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鍵盤に魅せられて①

 中学校の卒業式まで後一か月、俺の所属する三年C組には色んな奴がいた

 受験を目前に控えピリピリする奴、進路先がきまり浮かれる奴、高校に行かず就職先を担任と必死に探している奴……挙げればキリがないのだがそれほど混沌としていた。

「なんだよその態度は」

「あぁ? てめぇ文句あんのか?」

 またいざこざが始まった……ここの所ずっとだ。まぁ気持ちは分からなくもないが喧嘩は見てて気分の良いものでもないし勘弁して欲しい。

 チャイムが鳴って担任が教室に入ってくる。二人はそれに気付き互いの袖を離した。問題を起こしたら将来を棒に振ってしまうからだ。当然の行為だった。


「えー……今日は卒業まで約一か月と迫ったところでだな……。卒業式で歌う……曲の指揮者と伴奏者を……決めたいと思う」

 クラスが騒めく。担任が大きく手を二回叩いた。騒がしぐ動いてた生徒たちの口が止まる。

「誰かやりたい人はいないか……?」担任は半分諦め顔でそう言った。

 無理もない。皆自分の将来で手一杯なのだ。かくなる俺もまだ進路先は決まってない。成績こそ悪くなくこだわらなければ高校には軽々入れる身分にはあったが俺も人間だ。やっぱりそれなりのレベルの高校には入りたいしましてや今は追い込みの時期、そんな事に現を抜かす暇なんてあるわけがなかった。


「――――誰かやりたい人はいないか?」

 担任が数回言うが手を挙げる気配はない。諦めたのか担任がふぅー……と大きく息を吐いた。そして口を開いた。

「じゃあ――――」

「あ、あの!」

 前から二列目の左端の女の子の手が挙がる。あれは……瞳子さんか?

「私……その……やって……みたいです……伴奏」

「おお! やってくれるか瞳子!」担任は眩しいほどの笑顔でそう言った。

「じゃあ時間もないし指揮者はやりたい人がいれば先生のとこまで来てくれ。じゃあHRは終わりだ。解散!」

 担任の口調と足取りは軽かった。よほどほっとしたのだろう。いつもより声量も大きかった気がする。

「あ……」

 不安そうな顔で後ろを振り向いた瞳子さんと目が合った。俺は思わず目を逸らしてしまった。嫌われてしまっただろうか。もったいない事をしてしまった――――


「――――んでよ、昨日のベイスターズはさ――――――」

 友人の田山がまた野球トークをしてくる。朝のHR後にベイスターズの近況を聞くのはもうすっかり日課になってしまった。窓の外の景色に目をやる。今日は快晴だ。

「おい、聞いてるのかよ!」

「うるせえな聞いてるよ。またベイスターズが負けたんだろ?」

「ちげーよ! 勝ったんだよ! 話全然聞いてねえじゃねえか!?」

 もうわかると思うが俺は野球、いや、スポーツに対してはさほど興味はなかった。そんな俺に対して田山はベイスターズを好きになってもらおうとこの一年ずっとこうして野球トークを続けてきたわけだが卒業を間近に控えた今も野球に微塵も興味はわいてこない。

「なんだよ今日はいつになく心が上の空だなー。あ! あれだろ。また瞳子さんの事考えてたんだろ」

「……まあそうだよ」

 俺は瞳子さんが好きだった。凛としたなりたちや友達との会話の間にみせる笑顔、俺は一学期から彼女の虜になっていた。でも――――

「そんなに好きなら話かければいいんだよ。話かけなきゃ何にも始まんねえぞ?」

「分かってんだよそんな事は……でも何話したらいいのかわかんねえし、それに――――」

「それに?」

「……まず面と向かって対峙できない」

「……お前は乙女か」

 ――――そう、俺は瞳子さんと会話をしたことすらなかったのだ。授業中暇があれば俺はいつも目で瞳子さんを追っていた。だが話かけようとはしなかった。嫌われたくなかったから。勇気がなかったから。恥ずかしかったから。要するにチキンだからだ。

