第一話 リバーシとピアス
忘れもしない夏の日の転入生。
「えー、今日からみなさんの仲間になる。白崎蘭くんです」
高二の夏。
ようやく梅雨が明け、夏休みの話題がちらほら出始めた頃だった。
首振りが怪しい扇風機が一台だけ稼働している湿度の高いサウナみたいな教室に転入生がやってきた。
「はじめまして、白崎です」
あまりにも引っかかりのないろ過したての水のような声がした。
どんな顔したやつだか気になって顔をあげた。
涼しそうな癖のない黒髪は季節外れの冬を着てますと言わんばかりの佇まいだった。
いかにも、女子が好きそうな顏。
「白崎くんの席はあの空いてるところ、駒形の隣ね」
「はい」
担任の教師が指さした座席は俺の隣の席だった。
歩くたび、前髪が控えめに揺れる。
アニメに出てくるキャラクターみたいなやつだな。
白崎と目が合った。彼はすこし首を傾けて上品に微笑んだ。
何を食ったらクラスメートにそんな顔できるんだ。
「よろしくね」
「お、おう」
感覚的なところでいうと白崎から醸し出される何もかもがただの高校生ではなかった。
話し方、笑い方、佇まい、明らかに裏がありますと感じられるほどだった。
小指の第一関節くらいの皮肉も入ってるかもしれないが、自然に怪しんだ。これが素だというのであれば俺は今まで生きていたことを一から疑わなければなるまいよ。
いくら女子がキャーキャー叫ぼうと男子が興味本位で近づこうと遠巻きに見ていた。
「お前、白崎にだけ感じ悪くね? 何かされたの」
「そんなことなくね?」
「そんなことなくなくね?」
「んだよ」
友達にまんまと言い当てられた。
内心そんなにわかりやすい態度だったかと動揺した後、あたかも普通ですを装って思い当たる事などございませんよという顔をしてみた。
そんな俺を見て友達は肩をぽんぽんと慰めるように叩いてきた。
「まぁ、わかるよ? あれだろ嫉妬」
「はぁ、なんだって?」
どうにも的外れな言葉が飛んできたので、首を傾けてじっとり睨んでやった。
「お前が喉から手が出るほど欲しいもの……全部持ってそうだもんなぁ、白崎くん」
「あ?」
友達は指をたてながら一つずつ俺の喉から手が出るほど欲しいものをあげていった。
「小柄な恵にはない、身長だろ? 顔に出やすいお前にはないミステリアスさでしょ? 女子にモテるとことか、普通に頭がいい、鼻高いし、足長いし」
「おい、後半悪口だろ。慎めよ」
口を尖らせ、悪い悪いとへらへらする友達を肘で突いた。
うりうりと突き返されて肘突きの応酬になっ
た頃、担任の先生がひょっこり教室に顔を出した。
「駒形、日直の仕事のついでに資料運ぶの手伝ってくれー」
「へーい」
頭の片隅にすらなかった自分の役割を思い出し、あたかもやる気だけはあるような顔をして担任の後を追いかけた。
「あんの、担任。これ見よがしになんでも頼みやがって」
授業で使用した教材の整理と移動のはずが、備品の確認やら次回の授業で使う道具やらの運搬までやらされた。
「早く帰れよー」
どの口がと思いながらほぼ在校生のいない校舎の廊下に自分の足音だけを響かせ、教室へ戻った。
西日の差しこむ教室に一人、残っていたのは白崎だった。
机の上に広げられているノートや教科書が目に入った。
綺麗な字だな。
特に目を合わせることも、話すこともない、自分の机にかかる鞄を手に取った時だった。
椅子が床を滑る音がして、白崎が立ち上がった。
俺に刺さる西日の光が遮られ顔をあげると距離は教科書一冊分。
俺を見下ろしていた。
逆光で表情は見えない。
「駒形恵くん」
背筋がひやりとした。
「……なんだよ」
金でも巻き上げられるのかよ。
「よかったら、リバーシやらない?」
「は?」
突拍子のないことを言われたと思ったら、親し気に腕を引かれた。
よかったら、じゃないのかよ。なんだこいつ。
そのへんにいる小学生みたいな行動を取ってきた。
白崎は机の方に俺を引っ張り、前の席に座らされるた。
