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魔王戦、戦死者一人と帰還者三人  作者: ヤスナー


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戦死者一人と帰還者三人

王都の鐘が鳴り響いていた。 カラン、カラン、カラン。 それは、国の隅々にまで染み渡るような、重厚で、それでいて浮き足立った音色だった。


凱旋。 人類の悲願であった魔王討伐を成し遂げた、勇者パーティの帰還。 王都の大通りは、詰めかけた民衆で埋め尽くされていた。色とりどりの紙吹雪が雪のように舞い、歓声が地響きとなって石畳を揺らしている。


「勇者様万歳! アルヴィン様万歳!」 「聖女様! 魔導師様! 槍使い様!」 「ありがとう! 私たちを救ってくれてありがとう!」


熱狂。 誰もが涙を流し、手を取り合い、平和の訪れを祝っている。


その狂騒の中を、豪奢な馬車がゆっくりと進んでいく。 窓のない、黒塗りの馬車だ。 本来なら、勇者は白馬に跨り、手を振って応えるべき場面だろう。だが、今日の主役は姿を見せない。


馬車の中には、重苦しい沈黙が満ちていた。 座っているのは、三人。 純白の聖衣に身を包み、青ざめた顔で俯く聖女エリアナ。 深々とフードを被り、表情を隠した魔導師フェイ。 そして、式典用の真新しい軍服を着せられた、俺、グレン。


中央には、国旗に包まれた長い棺が安置されている。 中身は空だ。 勇者アルヴィンの遺体は、魔王城の瓦礫の下、あのステンドグラスの前に置き去りにしてきた。ここに収められているのは、彼の愛用していた聖剣『アスカロン』と、形見の鎧の一部だけである。


「……すごい歓声ね」


フェイが、独り言のように呟いた。 その左耳――失われた耳を隠すように、髪を深く下ろしている。


「みんな、アルヴィンがそこに寝ていると信じている。世界を救った代償に命を落とした、悲劇の英雄が」 「……ああ」


俺は短く答えた。 窓の隙間から、熱狂する民衆の顔が見える。 彼らは知らない。 この棺の主が、仲間である俺の手によって喉を突かれ、ゴミのように捨てられたことを。 そして、彼らが崇めている「平和」が、裏切りと隠蔽の上に成り立っていることを。


「……う、ぅ……」


エリアナが、ハンカチを口に当てて嗚咽を漏らした。 悲しみではない。恐怖だ。 彼女は知っている。目の前に座る俺という男が、勇者を殺した瞬間の、あの冷めきった目を。 もし彼女が真実を口にすれば、俺は迷わず彼女も消すだろう。その無言の圧力が、彼女を「悲劇のヒロイン」という役割に縛り付けている。


「泣くな、聖女様」


俺は冷ややかに言った。


「これから王への報告だ。最高の演技を見せてくれよ。……生き残りたいならな」


エリアナはビクリと肩を震わせ、必死に頷いた。 その目は、俺への恐怖で完全に支配されていた。


馬車は王城の門をくぐる。 俺たちは、英雄として、そして大嘘つきとして、歴史の表舞台に足を踏み入れた。


謁見の間は、重苦しい空気に包まれていた。 玉座に座る国王。その周囲を固める大臣や将軍たち。 全員が喪服を纏い、沈痛な面持ちで俺たちを迎えた。


俺たち三人は、棺の前で片膝をつき、頭を垂れた。


「……して、魔王は討ち果たしたのだな?」


王の声が響く。


「はい、陛下」


答えたのは、参謀役であるフェイだった。彼女の声は冷静で、揺らぎがなかった。 彼女は事前に俺と打ち合わせた「シナリオ」を、淡々と読み上げるように報告した。


「魔王城での戦いは熾烈を極めました。魔王の力は、我々の想像を遥かに超えるものでした。……我々は傷つき、倒れ、万策尽きたかと思われました」


フェイの言葉に、貴族たちが息を呑む。


「ですが、最後の瞬間。勇者アルヴィンは、自らの生命力をすべて聖剣に注ぎ込み、特攻を仕掛けたのです。……『仲間を、民を、未来を守るためなら、僕の命など惜しくない』。そう言い残して」


