理想の代償
宿の扉を蹴り開け、外に出た瞬間、俺は肌が粟立つのを感じた。
広場には、土煙と共に15人の男たちが展開していた。 俺が予想していた「農具を持った暴徒」ではない。 彼らが身につけているのは、手入れされたチェーンメイルや皮鎧。手には軍用のブロードソードやハルバード。 そして何より、隊列の組み方が素人ではない。
「……おいおい、マジかよ」
俺は呻いた。 集団の中央に立つ三人の男。彼らが纏っているのは、見覚えのある銀色のプレートメイルだった。 胸に刻まれた鷲の紋章。 あれは、我が国の「王宮直属騎士団」の正規装備だ。
「元騎士……いや、脱走兵か」
質が悪いなんてもんじゃない。 騎士団の訓練を受け、実戦経験を持ち、その上で道を踏み外した暴力のプロフェッショナルたちだ。 15対4。 単純な戦力差だけならまだしも、こちらには「不殺」という重い枷がある。 相手は殺す気で来るが、こちらは殺せない。 このハンデがどれほど致命的か、戦場の臭いを知る者なら吐き気を催すレベルだ。
「よう、随分と綺麗な格好をしたお客人だ」
騎士の鎧を着たリーダー格の男が、下卑た笑みを浮かべた。 顔には大きな火傷の痕があり、その目は獲物を値踏みする蛇のように冷たい。
「勇者アルヴィンだな? その金ピカの鎧、高く売れそうだ」 「……君たちが『赤カラス』か」
アルヴィンが一歩前に出る。 聖剣は抜いているが、切っ先は下げたままだ。
「僕は戦いに来たんじゃない。話し合いに来たんだ。君たちにも、騎士としての誇りがあったはずだ。こんな真似はやめて、罪を償うんだ」
「誇り? 償う?」
リーダーは鼻で笑った。
「王都でぬくぬく育った坊ちゃんが、説教かよ。俺たちはな、国のために血を流して戦った末に、給金をカットされて放り出されたんだよ。正義だの誇りだので、腹が膨れるか?」
男たちの間に、ドッと嘲笑が広がる。 彼らの目には、更生の余地など微塵もない。あるのは、富と暴力への飢えだけだ。
「……残念だ」
アルヴィンは悲しげに首を振り、聖剣を構えた。
「なら、力づくでも止める。……みんな、行くよ! 絶対に殺すな!」
その号令が、地獄の開戦合図だった。
「かかれェ! 殺して奪い尽くせ!」
リーダーの怒号と共に、15人の殺意が雪崩となって押し寄せた。
「はっ!」
アルヴィンが突っ込む。 速い。確かに速い。 彼は先頭の雑兵の懐に飛び込み、剣の腹で脇腹を打った。
「ぐっ!」
男が吹き飛ぶ。だが、アルヴィンはそこで動きを止めた。 「大丈夫かい?」と相手の生死を確認しようとしたのだ。 その一瞬の隙を、元騎士たちは見逃さなかった。
「甘いんだよ!」
左右から二人の騎士崩れが殺到する。 鋭い斬撃。アルヴィンは慌てて聖剣で受けるが、相手は引かない。 ガキン! ガキン! と火花が散る。
「くっ、やめるんだ! 僕は君たちを傷つけたくない!」 「知るかよ! 死ね!」
アルヴィンは強い。ステータスは圧倒的だ。 本気で剣を振れば、相手の剣ごと胴体を両断できる。 だが、彼は「手加減」をしようとしている。刃を当てず、峰打ちを狙い、相手の骨を折らないように力をセーブしている。 対して、敵は全力で殺しに来ている。目潰し、関節技。なりふり構わない殺法だ。
「囲め! 動きを封じろ!」
五人の男がアルヴィンを取り囲んだ。 鎖付きの分銅が投げられ、アルヴィンの聖剣に絡みつく。 盾を持った男がタックルを仕掛け、体勢を崩す。
「う、わぁっ!?」
最強の勇者が、たった数十秒で防戦一方に追い込まれた。 圧倒的な才能を持ってしても、「殺さない」という縛りプレイの中で、連携の取れたプロ集団を捌ききれるほど、戦場は甘くない。
「勇者様!」
エリアナが悲鳴を上げて回復魔法を構える。 だが、敵の矛先は当然、後衛にも向く。
「おいおい、魔法使いと聖女様がいるじゃねえか。上玉だぞ!」
四人の男が、舌なめずりをしながらこちらへ向かってくる。 俺は槍を構え、フェイの前に立った。
「フェイ! 牽制しろ! 近づけるな!」 「分かってるわよ! 『風よ、弾けろ』!」
フェイが風の塊を放つ。 だが、相手は手慣れたものだ。盾を斜めに構え、衝撃を受け流しながら突っ込んでくる。
「チッ!」
俺は槍を突き出す。 狙うは喉元――と言いたいところだが、クソッ、不殺だ。 俺は狙いを肩に変えた。 だが、その微細な軌道の修正が、俺の槍を鈍らせる。
ガァン!
