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しょまのおまけ  作者: おおらり
マヴロス開拓記
53/57

口付けの練習 中編


 リーリアは濃紺のドレスに身を包んでいる。肩の出るドレスで、裾が揺れると、光沢のある生地とちいさな宝石の装飾がきらめく。ルーキスは濃紺のタキシードを着ている。どちらも結婚式の衣装の採寸の際に注文したものだった。今後のために何着か購入したのだ。


 ドレスについて、ルーキスはリーリアに意見を聞いたが、リーリアはある程度絞ってから、ルーキスにも意見を聞いた。ルーキスは「こちらのほうが品が良い」と回答した。品の良さや美しさは、ルーキスの価値判断基準の上のほうにあるようだ。


 なので今日はお化粧も、リーリアは上品さを意識した。メイドに長い髪を後ろでまとめあげてもらい、ドレスの宝石に合わせた耳飾りを身につけた。歩くと耳飾りが揺れて、小さな宝石が煌めいた。



 煌びやかな会場に、ルーキスのエスコートで足を踏み入れた瞬間、リーリアは周囲の視線が一斉にふたりに向くのを感じた。リーリアが夜会に出るのは、とても久しぶりのことだった。


 見られている、とリーリアは緊張した。

 見にきたつもりが、見られている。

 鋭い視線、値踏みする視線、舐めるような視線。さざなみのような嘲笑。


「あれはどなた?」「ほら、辺境伯の姫君だわ」「噂の……」「異国の方とご結婚なさるそうよ」「国内で相手にされていないから」「あの男の娘じゃ無理もないわ」


 昔、夜会に出ていた頃は何を言われても慣れっこの気持ちだった。耳に届かなかった。でも今日は、自分ひとりの話ではないからか、リーリアの耳は声を拾った。


 

「リーリア」

 うつむく背に手が添えられて、ハッとした。


「もう踊るの?」

「何を言っている? まだ時間ではないでしょう」


 リーリアは驚いた。

 あんなに(踊りはもう嫌だ)と思っていたのに、踊りたくなっている自分自身に。


 踊れば、何もかも忘れられる。

 人目も気にならなくなる。


 ルーキスは、様子のおかしなリーリアのことを見つめる。魔物は顔を近づけ、リーリアの耳元で囁いた。


「うつむくことはない。リーリアが一番美しい」


 ハッとして顔をあげる。

 いつも通りの真面目な顔があった。照れも何もない。ルーキスはお世辞を言わない。

(つまり、)

 今の言葉は、心の底からの言葉ということだ。



 以前夜会に出ていた頃とは、また違った視線をリーリアは感じた。異性からの視線だ。


 ダンスの時間が近づくとそのうちの一人がリーリアに声をかけた。パートナーのルーキスがすぐそばにいるにも関わらず。ルーキスに声をかけずにリーリアに声をかけるのは、コルネオーリでは失礼な振る舞いだ。


「辺境伯の姫君、ぼくと踊ってくださいませんか?」


「え? ええと」

 リーリアは困る。ルーキスに目線を送る。

 ルーキスは言う。


「私は構わない」


 いや、構ってよ、とリーリアは呆れた。

(そこは婚約者として、断る流れでしょ?)


 リーリアは(最初に踊るのはルーキスとが良い)と思い、断ろうとした。

「先に彼と踊ってから――」

 しかしルーキスは、リーリアの背を軽く押した。流石のリーリアもムッとした。

(何考えてるの?)と。けれど、振り向き見たルーキスの表情は――何か考えがあるようだ。


 相手の男はふたりの様子を見ていて、明らかにルーキスに嘲りの目を向けた。リーリアは当惑したが――ルーキスを信じることにした。


「わかりました、お受けいたします」


 婚約者以外と最初に踊ろうとするリーリアに、人目が集中した。「父親に似て愚かだな」と聞こえた。


 けれど、リーリアはもう下を向かなかった。

 背筋を伸ばして前を向いた。

 魔物は言ったのだから、「リーリアが一番美しい」と。



 曲が流れ、男と踊りはじめて思った――遅い。

 男は『人並み』だった、以前のリーリアと同じ。しかし今のリーリアには、男のダンスの(あら)が見える、わかる。


 会場の空気が変わった。

 感嘆の声が聞こえた。驚きの視線。リーリアが、人々を惹きつけている。

 見るものが見ればわかる、努力に裏打ちされた美しさに。


 注目を集めているのがリーリアであることに、目の前の男は気づいていない。男は、男がリードしているつもりでいるようだ。


(ルーキスさんとのワルツなら、こうはなっていない)


 リーリアが認められる空気には、なっていないはずだ。


 男と踊りながら、リーリアはチラ、とルーキスを盗み見た。ルーキスは――微笑みを浮かべていた。

 あまりに美しい微笑みだった。

 人形(ひとがた)の魔物の微笑みが、これほど美しいということをリーリアは初めて知った。


(ルーキスさんは、)


(私がどんな噂話をされるか、私よりわかってた――だから完璧を求めたのかな?)


(それとも、ただ、完璧が好きなだけ?)


(今、貴方の目から見て――私は完璧?)



 踊り終わって礼をして、急ぎ、ルーキスのところまで戻るリーリアを、男が追ってきた。


「きみとだとぼくはすごく上手く踊れた、ぼくたち、息がぴったりだったね。ねえ、もう一曲踊らないか?」


 ルーキスは男とリーリアの間に立ち、言葉で両断した。

「貴方は下手だ」

「は?」

「貴方の踊りは醜い。リーリアのみが美しい」


 男はカンカンになっている。

 リーリアは。

 背後で(実はラブラブなのかな)と噂するひそひそ声がしたが、リーリアにはよくわかっていた。


 ルーキスに他意はない。リーリアの踊りが美しいと感じたから、思ったことをそのまま言っているだけだ。


「そんなに言うなら、お前はぼくより上手に踊れるんだろうな?」


 ルーキスはリーリアの背に手を添えて踊りの場に促しながら、言葉を返した。


「誰に物を言っている?」




 曲が流れ、踊り始めてリーリアは気づく。

 いつもよりずっと、スローなペースだ。

(……気を遣ってる?)

 2曲連続で踊ることになったリーリアに。


 ルーキスの所作は、細部に至るまで完璧だった。いつも通りの美しさだ。リーリアも、それに倣った。


(あれ……なんだろう……楽しい……)


(楽しい)


 こんなに踊るのが楽しいのははじめてだった。

 ペースがゆっくりだから、ルーキスが相手だから。

 こんなふうにしてみよう、がすべて叶った。

 そしてリーリアの表現に、ルーキスは応えてくれるから。


 普段の練習のペースでは、何かを見る余裕なんてなかった。でも今は、周囲の賞賛も。ルーキスの顔も、しっかりと見える。リーリアが見ているのに気づいて――ルーキスは、かすかに微笑んだ。


 婚約者への微笑みは、周囲に見せるために計算されたものなのか。それとも心から、リーリアの努力に報いてくれているのか。いずれにせよ、ルーキスはちゃんと考えてくれていた。リーリアのことを。


 リーリアは不思議でならなかった。今、この瞬間のためだけにあんな地獄の日々を……目の前の魔物のことがおかしくてならなくて、でも、なんだか愛おしかった。


 リーリアもルーキスに微笑みを返した。

 心からの微笑みを。


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