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しょまのおまけ  作者: おおらり
マヴロス開拓記
54/57

口付けの練習 後編


 コルネオーリの社交界の『辺境伯の姫』の印象を払拭したであろう、大成功の帰り道。

 馬車に乗る前に、ルーキスは聞いた。


「リーリアは何を案じていたのですか?」


 ワルツを踊ったあとに食事もできたし、人々を観察することもできた。でも……人前でそんな振る舞いをしている人なんて当然だが、いなかった。

 だからリーリアは、真っ赤になりうつむきながら、ごにょ……と白状した。


「結婚式で、ちゃんと口付けできるかが不安だった……」

「は?」

 ルーキスは眉をひそめた。


「それは夜会で見ることではないのではないか」

「……おっしゃる通りですわ」



 リーリアはそれまで、ルーキスとふたりで居て、気まずくなったことが一度もなかった。リーリアはいつも、自然体で居た。

 だが、この帰り道の馬車の中は、ものすごーく気まずかった。


(怒っているかしら)

 ちらちら、ルーキスを見るが、ルーキスは窓の外を見て何か考え事をしている様子だった。

 そのうち、目を閉じてしまった。

(疲れているのかしら)

 そりゃー疲れるか……苦労をして……なのにあんなおこちゃまな動機を話したら……。

 リーリアは反省するが、反省したところで起こしてしまったことは仕方がなかった。


 言葉にしてしまったものは、取り消せない。

 それに言葉にしたのだから、結婚式の前に一回くらい、ルーキスは口付けの練習に付き合ってくれるかもしれない。




 辺境伯の屋敷に馬車がつき、リーリアはルーキスの背を見ながら、屋敷の庭を本邸に向かい歩いていた。


 庭木の薔薇の良い香りに、少し足をとめ。月明かりに照らされ透ける薄桃色の花びらが、昼間ほど開いてはいないけれど、閉じきりはしないのだと気づき。柔らかな花に、指先でちょんと触れる。

 ルーキスも同じものを見ていると思い、声をかけようと顔をあげる前に、先に声をかけられた。


「リーリア」

「なあに?」


 長い指先が頬にそっと触れたかと思うと、ルーキスはすこしかがんで、リーリアに優しく口付けた。



 リーリアは大混乱に陥る。練習するなら、相談してくれると思っていたからだ。ルーキスのことだから、キスしていいか聞いてからキスがあると、勝手に思い込んでいたからだ。


 こんな、楽しかった夜会の帰り道に。庭木の綺麗な薔薇の前で。月明かりの下、ふたりきりで。普通の恋人みたいな振る舞いではないか、という衝撃があった。


 けれど、その混乱は長くは続かなかった。唇が離れたかと思いきや、ずる……と、ルーキスが頭をリーリアの肩に乗せたから。体調が悪くてふらついたような素振りだった。


「え? ルーキスさん、大丈夫!?」

「いえ……失礼しました」

 ルーキスは顔をあげ、額を手の甲で抑えている。眩暈がしたような顔をしていて。あまりにも具合が悪そうで。リーリアはますます心配になった。

 ルーキスは言った。


「練習が必要だったことがわかりました」


 リーリアはあわあわとした。


(私に神聖力があるから、口付けでダメージを受けたのかも……!?)



 特に口付けのことは話題にあがらずに、ふたりは本邸まで戻る。本当に具合の悪そうなルーキスをリーリアはずっと心配するが、はやく一人になりたそうな雰囲気だったので、「おやすみなさい」と言い、別れた。





 ルーキスは私室に戻る。

 ジャケットを脱いで、タイを緩めて。それらをルーキスにしては、ぞんざいにベッドの上に放った。椅子まで行く気力すらなく。ベッドに腰掛けると、そのまま後ろに倒れ込む。

 顔を両手で覆った。

(幼子か? 私は……)

 猛省。反省なんて言葉では覆い尽くせない失態が、ルーキスの前にあった。


 リーリアから「結婚式の口付けが不安だった」と聞いて、ルーキスはそんなこと、早く言ってくれればよかったのに、と思った。相談されていたら、その場で口付けただろうに、と。

 触れることは得意ではないが、リーリアの頼みであれば、すぐ聞いた。リーリアはアサナトスの花をくれるというのだから、ルーキスにできることなのであれば、なんだって、頼みは聞こうと思っている。