敵の戦斧が俺の槍を弾いた。 重い。膂力だけで言えば互角か、相手が上だ。
「へっ、どこ狙ってやがる! ビビってんのか!」
男が斧を振り回す。 俺は半身でかわすが、追撃が速い。 殺していいなら、今の一撃をかわした直後に心臓を突けた。 だが、殺せない。足を狙おうと視線を下げた瞬間、顔面に拳が飛んできた。
「ぐっ……!」
頬骨に衝撃。視界が揺れる。 俺たちは押されていた。 人数差、経験差、そして何より「覚悟の差」。 殺す気で来る相手に対し、殺さない気で挑むなど、自殺行為だ。
戦況は泥沼だった。 勇者は五人に囲まれて身動きが取れず、俺とフェイも防戦に必死で、エリアナを守る余裕がない。
「おい、そこの家にも隠れてるぞ!」
盗賊の一人が、広場に面した民家の扉を蹴破った。 中から悲鳴が上がる。
「や、やめてくれ! 穀物ならやるから!」 「うるせえ!」
ドスッ。 鈍い音が響き、農夫の男が胸から剣を生やして崩れ落ちた。 鮮血が噴き出し、床を赤く染める。
「きゃあああ! お父さん!」 「うるさい女だ。お前は商品価値がありそうだな」
盗賊は笑いながら、泣き叫ぶ娘の髪を掴んで引きずり出した。
「やめろ!」
アルヴィンが叫ぶ。 彼は包囲網を突破しようとするが、鎖に足を取られて転倒する。
「よそ見してる場合か!」
騎士崩れの男が、アルヴィンの背中を盾で殴打した。 ゴォン! と鈍い音がし、勇者が泥に顔を突っ込む。
「勇者様!」
エリアナが駆け寄ろうとするが、別の盗賊に足を払われて転ぶ。 その目の前で、虐殺が始まった。
「ヒャハハ! いいざまだな勇者!」
広場の隅で、逃げ遅れた老人が斬り捨てられた。 井戸の陰に隠れていた子供が、見せしめのように槍で突き刺された。
「あ……あ……」
アルヴィンは顔を上げ、その光景を見て絶句した。 自分の力が足りないからではない。 自分が「手加減」をしている間に、守るべき人々がゴミのように殺されていく。
「やめてくれ……もうやめてくれ……!」
アルヴィンの叫びは、ただの泣き言だった。 彼はまだ剣を振るえない。 「殺してはいけない」という誓いが、呪いのように彼の体を縛り付けている。 殺せば救える。今すぐ聖剣の出力を解放し、周囲の敵を薙ぎ払えば、村人は助かる。 だが、それは彼の理想の敗北を意味する。 その迷いが、致命的な隙を生み、さらなる死体を積み上げていく。
俺は歯ぎしりをした。 ふざけるな。 これが、お前の言っていた「正義」か? お前が綺麗な手のままでいたいがために、無関係な村人が内臓をぶちまけて死んでいく。これが平和への道なのかよ!
