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芋虫のゆりかご

芋虫の餞

作者: haru

 11月13日。その日、少し体調を崩し午後の時間寝込んでいた私は、強烈な左足の痺れで目を覚ました。あぁ、降り出したか、と思う。布団を被っていてもその触感すら感じられない私の左足であるが、痺れだけは一人前に感じている。それが、雨の日になると強く感じられるので、今では痺れの強弱が簡易天気予報になっているのである。

 枕元の時計を見ると、夜9時を少し回ったところだ。歩行器に掴まりリビングへ向かう。家の中は暗い。両親は、と一瞬思ったが、祖母の所にいっているのだ、と思い返した。

 今年90歳の祖母は、現在老人介護の施設に入所しているのだが、ここ数か月で体調を一気に崩しており、数日前から危険な状態を繰り返していたのだった。

 今から15年ほど前に祖母はくも膜下出血で倒れた。その後一命は取り留めたのだが、後遺症で記憶が失われていたり、自分の身の周りの事が出来なくなったりと、所謂「ボケた」状態になっていた。それでも、「実家から追い出すような事はしたくない、せっかく助かったんだから、もし死ぬ時が来ても家で最期を迎えさせてあげたい」という母の思いの元、この家で生活していたのである。

 それが、私の今回の入院で状況が一変した。母が私の方に出てくることになったため、祖母をみられる人間が居なくなってしまったのだ。正確には祖母の実の息子である父が家には居るのだが、仕事を理由に祖母の看護を母に一任してきた父の手に負える筈もなく、祖母は今年の2月から施設に入ることになったのである。

 私が手持無沙汰にテレビゲームをしていると、携帯電話が鳴った。母からであった。

 「もしもし」

 「おばあちゃん、亡くなったよ」

 「そうか」

 「ふあーって、大きなあくびを一回して、それからすぐに息を引き取ったよ」

 「そうか」

 「お父さんが今日はここでおばあちゃんと一緒にいるから、私はこれから帰るでね」

 「そうか。気を付けて」

 程なくして母が戻って来た。彼女の服についた雨粒の跡に、あぁ、やっぱり雨か、と思っていた。母は、お通夜や葬式の時、あんたはどうしようかねぇ、と言った。私は何の返事もしなかった。こんな体になった私がその場所に出ることは、この鬱屈した田舎町の暇人たちに格好の暇つぶしのネタを与えるだけのことだと、母も私も良く分かっていたのである。

 その夜、私は努めて祖母の事を思い返していた。

 私が小学校6年生の時、祖父が亡くなった。その際に、祖母は鳩時計を私に差し出して「この、誕生日にかず君からもらった時計、おじいちゃん、大事にしてたんだよ。かず君がくれた、かず君がくれたって…」と言った。目には涙が浮かんでいた。私は大変に狼狽した。祖母が泣くのを見るのが初めてだったこともその理由の一つだが、それだけでは無かった。私は、その時計を祖父にプレゼントしたことを覚えてすらいなかったのである。

 次に思い返すのは、祖母の入院中の事であった。当時私は大学生だった。ちょうど後はもう卒業論文だけで、今後の進学先も決まっている、という状態だったので、実家に戻り祖母の付き添いをしていたのだが、それも祖母の為というよりは、ただ看護婦目当てであったように思う。中学校の時に親しくしていた同級生が偶々その病院に勤めており、そこで『運命』の再会を果たした、という訳であった。彼女もそこに勤め始めてから1年くらいで不安も少なからずあったようで、ちょくちょく外でも会うようになっていた。結局その後、私が東京に戻ったことで疎遠になっていったのだが、今は一体どうしているのか――

 そこまで思い出して、私は自分の感情に激しく憤りを感じていた。それは、これまでの人生に感じた事の無い、絶望、と言ってもいいような感覚だった。長く一緒に暮らしてきた大切な家族の筈の祖母。ほとんど私の所為で自分の家で死ぬことすら出来なかった祖母。その祖母が亡くなったというのに、私が思い出すことは何故自分の事ばかりなのか。私は涙を流そうと試みた。しかしそれは、私の精神を余計に追い詰める結果となった。祖母の事を思ってではどうしても出来なかったが、そんな無様な自分の姿の事を思えば、不思議なくらいすぐに涙が流れて来るのである。そしてそんな自分を情けなく思えば思う程に、嗚咽が止め処なく溢れて来た。

 翌朝。痺れが輪郭となって、私の左足を形作っている。今日も雨である。私がその痛みに捻転していると、私の目覚めに気付いた母が、大丈夫か、と聞いて来た。どうやら彼女は、今朝の私の嗚咽の理由を勘違いしているようだった。私は苛立ちに任せて、出るに決まってる、と答えた。


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