久しぶりの戦闘
昼過ぎ。鬱蒼とした森の街道は、突如として二股に分かれていた。
「おや、道が分かれているね」
先頭を歩いていた勇者アルヴィンが足を止め、地図を広げる。 だが、その地図は古すぎて、肝心の分岐点の先が擦り切れて読めなくなっていた。
「右は山道、左は谷沿いの道か……。どちらが魔王城への近道だろう?」 「勇者様の直感で選ばれた方が正解に決まっていますわ!」
聖女エリアナが食い気味に肯定する。 俺は後ろで溜息をついた。 普通なら、斥候役である俺が痕跡を調べたり、フェイが地形探索の魔法を使ったりして判断する場面だ。だが、この「主役」たちにそんな慎重なプロセスはない。
「よし、手分けして進もう!」
アルヴィンがポンと手を打った。
「二手に分かれて、先で合流しよう。その方が効率がいいし、冒険っぽくてワクワクするだろ?」 「素晴らしい提案です!」 「……はあ。また思いつきで……」
俺がぼやこうとした瞬間、エリアナが素早くアルヴィンの腕に抱きついた。
「私は勇者様と共に参ります! 万が一、勇者様がお怪我をされた時、すぐに治せる者がいなければなりませんから!」
嘘をつけ。 こいつは無傷だ。むしろ怪我をするリスクが高いのは俺たちの方だ。 回復役が一番頑丈な人間に張り付いてどうする。
だが、アルヴィンは嬉しそうに頷いた。
「そうだね。エリアナがいてくれると心強いよ。じゃあ、僕はエリアナと右の山道を行く。グレンとフェイは、左の谷道をお願いできるかな?」
その提案を聞いた瞬間。 俺とフェイの視線が交差した。 言葉などいらない。俺たちの瞳は、まったく同じ感情を語っていた。
(助かった……!)
「……了解しました。勇者様のご武運を」 「りょーかい。そっちもお気をつけて」
俺たちは極力、喜びを顔に出さないように努めながら、短く返事をした。
「じゃあ、また後でね!」 「行きましょう、勇者様!」
アルヴィンとエリアナは、まるでピクニックに行く恋人同士のように、右の道へと消えていった。 その背中が見えなくなり、彼らの発するキラキラとしたオーラが完全に消え失せるまで、俺たちはじっと待った。
森に、静寂が戻る。 鳥の声と、風の音だけが聞こえる。
「……行ったか?」 「行ったね。……ふぅ」
フェイが深い、本当に深い溜息をつき、懐からタバコを取り出した。 指先で火を点け、紫煙を長く吐き出す。
「生き返った心地がするよ。あいつらの『正のオーラ』を浴び続けて、肌が焼け爛れるかと思った」 「同感だ。胃薬を飲むなら今だな」
俺も槍を肩に担ぎ直し、肩の力を抜いた。 勇者がいない。 ただそれだけのことが、これほどまでに心を軽くするとは思わなかった。
「行こうぜ、フェイ。こっちは日陰の道だ。俺たちにお似合いだろ」 「違いないね。……ああ、空気が美味い」
俺たちは左の道、薄暗い谷底へと続くルートへと足を踏み入れた。
勇者不在の旅は、驚くほど「普通」で、そして「快適」だった。
道中、魔物が現れなかったわけではない。 谷道に入ってすぐ、岩陰から「ロック・リザード」の群れが現れた。 皮膚が岩石のように硬く、通常の剣や槍では刃が通らない厄介な魔物だ。数は三体。
「チッ、硬いのが出たな」
俺は即座に前に出て、槍を構えた。 アルヴィンなら、問答無用で殴り飛ばして粉砕していただろう。 だが、俺にはそんなデタラメな腕力はない。
「フェイ! 氷結魔法だ! 足元を狙え!」 「はいよ。……詠唱省略。『氷よ大地を噛め』」
フェイの気だるげな声と共に、先頭のリザードの足元が凍りついた。 動きが鈍る。その一瞬の隙を、俺は見逃さない。
「シッ!」
俺は踏み込み、硬い皮膚の隙間――喉元の柔らかい部分に、槍の穂先をねじ込んだ。 手首を返し、内部を抉る。 リザードが断末魔を上げて崩れ落ちる。
