ながら樹海の糧となってもらっているのですよ」


 老人はしわがれた声で言った。その声に悲しみの響きはなく、淡々と事務的に状況を説明しているようであった。

 そして「正規の手段」でここまで来たキャサリンとウィックも、それに対してなんとも思っていなかった。欲の皮をつっぱねるからそうなるんだ。彼らは憐憫や同情といったものは一切抱かなかった。


「さて、一応ではありますが、まずは招待状を拝見させてもらいます。まずはそちらの狼人間様から」


 老人が手を差し出す。ウィックは背中に手をやり、そこから一通の封筒を取り出した。それは既に封が解かれており、ウィックはその開けられた封筒を老人の手に置いた。

 老人が封筒の中に手を突っ込む。中から手紙を取り出し、中身を拝見する。


「確かに。私共の送った手紙ですな」


 右上に捺された判子と最下段に記されたサインを交互に見やりながら老人が言った。そして手紙を封筒に戻し、それをウィックに返却してから、次に老人はキャサリンの方を向いた。


「では次に、そちらのお嬢さん。招待状を拝見させていただきます」


 背中に鎌を背負い、両手にそれぞれ同じ形のトランクを持った死神は、その言葉に小さく頷くと同時にその場に腰を下ろした。そして片膝立ちの姿勢になってトランクを地面に降ろし、その内の一つを自分の目の前に持って行く。


「これを」


 キャサリンが短く告げ、目の前のトランクを開ける。それから開けたままのトランクを回転させ、中身を老人に見せる。


「ほう」


 老人が目を細める。ウィックも興味深そうにそれを見つめる。

 トランクの中には少女の生首が収まっていた。


「ヘンリ・エミリ・エッダの首です」


 蝋人形のように綺麗に整えられた、眠っているかのように両目を閉じたその首を見せながら、キャサリンが静かに言った。


「確かに。拝見しました」


 暫くその生首を見た後、老人は静かに告げた。それを受けたキャサリンも淡々とした動作でトランクを閉じ、静かに立ち上がる。

 老人がランタンを持った方の手を持ち上げて合図を送る。彼の背後で閉じきられていた鉄製の門がゆっくりと開いていく。


「ようこそ。ベルンヘイムへ」


 老人が脇へとどきながら静かに告げる。死神と人狼は開け放たれた門の奥へゆっくりと進んでいった。

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