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魔王戦、戦死者一人と帰還者三人  作者: ヤスナー


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14/16

虚無の玉座で嗤う深淵

翌日。 鉛色の空の下、俺たちはついにその場所に立った。


魔王城。 人類の敵が住まう本拠地。あるいは、世界の終わりの墓標。


「……着いた」


俺の口から漏れたのは、歓喜でも恐怖でもなく、ただの重い溜息だった。 やっとだ。 やっと、終わる。


王都を出てからの数週間。 体感では数年にも感じられる、地獄のような日々だった。 勇者の無自覚な暴力に晒され、その尻拭いをさせられ、プライドを傷つけられ、泥水を啜り、仲間のフェイを傷つけられ、罵り合い、殺し合い、そうして積み上げた死体の山の上を歩いてきた。


その全ての終着点が、目の前にある。


城は、巨大な黒曜石を削り出して作ったかのような、継ぎ目のない構造をしていた。 尖塔は雲を突き抜け、壁面には幾何学的な、見る者の精神を不安にさせる文様が刻まれている。 生物の気配はない。 城の周りを飛ぶワイバーンも、地上を這う魔物もいない。 ただ、絶対的な「死」の静寂だけが、城を中心に同心円状に広がっていた。


「……行こう」


勇者アルヴィンが、掠れた声で言った。 昨夜の口論以来、彼とまともに口はきいていない。 彼の黄金の鎧は、瘴気に当てられたのか、それとも持ち主の心を反映したのか、泥を塗ったようにくすんで見えた。 その足取りは重い。だが、止まることは許されない。彼は「勇者」という役割を演じ続けるしかないのだから。


俺たちは吊り橋のように伸びた一本道を渡り、巨大な城門の前へと進んだ。


城門は、高さ二十メートルはあるだろうか。 鉄とも骨ともつかない素材でできており、表面には苦悶の表情を浮かべた無数の人面のレリーフが彫り込まれていた。


「……開くよ」


アルヴィンが手をかける。 鍵はかかっていなかった。あるいは、来るものを拒む必要すらないという余裕か。


ズズズズズ……。 重低音が響き、大扉が左右に開いていく。 錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、その隙間から、冷気とも腐臭ともつかない風が吹き抜けた。


「うっ……」


聖女エリアナが口元を押さえる。 臭い。 それは物理的な悪臭というより、魂が腐ったような、生理的な拒絶反応を引き起こす臭気だった。


俺たちは足を踏み入れた。 エントランスホールは、意外なほど簡素だった。 天井は高く、闇に溶け込んで見えない。床は黒い大理石で、俺たちの姿を亡霊のように映し出している。 敵影なし。罠なし。


「……誰もいないのか?」


俺は槍を構えたまま、周囲を警戒した。 普通なら、ここで幹部クラスの魔物がお出迎えだろ。 だが、聞こえるのは俺たちのブーツが床を叩くコツ、コツという乾いた音だけ。


「罠かもしれない。慎重に進もう」


フェイが小声で囁く。 彼女は俺の後ろに隠れるように歩いている。その手は俺のマントの裾を強く握りしめていた。 震えている。 魔力感知に優れた彼女には、俺たちには見えない「何か」のプレッシャーが感じ取れているのだろう。


「大丈夫だ、フェイ。俺がいる」


俺は短く声をかけ、前を行く勇者の背中を睨んだ。 もし何かあったら、あいつを盾にしてでもフェイを守る。 その覚悟だけが、俺の足を前へと進ませていた。


ホールを抜けると、真っ直ぐに伸びる長い廊下に出た。


左右には等間隔に柱が並び、青白い魔導火の松明が揺れている。 その廊下の長さは異常だった。 歩いても歩いても、景色が変わらない。まるで無限回廊に迷い込んだような錯覚。


俺たちは無言で歩き続けた。 この静寂は、過去を回想させる。


(……やっと、このクソみたいな仕事から解放される)