「次! 右から来るぞ!」 「分かってる。『風の刃』、目玉を狙い撃ち」
フェイの放った不可視の刃が、二体目のリザードの目を正確に切り裂いた。 視界を奪われ、暴れるリザード。 その背後に回り込み、俺は延髄に槍を突き刺してトドメを刺した。
三体目は、俺とフェイの連携攻撃で、何もできずに沈んだ。
戦闘時間、約三分。 勇者の「一秒」には及ばない。 汗もかいたし、槍の刃も少し欠けた。 だが、戦闘が終わった後、俺たちは自然と視線を合わせ、小さく拳を突き合わせていた。
「……良い魔法だ。タイミングが完璧だった」 「あんたこそ。あたしが凍らせた瞬間、もう急所を突いてたじゃない。……やりやすいね、あんたとは」
フェイがニヤリと笑う。 俺も、自然と口元が緩んでいた。
これだ。これが「戦い」だ。 お互いの呼吸を読み、役割を果たし、工夫と技術で格上の敵を倒す。 そこには「蟻の努力」と馬鹿にされた泥臭さがあるかもしれない。だが、そこには確かな「手応え」と「達成感」があった。
「あのピカピカした連中といると忘れてしまいそうになるが……俺たち、ちゃんと『戦える』んだよな」 「そうさ。あたしたちはプロだもん。化け物じゃないってだけで」
フェイは倒したリザードの死骸から、高値で売れる「肝」を手際よくナイフで切り出しながら言った。
「アルヴィンなら、死体ごと粉々にして素材も残らない。……やっぱり、あいつといると商売あがったりだね」 「違いない。あいつは経済活動の敵だ」
俺たちは笑い合った。 昨日の夜、あんなに惨めだった気持ちが、今は嘘のように晴れていた。 やはり、俺の居場所はこちら側なのだ。
谷を抜け、合流地点と思われる開けた場所に出た頃には、空は茜色に染まり始めていた。
「……楽しかったな」
俺がポツリと漏らすと、フェイも頷いた。
「デートとしては悪くなかったよ。魔物とも喧嘩できたし、静かだったし」 「ああ。……戻りたくねえな」
合流地点の先には、既に焚き火の煙が見えている。 あの「光」が待っているのだ。
俺たちが重い足取りで合流地点に近づくと、そこには既にアルヴィンとエリアナが到着していた。 だが、様子がおかしい。
アルヴィンはいつも通り涼しい顔をして座っているが、その周囲には「ワイバーンの死体」が山のように積み上げられていた。 一体や二体ではない。十体近い、ワイバーンの群れだ。
「あ! グレン! フェイ! 遅かったね!」
俺たちに気づいたアルヴィンが、返り血まみれの手を振る。
「いやあ、大変だったよ! こっちのルート、ドラゴンの巣があってさあ! エリアナを守りながら戦うの大変だったんだから!」 「す、すごかったです勇者様……! あの大群を、一網打尽になさるなんて……!」
エリアナは興奮で顔を紅潮させているが、その足は恐怖でガクガクと震えていた。 どうやら、勇者のデタラメな戦闘に巻き込まれて、生きた心地がしなかったらしい。
俺とフェイは、積み上げられたドラゴンの死体の山を見上げた。 原型を留めていない肉塊。焼け焦げた大地。 それは「戦闘」の跡ではなく、ただの「災害」の跡だった。
俺たちの、あの緻密で、連携の取れた「リザード狩り」の達成感が、音を立てて崩れ去っていく。 俺たちが協力して三匹のトカゲを倒している間に、こいつはあくび混じりでドラゴンの軍勢を絶滅させていたのだ。
「……グレン」
フェイが俺の袖を引いた。 その顔からは、さっきまでの血色が失われている。
「……胃薬、まだ残ってる?」 「ああ。……半分やるよ」
俺たちは再び、巨大すぎる影に飲み込まれた。 数時間の「休息」は終わり、また「地獄」の日常が始まる。
「二人とも、無事でよかった! さあ、ドラゴンの肉でバーベキューにしよう!」
無邪気に笑う勇者の背中に心の中で、槍の石突きを強く叩きつけた。