嘘だ。 あいつはそんなこと一言も言っていない。 あいつが最後に言ったのは、「勇者だからこれくらいどうってことない」という慢心と、「なんで」という疑問だけだ。


「魔王は消滅しました。ですが……その代償に、勇者アルヴィンもまた、力尽き……帰らぬ人となりました」


フェイが言葉を切ると、エリアナがタイミングよく泣き崩れた。 完璧な間だ。


「おお……アルヴィンよ……!」 「なんと痛ましい……! 真の英雄だ!」


すすり泣く声が広がる。 王もまた、目元を拭う仕草を見せた。 だが、俺は見逃さなかった。 王の目に、一瞬だけ浮かんだ「安堵」の色を。


強すぎる力は、平和な世には毒になる。 魔王を倒せるほどの力を持った勇者が、戦後にどう扱われるか。権力争いの道具にされるか、あるいは新たな脅威として粛清されるか。 王にとって、勇者が「世界を救って死んだ」という結末は、政治的に最も都合の良い「正解」だったのだ。 死人は口をきかない。反乱も起こさない。 ただ、美しい銅像として国を飾ってくれる。


「……よくやった。お前たちも、辛い役目を果たしてくれた」


王は立ち上がり、俺たちに告げた。


「勇者アルヴィンを、国葬をもって弔おう。そして、生き残った其の方らにも、最大の報奨を与える。……ゆっくり休むがよい」


「はっ。ありがたき幸せ」


俺は深く頭を下げた。 床の冷たさが、額に心地よかった。 これで決まった。 真実は闇に葬られ、俺たちは「英雄の仲間」として、富と名誉を約束された。


俺の犯した大罪は、国家公認の「伝説」によって上書きされたのだ。


それから数ヶ月が過ぎた。 季節は巡り、王都には穏やかな秋が訪れていた。


勇者の国葬は盛大に行われた。 広場には巨大なアルヴィンの銅像が建てられ、その台座には『永遠の光、ここに眠る』と刻まれた。 毎日、多くの市民が花を手向けに訪れているという。


俺、グレンは、軍を退役した。 王家から下賜された報奨金は、一生遊んで暮らせるほどの額だった。 俺は王都の一等地に屋敷を構えたわけでも、爵位をもらって政治に関わったわけでもない。 下町の一角にある、こじんまりとした一軒家を買い取り、そこで静かに暮らしていた。


「……平和だな」


俺は家の前の通りを歩きながら、眩しそうに空を見上げた。 空は青く、澄んでいる。 あの魔王領の、鉛色の空が嘘のようだ。


街は活気に満ちていた。 復興景気というやつだろうか。新しい店が建ち並び、人々の顔には笑顔が溢れている。 魔王の恐怖が去り、夜も安心して眠れる日々。 それが、俺が勇者を殺して手に入れた世界だった。


「おじちゃん、これください」 「はいよ! 『勇者パン』一丁!」


通りのパン屋の前で、子供たちが列を作っている。 店先には、剣の形をしたパンや、勇者の顔を模したクッキーが並んでいた。 『勇者が愛した味!』というポップが踊っている。 嘘をつけ。あいつが好きだったのは、高級ホテルのステーキとワインだ。こんなパサパサしたパンなんて見向きもしなかっただろう。


俺は苦笑しながら、その光景を通り過ぎた。 勇者は消費されていた。 物語として、商品として、道徳の教科書として。 アルヴィンという人間そのものは消え失せ、都合の良い「記号」だけが増殖していく。


ふと、公園の方から賑やかな声が聞こえてきた。 子供たちが集まっている。 その中心にいたのは、紙芝居屋だった。


「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 今世紀最大の英雄譚! 『勇者アルヴィンと魔王の決戦』の始まりだよ!」


俺は足を止めた。 吸い寄せられるように、人垣の後ろに立つ。


「――魔王城に乗り込んだ勇者様一行! 待ち受けていたのは、山のように巨大な魔王だ!」


紙芝居屋が大げさな身振り手振りで語る。 木の枠の中にある絵には、角の生えた筋骨隆々の悪魔と、光り輝くイケメンの勇者が描かれていた。 どっちも似てねえな。 本物の魔王は、あんな立派なもんじゃなかった。もっと不気味で、細長くて、黒い「ナニカ」だった。勇者だって、最後は血と泥にまみれてボロボロだった。


「『ワハハ! 小賢しい人間どもめ! 捻り潰してくれるわ!』 魔王が炎を吐く!」 「『負けるものか! みんな、力を合わせるんだ!』 勇者様が叫ぶ!」


紙芝居の中の勇者は、仲間たちに号令をかける。 絵が変わる。 そこには、勇者を支える三人の仲間が描かれていた。 杖を構える魔法使い。祈る聖女。そして、槍を持った戦士。


