最後の敗残兵~Mary Christmas~
すべての聖戦士にささげる
最後の敗残兵~Mary Christmas~
十二月二十四日
一八:○○時 都内某所
「今回の襲撃は激化が予想される」
重く暗い個室の中、肩の三ツ星を揺らしながらよく響く声で男がしゃべった。
「度重なる攻撃に晒され、我が隊の疲弊は極限に達している。補給線は絶たれ、弾薬も食糧の備蓄も残りわずかだ。負傷兵の看護もままならない。まさにほうほうの体である。諸君らの中にも戦友を失ったものが多数いるであろう」
部屋の隅々からすすり泣き、嗚咽が聞こえてきた。
「私の率いた中隊が全滅し、恥辱にまみた私が腹も切らずに生きているのには訳がある。それは奴らの服を赤に染め上げる事だ。我が神国を侵略せしめんとする鬼畜どもを一人残らず根絶やしにする事だ!」
部屋に熱がともり始めた。
「今やわが美しい祖国は腐敗しきっている!政治、軍部の腐敗はさることながら、国民の愛国感情までも地に堕ちてしまった!過去の敗戦は国民の尊厳すら奪い取ったのだ!国民を支配する巧妙な洗脳はそうやすやすと解けるものではない!だが我々は諦めない!我々は国を!国民を!正す最後の敗残兵である!」
部屋に熱気が充満し始める。男たちは荒い息づかいでこの演説を聴いていた。
「これは、古き戦士及び戦い続ける同志たちの、偉大な人格的・精神的闘争である!諸君らの中にはかつて、我々の敵対者から迫害を受け、困難だった日の事を切なく思い返していた者もいることだろう。ある者は自らの思い出に浸っている事だろう。だが今日で最後になるであろう。戦士諸君!誇り高き英霊たちよ!私はあえて諸君らを英霊と呼ぼう!なぜなら今回の作戦で生存はありえないからだ!悉く戦い、悉く死ぬだろう!諸君らは神国の礎となり英霊の列に加わる事になる!だが我々の意思は砕けない!全員の力を総動員し、神道国家の理想の最高の具現者となり、そしてその時、我々英霊は国民にとっての永遠で不滅の支柱となる!我々は死ぬが、何度でも人々は集いそして去ってゆく。そして彼らは新たに統制され、鼓舞され、奮起する。なぜなら、この思想は!この運動は!我が国民への強烈な自己表現であり、永遠の象徴であるのだから!敗残兵諸君!英霊たらんことを!神国万歳!」
『大尉殿!万歳!神国万歳!』
部屋を歓喜と熱狂の叫びが埋め尽くす。天井に銃を撃つもの、敬礼するもの、万歳をするもの、各々が中央の大尉に忠を尽くしていた。
戦闘開始一時間前のことだった。
一八:三○時 都内某所
○○川防衛線 イ号拠点
川を挟んでの拠点地点。迎撃には絶好の拠点だ。武装した兵士が数名。みな落ち着きついている。ものの三十分後には火の海になることがわかっているのに彼らが落ち着けるのは先ほどの演説と場数のおかげだろう。
その中で一人の新兵が歯を鳴らし震えていた。
「怖いのか」
先ほどの演説をした大尉だ。
「ハッ!いいえ大尉殿!寒さのためであります!」
「そうか…。みたところ新兵だがなぜ隊に残った。貴様以外の新兵はみな脱走したぞ」
「ハッ!奴らを血祭りにあげるためであります!」
「恨みか」
「肯定であります!」
「そうか…。ここにいるのは私のような未来の無い古参兵ばかりだ。私たちも最初の動機は恨みだった。奴らの迫害は耐えられるものでは無かったからな…。乏しい装備でここまで戦ってきたが…あるものは死に、あるものは裏切った。そして残ったのが我々だ。君たちのような若者が戦わなくてすむ、そんな未来を創るためここまで来たが…どうやらそれも叶わなかったようだ」
