戦後処理
草木も瞑る、丑三ツ時。
はて、“虫の報せ”、であろうかな。
『眠れるときには存分に寝ておけ、眠れぬ刻に備えよ』
とまで、後に家訓にも掲げる、近代軍隊にいう“急いで待て”、平時での滋養長久の要を識る、常陸陸拾萬を領する水戸城主にして大大名、佐竹義宣が近習頭、渋江内膳政光その人、は。
なんと!。
常に無い、名乗りを待たず眼前で、やにわ自ら開いた家門に使者は思わず奇声。
「……」
「……」
「あー、こんな夜更けにお役目苦労」
「えー、こんな時分に失礼仕る!」
実に、事は、虫の報せであった。
遅くなり申した!。
天守で独り、夜闇に向け眼を凝らす主公の背は、突如そのとおりに、投げ出された『天下』の行く末を見極めんとするかの、『指揮官の孤独』そのものであった。
きたか、内膳。
変わらず城外へ眼を投じたまま義宣は、背に向け告げる。
向き直り、どっかとあぐらを組むと、ちこう、
ちょいちょいと手招き、いざり寄る耳元へ声を潜め、
三州めが。
短く、一言。
想定していた最悪の的中に、内膳はぶるりと身を震わせた。
敗れたというのか?! 。
東軍が!! 。
「して」
「判らぬ」
討たれた、とも。
さすがの内膳も気が遠くなる。
家康公が、関ケ原で、討ち死に……?! 。