Technique
廃プレイヤ人の話をしよう。
彼らにとって『Ἀρκαδία』で最も重要なのはステータスである。
体力、精神力、攻撃力、防御力、魔法攻撃力、魔法防御力、俊敏力、回避力、命中力、回復力…等々、彼らはそれらを死に物狂いで上げることに日々を費やしている。なぜならそれが彼らの生き甲斐だからだ。これは逆説的に“それを生き甲斐にする者を廃プレイヤ人と呼ぶ”という意義を唱えているとも言える。
彼らはHigh Statusを目指すためにパソコンにかじりつきになる。そのように言われると廃プレイヤ人は不健康な生活を送っていると思われがちだが、21世紀後半現在においてそれは寧ろ逆なのである。
長時間ゲームをやるには体が資本。それも近年のゲームは著しく体力、精神力─────両者とも現実世界においてのである─────を消費する傾向にある。彼らは筋肉トレーニングスーツを着て体に特殊な電波をあてて体を鍛え上げ、科学力により発展した点滴技術を用いて個人差に沿った栄養バランスの液体を体に接種させる。さらに家庭用人体スキャナーに常にさらされているために、身体に異常が見られたならば即座に処方箋を異常箇所に直接送り込み超早期解決を図る。これらにより廃プレイヤ人の平均寿命は計算上100年伸びるだろうという驚くべきデータが出ているくらいだ。
そして、現実を生きる普通の人々は彼らの“そういったところ”を忌み嫌うのである。人間らしくない機械任せの生き方、…いや、それは生命倫理的に“生き方”と言えるのだろうか。いくら健康的と言っても彼らのそれは石鹸で洗われた食べ物を口に含んでいるように思われて仕方ないのである。
「スライム系?」
麦とホップが似合いそうな黄緑色のカーペットの上で大木戸常磐性別♀Lv1【拳闘士Lv1】が腰を下ろしながら聞いてきた。オレ達は取り敢えず村で貰った冷たい烏龍茶でも飲みながら休憩することにしたのだ。
「ああ、村長が言っていたろ?スライム系ってのはモンスターの種類の一つでブヨブヨした姿の架空の生き物なんだよ」
「……大きいアメーバみたいなもんか?」
「まあ、イメージ的にはもう少しファンシーなナリをしているがな」
スライム系と言えば古来のRPGから存在する由緒正しきモンスターで、あんな姿で実はなかなかの強さを誇ったりする。たとえば有名な『DRAGON QUEST』シリーズでは初っぱなに出てくるスライムが最強奥義マダンテを憶えるし、ゴールデンスライムは全モンスターの中でも最高峰のステータスを持つ。だからいかに序盤といえど気を抜いてはならないのだ。
…、追記するならば“エッチなRPG”ではスライム系は〝無敵〟に等しい。あのモンスターは数多もの女勇者達を喰らうてきたのである。その実力は触手モンスターと二分するくらいだ(エッチなRPGにおいて)。
だっ…だから、くれぐれも序盤だからといって気を抜いてはならないのだ!………………でっ、…でも、まあ?……ちょ…ちょっとくらいなら…ほんのちょっぴしならっ…いいんじゃないか?…その、…気を抜いても?…………………………………………………ふふっ
「ふんっ、どうせまた変なことでも考えてるんだろうが、不愉快だからやめろ」
「わわわっ!? はははっ…やっ、やだなあっ、津上さんっ!なっ…ナニヲイッテイルノヤラ」
常磐の隣にはまるでウィスキーでも呑んでいるように手首を器用に回してグラスを揺すりながら、チビチビと烏龍茶を啜う少女、津上御鑑性別♀Lv1【僧侶Lv1】。
そんな大人な彼女に心を読まれたかのように指摘されて内心も外身も焦るオレ。誰が見ても声が上擦ってるし最後の方の棒読みなんて決定的。まあ、唯一救いだったのは実際の被害が常磐からの強烈なすね蹴り三発で済んだところだ。自白でもさせられたら死を覚悟しなければならなかっただろう。
にしても、御鑑にしろ、学校の友人の宗像彼方にしろ小鳥逃さんにしろ、オレはそんなに心を読まれやすいか?