「魔法使いフェイが炎を凍らせ、聖女エリアナが傷を癒やす! そして槍使いグレンが魔王の隙を作る!」


「おおーっ!」 子供たちが歓声を上げる。


「『今だ、勇者様!』 グレンが叫んだ! 勇者様は頷き、最後の力を振り絞る! 『ありがとう、みんな! 君たちがいたからここまで来れた!』」


俺は、思わず吹き出しそうになった。 なんだそのセリフ。 『君たちがいたから』? あいつはそんなこと言わない。あいつが俺たちに向けた最後の言葉は、「家族ごとバカにした罵倒」と、「自分一人でやったという慢心」だ。 そして俺が言ったのは「今だ!」なんて熱い連携の合図じゃなく、「死ね」という殺害宣告だ。


「ドカァーン! 聖剣が魔王を貫いた! 魔王は消滅した! ……しかし、勇者様もまた、力を使い果たして倒れ込んでしまったのです」


紙芝居屋の声が、悲しげなトーンに変わる。


「『……泣かないで。僕は星になって、みんなを見守っているから』。そう言い残して、勇者様は光となって天に昇っていきました。おしまい」


拍手喝采。 子供たちは目を輝かせている。 「勇者様かっこいい!」「僕も勇者になる!」


俺は深いため息をつき、その場を離れた。 綺麗な話だ。 あまりにも綺麗すぎて、反吐が出る。 あそこで語られている「グレン」は、俺であって俺ではない。勇者を支えた忠実な戦士として、美しく改竄されている。


歴史とは、こうやって作られるのか。 真実など重要ではない。人々が信じたい物語、安心できる物語だけが残り、不都合な事実は淘汰される。 俺がアルヴィンの首に短剣を突き刺したあの感触も、あいつの驚愕に染まった死に顔も、紙芝居の一枚にもならずに消えていく。


「……ま、それでいいか」


俺はポケットの中の硬貨を弄んだ。 俺は名誉なんていらない。 真実が暴かれれば、俺は極悪人として処刑される。 この「嘘」は、俺にとっても都合のいい隠れ蓑なのだから。


日が傾きかけた頃。 俺は街外れにある、一軒の酒場に向かった。看板も出ていないような、知る人ぞ知る隠れ家的な店だ。


カランコロン。 扉を開けると、店内は薄暗く、静かなジャズが流れていた。 客はまばらだ。 俺は迷わず、一番奥のボックス席へと向かった。


そこには、先客がいた。 とんがり帽子ではなく、洒落たハットを目深に被り、グラスを傾ける女性。


「……遅いじゃない」


フェイだ。 彼女は琥珀色の液体が入ったグラスを揺らしながら、俺を流し目で見た。 あの旅路でのボロボロのローブ姿とは違い、仕立ての良いドレスを着ている。元宮廷魔導師としての品格を取り戻したようだ。 だが、ハットの下から覗く左側の髪は、不自然に厚く下ろされている。 失われた耳を隠すために。


「悪い。紙芝居に見とれてた」 「紙芝居? ……ああ、例の『勇者伝説』?」


フェイは鼻で笑った。


「聞いたわよ。あたし、あの中じゃ『氷の魔女』って呼ばれてるらしいわね。炎の魔法が得意なんだけど、適当な設定つけられちゃって」 「俺なんか『忠義の槍』だぞ。笑い死ぬかと思った」 「ふふ、傑作ね」


俺は彼女の向かいに座り、店員にエールを注文した。


「……調子はどうだ?」 「悪くないわよ。宮廷からは引退したけど、王立アカデミーの名誉教授って肩書きをもらったわ。講義なんて月一回でいいのに、給料は現役時代の倍。……口止め料込み、ってとこね」


フェイはグラスを煽った。その飲みっぷりは、あの野営地での豪快さを思い出させた。


「聖女様……エリアナはどうしてる?」 「教会に引きこもってるわ。今は『悲劇の聖女』として、毎日信者たちに勇者の武勇伝を語るのが仕事よ。……痩せ細って、目の下にクマを作ってね。あの子、嘘をつくのが下手だから、相当ストレス溜まってるんじゃない?」


