不貞腐れの勇者
翌朝の旅立ちは、滑稽なほど残酷なコントラストを描いていた。
「槍使い様! お気をつけて!」 「これ、持っていってください! 燻製肉です!」 「お嬢ちゃんも、傷を大事にな!」
宿屋の前には、村中の人間が集まっていた。 俺とフェイの周りには人垣ができ、食料や水、防寒具などが次々と手渡される。 彼らの目は感謝と尊敬に満ちていた。 昨日、俺が行った一方的な虐殺を、彼らは「正義の鉄槌」として受け入れたのだ。暴力こそが唯一の秩序であるこの辺境において、俺は紛れもない守護者だった。
一方で。
「……行きましょう、勇者様」 「うん……」
その歓声の輪の外側。 勇者アルヴィンと聖女エリアナは、誰からも声をかけられることなく、幽霊のように佇んでいた。 二人の顔色は最悪だった。 昨夜、彼らは一階の食堂の隅で、冷めたスープを啜りながら、村人たちの冷ややかな視線と陰口に耐えていたらしい。 「役立たず」「口だけ」「偽善者」。 そんな言葉の礫を浴び続けた英雄の姿は、見る影もなくやつれ、その黄金の鎧さえも輝きを失ってくすんで見えた。
「じゃあな。達者で暮らせよ」
俺は村人たちに短く別れを告げた。 正直、居心地が悪かった。 俺たちが去った後、この村はどうなるのだろうか。 「赤カラス」は全滅させたが、暴力の空白地帯には、また新たな暴力が流れ込むのが世の常だ。 俺が「英雄」として振る舞ったことで、彼らは過剰な期待を持ち、自衛の努力を怠るかもしれない。あるいは、俺の真似をして残酷な報復を覚えるかもしれない。
(……知ったことか)
俺は思考を打ち切った。 俺は神じゃない。通りすがりの掃除屋だ。 後始末まで面倒を見てやる義理はない。
俺はフェイの体を支え歩き始める。
「行くぞ」
俺の声に、アルヴィンは反応しなかった。 彼は虚ろな目で村人たちを一瞥し、逃げるように吊り橋へと歩き出した。 一度も振り返ることなく。
村を出てから半日。 俺たちのパーティーを支配していたのは、窒息しそうなほどの「沈黙」だった。
会話はない。 目も合わない。 ただ、四人の人間が同じ方向へ歩いているだけの、冷え切った行軍。
アルヴィンとエリアナは、俺たちから十メートルほど距離を取って先頭を歩いていた。 その歩き方は、まるで「お前らとは口もききたくない」という意思表示のように頑なだった。
「……ガキね」
フェイが、呆れたように呟いた。 彼女の頭には新しい包帯が巻かれ、その上からフードを目深に被っている。
「自分の思い通りにならなかったからって、へそを曲げて。……あいつら、本当に国を背負う覚悟があるのかしら」 「あるわけないだろ。温室育ちの観葉植物だ」
俺は低い声で返した。
一度、「今後のルートについて相談がある」と声をかけたことがあった。 だが、アルヴィンは無視した。聞こえているはずなのに、顔も向けず、ただ早足で歩き去った。 エリアナに至っては、振り返りざまに「人殺し」と聞こえるような声で毒づき、アルヴィンの腕にしがみついた。
不貞腐れているのだ。 昨日の今日で、彼らのプライドはズタズタに引き裂かれた。 自分たちが否定され、野蛮な俺たちが肯定された事実を受け入れられず、殻に閉じこもっている。 「僕たちは悪くない」「間違っているのは世界の方だ」。 そう自己暗示をかけなければ、自我を保てないのだろう。
(……面倒くせぇ)
俺は舌打ちした。 リーダーとしての統率力放棄。 コミュニケーションの拒絶。 これはもう、パーティーとして機能していない。ただの「呉越同舟」以下の集団だ。
だが、それでも俺たちは歩き続けた。 引き返すことはできない。王命であり、逃亡兵となれば極刑だからだ。 それに何より、ここまで来て引き下がれない「意地」のようなものが、俺とフェイの中にも芽生えていた。