 部活こそしなかったが友人にも恵まれ、学業も疎かにせず、委員会もやり、それなりに楽しかった俺の中学三年間の、たった一つの心残りだった。



 ――――学校帰りの途中、田山はふとこう呟いた。

「しかし瞳子さん、なんでまた伴奏者に立候補したんだろうな? うちのクラスはいつも真里ちゃんが伴奏してたのに……」

 田山の言う通り確かに引っかかる所はあった。瞳子さんはそんなに積極的なタイプじゃないし彼女の周りを取り巻く友人もおとなしめの子が多い。自分から立候補すような事はしないだろうし実際これまでもしたことはなかった。

「瞳子さんも高校生になるし変わろうとしているんじゃねえの? お前も見習えよっ」田山が背中をどつく。

「余計なお世話だ。お前こそ自分の将来心配しろ」

「……それは言わない約束だ」

 田山といつもの分かれ道で別れる。本当は真っ直ぐ進めば家に着くのだが俺はいつも寄り道をしてから家に帰っていた。

 寄り道先は瞳子さんの家だ。とは言っても家にあがるわけではない。ただ家の前を通り過ぎるだけだ。たまたま自転車を漕いでる最中に瞳子さんの友人が家に入っていくのを目撃したのだ。後日確認したら瞳子さんの名字『天野』の表札があったから間違いなかった。ストーカーまがいの行為かもしれないが許してほしい。彼女の家の前を通るだけでもけっこう緊張するのだ。


 10分くらい歩いて行くと瞳子さんの家の前に着いた。いつもは聞かない音色が辺りに響く。

「ピアノの音……」

 弾いているのはクラス曲の『贈る言葉』だろうか。しかし上手い。楽器に疎い俺でも分かる程だった。何よりも滑らかで人を惹きつける。――――ここは演奏会の特等席だ。俺は思わず立ち止まって聞き入ってしまった。

 曲が終わり小さな拍手をする。素晴らしい。上手だったと言いたいが――――そんな勇気はない。聞こえないくらいの小さな声で「良かったよ」と呟いた。

 また『贈る言葉』の伴奏が始まった。今度は歌詞を口ずさんでみようと思った。感情を押し殺している自分に対しての説教のような歌詞。始めは小声で歌っていたのだがやがて気持ちが高ぶりいつしか音楽の授業で歌っているのと変わらない声量で歌っていた。

 曲が終わり事の重大さに気付いた俺は早足で帰ろうとした。しかしその時――――瞳子さんが玄関から出てきてしまった。手には棒のような物を持っている。

「あ……」

 身体が動かない。絶対変な人と思われてしまった。死にたい、消えてしまいたい。このまま走って逃げてしまおうか。そう思っていた。

「あの……」

「ははははい!」

 瞳子さんが話しかけてきた。始めてだった自分に対しての声とまなざし……恥ずかしくて火が出そうだった。

 ――――でも目はそらさなかった。これが瞳子さんとの最後の会話になるかもしれなかったから。決して中途半端な物にはしたくなかったから。

「あの……さっきの歌……」

 やっぱり。変だと思われてる……顔は耳まで真っ赤になり目には心なしか涙が浮かんできた。最悪だ。あんな事しなきゃよかった。

「やっぱり変ですよね。あはは……」

「そんな事ないです! すごく……すごく良かったです」彼女は笑顔でそう言った。

 良かった……?俺の歌が?意味が分からなかった。緊張もあってか考えがまとまらない。


 ――――沈黙が続く。めちゃくちゃ気まずい……何を話せばいいんだろう?学校の話?ドラマの話?それとも……進路の話?

 ダメだ、無理だ。俺には話を切り出す勇気なんてない。瞳子さんは持ってきた棒をぎゅっと握りしめている。

――――いっそのことこのまま別れてしまおうか。幸い嫌われてはいないようだし、このまま別れても……多分問題はないだろう。そうだ、それがいい――――

「あの!」

「は、はい!」

 彼女は突然喋った。そしてこう言った。

「あのですね……これで……」

 彼女は手に持っていた棒を差し出す。顔は真っ赤で今にも泣きそうな顔をしている。身体も小刻みに震えていた。


――――そして、俺の人生を、彼女の人生を大きく変える一言を発した。

「……指揮者、やってくれませんか?」

「……へ?」


 冬の終りを感じさせない冷たい風が襲う。俺と天野瞳子の間にあった錆びついた時計が、ゆっくりと針を進め始めた気がした――――



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