俺は心の中で繰り返した。 魔王を倒せば、王家からの報奨金が出る。 そうすれば、田舎に引っ込んで、小さな家を買おう。畑を耕して、朝は遅くまで寝て、夜は安酒を飲んで過ごすんだ。 二度と剣など握らない。英雄なんて言葉は辞書から消してやる。


チラリと横を見る。 フェイも、真剣な顔で前を見据えていた。 彼女もまた、この地獄が終わった後のことを考えているのだろうか。 研究室に戻るのか。それとも、俺と一緒に……。


(いや、やめだ)


俺はかぶりを振った。 死亡フラグを立ててどうする。 今は生き残ることだけを考えろ。


「……見えてきた」


先頭のアルヴィンが足を止めた。 廊下の突き当たり。 そこに、一つの扉があった。


それは、城門よりも遥かに小さかったが、存在感においては圧倒的だった。 純金と真紅のベルベット、そして見たこともない宝石で装飾された両開きの扉。 だが、そのデザインは吐き気を催すほど悪趣味だった。 宝石はまるで「充血した眼球」のように配置され、金の装飾は「内臓」や「血管」を模しているように見える。 豪華であればあるほど、そのグロテスクさが際立つ。


「……この奥だね」


アルヴィンが唾を飲み込む音が聞こえた。 彼の手が、聖剣の柄にかかる。 震えている。 昨日の夜、「お前は卑しい」と俺を罵倒した時の勢いはどこにもない。 今の彼は、ただの怯える子供だ。


「開けますか、勇者様」


俺は淡々と促した。 ここで立ち止まっていても仕方がない。 さっさと終わらせて、帰るんだ。


「……ああ。行こう」


アルヴィンは深呼吸をし、意を決したように扉に手をかけた。 俺は槍を構え、フェイは杖を掲げ、エリアナは祈りを捧げた。


ギィィィィィ……。


悪趣味な扉が、油の切れた音を立てて開いた。 そこから溢れ出したのは、闇。 光を吸い込むような、濃密な闇だった。


玉座の間。 そう呼ばれるべき場所なのだろう。 広さは大聖堂ほどもある。 壁一面にはステンドグラスがあるが、描かれているのは聖人ではなく、捻じ曲がった異形たちが人間を貪り食う地獄絵図だ。 外からの光は通さず、部屋全体が薄暗い紫色に染まっている。


そして、その最奥。 数段高くなった台座の上に、禍々しい黒鉄の玉座があった。


そこに、「それ」はいた。


「…………」


俺たちは、息をするのを忘れた。 魔王。 そう呼ばれる存在だから、俺は勝手な想像をしていた。 巨大なドラゴンか、角の生えた屈強な悪魔か、あるいは堕天使のような美形か。


だが、そこにいたのは、そのどれでもなかった。


それは、人形のようだった。 いや、出来の悪い粘土細工か、子供が落書きから生み出したバケモノか。


まず、体の比率がおかしい。 足が、異様に長い。玉座に座っているのに、膝から下が折り畳まれて床に広がっている。まるで蜘蛛の脚だ。 対照的に、胴体は極端に短い。肋骨があるのかどうかも分からないほど薄く、ひしゃげている。 そして腕。 肩からぶら下がった腕は、だらりと垂れ下がり、指先が地面につくほど長い。関節が三つも四つもあるように見える。


全身は、真っ黒だった。 服を着ているわけではない。皮膚そのものが、光を反射しない漆黒なのだ。 影そのものが立体を持って座っているような、不気味な質感。


「……な、なんだ、あれ……」


アルヴィンが後ずさる。 分類できない。 魔物図鑑にも、神話にも載っていない。 「人」という概念を模倣しようとして、決定的に失敗したナニカ。


そいつは、微動だにしなかった。 呼吸をしている様子もない。 ただ、そこに「在る」だけで、部屋全体の空間が歪んでいるように感じる。


俺の背筋を、冷たい汗が伝い落ちた。 本能が警鐘を鳴らしている。 『戦うな』。 『逃げろ』。 『関わるな』。 これは、生物としての格が違う。勝てるとか負けるとか、そういう次元の話じゃない。