風景が変わった。 渓谷を抜けると、そこは死の世界だった。
草木は枯れ果て、地面は黒く焼け焦げている。 空の色もおかしい。 どこまでも続く鉛色の雲が垂れ込め、太陽の光を遮断している。 時折、遠くで雷鳴のような音が響くが、雨は降らない。
魔王の領土。 生物が生きることを拒絶する、呪われた大地。
「空気が重いな」
俺は槍を握り直した。 肺に入ってくる空気が、鉄錆びた味がする。 魔素の濃度が異常に高いのだ。 普通の人間なら、ここに立っているだけで吐き気を催し、数日で発狂すると言われている。 俺たちが平気なのは、勇者の加護か、あるいはフェイの結界魔法のおかげか。
「……ねえ、グレン」
フェイが俺の肩を叩いた。
「あれ」
彼女が指差した先。 地平線の彼方。
俺は目を細めた。 最初は、黒い雲の塊かと思った。 だが、違う。 それは、大地から天へと突き刺さる、巨大な「楔」のような影だった。
魔王城。
ここからおよそ、15キロメートル。 徒歩なら半日もかからない距離だ。
はっきりとは見えない。 城の周囲には、黒い靄のようなものが渦巻いており、その全貌を隠している。 だが、その靄の奥から放たれる「異質感」は、この距離でも肌を刺した。
巨大すぎる。 物理法則を無視した尖塔が、雲を突き抜けて聳え立っている。 城というよりは、巨大な生き物の死骸か、あるいは墓標のように見えた。 黒く、重く、そして圧倒的に不吉。
「……あれが」
俺は息を呑んだ。 今まで「魔王討伐」なんて、王様やお偉いさんが決めた御伽噺の延長だと思っていた。 だが、目の前の「それ」を見た瞬間、現実としての重量がのしかかってきた。
あそこに、世界の敵がいる。 人類を滅ぼそうとする、災厄の根源がいる。
先頭を歩いていたアルヴィンたちの足が止まった。 彼らもまた、その異様な光景に釘付けになっていた。
アルヴィンが、ゆっくりと顔を上げる。 その背中から、先ほどまでの「拗ねた子供」のような雰囲気が消えた。 背筋が伸びる。 右手が、無意識に腰の聖剣の柄にかかる。
エリアナも、祈りを捧げるように両手を組んだ。 その横顔からは、俺たちへの軽蔑の色が消え、純粋な恐怖と、それに立ち向かおうとする悲壮な決意が浮かんでいた。
言葉はいらなかった。 俺たち四人の間に流れていた冷たい空気が、一瞬にして別のものに変わった。 敵対心でも、友情でもない。 もっと原初的な、生物としての「危機感」。
(……来るか)
俺は馬を降り、フェイの手を引いて降ろした。 ここからは、馬は足手まといになるかもしれない。
俺たちは無言で並び立った。 左には、不殺の誓いを立てた理想主義の勇者と聖女。 右には、手を汚すことを厭わない現実主義の俺と魔女。
水と油。 決して混じり合わない二つの正義。 だが、目の前にそびえる「絶対的な悪」を前にして、俺たちは一つの生き物のように体を強張らせた。
「……行くよ」
アルヴィンが呟いた。 それは俺たちに向けた言葉ではなく、自分自身に向けた独り言のように聞こえた。 だが、その声には微かに力が戻っていた。
「ああ」
俺も短く答えた。 仲直りをしたわけじゃない。 あいつの甘さを許したわけでもない。 ただ、「あそこへ行く」という目的だけが一致した瞬間だった。
俺は槍の石突きで地面を叩いた。 乾いた音が、死の大地に響く。
不貞腐れている暇はない。 愚痴を言っている余裕もない。 あそこにあるのは、俺たちが今まで経験したことのない、本物の地獄だ。
俺たちは顔を見合わせることなく、ただ黒い城を見据え、一歩を踏み出した。 最後の行軍が始まる。 それぞれの思惑と、決して消えない溝を抱えたまま、俺たちは破滅の待つ城門へと吸い込まれていった。