「きゃあっ!」
悲鳴が、すぐ隣で上がった。 フェイだ。
見ると、彼女は二人の盗賊に追い詰められ、壁際に押し付けられていた。 彼女は魔力を使い果たしたのか、杖を棍棒のように構えて抵抗しているが、相手は屈強な男たちだ。
「おいおい、魔法使いの姉ちゃん。いい顔してるじゃねえか」 「触らないでよ、汚らわしい!」
フェイは男の顔に唾を吐きかけた。 だが、それが男の嗜虐心に火をつけた。
「威勢がいいなァ。……そういう女を泣かせるのが、一番楽しいんだよ」
男がフェイの手首を掴み、乱暴にねじり上げた。 杖がカランと落ちる。 もう一人の男が、フェイの髪を鷲掴みにし、強引に顔を上げさせた。
「やめろ! フェイ!」
俺は叫び、目の前の敵を無視して駆け出そうとした。 だが、横合いからハルバードの柄で腹を強打された。
「がはっ……!」
息が止まる。俺は無様に地面に転がった。 泥の味。血の味。 遠くで、アルヴィンが「フェイ!」と叫ぶ声が聞こえるが、彼もまた地面に這いつくばっている。
「放して! 放しなさいよ!」
フェイが必死にもがく。 彼女はか弱い女性だ。魔法がなければ、男の腕力に勝てるはずがない。 彼女は最後の抵抗として、髪を掴んでいる男の腕に噛みついた。
「痛っ! ……このアマ!」
男の顔が怒りで歪んだ。 彼は噛みつかれた腕を引き剥がすと、逆の手でフェイの頭をわしづかみにした。 その指が、彼女の左耳にかかる。
「教育してやるよ」
男は、ニヤリと笑った。 そして、思い切り腕を引いた。
ブチブチッ。
濡れた雑巾を引き裂くような、聞くに堪えない音が響いた。 鮮血が飛沫となって舞う。
「――ッ!?」
フェイの口が大きく開かれた。 一瞬、音が出なかった。あまりの激痛に、脳が処理しきれなかったのだろう。 そして、一拍遅れて。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」
絶叫。 それは、いつも冷めた皮肉を言うクールな魔女の声ではなかった。 ただの、痛みに怯え、恐怖に屈した、か弱い女の子の悲鳴だった。
「痛い! 痛い痛い痛い! 耳が、私の耳がァッ!」
フェイは地面に崩れ落ち、左の側頭部を押さえてのたうち回った。 指の隙間から、ドクドクと赤い血が溢れ出し、彼女の白い頬を、首筋を、ローブを汚していく。 男の手には、肉片となった彼女の「耳」が握られていた。
「へへッ、いい声で鳴くじゃねえか」
男はその耳を、ゴミのように地面に放り捨て、ブーツで踏みにじった。
「嫌だ、嫌だぁ……助けて、グレン……痛いよぉ……」
フェイは泣き叫びながら、血まみれの手を俺の方へ伸ばした。 その瞳は、恐怖で完全に見開かれ、焦点が合っていない。 プライドも、魔法使いとしての矜持も、すべて暴力によって剥ぎ取られた姿。
俺の中で、何かが完全に壊れた。
不殺? 理想? 更生の余地?
知ったことか。 俺の仲間が、唯一心を許せた飲み友達が、あんな風に泣いている。 耳を引きちぎられ、血の海で慈悲を乞うている。 それをさせたのは誰だ? 盗賊か? いいや。
俺はゆっくりと立ち上がった。 腹の激痛など忘れた。 俺の視線の先には、血まみれのフェイと、それを笑って見下ろす盗賊。 そして、その向こうで、未だに「殺してはいけない」という迷いの中で震えている、黄金の勇者。
(……地獄へ落ちろ)
俺は槍を握り直した。 もう、手加減はしない。 技術のすべてを、殺すためだけに使ってやる。
俺は獣のような咆哮を上げ、地面を蹴った。 狙うは一点。 フェイを傷つけた男の、その笑っている喉笛だけだ。