「で、要はスライム系というのは泥鉱かヘドロのようなものに生命が宿ったものということか?」
御鑑が聞いてくる。
「んー、ここで出てくるのはそんな汚くないというか、あれだ。小学生のころ洗濯糊とか混ぜ合わせてゴムみたいなやつ作らなかったか?」
風船の中に小麦粉容れた物と並ぶ小学生の二大ブヨブヨ作品である。
「あぁ、Na2〔B4O5(OH)4〕・8H2OとCH2CH-OHの架橋結合体か…。」
「…………………へー…」
オレは黙って汗を流す。
取り敢えず分からないということが重々に分かった。 アァッ…、カガクッテムズカシイヨ…
「けっ…系というからにはこっここっ…の辺りには…い、幾つかの種類のスライムが出てくるんですか?」
オレが脳内オーバーヒートしているのを一瞬も躊躇わず口下手な碧倉庫楽性別♀Lv1【魔法使いLv1】がいい質問をしてくる。が、今は御鑑から少しでも離れたい気分だったので渡りにshipである。
「その通り、と言っても出現数はリーフスライムっていう緑色のやつがほとんどで、時々アクアスライムやフレアスライム、ここでは滅多に出て来ないがテラスライムなんてのもいる」
「っ」
「テラスライム?仏教徒なのか?」
「はっ?ちげーよ、大地スライムだよ。テラフォーミングなんて言葉聞いたことあるだろ?」
今、一瞬だが御鑑がピクッと反応したような気がしたが、オレは気にしないで常磐のボケに対応した。
そう、オレは気付かなかったのである。あまりにも抜けていて迂闊だった。彼女の自己紹介をもっとよく聞いていれば簡単に分かる問題だったのに…。
「テラスライムは上級モンスターで倒したら沢山の経験値が入る。ざっとリーフスライムの200倍くらい。まあ、こいつに会うなんて相当に運がない…」
「…とダメなのか?」
「はっ?」
突如、御鑑が立ち上がりオレの声に被せるように尋ねてきた。
「滅多にない?レア?相当な運がないと出会えない? ハッハッハ、貴様…それは“精々凡人たる我々には決して出会えない”という意味か?」
ギランと睨む御鑑。おかしいなぁ、身長はオレの方が高く彼女が見上げてきている図なはずなのに、オレは崖の上から見下ろす大狼の印象を受けた。
「えっ…いや、そうじゃ…なくて…ですね」
気圧されて庫楽ばりにタジタジとなってしまうオレ。敬語になってしまうのは仕方ない。
「ふんっ、…見くびるなよっ」
「おっ…おい、どこ行くんだっ!」
そのままスタスタと何処かへと歩いていってしまう御鑑。オレは制止を呼び掛けたが無視されてしまう。マジかよ…、あのお姫さんはそんなにもへそ曲がりなんか?
「………ここだ」
悄気るように無秩序無計画に歩いていると思われた御鑑は、徐にその進行を自分で止めて体ごと左に向かう。オレが何事かを理解できないでいると急にどこからか雄々しいBGMが流れ始めて目の前に《Encount!》という文字が浮かび上がる。
「なっ!?」
驚いて御鑑の見ている方を向くとそこにはボーリング玉くらいの大きさの球が三体いた。それは輝く艶やかな茶色…つまり見るに美しい銅色に、大きな怪しい瞳が一つついたモンスターだった。
それは緑色でおよそ葉の形をしているリーフスライムのものではない。かと言ってアクアやフレアもまた同様に違った。これは見紛うことなきレアモンスターのテラスライムであった。
「フッフッフ、我が豪運の前ではこんなもの造作もない」
唖然としているオレに得意満面になっている御鑑。
「やっ…ヤバイっ……」
「そんなに私を恐れるな」
顔面蒼白とするオレを上から目線で慰めようとする御鑑。
「ばっ…バカやろっ!オレが言いたいのはそんなことじゃねえっ!」
「ふんっ、じゃあなんだと言うのだ」
「お前は勘違いしている!オレは奴らに相当数の運があれば会えると言ったわけじゃねえっ!」
「勘違い…だと?」
「いいかっ!経験値をたくさんくれる奴らってのは平行して“それだけ能力も高い”ってことなんだよ!今の文字通り低レベルなオレ達じゃまず勝てない。奴らに会うなんてオレらは相当に“運が無い”んだよ!」
「ほうっ、それはそれは…」
「どうすんだよ!」
「知るか、私にとってそんなことはどうでもいい」
「無責任だっ!?」
御鑑様はレアモンスターに出会えただけで充分だったようだ。
「とっ…とにかく逃げるぞっ!」
くそっ、こんなとこでもう死んでたらシャレになんねえし! ……、もしくはここで、もうアレをやっちまうか?
