見下す二人の召使
小鳥のさえずりがうるさいほどに響く、森の朝。 俺は軍隊時代からの習慣で、夜明けと共に目を覚ました。
板張りの床は冷たく、昨夜の焚き火は白い灰になっている。 体を伸ばして節々を鳴らし、水を汲もうと小屋の裏手にある井戸へ向かった時だ。
「……ふわぁ」
先客がいた。 井戸の縁に腰掛け、けだるげに紫煙をくゆらせている黒い影。 魔法使いのフェイだった。
「珍しいな。あんたが一番の寝坊助だと思ってたが」 「……失敬な。低血圧なだけで、早起きができないわけじゃないのよ」
フェイは眠たげな瞳をこすりながら、細い指でタバコの灰を落とした。 その横顔は、化粧っ気はないが白磁のように整っていて、朝霧の中で見ると少しだけ幻想的に見えた。
「おはよう、グレン」 「……ああ。おはよう」
彼女の声は低く、ハスキーだった。 だが、その飾らない響きが、今の俺には妙に心地よかった。 「素晴らしい朝だね!」「今日も頑張りましょう!」といった、あのキラキラした連中の張り詰めたテンションとは違う。 ただそこにいることを許容するような、適度な無関心と共有された疲労感。 俺たちは言葉を交わすことなく、並んで冷たい井戸水を汲み上げた。
小屋に戻り、俺たちは手分けして朝食の準備を始めた。 老人に貰った野菜の残りくずと、干し肉を刻んでスープにする。硬くなったパンを火で炙る。 フェイはあくびをしながらも、指先一つで火加減を調整し、手際よく湯を沸かしている。 「生活」をするための、無駄のない動き。 俺たちはまるで長年連れ添った老夫婦のように、阿吽の呼吸で作業を進めた。
(……悪くないな)
この静寂がずっと続けばいい。 そう思った矢先、小屋の奥の部屋からドタドタという足音が響いてきた。
「ふわぁ……よく寝たぁ!」
爽やかすぎる声と共に、勇者アルヴィンが降りてくる。 髪には寝癖一つなく、肌はツヤツヤと輝いている。昨日の強行軍の疲れなど微塵も感じさせない。
「おはよう、二人とも! 早いねえ!」 「……おはようございます、勇者様」
続いて、聖女エリアナも優雅に降りてきた。
「皆様、ごきげんよう。……あら、もう朝食の準備ができているのですか? 気が利きますわね」
エリアナは当然のように席につき、俺たちが作ったスープを待ち構えている。 「手伝います」の一言もない。 平民と、だらしない魔女が働くのは当たり前。自分たちは「食べる側」の人間だという認識が、その動作の端々に染み付いている。
俺とフェイは顔を見合わせ、無言で肩をすくめた。 束の間の平穏は、こうしてあっけなく終わりを告げた。
「んんっ! 美味しい!」
アルヴィンは、俺が作った質素な野菜スープを、高級フレンチでも食べるかのような笑顔で飲み干した。
「グレンは料理も上手なんだね。塩加減が絶妙だ」 「……どうも。野営には慣れていますから」 「素晴らしいよ。僕なんて、城では料理人が出てくるのを待つだけだったからさ。こういう『生きるための知恵』がある人を尊敬するなぁ」
彼は悪気なく言った。 「料理人が出てくるのを待つだけ」。その言葉が、俺たちの埋まらない格差を強調する。
エリアナもパンをちぎりながら、優雅に口を挟んだ。 「ええ。勇者様は剣の道に専念されるべきお方ですから。雑事は、『それに適した方』にお任せすればよろしいのです」 彼女はチラリと俺を見た。 「適した方」。つまり、雑用係。 俺は無言でスープを啜った。いちいち腹を立てていたら、この旅は持たない。
だが、勇者の「称賛」はそれでは終わらなかった。
「そういえば、昨日のことなんだけどさ」
アルヴィンは空になった器を置き、真剣な眼差しで俺を見た。
「グレン、君の戦い方のことだよ」 「……昨日の、オーガ戦ですか?」
俺は身構えた。 まさか、俺が前に出るのが遅かったと責められるのか? それとも、勇者様の活躍を邪魔したと怒られるのか?
だが、勇者の口から出たのは、予想の斜め上を行く言葉だった。
「君のあの動き……すごく『健気』で、感動したんだ」
「……は?」
耳を疑った。 健気? 俺が? 三十近い男の、血と泥にまみれた殺し合いの技術を捕まえて、健気?
「だってそうだろう? 僕なら一振りで済む相手に、君はわざわざ膝を狙ったり、目くらましを使おうとしたり……。自分の弱さを知っているからこそ、あの手この手で必死に食らいつこうとする。その姿が、なんだか『小さな蟻』が一生懸命に荷物を運んでいるみたいで、すごく愛おしく感じたんだよ」
小屋の空気が凍りついた。 いや、凍りついたのは俺とフェイだけだ。 アルヴィンは満面の笑みで、心からの賛辞を送っているつもりなのだ。
「すごいよ、グレン。僕には真似できない。だって僕は、小細工なんて考える前に敵が消えちゃうからさ。そんな風に、弱者なりに必死に知恵を絞る苦労を知らないんだ。だから君のその『貧乏性な戦い方』は、ある意味で才能だと思うよ!」
ブチッ。
脳内で、何かが切れる音がした。 貧乏性。 蟻の努力。 弱者なりの知恵。
俺が死ぬ思いで磨いてきた技術。 仲間を守り、自分を守り、確実に敵を殺すための合理的な戦術。 それが、こいつの目には「非力な虫けらが、必死にもがいている可愛いダンス」に見えていたのか。
テーブルの下で、俺は拳を握りしめた。爪が皮膚に食い込み、血が滲む。 殴りたい。 その整った顔面を、俺の拳で粉砕してやりたい。 だが、できない。こいつは勇者で、俺はただの平民の槍使いだ。それに、殴ったところでこいつは「痛くもない」だろう。物理的にも、精神的にも。
「……そうですか」
俺は、喉の奥から絞り出すように声を上げた。
「お褒めにあずかり、光栄です。……勇者様」 「うん! これからもその調子で、僕の背中を守ってくれよな!」
アルヴィンは俺の肩をバシバシと叩いた。 痛い。 物理的な痛み以上に、その掌の温かさが、俺のプライドを焼き尽くしていく。
ふと横を見ると、フェイがカップを持つ手を震わせていた。 彼女もまた、俯いて表情を隠している。 彼女にとっても、今の言葉は他人事ではない。「知恵」や「工夫」を「弱者のあがき」と断じられたのだから。
「……ごちそうさま」
フェイは短く呟くと、逃げるように席を立った。 俺もそれに続きたかったが、エリアナが空になった皿を俺の方へ押しやってきた。
「グレンさん、洗い物をお願いしますね。勇者様は食休みが必要ですから」 「……了解しました」
俺は皿を重ね、台所へと向かった。 背後からは、まだアルヴィンの明るい声が聞こえる。
「いやあ、本当にいい仲間を持ったなぁ。グレンみたいな努力家がいると、僕も気が引き締まるよ!」
俺は冷たい水に手を浸し、皿を洗った。 ごしごしと、親の敵のようにスポンジを擦りつける。
努力家。 その言葉が、これほど汚らわしい侮蔑として響く日が来るとは思わなかった。
(……覚えてろよ)
水面に映る自分の顔は、酷く歪んでいた。