「自業自得だ。あのままついてくればよかったのにな」 「無理よ。あの子は信仰の中にしか居場所がないもの」


運ばれてきたエールを、俺は一気に半分まで飲んだ。 冷たくて、美味い。 あの泥水のような旅路では、想像もできなかった味だ。


「……ねえ、グレン」


フェイが、真剣な眼差しで俺を見た。


「後悔、してる?」


直球な問いだった。 勇者を殺したこと。 英雄殺しという十字架を背負ったこと。 そして、この偽りの平和を享受していること。


俺はグラスを置き、天井を見上げた。 脳裏に浮かぶのは、アルヴィンの最後の顔だ。 「なんで」と問いかけていた、あの死に顔。


「……してないと言えば、嘘になるかもな」


俺は正直に答えた。


「夢に見るよ。あいつの驚いた顔を。……もっとマシなやり方があったんじゃないか、話し合えば分かったんじゃないか、って考えることもある」


「そう」


「でもな」


俺はフェイの目を見返した。


「あの時、あいつを生かして帰していたら……俺たちは一生、あいつの『物語』の脇役として、搾取され続けていたと思う。お前の耳のことも、あの村でのことも、『必要な犠牲』として美化されて、あいつの光に塗りつぶされていた」


俺は自分の手を見た。 人を殺した手だ。洗っても落ちない血の記憶がある。


「俺は、俺の人生を取り戻したかったんだ。勇者のためでも、世界のためでもなく、俺自身のために。……だから、後悔はしてない。あれは、俺が生きるために必要な『仕事』だった」


フェイはしばらく俺を見つめていたが、やがてふわりと微笑んだ。 それは、あの魔王城からの帰路で見せた、共犯者の笑みだった。


「……そうね。あたしも同罪よ」 「ああ」 「あたしはね、グレン。あんたが殺してくれて、救われたのよ。……あいつが生きてたら、あたしは一生、自分の耳を見るたびに惨めな気持ちになってた。でも今は、これは『あんたとの絆の証』だと思える」


フェイは自分の左側の髪を撫でた。


「ありがとう、死神さん」 「よせ。……照れる」


俺たちはグラスを合わせた。 カチン、と澄んだ音が響く。 世界中が勇者を称える中、この薄暗い酒場の片隅だけが、真実を知る者たちの安息地だった。


「これからどうするの?」 「さあな。のんびりするよ。釣りでも始めるか、あるいは料理の腕でも磨くか」 「いいわね。あたし、味見係ならやってあげる」 「高いぞ、俺の料理は」


俺たちは笑い合った。 恋人というにはドライで、戦友というには重すぎる。 「共犯者」。 それが、今の俺たちに一番しっくりくる関係だった。


店を出ると、外は既に夜だった。 王都の空には、満天の星が輝いていた。 街灯の明かりが、石畳をオレンジ色に染めている。


「じゃあな、フェイ。また」 「ええ。また来週」


フェイはハットを被り直し、夜の街へと消えていった。 その背中は、以前よりもずっと軽く、自由に見えた。


俺は一人、家路についた。 夜風が心地よい。 ふと、広場の方を見ると、ライトアップされた勇者の銅像が見えた。 黄金に輝くアルヴィン像は、剣を掲げ、永遠にこない敵を見据えている。


「……精々、そこで輝いててくれよ」


俺は銅像に向かって呟いた。


「お前は光だ。みんなの希望だ。……汚れ仕事は全部、俺が持っていってやったからな」


お前は綺麗ままで死んだ。 俺は汚れたままで生きる。 それでいい。それが、俺たちが選んだ結末だ。


俺はポケットから、あの日、魔王城から持ち帰ったものを一つ取り出した。 それは、小さな黒い石の欠片。 魔王の体の一部だったものだ。 何の力もない、ただの黒曜石のような石ころ。 だが、これを見るたびに思い出す。 絶対的な悪意と、それを倒した勇者の輝きと、その勇者を殺した自分のナイフの重さを。


俺はその石を、夜空に向かって放り投げた。 石は暗闇に溶け込み、どこかへ落ちていった。


「さようなら、勇者様」


俺は背を向け、歩き出した。 俺の足音は、街の喧騒にかき消されていく。 誰にも注目されず、誰にも称えられず。 ただの「グレン」という一市民として、この平和な街の影に溶け込んでいく。


どこかの家から、夕食のいい匂いが漂ってきた。 今日はシチューにしようか。 あの旅で、アルヴィンが「美味しい」と言ってくれた、俺の特製シチューを。 一人で食べるには少し味が濃いかもしれないが、酒のつまみにはちょうどいいだろう。


俺は、少しだけ口角を上げた。




これが、俺のハッピーエンドだ。

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