だが、俺たちの視線を感じたのか。 その「ナニカ」の頭部が、ガクッ、と不自然な動きで持ち上がった。


顔。 それを見た瞬間、俺の横でフェイが「ヒッ」と小さな悲鳴を上げた。


のっぺりとした黒い顔。 鼻も、耳もない。 ただ、眼球があるべき場所に、ポッカリと二つの穴が開いていた。 眼窩ではない。 底のない、虚無の穴。 見つめていると、魂ごと吸い込まれてしまいそうな、絶対的な闇がそこにあった。


そして、口。 顎の骨格を無視した位置に、半開きになった口がある。 だらしなく開いたその隙間からは、言葉にならない空気の漏れるような音が聞こえてくる。


『シュウ……、ヒュウ……』


壊れたふいごのような呼吸音。 それが、部屋の静寂を侵食していく。


「……き、貴様が魔王か!」


アルヴィンが叫んだ。 恐怖を振り払うための、虚勢の叫びだ。 彼は聖剣を抜き放ち、切っ先をその異形に向けた。


「僕は勇者アルヴィン! この世界の平和を守るため、貴様を討ちに来た!」


定型文。 いつもなら、この名乗りだけで周囲の空気が変わり、勇者のペースになるはずだった。 だが、「それ」には何の意味もなかった。


アルヴィンの声は、虚空に吸い込まれ、反響すらしなかった。 異形は、名乗りを聞いているのかどうかも分からない。 ただ、その虚ろな穴のような目で、ぼんやりとこちらを向いているだけだ。


「……無視するな!」


アルヴィンが一歩踏み出す。 その時だ。


異形の頭が、コクリと右に傾いた。 まるで、愛らしい小鳥の仕草のように。 だが、その動きはあまりに速く、そして機械的だった。


そして。


ニタリ。


笑った。


半開きだった口が、耳のあたりまで裂けた。 そこから覗いたのは、真っ白な歯。 人間と同じ形状の、しかし数が明らかに多い、びっしりと並んだ歯列。 真っ黒な顔の中で、その白い歯だけが、異常な鮮明さを持って浮き上がった。


『……ヨウコソ……』


声が聞こえた。 鼓膜を揺らす空気の振動ではない。 脳の中に直接、泥水を流し込まれたような、不快で粘着質な響き。


『勇、者……。ト……、ゴ、ミ……』


ゴミ。 その視線が、アルヴィンを通り越し、俺とフェイに向けられた気がした。 眼球がないのに、視線を感じる。 ねっとりとした、品定めするような、あるいは餌を見るような視線。


「う……あ……」


エリアナが腰を抜かして座り込む。 フェイが俺の腕を強く掴み、爪が食い込む。痛い。だが、その痛みが唯一の現実だった。


『待ッ、テ……イタ、ヨ……。ズッ、ト……』


異形は、長い長い腕を持ち上げた。 その動きに合わせて、周囲の空間がギチギチと悲鳴を上げる。


『遊、ボウ……。壊、レル、マデ……』


俺は悟った。 こいつは、話が通じる相手じゃない。 「魔王」という肩書きすら生ぬるい。 これは、ただの「悪意」の塊だ。 純粋で、無邪気で、残酷な、子供のような悪意。


「……来るぞッ!!」


俺は叫び、フェイを庇って前に出た。 アルヴィンが聖剣を構える。 異形の腕が、鞭のようにしなった。


旅の終わり? バカ言え。 本当の地獄は、ここからが本番だったんだ。


俺は歯が砕けるほど食い縛り、その理解不能なナニカを見据えた。 恐怖で震える足を、無理やり大地に縫い付ける。


「上等だ……! 終わらせてやるよ、テメェごときに!」


俺の咆哮と同時に、異形の哄笑が響き渡った。 最終決戦の幕が、絶望と共に切って落とされた。

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