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魔王戦、戦死者一人と帰還者三人  作者: ヤスナー


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8/12

不殺の誓い

翌朝。 森に差し込む朝日が、まだ冷たい空気を温め始めた頃。 俺たちは出発前の身支度を整えていた。


昨夜の重苦しい沈黙は、表面上は払拭されていた。 だが、その代わりに漂っていたのは、張り詰めた糸のような緊張感だった。


勇者アルヴィンが、俺たち全員を前にして口を開いた。 その目は赤く腫れぼったかったが、そこには奇妙なほど強い光――狂信に近い決意の光が宿っていた。


「みんな、聞いてくれ」


彼は静かに、だがはっきりと言った。


「僕は昨夜、ずっと考えていたんだ。勇者とは何か。力とは何か。そして、僕たちが目指すべき『平和』とは何かを」


嫌な予感がした。 こういう時のこの男は、ろくなことを言わない。 俺は無言で、槍の革紐を締め直すフリをして視線を逸らした。


「昨日の僕は間違っていた。感情に任せて剣を振るい、命を奪ってしまった。あれは『正義』じゃない。ただの『殺戮』だ」


アルヴィンは拳を強く握りしめた。


「だから、僕は誓うよ。……これからの旅において、僕は二度と人間を殺さない」


その場が凍りついた。 フェイが持っていた水筒の手が止まる。 俺は、締めていた革紐を引きちぎりそうになった。


「どんな悪人であっても、命はある。更生の余地はある。それを奪う権利は、僕たちにはないんだ。だから……何があっても、不殺を貫く。それが僕の決めた『勇者としての道』だ」


高らかな宣言。 美しい理想論だ。物語の中なら、読者は涙を流して感動するだろう。 だが、ここは現実の戦場だ。


「……勇者様」


俺は低い声で口を挟んだ。 言わずにはいられなかった。


「その誓いは、俺たちにも適用されるんですか?」 「もちろんだよ、グレン」


アルヴィンは、さも当然のように頷いた。


「僕たちはチームだ。理念を共有しなきゃ意味がない。君の槍も、フェイの魔法も、これからは『敵を無力化するため』だけに使ってほしい。殺さずに制圧する。難しいかもしれないけど、僕たちならできるはずだ」


俺は大きく、深く、肺の中の空気をすべて吐き出すようなため息をついた。


(……バカか、こいつは)


無力化? 制圧? それがどれだけ高度で、リスクのある行為か分かっているのか。 相手の急所を外し、手足を狙い、意識だけを刈り取る。それは「相手よりも圧倒的に実力が上の者」にしか許されない芸当だ。 アルヴィンのような規格外のステータスを持つ「強者」なら可能だろう。 だが、俺やフェイのような「常人」にそれを強いることは、「手足を縛って戦え」と言っているのと同じだ。


一瞬の躊躇が命取りになる実戦で、「殺してはいけない」という枷をはめる。 それは、俺たちに死ねと言っているに等しい。


「……素晴らしいです、勇者様!」


沈黙を破ったのは、やはり聖女エリアナだった。 彼女は涙ぐみながら、アルヴィンの手を取った。


「その慈悲の心こそ、真の勇者の証……! 神もきっとお喜びになります! 私も、その崇高な誓いに従いますわ!」 「ありがとう、エリアナ。君なら分かってくれると信じていたよ」


二人はまた、キラキラとした自分たちだけの世界に入っていく。 俺は横目でフェイを見た。 彼女はサングラスの奥で白目を剥き、無言で「やってらんねえ」と首を振っていた。


「……分かりました」


俺は感情を押し殺し、努めて平坦な声で答えた。


「リーダーがそう言うなら、従います」 「ありがとう、グレン! 君の技術があれば、きっとできるよ!」


アルヴィンは無邪気に笑った。 俺は内心で冷たく舌打ちをした。


従う? バカ言え。 お前の目の届く範囲では、付き合ってやるよ。 だがな、俺やフェイの命が危なくなったら、あるいは「殺さなきゃ解決しない」と判断したら、俺は迷わず槍を突き刺す。 お前のその綺麗事のために、俺たちが死んでたまるか。


俺はこの時、アルヴィンへの「服従」ではなく、密かな「背信」を誓った。 これは、俺が生き残るための、そしてこの能天気なパーティを全滅させないための、必要な裏切りだ。


「不殺の誓い」という重すぎる荷物を背負い、俺たちの旅は再開された。


道中の空気は最悪だった。 昨日の今日で、アルヴィンは妙に張り切っている。「殺さずに解決する」という新しいミッションに酔っているからだ。 一方、俺とフェイは神経をすり減らしていた。 草むらが揺れるたびに、「もし敵が出たら、どうやって殺さずに無力化するか」という無理難題をシミュレーションしなければならないからだ。