自嘲気味に大尉は笑った。刻まれた皺が彼の歴史を語っていた。
「失礼ながら大尉殿。私は大尉殿のおかげで立ち直る事ができました。奴らの迫害に対抗する事ができました。ここで死ぬことになろうとも悔いはありません。大尉殿は私たちの希望です。誇りを持ってください」
「そうか…。だが私は…」
言い終わる前に爆発音が響き渡る。みないっせいに壕に入る。一拍遅れて新兵がそれに続いた。
「軍曹!損害を報告しろ!通信兵!各拠点に報告させろ!いそげ!」
「損害、戦死者無し!敵の空爆です!距離約500!第二波来ます!」
ドォン…と地面が揺れる。敵は支援砲火で先手を打ってきたようだ。
「ロからト号損傷軽微!戦死者無し!」
「各小隊に通達!空爆が収まるまで壕から出るな!すぐに本隊が到着するはずだ!備えて待機!射程に入り次第交戦せよ!」
「了解!各隊に告ぐ…」
こうしている間にも間断なく空爆は続いている。壕にこもっていても恐怖はすべてをすり抜け心に響いてくる。新兵は恐怖で固まっていた。
「力を抜け!無駄死にしたくないならな!」
肩を思いっきり叩かれた。はっと顔を上げると古参兵の軍曹だった。
「こんなものはほんの挨拶程度だ!これから奴らの本隊がくるぞ!いまは一匹でも奴らを殺す事を考えるんだ!いいな!」
「サーイエッサー!」
少し心の余裕を取り戻した。空爆はまだ続いている。
「…収まったか?」
空爆の音が聞こえなくなりしばらくたった。あたりは静寂で耳が痛いほどだった。
「各隊に通達。各員指定の位置にて戦闘待機。俺たちも外に出るぞ!各員指定の位置で待機!指示を待て!」
「了解!」
外は惨憺たる状態だ。空爆の直撃は免れたがあちこち火の手が上がってる。地形が変わっているところもあるだろう。新兵はあらためて戦場にいることを実感した。
「ちょっとまて!静かにしろ!」
大尉が突然叫ぶ。川の流れる音、風の音、呼吸音。自然音のなかでそれは聴こえてきた。
シャン…シャン…シャン…
新兵にも聴こえた。と同時にそれは恐怖となり襲ってくる。
シャン…シャン…シャン…
古参兵も恐怖からは逃れられない。士気の低い部隊はこの音を聞いただけで敗走する悪魔の音。
シャンシャンシャン…
いや悪魔の鈴───
シャンシャンシャン!
『メリークリスマス!』
「散開─」
言い終わる前に嵐が降り注いだ。爆発と弾丸の嵐だ。言葉も無く死んでいく兵士たち。運よく生き残り遮蔽物に隠れる事ができたのはごく僅かだ。
「くそ!前回と火力が桁違いだ!ひげ野郎!今度こそ俺たちを皆殺しにするつもりだ!」
「上等だ!あのひげ全部むしりとってやるぜ!」
「全員撃てぇーーー!」
銃が上空めがけて火を噴く。
「トナカイを狙え!足が無ければただのヒゲモジャだ!」
「くそ悪魔め!死ね死ね死ね!!」
『フォフォフォ!メリークリスマス!』
上空からラッピングされた包みが落ちてくる。
「……!グレネーード!!」
地面に落ちるなり、爆発。あたりを爆風が襲う。
「──!弾幕を絶やすな!殺されるぞ!通信兵!各拠点に報告させろ!」
「ト号、ニ号、ヘ号沈黙!先ほどから応答ありません!」
全滅か──。わかっていたが圧倒的な戦力差に誰もが絶望した。
「…!ロ号より入電──」
スピーカーから流れてきたのは絶叫と銃声と爆発音だった。
「ロ号!ロ号!どうした応答しろ!ロ号!」
しばらくしてガチャガチャと音を立て誰かが応じた。