そんなことを考えながらクラウチングスタートの体勢をとろうとオレが屈みかけた時、オレの前を通り過ぎて御鑑の前に仁王立つ電光石火があった。
「なっ!? 真島!!?」
そこには先程まで不貞腐れて叢の上に寝転んでいた真島詩鞠性別♀Lv1【剣士Lv1】だった。青銅の剣を諸手で構え金の長い髪を揺らしながら彼女は好戦的な気持ちの良い笑顔を浮かべていた。
「ふっふっふー、ここはマリに任せてー」
「おいっ!マリ!危ないからっ!」
しかし御鑑に引き続き詩鞠までもがオレの警告に無視してテラスライムに果敢に挑もうとする。こいつらは立ち入り禁止区域でスキーやスノボする現代版命知らずの若人とかか?生い先短くなるぞ?
彼女は軽やかなステップで一気にテラスライムとの距離を縮める。その速さはまるで彼女の周りだけ重力がないのではないか?と物理学者に錯覚させるほどである。その見解はテラスライムAにとっても同様だったようで、敵は避ける暇もなくブロンズソードの一撃をマトモに喰らってしまうことになる。
────だが、快進撃もここまでだろう。
なぜならさっきも言ったようにテラスライムのステータスは並々ならない。初期レベルの攻撃力で、しかもブロンズソードなんて下級武器、敵はノーダメージな上に剣は圧し折られるだろう。
『Super Critical Hit!!』
…なんて考えていた所に大層な短い音楽が流れて、眼前にあるテロップが現れる。
「っ! 嘘だろ!?」
鞠は一体目のテラスライムを撃破していた。稀に武器がクリーンヒットして敵に大きなダメージを相手に与えることが出来るという話は昔から有名である。ダメージ判定に127という驚きの数値が表れる。
「ギギギ」「グググ」
しかし息をついてはいられず、間髪入れずに死角からテラスライムBは【メガフレアスモーク】をテラスライムCは【ニドルアース】という両者とも中級全体攻撃魔法を放ってくる。オレ達はテラスライムから幾分離れているから当たらない。御鑑もいつの間にかこっちに来ていたようだ。
だが、テラスライムの間近にいた詩鞠はまず避けられない。
万事休すかに思われたその時だった。
「ふっ、はっ、よっと!」
鞠は【メガフレアスモーク】を空中で体をひねりバク宙で後退してかわし、すぐに体勢を立て直して躍るように【ニドルアース】の棘の群れを紙一重で全て避ける。
彼女はそのすぐに駆け出して、腰にあったもう一本の剣のカッパーソードを引き抜き、二刀流でテラスライム達に向かって行った。
『Congratulation! Double Super Critical Hits!!』
「………………」
オレはもう声も出せなくなっていった。
このステージでテラスライムが出現する確率1/10000。
三体同時はその三乗分の一。
攻撃して『Super Critical Hit』が出る確率1/7000(通常時)。
三体同時も三乗分の一。
計、 1/343000000000000000000000
凡人が三千四百三十垓回挑戦してようやく一回出来るものを彼女達は一回でやってのけてしまった。
いや…、元々彼女達にとってこんなもの1/1なのだろう。
オレはふと思う。
天才のTechniqueで凡才のHigh Statusを撃ち破る計画の《脱蛹化蝶計画》
この単純にして明快で楽観的にしてバカげている計画。
ある意味笑えねえな…と。
そして、ようやくオレは息をつくのだった。