幸い、大きな戦闘はなく、俺たちは地図にあった次の目的地へと近づいていた。


「……風が強いな」


俺は呟いた。 森を抜け、岩肌が剥き出しの荒野に出たあたりから、耳をつんざくような風鳴りが響き始めていた。 ヒュウウウ、ゴオオオ、という低い唸り声のような風。


「地図によると、この先に『大渓谷』があるはずよ。その風だわ」


フェイが帽子を押さえながら言った。


さらに一時間ほど進むと、大地が唐突に裂けていた。 巨大な亀裂だ。 幅数百メートル、深さは底が見えないほどの断崖絶壁が、大地を左右に分断している。 谷底からは轟音が響き、白い霧が立ち上っている。落ちれば、勇者といえども助からないだろう。


「うわぁ……! 壮観だね!」


アルヴィンが崖の縁に立ち、身を乗り出して覗き込む。 見てるこっちがヒヤヒヤする。 エリアナは「きゃあ、怖いですぅ」と言いながらアルヴィンの背中に隠れているが、その恐怖が演技なのか本心なのか、俺にはもう判別がつかない。


「あれを見てください。向こう側に村があります」


俺は谷の対岸を指差した。 断崖の斜面にへばりつくように、数十軒の石造りの家が並んでいる。 村へ渡る手段は、谷に架けられた一本の長い吊り橋のみ。 風でギシギシと揺れるその橋は、まるで外界からの侵入を拒んでいるように見えた。


「あれが『渓谷の村ガレ』か……。よし、あそこで補給をして、今夜は宿を取ろう」


アルヴィンが号令をかける。 俺たちは馬を降り、慎重に吊り橋を渡った。 足元には板の隙間から奈落が見える。風が吹き荒れ、橋全体が生き物のようにうねる。


(……嫌な地形だ)


俺は職業病とも言える防衛本能で、周囲を観察した。 この村は「天然の要塞」だ。 入り口はこの橋一つ。攻めるのは難しく、守りやすい。 だが逆に言えば、「一度入られたら、ほぼ逃げられない」ということでもある。 袋の鼠。 そんな言葉が脳裏をよぎった。


橋を渡りきり、村の入り口に立つと、異様な視線を感じた。


村人たちが、遠巻きに俺たちを見ている。 畑を耕す男、井戸端にいる女、軒先で遊ぶ子供。 全員の手が止まり、無言で、じっとこちらを凝視している。


歓迎の空気ではない。 かといって、敵意とも少し違う。 それは「警戒」と「困惑」、そして深い「諦め」が混ざったような、重苦しい視線だった。


「……こんにちは! 旅の者です!」


アルヴィンが、いつもの爽やかな笑顔で手を振る。 その声は風にかき消されそうになったが、近くにいた初老の男が、驚いたように反応した。


「……旅人? こんな時期にか?」


男は鍬を持ったまま、訝しげに俺たちに近づいてきた。 その目は、アルヴィンの黄金の鎧と、エリアナの聖衣に釘付けになっている。


「派手な格好だな。……あんたたち、もしかして騎士様か?」 「いえ、僕は勇者アルヴィン。魔王討伐の旅をしています」


「勇者……?」


男の顔に、奇妙な色が浮かんだ。 驚きでも尊敬でもない。まるで「腫れ物」を見るような、あるいは「見てはいけないもの」を見たような顔。


「……そうか。勇者様か。まあ、誰だろうと構わんが……ここには何もないぞ。宿屋も一軒しかないし、飯も粗末だ」 「構いません。一晩、雨風を凌げれば十分です」 「……好きにしろ。だが、悪いことは言わん。用が済んだら、さっさと出て行った方がいい」


男は吐き捨てるように言うと、逃げるように背を向けた。 他の村人たちも、俺たちと目が合うと、慌てて家の中に入ったり、顔を伏せたりしてしまう。


「……変ですね」


エリアナが眉をひそめた。


「勇者様がいらしたというのに、歓声の一つも上がらないなんて。辺境の民は教養がありませんのね」 「まあまあ、エリアナ。突然の来客で驚いているだけだよ」


アルヴィンは気にしていない様子だ。 だが、俺とフェイは目配せをした。


(おかしいな)


俺は直感した。 この村は、何かに怯えている。 魔物か? それとも疫病か? 男の言った「こんな時期に」という言葉。そして「さっさと出て行った方がいい」という警告。 明らかに、厄介ごとの匂いがする。


「……グレン」


フェイが小声で囁いた。


「風に混じって、変な臭いがする」 「臭い?」 「ええ。……微かだけど、『血』と『焦げた油』の臭い。それも、新しいものじゃない。染み付いた古傷みたいな臭いよ」


俺は鼻をひくつかせたが、風が強すぎて分からなかった。 だが、フェイの感覚は鋭い。彼女が言うなら間違いないだろう。


「……油断するなよ。この村、何かが腐ってやがる」


俺は槍を握る手に力を込めた。 「不殺の誓い」だと? 笑わせるな。こんな不穏な空気の中で、そんな綺麗事が通用するわけがない。


村唯一の宿屋兼酒場は、村の広場に面していた。 石造りの堅牢な建物だが、中は薄暗く、客は一人もいなかった。


「いらっしゃい……」


カウンターの奥から出てきたのは、愛想のない中年女性だった。


「四名、一泊で頼むよ。あと、食事も」 「……銀貨四枚だ。先払いで頼むよ」


アルヴィンが金を払うと、女性は無言で鍵を渡した。 会話を拒絶するような態度。 ここでもやはり、俺たちは「歓迎されざる客」だった。


荷物を部屋に置き、一階の酒場に降りると、アルヴィンが早速動き出した。


「よし、情報収集だ! 何か困っていることがないか聞いてみよう!」


彼は「勇者スイッチ」が入っている。 昨日の殺人の罪悪感を拭い去るためにも、彼は「人助け」に飢えていた。 誰かを助け、感謝され、「自分はやはり正義の味方だ」と再確認したいのだ。その焦りが、見ていて痛々しい。