「こ…こちらロ号拠点!た…た、助けてくれ!」
「落ち着け!状況を報告しろ!」
「こ…こんな…こんなこと許されるはずが…ヤメロォ!こっちに来るな!悪魔どもめ!」
「ロ号!応答せよ!ロ号!」
「ロ号よりイ号へ…ここはもうだめだ…やつら…やつらなんてもん連れてきたんだ……。くそぅ…こんな死に方あんまりじゃねぇか…」
「ロ号!」
「アベック───」
おそらく通信機が地面に落ちた音。それ以降先ほどの兵士の声は聞こえなくなった。
「アベックだと…」
見るだけで生命を断ち切られる即死の弾丸─アベック。もっとも注意してかからねばならないものだ。
「バカな!今年の進行ルートはお台場方面のはず!ここを通るなんてことは無いはずだ!」
「奴らだ…!奴らが先導してるんですよ!そうに違いない!」
「そんなばかな…。もはや神は我らを見捨てたもうか…」
絶望があたりを包み込む。誰もが絶望の中で死んでいくのだ。そのとき
「…!ロ号から入電!生存者です!」
この絶望の中、生存者という言葉は一筋の光のように輝いている。もはや戦況は変わらないが同士が生きているだけで士気は上がるものだ。
通信機を拾い上げるようなノイズの後、間をあけて声が聞こえた。
『メリークリスマス!』
「あああああああ!!」
その声をきいた誰もが恐怖に体を凍りつかせた。
「落ち着け!心理戦だ!俺たちの士気を落とすのが狙いだ!」
「あああああああ!!」
兵も無く、弾薬もなく、士気も無くなった兵は、敵に背を向け、絶叫しながら逃げ出した。
逃げる背中を狙うほど楽な作業はない。悉く、彼らは背中を撃たれて倒れていった。
突然、上空から音楽が聞こえてきた。弦の甘く華々しい響きと、重厚なコーラス。聖夜に主を称える頌歌。天才ルドウィヒの生み出した傑作。だがしかし、今では男たちを死へ導く葬送曲でもあった。
喜びよ、美しい神々の火花よ、
エリジオンの娘よ
われらは熱き感動に酔いしれて
天上の、御身の聖殿に踏み入ろう!
この世の慣わしが厳しく分け隔てた者たちを
あなたの神秘なる力はふたたび結び合わせる。
御身の優しい翼の憩うところ、
すべての人が兄弟となる。
後に残ったのは累々と横たわる死体。しかし新兵と大尉ははまだ生きていた。止めを刺すために奴らが降りてくる。
「あああ…、くるなぁ…来るな!!」
近くにあった銃を向け引き金を引く。しかし弾は入ってなかった。
「おい!ひげ親父!こっちにこい!俺を殺してみろ!お前の仲間を散々殺した憎い敵だぞ!さぁどうした腰抜け!俺を殺して見せろ!」
新兵を逃がすべく必死に挑発する大尉。しかし気にも留めぬまま新兵へ近づく。
「あうう…くぅ……ん?」
新兵が何かに気づきポケットに手を突っ込む。中から携帯電話を取りだした。
「もしもし?…ミチコ?ミチコなのか!?僕が馬鹿だったよ!もう二度と君を傷つけない!君しかいないんだ!もう一回やり直そう!………今からかい?もちろん!用事なんて無いからすぐ行くよ!ちょうど目の前にサンタがいるんだ!プレゼントもらってすぐ会いに行くよ!待っててくれ!」
携帯を切った男の顔は瑞々しい生気に溢れていた。
「聖なる夜に奇跡が起こった!彼女と仲直りできました!」
『フォフォフォ。メリークリスマス!』
袋からラッピングされた箱を取り出し男に渡した。
「ありがとう!メリークリスマス!」
男は大事そうにプレゼントの箱を抱えながら走っていった。
大尉は血を吐いて倒れた。死んだ。