第1話 追放と始まりの祈り
王都レグナム——この国で最も栄えた街の一つ。商人が行き交い、騎士が行軍し、空には魔導飛竜が飛ぶ。そんな賑わいの中心部に、ひときわ目立つ白亜の建物があった。
《神聖職業判定所》。
ここで、十五歳を迎えた国民は『職業適性』を診断される。
運命の日だ。人生の明暗がここで分かれると言っても過言ではない。
——そして、今日がその日だった。
「ユリウス=クローディア、前へ」
係官の声が響いた。無数の視線が俺に集まる。その中には、幼馴染のルカや、仲間であるグレン、ミレイアの姿もあった。俺たちは四人パーティで冒険者として活動する予定だった。いや、今日までは、だろうな。
俺は無言で前に出て、中央の魔法陣に立つ。係官が杖を掲げ、淡く光が広がる。
「職業、適性判定開始——」
輝きが強まり、やがて淡く収束していく。そして、空中に浮かぶ魔法文字が形成された。
『職業:祈祷士』
「……え?」
あまりに地味な文字列に、俺は思わず呟いた。観客席がざわつき、やがて誰かが吹き出す。
「祈祷士? マジで?」
「はは、よりによってそれかよ!」
周囲の笑い声が波のように押し寄せる。
祈祷士——戦闘能力ゼロ、支援系最弱職。回復もできるが、専門職の聖職者には劣る。バフも弱く、攻撃手段は皆無。
「マジかよ、ユリウス……終わったな」
グレンが、眉をひそめて言った。ルカは目を伏せ、ミレイアは明らかに軽蔑の視線を送ってくる。
「そんな……おかしいよ。もう一回、やり直せないのか?」
「適性判定に再試験はない。これは神の導きによるものだ」
係官が冷たく言い放つ。俺は唇を噛みしめながら、ゆっくりと魔法陣から降りた。
「ま、これでパーティは解散だな」
そう言ったのはグレンだった。剣士として将来を有望視されていた彼は、まるで汚物でも見るような目で俺を見ていた。
「待ってくれ! 俺は……」
「祈祷士と組むバカはいないよ。回復すら満足にできない支援職なんて、ただの足手まといだ」
ミレイアがピシャリと言い放つ。彼女は天才魔導士として名を馳せる少女で、俺たちの中でも頭ひとつ抜けた存在だった。
「……ごめんね、ユリウス。あたし、グレンたちと一緒に行くから」
ルカが言った。あんなに仲が良かったのに、目も合わせようとしない。
ああ、これが現実か。
「……わかったよ。行けよ、みんな。もう止めない」
俺はそれだけ言って、彼らに背を向けた。
笑い声と、冷たい視線が俺の背中に突き刺さる。足取りは重く、胸がきつく締めつけられる。けれど、ここにいたって仕方ない。
追い出された俺に、王都は冷たい。
三日後。俺は王都の北門を出た。荷物は最低限、金もわずか。だが不思議と心は軽かった。
(いいんだ。俺は、俺のやり方で生きていく)
誰かの後ろに隠れる生き方じゃなく、自分で進む道を見つけたい。たとえそれが泥道でも、最弱でも。
俺は自分の手を見つめた。戦うための力はない。でも、祈る力ならある。
——いや、ある“はず”だ。俺に与えられた職業は、【祈祷士】。
祈りはきっと、無意味じゃない。
「さて、行きますか……」
誰に向けるでもなく、俺は小さく呟いた。
それが、新たな旅路の始まりだった。
王都を離れてから一週間。俺、ユリウス=クローディアは、小さな辺境の村に滞在していた。森と川に囲まれたのどかな村で、冒険者ギルドの支部もないような、地図にも載らないような場所だ。
この村の教会で寝泊まりし、簡単な薬草採取や農作業の手伝いをして日銭を稼ぐ。
俺は教会の裏で畑を耕していた。土は重く、汗がにじむ。スコップを振り下ろしていると、背後から小さな声がした。
「あの……あなたが、ユリウスお兄ちゃん?」
振り返ると、教会の孤児のひとり。まだ十歳にも満たない、小さな少女が立っていた。大きな青い瞳に、肩までの金髪。薄汚れたワンピースが風に揺れている。
「ああ、そうだよ。君は……リア、だったよな?」
「うん。……あのね、膝を怪我しちゃって」
見れば、彼女の足には擦り傷があり、血が滲んでいた。どうやら転んだらしい。
「そっか。じゃあ、治してあげるよ」
俺はリアの前にしゃがみ、そっと手を差し出す。
「【祈願・小癒】」
祈祷術の基礎中の基礎。薄い金色の光が俺の掌から溢れ、リアの膝を包み込む。たったそれだけのこと。けれど、リアは目を丸くして、そしてポツリと呟いた。
「……あったかい……」
そして、その瞬間だった。
空気が変わった。
教会の周囲に、まるで風が集まり始めたかのような気配。草花がざわめき、空に光の粒子が舞う。
俺の背中に冷たい汗が伝う。異常だ。これは祈願《小癒》の範囲を、明らかに逸脱している。
「な、に……?」
リアの身体が淡く光り始めた。目の色が深い緑へと変化し、瞳孔が竜のように細くなる。風が彼女を中心に渦を巻き、大地が震えた。
そして——
『《世界樹の巫女》、覚醒を確認。分類:神託者』
頭の中に、機械のような声が響いた。
「なんだよ、これ……!」
光が収まり、リアがこちらを見る。その顔はどこか神々しく、無垢な笑みを浮かべていた。
「ありがとう、ユリウスお兄ちゃん。なんか、すごく力が湧いてきたよ」
——俺の祈祷で、彼女は変わった。いや、“覚醒した”。
もしそうなら——俺の力は、最弱なんかじゃない。
ただの支援でも、回復でもない。祈りが“才能を目覚めさせる”力だとしたら。
「ユリウスお兄ちゃん、これ、見て!」
リアが手をかざすと、空中に小さな樹が浮かび上がった。まるで精霊のように舞いながら、周囲に癒しの波動を放っている。
「……精霊魔法? いや、それより上……」
俺の背筋に震えが走る。
これまで蔑まれてきた【祈祷士】という職業。だが、その本質は……もしかして、神の力を“他者に”転写する、唯一無二の力なのではないか?
もしそうなら——
追放されたのは、愚かだったのは、俺じゃなくて——
「リア。君は、特別な力を手に入れたんだ」
「うん! でも、ユリウスお兄ちゃんが祈ってくれたからだよ!」
そう言って笑う少女の無垢な笑顔が、心を救った。
俺は立ち上がり、静かに手を握る。
今度こそ、間違えない。俺は俺の信じた人を、祈りで支える。それが俺の戦い方だ。
——祈祷士、ユリウスの本当の旅が、今始まる。