「すみません、女将さん」


アルヴィンはカウンターに歩み寄った。


「この村、何か様子が変じゃありませんか? 皆さん、何かに怯えているような……」


女性の手がピクリと止まった。 彼女はゆっくりと顔を上げ、アルヴィンを睨みつけた。


「……あんた、勇者様なんだろ?」 「はい!」 「なら、余計な首を突っ込むんじゃないよ。勇者だろうが何だろうが、今のこの村を救える奴なんていやしないんだ」


「どういうことですか? 魔物が出たのですか?」 「魔物なら、まだマシさ」


女性は布巾をカウンターに叩きつけた。


「……『赤カラス』だよ」 「赤カラス?」 「この辺りを根城にしている盗賊団さ。ただの野盗じゃない。元騎士崩れや傭兵が集まった、タチの悪い連中だ」


盗賊。 その単語が出た瞬間、アルヴィンの肩がビクリと震えた。 昨日の記憶――飛び散る血肉、命乞いをする声――がフラッシュバックしたのだろう。彼の顔から血の気が引いていく。


「そいつらが……この村を?」 「ああ。毎月、法外な『みかじめ料』を要求してくる。金がなければ食料を、食料がなければ若い女を連れて行く。逆らえば、家を焼かれる。村の男たちはみんな、心を折られちまったよ」


女性は吐き捨てるように言った。


「だから、あんたたちも早く出て行きな。あいつらは、あんたみたいな綺麗な鎧を見たら、根こそぎ剥ぎ取りに来るだろうからね」


沈黙が落ちた。 アルヴィンは拳を握りしめ、俯いている。 彼の脳内で、「助けたい心」と「昨日のトラウマ」が激しく衝突しているのが分かる。


俺は静かにため息をついた。 やはり、そうなったか。 この状況で、盗賊団。しかも「元騎士崩れ」のような手練れ集団。 一番最悪のパターンだ。


「……許せない」


しばらくして、アルヴィンが顔を上げた。 その表情は、蒼白だったが、ある種の決意に固まっていた。


「そんな無法、見過ごすわけにはいかない。……僕たちが、その『赤カラス』を追い払います」


「はぁ? あんた、あたしの話聞いてたのかい? 奴らは……」 「大丈夫です。僕たちは強い」


アルヴィンは、俺たちを振り返った。


「そうだよね、みんな。……ただし」


彼は俺とフェイの目を、強く、強く見つめた。


「『不殺』だ。絶対に殺さない。彼らにも事情があるかもしれないし、法で裁くべきだ。僕たちが殺戮者になってはいけない」


俺はこめかみを指で押さえた。 頭痛がする。 相手は、村人を虐げ、女をさらうような極悪人だ。しかも元プロの戦闘集団。 それを、殺さずに? 無力化して捕まえる? この地形的にも不利な谷底の村で?


「……勇者様」


俺は低い声で言った。


「相手は素人じゃありません。手加減して勝てるほど、甘くはないですよ」 「分かっている。でも、やるんだ」


アルヴィンは譲らなかった。 これは、彼の「贖罪」なのだ。 昨日の殺人を帳消しにするために、今回は「誰も殺さずに悪を倒す」という成功体験が必要なのだ。 そのためなら、仲間のリスクがどれだけ跳ね上がろうと構わない。いや、そのリスクが見えていないのだ。


「……グレン、フェイ。君たちの力を貸してくれ。お願いだ」


懇願。 リーダーからの命令であり、友人としての頼み。 これを断れば、パーティは崩壊する。


俺はフェイを見た。 彼女は「最悪だ」と口の動きだけで言い、グラスに残った水を一気に飲み干した。


「……分かりましたよ」


俺は諦めの混じった声で答えた。


「やりましょう。……あなたの『理想』のために」


(失敗する)


俺の直感が警鐘を鳴らしていた。 この戦いは、泥沼になる。 そしてその泥を被るのは、間違いなく俺たちだ。


「ありがとう!」


アルヴィンは安堵の表情を浮かべた。 その時、外からけたたましい鐘の音が鳴り響いた。


カン、カン、カン、カン!


「……来たよ」


女将が顔色を変えて窓の外を見た。


「『赤カラス』だ。……集金の日より三日も早い。あんたたちが来たのを見張ってたんだよ!」


俺は槍を掴み、立ち上がった。 不殺の誓い。最強の勇者。極悪な盗賊団。 役者は揃った。 最悪の喜劇の幕開けだ。

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