白崎は机の上を手早く片づけはじめ、鞄から白黒の丸い駒とマス目のついた板を取り出し、机の上に置いた。
「黒と白どっちがいい?」
「……俺やるって言ってなくね?」
「でも、やってくれるんでしょ?」
やってもいいかなと思っていただけに少しイラっとした。
「やらねぇよ」
「じゃあ、俺は白で」
「きけよ」
俺の話を無視して白崎は一手目をパチッと置いた。
「いや、黒が先だろ」
視線でお前の番だと急かされて観念した。
机に肘をついて頬杖し、促されるままに駒に手を伸ばした。
「ボクの勝ちだね」
善戦した気がしていた。
しっかり、角を取ったのに負けた。
悔しいとか、もう一戦やりたいという気持ちはなかった。気持ちの悪い負け方をしたからだ。
ほぼ黒く染まったリバーシの板を見て、一つ頭に浮かんだ可能性に抗いたかった。
ガリッ。
首の付け根を思いっきり、指で引っ掻いた。
「……あのさ」
「うん?」
「もしかして、わざと角取らされたりした?」
「えー?」
白々しく相槌を打たれた。
白崎は俺を負かせたかったのか、いじめたかったのか、思うところがあったのか。
それならただただ、性格悪くねぇか?
「恵くん!」
突然、名前を呼ばれ、手を取られて目玉がこぼれるかと思った。
手を引かれているものの身体をのけぞらせ、無理やり距離を取った。
「最初から名前を呼ぶのは馴れ馴れしいって思うのかな。よくわからないけど、恵くん」
さっきからフルネームで呼んでおいて、今更なことを言うな。
「なんだよ」
「よかった、君みたいな人がいて!」
「なに、馬鹿にされてる?」
「してないよ、してないんだけど」
「けど?」
綺麗な形の口角が吊り上げられた。
「普通に生きてれば今日死ぬわけがない。それなりの高校にそうそう変な奴は転入してこない。放課後に突拍子なくはじめたリバーシでわざわざ角をとらせようとする奴はいない」
「なんのはなし?」
探偵の推理ショーのような、テレビショッピングのような、宗教勧誘のような、中途半端だが聞いてしまう語りだった。
話が途切れて帰るなら、こいつと距離を取るなら今だと思った。
「離せよ。帰るから」
白崎の手を払って席を立つと友達の印にと言って奴も立ち上がった。
なんだこいつ。
嫌々見上げると、白崎は見せつけるように長い黒髪を右耳にひっかけた。
そこには紫色の石が特徴的なピアスがつけられていた。
「あー、彼女にもらったとか?」
言葉に詰まったのは明らかに家族や恋人からもらった代物ではなく、いかにも不本意と言いたげな表情を白崎がしていたからだった。
初めて見る白崎の表情が今までで一番、信頼できる顔に思えた。
「恵くんがリバーシで勝ったら、教えてあげるよ」
「……別に、知りたくないけど」
それから放課後は白崎とリバーシをすることになった。
一度も勝つことのできないまま、半年が過ぎて年が明けた。
白崎蘭は一度も勝ちを譲らず、突然姿を消した。
学校に登録されていた住所はでたらめ、実際は空き地、電話番号もメールアドレスも白崎に繋がることはなかった。
犯人はあなただ、今だけ限定、セットでこの価格、あなたは神を信じますか?
どんな犯人で、どんな商品で、どんな神なのかを語らずに消えた白崎の事が気になって仕方なくなった。
見つけ出して、全て吐かせてやる。
あんなやつ、怪しまなければよかった。
自分はこんなにも執念深くて怪しんだら最後、白が白、白が黒、黒が白、黒が黒だと己が確信できるまで追わずにはいられない性質であると今まで生きてきて知らなかったのだ。
高三の春。
「進路希望調査票回収するぞー、後ろから前に回せ―」
それなりの大学ではなく、警察官と書いた自分の進路調査票を前の席の生徒に渡した途端、白崎の手の中に納まったようで、ざわざわと胸が騒いだ。
まずったかもしれない。
脳裏の白崎が綺麗な口角をつり上げている。
本能的にこいつは要注意だと思うことってありますよね。それです。