 それが、どうしたことだ。

 まさか口付けをして、リーリアの人肌の温もりに触れたところで、血を吸いたくなるだなんて。


 マヴロスに現存する吸血鬼は、完璧を目指した種族だ。吸血鬼の歴史は、弱点の克服に費やした歴史と言って良い。太陽すらもほとんど克服している。血液に関しても、純血であればあるほど、必要量は少ない。料理に混ぜたり、血液を貯蔵する魔石を持ち歩いたりするのが常だ。常に、美しく、完璧でありたい種族なのだ。


 人間の血を直接吸うだなんて野蛮な真似をするのは、獣じみた真似をするのは、貧しい者のすることだ。末端の、血の薄い吸血鬼たちのすることだ。

 先祖代々、純血であるルーキスは、血を吸いたいという衝動に駆られること……そんなのは幼い頃、まだ分別のつかない頃の思い出だった。恥ずかしい思い出だった。

 それが、どうして。何百年もなかったのに。


(どうしてリーリアに)

 ルーキスは顔から手を離して、天井を見つめる。


 まあ確かに、逸話はある。

 吸血鬼は、好きな人間の血は吸いたくなるものだという逸話があるが。

(好意?)

 ルーキスは腑に落ちない。

 確かにリーリアは美しいし、まともな令嬢だ。レヴァンタと逃げた妻の子とは思えないほどまともで努力家だが。


 だが、ルーキスの頭の中で、ルーキスとリーリアの間にあるのは「アサナトスの花」なのだ。


 好意。

 そんなあやふやな概念よりも、唇は皮膚が薄いから、血液に近いから、衝動を呼び起こしたと考えるほうが、納得ができた。


(リーリアの言うとおりだ)




 翌朝、リーリアはルーキスの体調が気になって、ルーキスの部屋を訪れる。


「リーリア」

「ルーキスさん、大丈夫?」


 部屋の扉の前で会ったルーキスは、いつもどおり黒いスーツを着て。髪をしっかりとかきあげていて。そして、いつもどおりの無表情ながらも、どこか晴れやかな顔をしていたのでリーリアは安心した。


 けれど。


「えっ……?」


 ルーキスはリーリアの両肩を手で優しくおさえると、リーリアに軽く。本当に軽く、口付けた。

 

「えっ? えっ?」

「リーリア、貴女の言う通りだ」


 リーリアは、よく知っている。

 ルーキスに、他意はない。


「えっ?」

「練習しておけば、結婚式で動じることはない。そうでしょう?」


 不意打ちに困惑し、赤くなって固まっているのは、リーリアだけなのである。

 目の前の男は涼しい顔をして、こんなことをのたまう。


「ワルツと一緒ですよ、リーリア」

「そっ……ち、違う! ワルツとは違う!」


 リーリアは気づく。

 目の前にいるのは魔物なのだ。

 魔物の価値観で行動している。


「な、なんで照れずにそんな真似ができるの!?」

「照れる? 何故。必要だから行っている」


 ルーキスの灰色の瞳は、本気だ。

 リーリアは、怒る。


「もう、知らない!!!」


 リーリアは走って逃げていく。


「……何故?」


 何故リーリアを怒らせたのかが、ルーキスにはわからない。

 ルーキスの心の中は、血を吸いたいという衝動をうまくコントロールできた喜びでいっぱいだった。やはり長く口付けるのはよくない、短ければ大丈夫なのだと。

 そこの実証実験をしただけだ。

 なのにリーリアは、怒った。


 ルーキス的には結婚式の前に、もうすこし完璧にしておきたい。絶対に吸血衝動が起きないようにしておきたいのだが、あの様子で口付けの練習を、許してもらえるのだろうか?




 リーリアは、口付けが先にあるのは、おかしな話だと気づいた。本来、好意が先にあって、口付けがあるべきなのだ。

 リーリアはルーキスに口付けられて構わないと思っていた自分に気づいた。

(好意?)

 リーリアは真っ赤になる。

(だって……ルーキスさんは魔物、魔物なのに……)

 昨夜、一緒に踊っているときの微笑みを思い出した。薔薇の庭木の前で、口付けられた瞬間のこと。

(魔物なのに〜!!!)

 リーリアは泣き出しそうになる。


 リーリアには予感があった。

 ルーキスは超・完璧主義だ。ワルツの練習でそれはわかっている。だから……ルーキスが口付けに何かが足りないと思っているのであれば、絶対に結婚式の前に、また練習してくるだろうという予感だ。

(止めないと、絶対に止めないと……)

 だって、リーリアの心臓が、持ちそうにないから。


 夫婦を目指すふたりの日々は、まだはじまったばかりだ。


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